第180話 正義の行方
首都エヴェスティシア議事堂の地下にある擬似宇宙空間。ここへ訪れるのは、三度目となる。
「…………」
ミアリーゼ・レーベンフォルンは、無空の宇宙の中で瞳を閉じて佇んでる。
兄、グレンファルト・レーベンフォルンやユーリ・クロイスなど見知った者たちが敵に回った以上、勝利のためには入念な準備を行わなければならない。
彼女は今、その準備のための前段階。フリーディアの祖――魔術機仕掛けの神と邂逅するために一人で擬似宇宙空間を訪れたのだ。
『待たせましたね、ミアリーゼ』
やがて、空間全体に轟く機械じみた声音と共に、一際強い輝きを放つ恒星のような光源体が舞い降りる。
「お久しぶりにございますわ、魔術機仕掛けの神様」
礼節を重んじ、膝を折り、頭を垂れるミアリーゼは、強い怒りの念に支配されていた。
『面を上げなさい、ミアリーゼ。以前よりも一風変わって様変わりしたようですね。私に対する怒りの原因は、グレンファルトの件に関することですね?』
顔を上げて立ち上がった姫の表情は、険しい中でありながらも、その美しさは微塵も損なわれていない。
見る人が見れば、萎縮するような威圧感を放ちつつ、ミアリーゼは首肯した。
「その通りですわ、デウス様。単刀直入に伺います、あなた様はお兄様が謀反を働いていることを初めから知っていたのではないですか?
このような状況であるにも関わらず、衛星軌道兵器の使用権限を剥奪しないのは何故なのでしょうか? 事前に対策できていれば、ファルラーダが重症を負うようなことはなかった筈です」
一命は取り留めたものの、ファルラーダ・イル・クリスフォラスは重症を負い、復帰が叶わない状況だ。
とはいえ、本人は迷惑はかけられないと勝手に退院しようとしたので、ミアリーゼと元クリスフォラス家組員総出で食い止めるにあたり、一悶着あったが……。
とはいえ、死にかけたことは事実であり、統合軍にとって千術姫の戦力がどれだけ重要かフリーディアの祖も把握している筈なのに。
ナイル・アーネストという異種族最強の神を味方につけたグレンファルト率いる革命軍は勢いに乗っている。
もしこのまま攻め込まれれば、首都エヴェスティシアが革命軍の手に堕ちてしまう。
だというのに、何故衛星兵器の使用権限をグレンファルトに与えたままなのか? 兄からデウス・イクス・マギアが人類を見捨てた場合の事柄を指摘されて以降、彼ないし彼女に対する不信感が強まるばかりだ。
『ミアリーゼ、私がグレンファルトに衛星軌道兵器の使用権限を剥奪しない理由は、あなたの時と同じです』
「どういうことですの?」
『グレンファルトは、私と初めて会った時にこう言ったのです。お前の在り方は間違っている、俺が正しい人類の在り方を証明してやる――と』
「そ、それはいつの話なのですか!?」
『丁度、あなたが生まれる少し前、グレンファルトが十二の少年だった頃になります』
十二歳……そんな以前から兄はデウスと戦うことを決めていたというのか?
『ユーリ・クロイスにも言いましたが、私は愛する子供たちの意志を尊重しています。だから戦う力を与えました。グレンファルトかミアリーゼ、どちらが勝利しても私は受け入れることでしょう』
デウスがミアリーゼに姫動魔術戦艦を与えたように、グレンファルトもまた施しを与えられていたのだ。
「それならば、ナイル・アーネストはどうなさるのですか? 彼は、神と呼ばれる異種族の宗主で、ファルラーダに匹敵する実力を有しているのですよ? 彼の正体を、あなた様は気付いておられたのですか?」
衛星兵器を使用するグレンファルトだけでも厄介だというのに、ナイル・アーネストと四精霊の存在により驚異度が拍車をかけて上がっている。
それに魔術機仕掛けの神は、異種族の存在を快く思っていない。滅ぼすことに何ら憂いも迷いもない筈なのに、何故ミアリーゼに討滅を命令しないのだ?
『ナイル・アーネスト――シンが生存している事実については、私も認知していませんでした。
えぇ全く、彼は本当にいつだって私の予想を超えてくる……だから――』
何だ? 魔術機仕掛けの神が、シンに対して執念にも似た感情を除かせたように感じたが、気の所為か?
『ミアリーゼ、シンについては心配無用です。彼が現在人間として生きている理由は、死がトリガーとなり、自らの意思に関わらず別の種族に転生したからだと考えられます。
ですので、私はナイル・アーネストを愛する子供たちの一人として数えることにしました』
「転生……」
デウスの推測が本当だとするなら、例えナイルを殺したとしても脅威は消え去らない。
「ッ、わかりました。ナイル・アーネストを私たちと同義に扱うというのであれば、こちらも相応の対応を取らせていただきます。よろしいですね?」
『…………』
ミアリーゼの問いかけには答えず、光源体は暫しの間、瞬き続ける。
祖が何を考えているのか、人の身たる姫には想像がつかない。魔術機仕掛けの神は、人類の繁栄を願っている現象にすぎないと言いたげな態度に無性に腹が立つ。
「ふぅ……これ以上は何を仰っても無駄ですわね。それとデウス様、テロリストとは別件でお願いしたいことがございます」
『お願い?』
「はい。お願いというのは他でもありません――貴方様の保有している旧時代の記録を私にも見せていただけませんか?」
そう、ミアリーゼがデウスを訪ねた一番の理由は旧時代の史実を知るためだ。
ナイルが言っていた人間と呼ばれる種族のことや、異種族誕生の秘密をこの目で確かめねばならないと思ったから。
『仕方ありませんね。ここで断っても、あなたは梃子でも動かないでしょうから』
旧時代の史実は、これまで培ってきた常識を根底から覆すものだ。デウスがミアリーゼに見せることを躊躇ったのも、人格に影響を及ぼさないか心配してのこと。
グレンファルトと会話して以降、ミアリーゼの感情は不安定に揺れている。姫の婚約者がユーリ・クロイスだったと聞かされただけで、己の目指す悪なき正道なる志の基盤に亀裂が奔った。
「よろしくお願いいたしますわ」
これは、自身に対する戒めだ。旧時代の史実程度で崩壊するような正道ならば、兄の敵たる資格すらない。
そして、叛逆者ユーリ・クロイスと彼に付き従う異種族たちを今度こそ殺すために――過去を切り捨てるために、全ての過去を知るのだ。
◇
ファルラーダ・イル・クリスフォラスにとって、クリスフォラス家の面々は家族に等しい大切な存在だ。
父の代から仁義に尽くし、人情に厚く、真っ直ぐで高潔な精神性を誇っている。その証拠に、十年間音沙汰がなかったファルラーダのために再び集い力を貸してくれた。
それは決して色褪せない、絆と呼ばれる真の繋がり。だが、その中に一つだけポツリと空白ができてしまっている。
"ありがとう、姉御! あの日、俺を助けてくれて。生きる術を、意味を与えてくれて。弟子が師に返せる恩返しっていったら、超えることだけ。今まで全力を出せずに無意識に不満を懐いていたんだろ? 安心しろ、俺とユーリはそう簡単に壊れねぇ! あんたの全力を正面から受け止めてやる!!"
――ダニエル・ゴーン。かつて盃を交わした不肖の弟子は、師であるファルラーダのために命をかけて恩返しをしてくれた。
敵対する道を選んでも尚、その心は色褪せず純然たる光に包まれており、結果的に弟子の仲間たちを見逃すという姫の臣下としてあるまじき行動をとってしまった。
ユーリ・クロイスたちを逃したことは、己が歩む正道に自ら亀裂を入れるも同然の行いのはずなのに、ファルラーダ本人は後悔することなく、寧ろあの場では一番最善だったと今も思っている。
彼らに今後は大人しく静かに暮らすならば、手は出さないと忠告したが、その道は選ばないことはファルラーダにも分かっていた。
その証拠に、ユーリ・クロイスたちはダニエルの死を乗り越え、異種族を伴って人類の領地に足を踏み入れている。
そして、主たるミアリーゼがユーリたちと接敵したということだが、詳しいことは教えてもらえず、見つけ次第すぐに殺すように兵士たちに命じられたのだ。
その日以降、ミアリーゼはグレンファルト率いる革命軍のことよりも、ユーリ・クロイスに対して並々ならぬ執着心を露わにしているように感じる。
表面上は隠しているつもりだろうが、ファルラーダには分かる。
姫の表情の裏には、どこか強迫観念に駆られたような焦りが見受けられる。それがユーリ・クロイスに関係していることも。
彼を殺せば、ミアリーゼはその呪縛から解き放たれる。今度こそ、民の光たらんと覇道を示されることだろう。
「…………」
ここ最近は、眠る暇もないくらいに忙しく、考えに耽ることもなかったが、現在彼女はナイル・アーネストとの戦闘で重症を負い、首都エヴェスティシア内にある中央病院で入院しているため、無限に時間が余っている。
要するに、暇すぎてやることがないのだ。
だからなのか、無駄に長い空白の時間を、テレビを眺めながら思考に耽って費やしている。
メディアは、相変わらず革命軍と統合軍のことで持ちきりで、百五十年ぶりの内戦が勃発したことにより、張り詰めたような緊迫感に包まれている。
上体を起こしながらテレビを見ていたファルラーダは、ベットにかけられた布団を強く握りしめて、己の失態に怒りを懐いていると。
「お嬢様、林檎が剥けましたぞ」
ベットの横にある椅子に腰掛けた、老紳士が皿に綺麗に盛られた林檎を差し出した。
彼は、セバス・ロードヴィルといい、先代のクリスフォラス家当主――つまりファルラーダの父親の代から仕えてくれていた最古参のメンバーだ。
とはいえ、年齢は八十を過ぎているので前線に立つことはない。
気ままに余生を送っていた彼に、クリスフォラス家の誰かが気を利かせて知らせたのだろう。老体に鞭打って、こうして駆けつけてくれたことが何だかむず痒く、照れ臭かった。
今病室は、ファルラーダとセバスの二人きり。お見舞いとして持ってきてくれた林檎をわざわざナイフで皮を剥いて食べさせようとしてくれている。
「悪いな、爺や――って何でうさちゃんの形してんだよ!?」
皿にズラリと並べられた林檎は、何故か綺麗な兎の形をしていた。
「昔お嬢様が風邪寝込まれた際に、うさちゃんの形がいいと仰っていたではありませんか」
「いつの話してんだ! せっかく切ってもらったから、今回は大人しく食うが、次からは普通の形に切ってくれ」
セバスから皿を取り上げて、林檎を口の中に放り込んでいく。そんなファルラーダの頬はやや赤く、年甲斐もなく照れてしまっていることは一目瞭然だった。
(つーか、うさちゃんって何だよ!? 年甲斐もなく、何て恥ずかしいこと口にしてんだ、私は!? 駄目だ、爺やの前だと本当調子が狂う)
グランドクロスとして名を馳せた千術姫も、セバスの前では少女も同然。なまじ幼い頃から世話になっているため、黒歴史として葬った恥ずかしい過去も全て知られてしまっている。
だから、子供のように拗ねながら黙々と林檎を頬張るファルラーダを、セバスは懐かしみ、暖かな眼差しで見つめていた。
あっという間に皿は空になり、包帯だらけの痛々しい両手を合わせ、ファルラーダは丁寧に感謝を伝える。
「ご馳走様。爺や、今日は暇か?」
「引退した老ぼれに、暇でない日などありませんよ」
「なら丁度いいな、暇だし話に付き合え。この十年、私が何をしていたのか教えてやる」
爺やには知る権利がある。ダニエルが亡くなったことは既に承知しているだろうが、その過程まで詳しく聞いたわけではない。
当時のセバスは、直接ダニエルを指導していたこともあり、思い入れは誰よりも強い筈だ。
そして、ダニエルを語る上で欠かせないのは、ユーリ・クロイスの存在だ。
道理を外れ、遺伝子を改良して生み出された偽りの神。けれどその心は誰よりも純粋で、あろうことか人類の仇敵である異種族にすら、その想いが伝播したのだ。
異種族と共存共栄の道を切り開き、有志以来続く戦いを終わらせるために戦うという大望を懐いて、ファルラーダと戦った。
勝利したのはファルラーダだが、彼らの想いに負けて一度だけ見逃すというグランドクロスにあるまじき行為を働いてしまった。
後悔はしていないが、これは主たるミアリーゼに対するある種の裏切り行為も同然であり、ファルラーダ自身再び相見えた際は、姫の意向通り容赦なく殺すと決めている。
「――と、いうわけだ。命張って奴らを守ったダニエルには悪いが、ユーリ・クロイスたちが忠告を無視して人類の領域に足を踏み入れた以上、私は殺さなければならない。
それに私自身、奴との決着を望んでいる」
姫の内に抱えた痼を取り除くのが臣たるファルラーダの務め。
セバスに対して胸の内を明かしたのも、ダニエルの大切な仲間たちを殺すことに対する意見を聞きたかったからかもしれない。
彼らを討つことが本当に正しいことなのか? それを確かめるために。
話を聞き終えた爺やは、どことなく寂しそうに呟く。
「そうですか……ユーリ・クロイス。あの子がそこまで立派に成長しているなんて思いませんでしたよ」
「……知ってんのか?」
爺やの言葉に、ファルラーダは意外そうに眉を寄せた。
「直接会った事はありませんが、あの子の母親――セリナ・クロイス殿から会う度に、耳に胼胝が出る程聞かされましたので、それはもう……」
セリナ・クロイス。つい先日亡くなった治安維持部隊の総司令を務めていた女だ。
まさか、爺やとセリナに交友関係にあったとは。一体どこで知り合ったのだろうと、疑問に思っていると。
「お忘れですかお嬢様? あの日、お嬢様をエヴェスティシアへ連行したのはセリナ殿ですよ?」
「……そう、だったのか」
クリスフォラス家が解散となったあの日、治安維持部隊兵士たちが屋敷まで押し寄せてきた。その時の指揮官が、セリナ・クロイスだったとは……思い出してみれば確かに顔が同じだ。
その後のグランドクロスや、魔術機仕掛けの神との邂逅が衝撃的すぎた為、記憶から飛んでしまっていたのだ。
「クリスフォラス家が解散した後、色々と便宜をはかってくださったのです。彼女がいなければ、私含めて多くの組員が極刑に処されていたでしょう。
それ以降、縁ができまして、度々《たびたび》お茶をご一緒する間柄となったのです」
「…………」
なんということだ。それならばセリナはクリスフォラス家にとって恩人ではないか。
そうとも知らずに、ファルラーダは碌な挨拶も交わさずに死なせてしまった。それどころか、内心テロリストを殲滅しきれない無能と断じ、非難すらしていたのだ。
そして今度は、その恩人の息子を手にかけようとしている。これが本当に正義といえるのか? 己はかつてと同じ……いいや、それ以上の間違いを犯そうとしていないか?
「お嬢様。老い先短い老人の戯言ですが、ミアリーゼ様と彼が力を合わせれば、より良い未来が築けるのではないか? そう思ってしまうのです」
「政府は、ユーリ・クロイスを叛逆者として抹殺する方針でいる。悪いな爺や……私はもう、ミアリーゼ様を裏切れない」
ユーリ・クロイスは今や、家名を剥奪された一級犯罪者だ。
クロイス家が見捨てた今、その犯罪者と手を取ることはミアリーゼたちの目指す正道を違えるも同義だ。
爺やもそれを分かっており、だから戯言などと前置きした。
「もし、クロイス家が虚偽の報告をし、ユーリ・クロイス一行を匿っていたと発覚した場合、おそらくアージアは戦場になる。
それにここだって安全とは限らねぇんだ。わざわざ見舞いに来てくれてありがとうな、爺や。今のうちに、内戦の影響の少ない田舎に避難して、余生を送ってくれ」
爺やのように義理堅い真っ直ぐな心根を持つ人間が、安心して未来を歩いていける世界にする。
(ユーリ・クロイスだけじゃねぇ。更に質の悪いグレンファルトとナイル・アーネスト。
貴様らテロリストには、この私自らが然るべき鉄槌を下してやる)