第181話 学生時代の思い出
都市アージアの中にあるいくつかの学校の中でも、名門校と謳われるアージアウッドストック学院。
その威風堂々たる外観は、古い歴史と最先端魔法技術が見事に調和した美しさを誇っている。
他ならぬユーリ・クロイスの母校であり、本来ならばそのまま中等部を卒業し、高等部へ進学する道を選ぶ筈だったのだが、彼はその進路を蹴ってフリーディア統合連盟軍に入隊した。
当時は自分のことでいっぱいいっぱいだったユーリは、母と喧嘩した挙句、誰にも告げずにアージアを出立してしまった。
その行為によって、周りにどれだけの心配をかけてしまったのか、今は心から痛感している。クロイス家の関係者や、学友たち。本当に沢山の人たちに愛されていた自分は、幸せ者だと噛み締める。
軍に入隊してから毎日が忙しなく、いつの間にか半年以上が経過していた。
一年に満たない僅かの間で、ユーリは様々な出来事を経験し、心身共に当時とは比べ物にならないほどに成長している。
その証拠に、クロイス関係者たちは顔つきや雰囲気が以前とはまるで別人だと驚いていたのだから。
そして今、ユーリはグレンファルト・レーベンフォルンとの面会を果たすために、懐かしの母校の校舎へと足を踏み入れている。
普段は、活気のある賑やかさが嘘のように鎮まりかえっており、辺りを見回しても人っ子一人見当たらない。ポツリと、ユーリだけ世界に取り残されてしまったような錯覚を覚えてしまう程に、猛烈な孤独感が襲いかかってくる。
内戦の影響で全校一斉休学中だから仕方ない。
既にアージアを見捨てて別の都市に避難している家もあれば、そうでない家系も大勢いる。
市民は、皆一様に不安に揺れており、今後の治安の悪化が予想されるため、フリーディア治安維持部隊は、総動員で警戒に充っている。
いつ終わるともしれぬ内戦の早期決着を切に願う。
その鍵を握っているのがユーリ・クロイスであり、革命軍ルーメンを率いているグレンファルト・レーベンフォルンが、現在校舎の何処かにいる。
しらみ潰しで校舎を練り歩き、グレンファルトの気配を探っていく。
約束を反故にされたわけではない。彼は、間違いなくアージアウッドストック学院の何処かにいる。ユーリには、それが分かる。
けれど、見覚えのある校舎や教室内を見る度に、楽しかった学院生活のことを思い出してしまう。
前線にいる時は、異種族や戦争のことばかり考えていたため余裕がなかったが、こうして再び当時の学舎に足を踏み入れたことで、何ともしがたい感慨深さが胸を燻っているのだ。
ユーリ・クロイスは学生時代の思い出を詳しく仲間に語っていない。
当時、最前線だったトリオン基地内にて同室だったオリヴァー、アリカ、ダニエルにも普通の学生生活を謳歌していただけだと曖昧に濁し、ナギたち異種族には学校の概念すら知らないので、わざわざ言うことでもないかと胸の内に秘めていた。
話さなかったのは多分、後ろめたい気持ちが強かったから。戦場に出ることで、様々な経験を経てきたユーリは、偽りの平和を謳歌していた己を恥じたのだ。
皆、苦悩を経験してこその今がある。そんな中で、ユーリだけが愛する家族や友人たちと安穏と過ごしてきた日常を語る――そんなことを言えるほど、神経は図太くない。
学生時代のユーリを知る者は、家族含めた当時アージアにいた者たちだけ。
いや、前線に来た者の中で一人だけいるか。今は袂を分かってしまった大切な幼馴染であり、人類希望の姫君……そう。
――ミアリーゼ・レーベンフォルン。
幼き日に曝け出した自身の弱さを肯定してくれた彼女は、一度だけユーリの通う学院へ訪れたことがある。
それもアポイントメントも取らず、堂々とアージアウッドストック学院の敷居を跨ぐという形で。
◇
当時学生だったユーリは、中等部の敷地に人集りができているのを見つけ、何事だと友人たちと教室の窓から遠目で見つめていた。
伝統を重んじる学院で、表立った騒ぎが起こるのは珍しい。教師たちは、何故止めないのだろうか? それに歓声にも似た悲鳴は一体……?
「――って、んなっ!?」
人集りの中心となっている人物を見つけると同時に、ユーリは目を疑った。ついでに、変な声も出た。
来訪者の正体は、何とあのミアリーゼ・レーベンフォルンだったのだ。
よく見れば、理事長自らが出向き、ペコペコと頭を下げているではないか。
「おい、あれってミアリーゼ・レーベンフォルン様じゃないか!?」「え、嘘嘘! きゃー! 本物だー!!」「ミアリーゼ様ーー!!」
クラスメイトたちも、突然のミアリーゼの来訪に歓喜の声を上げ、歓迎している。
ユーリは、ミアリーゼが来訪してきた理由を知らない。だから目立たないよう速やかに窓から離れて、やり過ごそうと考えた――のだが全てが遅かった。
一瞬、彼女と目が合ってしまった。錯覚だと思いたかったが、ミアリーゼは朗らかに笑顔を綻ばせ、こちらへ向けて大きく手を振った。
「――ユーリ様、ごきげんよう! 私、ユーリ様が通われる学院がどういう場所なのか気になりまして、つい訪れてしまいましたの! 今からそちらへお邪魔してもよろしいですかー?」
「「「「!?!?」」」」
その瞬間、クラスメイトが――敷地内にいる野次馬たち含めた生徒全員の視線が、ユーリへと集まった。
「……………」
どうしよう……非常に居た堪れない。ミアリーゼが来てくれたことは嬉しいのだが、できればお忍びがよかった。
ここで目立つのは本意ではないのだ。クロイス家は、内外含めて敵が多い。
叔父が都市長を務めていることや、母がフリーディア治安維持部隊の総司令の地位にいることを不満に思い、追い落とそうと画策する名家は数多くいる。
それは当然、アージアウッドストック学院の中にも存在し、ユーリにできることは要らぬトラブルを引き起こさないよう平和に学院生活を満喫することだけだった。
だからというわけではないが、学院ではレーベンフォルン家と個人的な親交があることを伏せていた。
だというのに、ミアリーゼが無自覚で全部ぶち壊してしまった。彼女は、クロイス家の複雑な内情など預かり知らない。
最近、学院内では姫の婚約者に相応しい者は誰なのか? その座を狙う名家たちが、あれやこれやと水面下で画策しているのをよく耳にする。
だから、公衆の面前でユーリへ向け親しげに手を振るのは非常にマズい。
だけど、今更どう言い繕ったところで手遅れで、あちこちから放たれる嫉妬の殺気を浴びながら「もちろんです!」と、返すしかなかった。
その後――。
「いいかね、クロイス君。くれぐれも、く、れ、ぐ、れ、も、失礼がないように頼むよ。もしミアリーゼ様の身に何かあれば………想像するだけで恐ろしい!!」
理事長室に呼び出されたユーリは、アージアウッドストック学院理事長の鬼気迫る気迫に圧倒されていた。
ストレスで毛髪が抜け落ちているのが分かり、少しだけ同情してしまう。
簡単に事情を説明すると、ミアリーゼは学院の見学を希望し、その案内役にユーリが抜擢されたという形だ。
騒ぎの元凶たる姫本人は、理事長室内にあるソファに腰を降ろし、不思議そうに顔を傾げている。
「あの……ひょっとしてご迷惑でしたでしょうか? 以前お会いした時は、いつでもお越しくださいと仰っておりましたので、私てっきり」
「いえいえいえ、とんでもございません! 我が校、アージアウッドストック学院はいつでもあなた様を歓迎しておりますとも! あはははははは!!!」
「………自業自得じゃん(ボソッ)」
ミアリーゼと理事長のやり取りを聞き、何となく事情を察したユーリはボソリと呟いた。
そんなこんなで、急遽決まったミアリーゼの学校見学会。
理事長室を後にしたユーリは、隣で物珍しげに校舎を見渡すミアリーゼにお伺いを立てる。
「ミアリーゼ様、先ずはどこをご覧になりますか?」
「よろしければ、ユーリ様の学ばれている授業を見学させてください」
「仰せのままに」
エスコート役を仰せつかったため、公の場では紳士として恥じぬ対応をしなければならない。
本当は、いつものようにもっと砕けた態度をミアリーゼも望んでいるはずだが、何も言わないのは自分の立場を理解しているためだろう。
ユーリは万が一にも姫を危険に遭わせてはならないと、意識を切り替える。
その佇まいは、普段の彼を知る者ですら息を呑むほどで、これが本来のクロイス家としての姿なのだと誰もが認識させられた。
授業は、魔術武装を用いた実地訓練から始まり、一般教養含めた学問を体験してもらった。
教師たちがガチガチに緊張していたが、ミアリーゼの柔らかな雰囲気に充てられてか、教室内の空気もどこか暖かかった。
何だかんだ言いながらも、ユーリは夢見たミアリーゼとの学校生活を堪能していた。彼女がもし、フリーディア統合連盟総帥の娘として生まれていなかったら、あり得たかもしれない景色。
だからこそ、このかけがえのない時間を大切にしたい。ミアリーゼが楽しそうに笑ってくれるならそれでよかった。
残り時間も少ない。最後に行きたいところはあるかと訪ねたところ、人気が無い屋上へ行きたいと姫が答え、ユーリは恭しくそれに応じた。
そして現在、ユーリとミアリーゼは二人きりで、並んで屋上から見える景色を眺めている。
「ユーリ様、今日は本当にありがとうございました。あなたのおかげで、本当に有意義な時間を過ごせましたわ」
「いえいえ、楽しんでいただけたのなら何よりです。それに、俺もミアリーゼ様と一緒に授業を受けられて、本当に楽しかったです」
「私も、あなたと過ごした今日という大切な日を、決して忘れません」
思い出を大切に胸に仕舞い込むように、頬を染め、陽気な木漏れ日のような笑みを浮かべてミアリーゼは告げた。
普段は忙しい姫の気を、少しでも休める手伝いができたのなら、こちらとしても満足だ。
「そういえば、教員の方が将来についてお話されていましたが、ユーリ様は学院を卒業された後はどうなさるおつもりなのですか?」
「俺ですか? 俺はこのまま高等部に進学して卒業した後、叔父さんのところで色々学ばせてもらおうかと思ってます。
そのまま市庁舎で働くか、軍に入隊して母さんのサポートしようか迷ってます」
クロイス家の力があれば将来は安泰。生まれた頃から何不自由なく生活し、それを当たり前だと思っている当時のユーリは、将来について深く考えてはいなかった。
一つ考えていることがあるとすれば、将来の結婚相手くらいか。
母は何も言ってこないし、学院内の女子たちの中から好きになった子を選ぶのもありかもしれないと思ったが、悲しきかなそういう相手とは巡り会えていない。
「……結婚か (ボソッ)」
「結婚?」
マズい、うっかり出た独り言がミアリーゼの耳に届いてしまったようだ。
「あぁ、いえ。将来といえば、やっぱり結婚かな……と思いまして。俺、まだ婚約者がいないので、誰と結婚することになるんだろうって、考えてたんです」
「結婚……ですか。そういえば、私もまだそういうお相手はいないんですよ?」
知っている。だから学院内で、誰が姫に相応しい結婚相手になるか裏で揉めている。
都市アージアでこれだから、首都はもっと酷いことになっていることだろう。
というより、彼女の反応を見るに、ミアリーゼ本人は全然そのことに意識を割いていなかったようだ。
「そうなんですね。ミアリーゼ様の婚約者になる方って、どんな方なんでしょうね? もし、相手が決まったら教えてください! その時は、全力でお祝いしますから!」
ほんの一瞬、自分がミアリーゼと結婚する未来を想定してしまったが、天地がひっくり返ってもあり得ないため、すぐに可能性を否定する。
「ありがとう、ございます……」
少しだけ寂しそうに目を伏せたのは、気の所為だろうか?
「その時が来たら、一番にユーリ様にお伝えしますわ」
ニコリと笑みを浮かべたミアリーゼを見た瞬間、胸の奥がズキリと痛みだした。
それが意味するところは分からない。ユーリが、姫に惹かれていることに気づくのはもっとずっと後のことだ。
◇
「俺は、いつだって気付くのが遅すぎる。戦争のこと、異種族のこと、自分の過去や大切な妹のことや、内にある気持ちのことだって……」
前線に赴くか引き返すか、ユーリの人生におけるターニングポイントを選択したのは、自らの意志。
けれど、そのきっかけを与えてくれたのはグレンファルトだ。
彼には返しきれない恩がある――だけど同時に、英雄に対して許せないと思っている自分もいて、様々な感情を持て余している。
「母さんが亡くなって、今度はアージアが戦場になろうとしている。ミアリーゼ様は、俺を殺すためなら、街ごと焼き払うかもしれない……」
あの日、銃口を向けた姫の鋭い眼差しは、半年前とは別人のように様変わりしてしまった。
彼女は、ユーリを助けるためにグランドクロスを連れて戦うと決意したのに、当の本人がその敵と共に行動しているのだから、裏切り者と罵られるのも当然か。
「俺はミアリーゼ様に、俺の大好きな人たちを撃たせたくない。あの人から笑顔を取り戻したい。それはあなたも同じなんですよ、グレンファルト様」
気づけばユーリは、講堂の中へ足を踏み入れていた。
ズラリと何百にも階段状に連なる空白の座席、そして空の壇場は壮観ではあるが、やはり孤独感が募る。
「今まで俺を気遣ってくれていたのは、シャーレの事に対する罪悪感があったからですか? もし、あの時の事を忘れていなかったら、あなたは俺を殺していましたか?」
独り言はいつからか、兄のように慕っていたグレンファルトへ向けて語りかけていた。
寂寞が香る講堂内の中央部にある壇場裏から、カツカツとテンポを刻む靴音と、僅かに人の息遣いが聞こえ――。
「――あぁ、殺していた」
毅然とした態度は変わらず、堂々と偽りのレッテルを張り付けた極光の英雄――グランドクロス=グレンファルト・レーベンフォルンは、真っ直ぐ座席通路に立つユーリの目を見て、そう言った。