第177話 都市アージア
エルフの得意とする異能術の一つ――転移。
点と点を結ぶように、場所を問わず瞬時に移動することのできる万能なスキルだが、扱いには繊細な魔力操作技術を必要とし、個人によって効果に大きな隔たりがある。
前提として、距離が遠ければ遠いほど発動に時間がかかり、その分魔力を消耗してしまうのだ。
また、問題はいくつかあり、例え短距離であろうと、大きな隙が生まれてしまい、戦闘中に発動することは困難を極めること。
加えて、点を結ぶ役割を果たす、目印を事前に施さなければ飛ぶことができず、エルフの常識では一度足を運んだ場所でなければ転移することができないとされている。
そのマーキングの効力も、最長で三日とされており、一度使用すれば消えてしまうなど、使用条件はかなり限られている。
エルフの中でも、イリスは飛び抜けて扱いに長けており、彼女は転移の発動に魔印を必要としない。つまり、距離を計算して算出するだけで自在に転移することが可能なのだ。
一方膨大な魔力をその身に宿すエレミヤも、他のエルフと比べて扱いに長けている方ではあるが、やはり発動には時間がかかってしまうのがネックだ。
ミアリーゼ・レーベンフォルンから逃れるために、皆が必死になって時間を稼いでくれたおかげもあり、九死に一生を得ることができた。
ユーリ・クロイスの画期的なアイデアもあってか、無事に治安維持部隊の追跡から逃れることに成功し、三日後には彼の故郷である都市アージアの地を踏む手筈が整ったのである。
情勢もあってか、ミアリーゼはユーリたちだけを集中して追う余裕がないのが功を奏した。
グレンファルト・レーベンフォルンの策略により、現在フリーディアは三つの陣営に別れ、内乱が勃発してしまったのだから。
一つは、グレンファルト・レーベンフォルン率いるテロ組織――通称革命軍ルーメン。
彼らは、首都エヴェスティシアへ侵攻し、全ての真実を白日のもとへ晒して、統合連盟政府を変革させるつもりのようだ。
二つ目は言わずもがな、ミアリーゼ・レーベンフォルン率いる統合連盟軍。
彼女たちは、首都エヴェスティシア防衛のため、戦力を集わせて革命軍を迎撃しようとしている。また、各都市で暴動や小規模の戦闘が勃発し、治安維持部隊兵士たちはその対応に追われてしまっているのが現状。
三つ目はユーリ・クロイス率いる種族連合――ではなく、グレンファルト、ミアリーゼのどちらに付くか回答を検討している慎重派だった。
まだどちらの陣営に付くか見極めている者たちを如何にしてこちらの陣営に引き込むかが、勝負の鍵となる。
だからこそ、迂闊に手を出せず、今の所大規模な戦闘には発展していなかった。そのおかげで、エレミヤたちはこの三日間自由に動くことができた。
現在、エレミヤたちはクロイス家が所有する秘密の別荘に滞在している。
ユーリ本人は謙遜しているが、名のある名家というだけあって、別荘が各都市に点在しているのだ。エレミヤたちは、改めてクロイス家の凄さを思い知ることとなった。
この三日間ユーリの表情は、どこか優れない。
母親を亡くし、ミアリーゼ・レーベンフォルンに裏切り者と言われたことが余程堪えたのか、笑顔を見せてもどこか陰りが浮かんでいる。
結局、誰も何も言えず、現在は全員リビングに集まって、大きなモニターに映し出されたニュースを見つつ、待機している。
内容は相変わらず、あの日の夜に起きたテロ――全人類へ向けて魔術機仕掛けの神の存在を大っぴらにぶちまけた謎の炎の魔人の存在と、今後の情勢に対する内容を、コメンテーターが議論しているだけ。
炎の魔人が神であることは間違いない。あのファルラーダ・イル・クリスフォラスですら苦戦する程の戦闘力を有したナイルをどう攻略していくべきか。
エレミヤもソファに腰を降ろし、隣にいるユーリを見やる。彼は今、テーブルにある通話機を用いて誰かと通話しているようで。
「――うん、今からそっちに行くよ。送った荷物の中にハンカチがあるから、それを床に置いて離れて待っててほしいんだ。うん、本当にありがとう叔父さん。それじゃ、また」
ガチャリと通話を切ったユーリはふぅ、と息を吐き、エレミヤたちに乾いた笑顔を向けて言う。
「叔父さん、受け入れてくれるって。どうしてもっと早く相談してくれなかったんだって言われたよ」
少し困ったような表情で言うユーリに、エレミヤ、ナギ、アリカ、オリヴァー、サラ、ミグレット、シオン、そしてシャーレの八名がホッと安堵の息を吐いた。
「母さんもそうだけど、本当はこっちの事情に巻き込みたくなんてなかった。俺たちだけで解決してみせるって最初は意気込んでいたけど、そうも言ってられないから」
フリーディアの内部分裂。これはもうユーリたちがどうにかできる範囲を超えている。
彼が、アージアの都市長を務めるウィリアム・クロイスの力を借りることになったのも、故郷へ足を踏み入れなければ、グレンファルトとミアリーゼを止めることができないからだと判断したからだ。
「準備は、バッチリよ。ミグレットのスキルで全員の魔力をリンクさせれば、いつでも転移できるわ」
「あぁ、場所はアージア市庁舎本部の屋上だ。本当、エレミィにはいつも助けられてる。ありがとう」
「ッ、急に何言ってるの、もう!」
唐突に感謝を伝えられ、顔を赤らめて照れ隠しをするエレミヤ。
「ユーリこそ、私の施した魔印を郵送しようって言い出してくれたじゃない。そんな発想、エルフの常識になかったから目から鱗よ、本当」
そう、転移スキルを効率的に運用するために、マーキングそのものを指定の場所に運搬させれば、一度赴いた場所でなくとも簡単に目標地点まで辿り着けるのではないか?
何気なくそう提案したユーリに、エレミヤは「え!?」と、驚愕したのだが、フリーディアの文化に荷物を専門に運搬する仕事が存在することを知り、これを使わない手はないと思ったのだ。
なので、都市タリアに着いた際に、買い物ついでにエレミヤのマーキングが施されたハンカチ等の荷物を事前に郵送しておいた。
場所は、クロイス家の別荘や実家含めた関係する場所全て。
地図があれば、凡その場所を把握できる。実質、時間と魔力さえあれば、何処にでも簡単に転移が可能なのだ。
本当は、ユーリの母――セリナと合流し、一緒に都市アージアへと赴く予定だったが、生憎とそれは叶わなくなってしまった。
マーキングが三日で消えてしまう都合上、迅速に対応しなければ間に合わず、頼れる伝手がユーリの叔父であるウィリアム・クロイス氏しかいなかったため、苦渋の決断で相談し、今に至る。
「そうでもないよ。叔父さんがこっちの事情に理解を示してくれたことが一番大きい。さて、皆準備はいいか?」
「「「「「「「えぇ (うん)!」」」」」」」
ユーリが手を伸ばして、その上に皆んなの手が重なっていく。
「異能術・共鳴連接――です、こんちくしょう!」
ミグレットのスキルが発動し、この場にいる全員の魔力が一つに合わさり。
「――転移!」
エレミヤが発動する転移と共に、彼女たちの視界に映る景色が一瞬にして変化していく。そして――。
「――ほ、本当に現れた!? し、信じられない現象だ……」
エレミヤたちが降り立った見慣れぬビルの屋上で、フリーディアの兵士たちと、共にいるスーツを着用した壮年の男性が目を剥いて驚いていた。
「叔父さん!」
どうやら、彼がユーリの叔父にあたるウィリアム・クロイス氏本人のようだ。
年齢は三十五とのことだが、叔父さんというよりは歳の離れたお兄さんという印象の方が強い。顔立ちがセリナとよく似ており、僅かにユーリの面影も感じられる。
ウィリアムの他に、数名のフリーディアが武装しているが、万が一の時に備えた保険だろう。
「ユーリ! おぉ、本当にユーリじゃないか!!」
案の定、ウィリアムは兵士たちに武装を解除させて、ユーリのもとまで駆け寄ると、そのまま思いっきり抱きついた。
「全く、姉さんからお前が軍に入隊したと聞いたときは、腰を抜かしたぞ。それだけじゃない……まさか異種族たちと和睦するなんて本当、今でも信じられない気持ちだ。こんな情勢下でよく帰ってきてくれた。
義兄さんと姉さんが亡くなって、その上お前まで亡くしたらと思うと、私はッ……」
「うん、心配かけてごめん」
三十半ばである大の大人が十五歳の少年を抱きすくめて号泣する姿に、エレミヤたちも感慨深い気持ちが浮かび上がる。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻したウィリアムは、今度はエレミヤたちへ手を差し出してこう言った。
「みっともない姿を見せてしまって、申し訳ない。私は、アージア都市長を務めているウィリアム・クロイスだ。
私の可愛い甥を守ってくれたことに感謝するよ、よろしく」
「は、はい。私はエレミヤといいます。種族はエルフで――」
ユーリの叔父、しかも都市長を前に失礼があってはいけないとエレミヤは慌てて姫巫女の仮面を付けて握手した。
続いて、ナギ、アリカ、オリヴァー、サラ、シオン、ミグレット、最後にシャーレの順番で挨拶を交わしていく。
しかし、最後のシャーレの番になったところで、ウィリアムの表情に僅かな翳りが浮かんだ。
彼は、ユーリから事前に全ての事情を耳にし、現状を把握している。
実の姉が亡くなった死因はシャーレに関係していること。彼女が義兄、ヨーハンと異種族の間に生まれた混血種であることからも、内心複雑で仕方ないのだろう。
「シャーレ・クロイスです。元グランドクロス、そして都市タリアを壊滅させ、叔父様の大切なご家族を殺した元凶こそが、この私。
あなたには私を殺す権利がありますし、恨むのも当然のことだと思います」
シャーレは、全てを絶望に染め上げ、世界そのものから憎まれて死ぬことを願ってきた。
その過程で犠牲になった家族や、友人の憎悪を一心に受け止めて、それ以上の数の人々を幸せにすると誓い、自ら進んで荊の道を進むことを決断した。
「いや、甥が君を救ったのに、私の勝手で殺すわけにはいかないだろう。それに元とはいえ、あのグランドクロスがユーリの味方をしてくれるというのだから、私から言うことはない。
いっそのこと死んだ方が楽だろうに、あえて罪業を背負い、その身を蝕み続けながら生きていく――その年で大した覚悟だ、全く」
シャーレの瞳を見据えて、彼女が信用に足る人物だと判断したウィリアムは、気持ちを切り替えて、ユーリたちへ告げる。
「さて、風も強いし、立ち話も何だから部屋まで案内しよう。積もる話も沢山ある、そこで今後の対応について相談しよう」
◇
都市アージア。首都エヴェスティシアから一つの都市を跨いだ先にあるというだけあって、描き出される街並みの風景は、とても同じ世界にあるとは思えない程に壮観だった。
ユーリは呑気に懐かしいな、と口にしていたがエレミヤたちからすれば、いやいやいや! とツッコミたい気持ちでいっぱいだ。
テレビなどで首都に近いほど発展した街並みという知識はあったが、実際目にするのとでは迫力が段違い。オリヴァーの故郷である都市タリアも充分に立派だったが、都市アージアはその次元を遥かに超えている。
先ず、エレミヤたちの現在地が都市アージアの中心部にある市庁舎――高さ約三百メートルにも及ぶ地上七十階建ての超高層ビルの中にある。
別荘から屋上へ転移したため、エレベーターで移動する形となるのだが、ガラス張りの空間から見える街並みが想像を絶する姿をしており、こっそり千里眼を発動し、覗き見たエレミヤが思わず腰を抜かしかけたのは秘密だ。
最先端テクノロジーをふんだんに用いられて開発された都市は、当然魔石の消費も激しい。
これだけの技術を維持するために、フリーディアが血眼になって異種族を殺し続ける現実。そして内戦によって、フリーディアが築き上げてきた世界が壊れようとしていること。
それはユーリの故郷であるアージアとて例外ではない。それを阻止するために、エレミヤたちは命をかけて足を運んだのだ。
戦いを終わらせる――確たる想いを胸に刻みながら、ウィリアムに案内されたのは、地上八階にある待合部屋の一つだった。
ぞろぞろと入室したエレミヤたちは、物珍しげな様子で部屋を見渡していた。
「ここはホテルではないから、少し堅苦しいかもしれないが、自分の部屋だと思って寛いでくれていい。
ただし、許可なく部屋から出ないこと。異種族がいることを知っているのは、私や部下を含めた極一部の人間だけだ。今日は全職員に特別休暇を言い渡しているから、他の職員たちに見つかることはないが念の為。
正直、このご時世に仕事なんて気分にはなれないだろうが、市民の生活を守るのが私の職務だからね。明日からは通常運営していくつもりだ」
「そうなんだ……ありがとう、叔父さん」
ユーリたちの為に、危険を犯して匿ってくれるウィリアムに、感謝の念が堪えない。
「それと、グレンファルト・レーベンフォルン様からユーリ宛に手紙が届いているがどうする?」
「もちろん貰う。アージアで、グレンファルト様と面会するって約束してるから。俺はあの人に会って、真意を問いたださなくちゃいけないんだ」
エレミヤの千里眼を介して邂逅したナイル・アーネストの計らいだろう。彼は約束通り、ユーリをグレンファルトと引き合わせるつもりらしい。
「分かった。後でこっちに持って来させるよ。さぁ、君たちも好きな場所に座ってくれ。電話で大まかな事情は聞いたが、細かいところまで聞く時間はなかったからね。
ユーリが軍に入ってから、今に至るまでの経緯を仔細に語って聞かせてくれ」
ウィリアムに促され、エレミヤたちは思い思いの場所へ着席する。ユーリたちの辿った軌跡を一から話すには膨大な時間を必要とする。ウィリアムもソファに腰を降ろして、覚悟を決めた様子だ。
そして、ユーリを始点に各々にこれまでの出来事を語り出した。
思えば、全員でこの時何を思って何をしようとしていたのか過去を振り返ったことはなかったため、仲間たちの意外な一面や、新たな発見も多く見つかった。
エレミヤ、ナギ、アリカ、オリヴァー、サラ、ミグレット、シオン、ウィリアムが、一番驚いたのが、ユーリ・クロイスが辿った記憶遡行の内容と、シャーレが語る不死の吸血姫であった母アリシアの壮絶な人生と、自身の過去について。
ユーリが、神の因子を受け継いだ特別な存在だというのは皆も把握している。
しかし、その過程で何が起きたのかは初耳だったため、彼が抱えているものの大きさを改めて思い知る事となったのだ。
言ってみれば、ユーリとシャーレは大人の都合に振り回された被害者だ。誰が悪い、とかそんな単純な話ではない。ユーリが何故ここまでして世界を変えようとしているのか、その大きさや偉大さを改めて実感する。
恋愛などで悩んでいたエレミヤは、己の馬鹿さ加減に酷く苛立った。ユーリには、意識を割く余裕がないのだ。その心を少しでも軽くするべく努めるべきなのに、余計な負担を強いてしまうなんて。
ナギも同じことを思ったようで、一瞬顔と目が合ってしまう。すぐに気まずそうに目を逸らして、意識を切り替えてユーリの話に集中する。
都合、五時間にも及ぶ長い話し合いは続き、いつのまにか外は真っ暗で、気付けば夜の帳が下りていた。
「――というわけで、俺たちの最終目標は、ナイル・アーネストの野望を食い止めて、フリーディアと異種族が協力し合って生きていく世界にすること。そのためなら、命だって惜しくはないって思ってる」
何度死にかけても、諦めず立ち上がり続けたユーリたち。多くの犠牲を伴ってようやく故郷へ帰還しても尚、戦おうとしている。
「正直……叔父さんを巻き込んでいいものか、今も迷ってる。
ひょっとすると……アージアが戦場になるかもしれない。この話を聞いて、少しでも危険だと思ったら市民を避難させて――って、叔父さん?」
話を聞き終えたウィリアムは、徐に立ち上がり、無言でユーリのもとへと歩いていく。
エレミヤの位置からはどういう表情をしているのか分からない。気配から、ユーリが戸惑っているのが伝わるため、普通の状態でないのは明らかだ。
やがて、ぷるぷると震え出したウィリアムは、固く拳を握りしめ。
「――バッッカ野郎ぉぉおおぉぉぉッッーーーー!!!!」
絶叫にも似た咆哮を上げ、渾身の力でユーリの頬を殴り飛ばした。
「「「「……え? ええぇぇええぇぇぇぇッーーーーー!?!?」」」」
ウィリアムのまさかの行動に、エレミヤたちは顎が外れんばかりに驚愕してしまう。
拳をまともに受けたユーリはソファごと、ずてんっ! と、ひっくり返る。これには流石のユーリも驚いた様子で、頬を抑えながら立ち上がり「お、叔父さん……?」と、終始戸惑いの声を上げていた。
「ハァハァ……人生で初めて人を殴ったよ。姉さんみたいな野蛮人にだけはならないと誓っていたのに、全く……痛てててて」
言葉通り、人に暴力を振るったことはないのだろう。殴られたユーリ本人傷一つなくケロンとしており、逆にウィリアムの拳の方がダメージを受けていた。
「ユーリ。姉さんがいない今、お前を叱るのは叔父である私の役目だ」
「うっ」
これまでどんな相手にも負けずに立ち向かった、あのユーリが怯んでいる。何故なら殴られた理由が、叔父が何に憤っているのか分かっていないからだ。
「もちろん、私は君たちにも怒っている。皆、あまりにも若すぎる。まだ十代かそこらだろう? 異種族である君たちは知らないかもしれないが、十代というのは社会に出るために己を磨き上げ、勉強し、精進していく大事な時期なんだ。
それが世界を守るために、命をかけて戦うだって? 馬鹿にするな、手に余るほどの抱えきれない宿業を勝手に背負うんじゃない!!」
「「「「「……………」」」」」
大人だからこそ見えるユーリ含めた子供たちの無鉄砲さは、目に余る。
ウィリアムから見れば、社会に出たこともない子供が、勝手に世界の命運を背負って戦うことを認められないのだ。
「君たちだけが、責任を背負うな。フリーディアや異種族など関係ない。この世界に生きる全ての者たちに責任があると私は思っている。
グレンファルト様とミアリーゼ様、そしてナイル・アーネストを止めるのは君たちじゃない――それは私たち全員の役目だ!! 世界は、君たちを中心に回っているわけじゃない、そんな単純なことも分からないのか!」
あぁ、この人はやっぱりユーリの叔父だ――とエレミヤは思った。
彼の想いが、心の奥にまで響いてくる。無責任な大人の代わりに、何故子供が命をかけて戦わねばならないのだと。
「できるからとか、責任や力があるからやらねばならないとか……そんなものは奴隷と変わらない」
「使命の……奴隷」
それは、あのナイル・アーネストが直接ユーリへ放った言葉。
彼は、ユーリに対して使命の奴隷になるなと忠告していたため、叔父がナイルと同じことを口にしたことに気付いて呆然としている。
「そうだ。誰に言われたかは知らないが、的を得ている言葉だな。
ユーリ、お前がどんな宿命を背負って生まれたのか、そんなことは考えるな。お前は、私の可愛い甥っ子で、どこにでもいる普通の人間だろう?」
ユーリは、力があるだけで、中身は普通の少年と変わらない。そもそも、彼はついこの間までただの学生だったのだ。
世間知らずで、臆病で、人一倍優しい心の持ち主。
そんなユーリだからこそ、エレミヤたちは一緒になって戦いたいとそう思った。だけど、それが逆にユーリにとって責任感を強める形となってしまった。
「躊躇わなくていい、背負わなくていい。だから盛大に我儘を言いなさい。もしも道理を外れたら、私が全力でお前を叱って止める。
勿論、戦うなと言っているわけじゃない。使命だけではなく、お前個人の幸せもちゃんと求めなさい」
エレミヤたちは、ユーリの歩む道が間違っていても止めることができない。彼を止められるのは、叱ってくれる良識ある大人の言葉だけだったのだ。
「うん」
ユーリは、何かに気付いたようで、真っ直ぐな瞳で叔父を見つめて頷いた。
「俺、何でミアリーゼ様に言葉が届かなかったのか、ようやく分かった気がする。ありがとう、叔父さん。俺を叱ってくれて」
「いや、私こそ殴ってすまない。お返しにほら、私の顔を思いっきり殴ってくれ!」
「絶対、無理!」
子供は子供らしく、盛大に我が儘を言おう。できるからやるんじゃない。やりたくないことをやらせることも大事なのだ。それがきっと、成長へと繋がる糧になる。
恐らく、ミアリーゼがやりたい事もそういうことで、彼女の場合は銃を突きつけて無理矢理従わせようとしてしまっている。それでは駄目なんだと、ユーリたちが叱ってあげなければならない。
「ユーリ……」
エレミヤも、言葉にはできない何かが湧き出すのを感じる。
ユーリが、ミアリーゼを説得できなかったように、エレミヤもまたイリスを助けることができなかった。
大切な人たちが、敵側にいるという状況は変わらないが、今のユーリたちにならできるような気がした。
倒れたソファを元の位置に戻すユーリは苦笑いを浮かべてエレミヤたちへ視線を向ける。
叔父に怒られた場面を見られたのが恥ずかしかったようだ。そんな子供らしい仕草が、彼を特別なんかじゃない年相応の男の子なんだと思わせる。
「さて、君たちお腹は空いているかな? よかったら、ここで食べていかないかい? もちろん私が全部奢るし、外には出られないから出前を頼むことになるが、各々好きなものを注文してくれ」
ウィリアムの提案を断る理由はない。エレミヤたちは、素直に応じたのだった。