第191話 千里眼
都市アージア防衛の要たるエレミヤは、戦闘開始と同時に己が切り札を投入した。
「神遺秘装――千里眼」
世界の景色を映し出す千里眼。
亡き神の代弁者であるエレミヤは、全てを見通し、誰も彼女の目から逃れることはできず、捉えることはできない。
そんな逸話を刷り込まれてきた姫巫女は、千里眼を神聖なものとして扱ってきた。
だが、それは偽りであると知り、神の正体がナイル・アーネストだと判明して以降、極力使用を控えていたが、今は己の武器として――大切な仲間を守るために躊躇なく発動してみせた。
スッと右手で右眼を抑え、左眼だけを見開き発動された千里眼は、以前と違い、膨大な情報の奔流に流される事なく、魔力放出範囲を都市アージア近郊に絞り、自由に取捨選択することができるようになった。
おかげで、アルカナディアから放たれる高速ミサイルを事前に察知することができ、オリヴァーは見事に迎撃に成功してのけたのだ。
爆発の衝撃でビル全体が激しく揺れるが、問題ない。
皆生きているし、怪我らしい怪我もない。機材や設備も問題なく稼働している。耐衝撃対策はバッチリさ、と親指を立てるウィリアムに笑みを返して、エレミヤは魔力操作技術向上の立役者たる少女の顔を思い浮かべる。
「シャーレ様々よね、本当。あの子がいなかったら、私は今でも千里眼に翻弄されていたわ」
以前のような神の介入は許さず、エレミヤは自身の意志で力を行使している。
最早、ナイルは介入したくてもできず、情報の一切を遮断された状況にある。
何故なら、エレミヤが繋がっていた魔力のパスを強引に断ち切ったからだ。電話で例えるなら着信拒否みたいなものか。
姫巫女の千里眼の性質を看破したシャーレとのやり取りは衝撃的で、自分が如何に狭い視野でしか物事を見ていなかったか痛感させられた。
初めは、何て事ない相談から始まり、元神遺秘装保有者、それに身体の一部という同じ性質を宿していたシャーレにどうやって血霊液を操れるに至ったのか質問したところ――。
◇
「私、ですか? 血霊液は、そうですねぇ……感覚的な話で言いますと、最初はエレミヤさんと同じで、自らの忌むべき血に翻弄され続けていました。けどそれが凄くムカついて、逆に支配してやろうって心意気で特訓していましたね」
笑顔で凄いことを言ってのけるシャーレにエレミヤは苦笑いで返す。
「あなたって、顔に似合わず負けず嫌いよね。ヒナミとアイリに容赦なく力の差を見せつけてたし」
「うっ、あれは……その、何と言いますか」
申し訳なさそうに俯くシャーレに「気にしなくていいわよ」と、フォローをかける。
「でも、気合いと根性で神遺秘装って、どうにかなるものなのかしら?」
「もちろん精神論も大事ですが、一番は自分の能力について理解を示すことだと思います。
何がどこまでできるのか? 私の血霊液は、不死性に加えて相手に血を与えることで支配したり、自在に形状を変化させて己の武器としたり様々な応用が効きましたし、エレミヤさんの千里眼も使い方次第によっては様々なことができると思いますよ?
そもそもエレミヤさんって兄さんを夢に誘ったり、過去の記憶を思い起こさせたり、既に色々なさっていませんでした? 魔力操作技術も充分に高いと思いますし、他に何か気になることでも?」
シャーレから見たエレミヤは、十二分に千里眼の性能を引き出せていると映っているのだろう。
そもそも自分のアドバイスなんて必要か? という顔をしている。
「えぇ。けど、何て言うのかしら……。私は、自分の視点でしか千里眼の能力を知らないから、あなたの意見を聞いてもっと創意工夫を施して実戦で役に立てるようにしたいのよ。
例えば、私が能力を使うと必ずナイル・アーネストに察知されて介入を許してしまうから、それを無くしたり――」
「あぁ、なるほど、そういう……」
エレミヤの理想は神に察知されず、且つ自在に見たい景色を自由に取捨選択することだ。
そもそも、自分の力であるというのに何故毎回毎回ナイルに邪魔されなければならないのか。
二人で云々と悩みながら、千里眼の特性を紙に書き出して考察していく。
瞳を閉じているエレミヤには見えていないが、シャーレに伝わればそれで充分。やがて、彼女は何かに気付いたのか「あっ、もしかして……」と、声を上げた。
「エレミヤさん、千里眼の交信能力についてですが、無意識に送信先をナイル・アーネストさんに設定しているんじゃないですか?
エルフの言い伝えに従うなら、世界の景色と神だけに伝わるようですが、私はそんなことないと思うんですけどねぇ」
「え、待って、全然意味が分からないのだけど!?」
エレミヤの千里眼と交信可能なのは神とその因子を持つユーリだけ。
ずっとそう思ってきたし、他の人と交信できるなど考えたこともなかったから、シャーレの言葉に驚くのは当然のこと。
「エレミヤさん、一度培ってきた固定概念を真っ新にして考えてみませんか?」
「固定概念?」
「千里眼は万能な能力です。その強大さ故に、エレミヤさんは翻弄されてしまっているのでしょう。
その根本的な理由は、エレミヤさん自身の思い込みと不安。幼い頃から刷り込まれた信仰が原因であることを認識してください」
「え、えぇ。分かったわ」
エレミヤは自覚していないが、シャーレが言うのなら間違いないだろう。
「いいですか? 千里眼は、神聖なる力などではなく、只の武器です。魔術武装と同じだと考えてください」
「…………」
簡単に言うが、やはり千里眼が神より賜ったものでないと割り切るのは難しい。
固定概念を払拭できず、難儀するエレミヤへ、シャーレはゆっくりと言い聞かせるように伝える。
「大事なのはイメージです。あなたは恐らく、神遺秘装を発動する際に、無意識に神の事を考えてしまっている筈です。
発動中は神のことばかり考えてしまうから、あなたの魔力は因子を捉えて直結してしまう。
だから何も考えず、頭を空っぽにして千里眼を発動すれば、神と交信することはないと思います」
「は、発動って……今ここで?」
「えぇ。試してみないことには何も分かりませんので」
「それは、そうだけど……」
確かに試さないことには仮説を立証できないが、万が一神にこちらの情報が知られてしまった場合、不利益を被ることになる。
向こうは、クロイス邸にいると分かってはいても、こちらの詳しい状況は把握していない筈。
だから、危険を冒してまで千里眼を発動するべきか逡巡してしまうエレミヤに対し。
「エレミヤさん、千里眼は神の力ではなくあなた自身の力です。
それを念頭において、蛇口をゆっくりと捻るように魔力出力の調整をイメージして、そうですね……発動する際に片眼を少しずつ開いてみてください」
「片、眼……?」
ゆっくりと、片眼だけ。
そうだ。思い返せばエレミヤは、両眼でしか千里眼発動してこなかった。
エルフの姫巫女として作法を徹底的に仕込まれたエレミヤは、癖が抜けず発動する度に全開の魔力を振り絞ってしまっている。
ひょっとすると、片眼だけなら世界から受け取る情報や負担、魔力消費量も半分以下に抑えられるのではないか?
シャーレはそれに気付いて、真摯にエレミヤの神遺秘装と向き合おうとしてくれている。
「怖がらないで、恐れないで、逃げないで。エレミヤさんは強い。冷静に、落ち着いて、改めて自分を見つめ直して、神遺秘装の呪いを捩じ伏せましょう」
ユーリ・クロイスのように優しくて暖かい澄んだシャーレの声音が、エレミヤの心に溶け込んでいく。
不安から勇気へと変換された彼女の心は、驚くほど泰然としていて。
「神遺秘装――千里眼」
一切の躊躇いなく、ゆっくりと片眼を開いた。
◇
(見えるわ、ミアリーゼ・レーベンフォルン。あなたが今何処にいるのか、どれだけ部隊を展開しているのか、どう攻め込もうとしているのか)
片眼のみ開いた千里眼は、都市アージア近郊にいる統合軍の現在位置をはっきりと捉えていた。
現在、彼女の視界は、まさにリアルタイムの航空写真を眺めているように映っている。魔力出力を調整すれば、ズームして拡大や縮小も思うがまま。
瞬きする度にカシャリとカメラのシャッターが切られるように情報を更新していき、ウィリアム・クロイスを通して、現場の司令官へ情報を伝えていく。
通信機が当たり前に存在しているフリーディアの文明は、エルフや他の種族に比べて情報伝達が圧倒的に早く、兵士たちも迅速に対応できている。しかしそれでも、状況は未だ不利と言わざるを得ない。
一番の問題は、姫動魔術戦艦の性能が高すぎて突破する術を見出せないことにある。
加えてミアリーゼもエレミヤを相当警戒しているのか、無策に突っ込まず主力部隊と連携して防衛網を突破しようとしているため非常に厄介極まりない。
エレミヤとしては待ち伏せして誘い込み、魔力切れまで持ち込みたかったのだが、思いの外冷静だ。
向こうも、エレミヤと同じように都市アージア全域をマッピングしていると推察される。
市街戦においてセオリーな歩兵部隊の奇襲が全て空振りに終わっているのがその証拠。
航空戦力という圧倒的アドバンテージを得ているアルカナディアから誘導爆弾が投下され、着々と侵攻していく統合連盟軍に苦戦を強いられているのが現状だ。
次いで挙げられるのは、グランドクロス=ファルラーダ・イル・クリスフォラスの魔力が強大すぎる点か。
千術姫による憤怒の重圧は、市庁舎にいるエレミヤたちにも届いている。防衛部隊の動きを鈍らせ、戦意を圧し折るのが目的か、効果は覿面だった。
ファルラーダ・イル・クリスフォラスの魔力影響範囲は、推定半径五百キロメートル以上にも及ぶ。
彼女から距離が近ければ近い程、当然重圧は増していくわけで、恐怖が刷り込まれ、指揮系統が機能しなくなっていく。
現在は、あり得ない程の大きさの城門と思しき盾を展開したまま、ユーリ・クロイスと睨み合っているようだが、詳しい状況は分からない。
彼の勝利と無事を心から祈りながら、姫巫女は未だ姿を見せないもう一人のグランドクロスへ警戒を向ける。
(ファルラーダ・イル・クリスフォラスだけでも厄介なのに、向こうには都市カーラを壊滅させ、イリスに酷いことして攫ったグランドクロス=テスタロッサもいる。
千里眼ですら捉えられないなんて、一体何処に潜んで……っていうか、ヒナミとアイリってば、いつの間に街中に出てるのよ!?)
偶然にも無人の市街を駆け抜ける二人の少女の様子が映り、エレミヤは愕然とする。
地元である故に土地勘が強いのか、あのシャーレとシオンを完全に突き放し、アルカナディアが滞空する方角へ走っていくではないか。
「エレミヤさん、何かあったのかい!?」
エレミヤの尋常ではない様子を察知したのか、ウィリアムが何事だと声をかけてくる。
周囲の面々も同様に緊迫感が伝わり、姫巫女は意を決して告げた。
「ヒナミとアイリが、独断で市街に出てきてしまったわ。急いで止めないと、巻き込まれて大変なことに……」
「そ、そんな……」
これは訓練や遊びではなく、生死のかかった戦争だ。
民間人が、自己の判断だけで戦場に出てしまった場合の結果は想像に難くない。
ファルラーダの魔力の影響下であるにも関わらず、戦場へ向かおうとする勇気は大したものだが、どれだけ個々の実力が優れていようと、本当の地獄を知らないヒナミとアイリは、初めての死を目の当たりにして果たして正気でいられるかどうか。
「シャーレもシオンも通信機忘れていってるし、どうしたら……」
慌てて追いかけていったため、肝心要の通信機をうっかり忘れてきてしまったらしい。
エレミヤもすぐに追いつけると踏んでいたのだが、見込みが甘かったと言わざるを得ない。
ビル群の密集した慣れない市街から二人を見つけ出すのは至難の業だ。
幸いにも、シオンが先導しているおかげで方向は合っているが、途中で迂回したり、行き止まりに遭遇したりと難儀している様子。
「くッ」
ウィリアムも追いかけたいのを必死で堪えている。父親であるなら尚更、最高責任者としての義務感が辛うじて彼を押し留めていた。
そして、戦場は現在進行形で刻一刻と変化していく。
ヒナミとアイリにばかり集中してしまえば、その分指示は遅れ、命懸けで戦っている兵士たちが犠牲になってしまう。
「エレミヤさん。ヒナミとアイリは、シャーレたちに任せよう。娘二人のために兵たちを死なせるわけにはいかない」
慨嘆が表情から滲み出ているのが伝わる。それでも必死に押し留めて指示を下すウィリアムに、エレミヤは何も言わずに頷いた。
「はい」
シャーレとシオンなら、きっと二人を連れ戻してくれる。エレミヤは、意識を統合軍とアルカナディアへ集中させて、ナギを敵主力部隊の迎撃に向かわせた。
そして、肝心のアリカ・リーズシュタットはというと、市庁舎から離れた、都市の大通りのど真ん中を陣取って一歩も動かず直立したままだ。
普通に考えたら車の通行の邪魔になる上に、轢かれて死んでしまうのだが、戦場となったアージアには民間車両は走っておらず、彼女に危険が及ぶことはない。
(アリカ……)
通信機で連絡を入れようと思ったが、千里眼越しにでも伝わる並々ならぬ気迫に、エレミヤは躊躇せざるを得なかった。
アリカは、待っている。そして、この場所に来ると確信してる。だからエレミヤは信じることにした。
(ユーリ、ナギ、アリカ、オリヴァー、サラ、シャーレ、シオン、ヒナミ、アイリ、皆絶対に死んじゃ駄目よ――いいえ、私が死なせない!)
これは、何かを奪うためじゃない。戦いを終わらせるための――残された僅かな希望を、未来を守るための戦いだ。