第175話 英雄と姫の対立
「ミアリーゼ様……」
姫動魔術戦艦から全市民に放たれたグレンファルトへの宣戦布告。
グレンファルト派と、ミアリーゼ派に別れたフリーディア同志による内戦を止める術はない。
ファルラーダ・イル・クリスフォラスは、ゆっくりと地表へ降下していくアルカナディアを見上げ、自らの不力さを戒めた。
「私が、奴を殺せていれば……」
ナイル・アーネストを殺しきれず、二度までも逃したことは痛恨の極みだ。
加えて、自律型千術魔装機兵が全機破壊され、その他の千術魔術武装もいくつか大破し、修復には多大な時間がかかるという有り様。
加え、ファルラーダ本人も瀕死の重症を負っており、すぐに戦線復帰することが叶わない。早くて二ヶ月、体質から考えるとそのくらいかかるだろう。
しかし、ナイルの方も深傷を負っている現状、暫く動くことはできない筈。
「うぐっ」
猛烈な吐き気と頭痛が襲いかかり、再び地面へ倒れ込むファルラーダ。最早、ミアリーゼを迎い入れる余力すら残っていない。
地表へ降り立った姫動魔術戦艦のハッチが開き、ぞろぞろとダークスーツを着た集団が降りてくる。
「……?」
治安維持部隊兵士ではない。一体何者なのか? 怪しげな連中を姫動魔術戦艦に乗せていたことに僅かに驚いていると。
「「「「「お嬢 (姉御)ぉぉおおぉぉーーーー!!!」」」」」
黒服集団が、倒れ伏すファルラーダのもとへ一目散に駆けつけてきた。
ようやく彼らの顔を認識したが、見知らぬ……どころの話ではなかった。そもそも、彼女をお嬢や姉御呼びする人物など限られている。
「……は?」
だから当然ファルラーダは呆気に取られ、らしくなくポカンと口を開けていた。
「お嬢、ご無事ですか!?」
「スク、ライド……」
倒れるファルラーダへ必死に声をかける男は、かつての部下――スクライド・ハウバー。
記憶にあるファルラーダの顔より、渋みが増して老けスクライド彼は、子供のように涙と鼻水を垂れ流して、この身を案じているが。
「へぶっ!?」
身体を起こそうとしたスクライドは、ファルラーダに頭突きされ、情けない声を上げてひっくり返る。
鼻を抑えながら「お、お嬢……?」と、困惑した様子で問いかけるスクライドと、唖然とする元クリスフォラス家面々へ向けて一言。
「な、なんでテメェらがここにいるんだよ!?」
かつての元組員にこんな不甲斐ない姿を見せてしまった恥ずかしさと動揺で、らしくなく慌てふためくファルラーダ。
「お嬢、無理しないでください! 何でも何も、フリーディアの危機に立ち上がらないようでは、元クリスフォラス家の名折れですよ!」
立ち上がり、再び駆け寄るスクライドの言葉に、他の面々もうんうんと頷いてみせた。
「皆、お嬢に殺される覚悟はあります。お嬢の意向に逆らい、勝手な真似をしたことの責任は取ります。けど、それでも今だけは、お嬢の側にいることを許してください!」
「…………」
元クリスフォラス家の面々からひしひしと感じる覚悟に、ファルラーダは小さく溜め息を吐き。
「ミアリーゼ様が許可してんなら、私から言うことは何もねぇよ。肩貸せ、スクライド。流石にこの状態じゃ、一人では動けん」
「押忍!」
仕方なげに、けれどどこか嬉しそうに言うファルラーダに、スクライドたち元クリスフォラス家の面々は笑顔を覗かせた。
◇
「お兄様」
そして、姫動魔術戦艦の船橋内部。
中央に備え付けられた艦長席に座るミアリーゼ・レーベンフォルンは、モニターに映し出されるグレンファルト・レーベンフォルンと対面していた。
演説を終え、今はプライベート通信に切り替えている。連絡先は当然知っているため、ミアリーゼは個人的な接触を試みたのだ。
まさか応えてくれるとは思わず、今こうして兄妹は画面越しに睨み合っている。
「お兄様が、テロリストの首魁だったのですね」
『…………』
グレンファルトは、答えない。この通信が録音されていた場合、不都合となるからだろう。
「安心してください。お兄様のように卑怯な手を使うつもりはありません。この通信記録は残さないと誓います」
『いや、警戒したわけじゃない。お前が未だに俺を兄と呼んだことに驚いていただけだ』
「ッ」
兄を殺す。そう告げたミアリーゼが、内心ではまだ彼に家族としての情を持っていることに、姫自身も気づいた。
「――悪逆の大罪人、グレンファルト・レーベンフォルン。このような蛮行に及んだあなたを決して赦しはしません。
何故、お父様を死に追いやったのですか! 一体いつからテロリストとして暗躍していたのですか!? あなたの望みは何なのですか!?」
昔から、兄が何を考えているのか理解できなかった。十三も年が離れているせいか、兄とまともに構ってもらった記憶がない。家族なのに、兄妹なのに、他人よりも大きく心の距離が隔たっていると、ずっと感じていた。
『父は、現状に甘んじるだけの老害だ。何も知らずに魔術機仕掛けの神の庇護下でぬくぬくと育ち、それが当たり前だと誰しも思っている。
俺はそれが赦せないから、これまで積み上げてきた歴史の歪みを破壊すると、幼い頃から決めていたんだよ』
「歴史の歪みを……破壊する?」
兄が行おうとしていること。その途方もない壮絶な野望に、脳の処理が追いつかなくなる。
『ミアリーゼ。もし仮にだが、魔術機仕掛けの神が俺たちに叛旗を翻した場合、どうなると思う?』
「そのようなことは、断じてあり得ません」
例え仮定であったとしても、あり得ない話だ。デウスが人間に対して、どんな想いでいるのか知っているのだから。
『なら言い方を変えよう。魔術機仕掛けの神の保有する技術に、今の俺たちが太刀打ちできると思うか?』
「それは……」
不可能だ。ミアリーゼの乗るアルカナディアですら今の技術では再現することができない。旧時代の技術と今の技術には百年以上もの隔たりがある。
『俺たちは、異種族ですら滅ぼしきれない無力な生物だ。旧時代の技術を用いれば、世界を一瞬で火の海に沈めることができるにも関わらず、魔術機仕掛けの神は敢えて使わせない道を選んでいる。
つまり、奴の判断一つで俺たち含めた世界の命運が決められるわけだ。他人に命を握られる――そんな不条理が、罷り通っていい筈ないだろう』
「だから壊すと? 魔術機仕掛けの神様から全てを奪い、真に人間だけの世界を手に入れると?」
『そうだ。お前やファルラーダのような主を盲目的に信じている愚か者では何も変えられない。変えられないなら、変わるしかない状況に追いやればいい。
だから俺は、テロリストを利用し、全てを壊して0からやり直すために、軍人の道を選んだ。
祖父上の傀儡になどなってたまるか、俺は俺の意志で自由を手に入れてみせるとな』
そのためなら、親や妹に手をかけることすら躊躇わない。
「初めて、お兄様とまともにお話した気がします」
初めて妹の前で本心を曝け出したグレンファルト。
彼は、ミアリーゼを討つべき敵であると定めている。それはミアリーゼも同様、話し合いによる和解などあり得ない。
「グレンファルト・レーベンフォルン、あなたの思い通りにはさせません。今回の件、恐らく魔術機仕掛けの神様は、不干渉を貫かれることでしょう。
ですので、私自らの手であなたに引導を渡しましょう」
演説で告げたように、ミアリーゼの想いは変わらない。兄の暴走を止めるには殺すしかない。それは肉親である己の役目だ。
『いや、お前には無理だ。自分の本心すら無意識に偽るお前は、そもそも敵にすら値しない』
「何ですって?」
ミアリーゼにとって、最大の侮蔑の言葉を口するグレンファルトへ向けて、険の宿った瞳で睨み向ける。
『ミアリーゼ、以前話に上がった婚約者の件――その相手が誰なのかを教えてやる』
「婚約者……?」
そんな今更の話を蒸し返してどういうつもりなのか?
統合連盟総帥代行の地位に就いたことで、婚約がお蔵入りとなったのは、グレンファルトも知っている筈。
今まで頑なに婚約者のことを教えてくれなかったが、何故今このタイミングで?
『俺が彼を推薦し、父上も同意なされた。十二月二十四日と、二十五日。お前とあいつが十六の誕生日を迎えた際に、サプライズで発表するつもりだったようだ』
「ッ」
あいつ?
ミアリーゼが十六を迎えるのは二ヶ月後。その一日後に誕生日を迎える同世代など、限られている。しかも兄が親しげにあいつと呼ぶ人物など、一人しか思い浮かばない。
思い出さないようにしていたのに、嫌でも思い出してしまう。ダメだ、これ以上聞いてはいけないと、本能が警告を鳴らしている。
『俺は昔、あいつの妹を連れ去り、在るべき筈だった幸せを奪ってしまった。罪滅ぼし……ではないが、良かれと思って推薦したのは確かだ』
「……やめてください、それ以上は」
つい先程、とある兄妹が念願の再会を果たし、寄り添う場面を見た。
違う、違う違う違う違う、やめてくれと、か細い声をを上げるミアリーゼに対し、グレンファルトは容赦なく真実を突きつける。
『お前の婚約者は、《《ユーリ・クロイス》》だ。お前が勝手なことをしなければ、今頃あいつと添い遂げていただろうに、惜しいことをしたな』
「!?」
この時、ミアリーゼ・レーベンフォルンは内に湧き上がる言葉を必死に堰き止めて、胸を強く抑え込む。
「ゴホッ、ゴホッ!」
ミアリーゼの悪を滅相するという正義の根幹が揺さぶられたのを感じ、戦慄した。そんな妹の動揺を、即座に見抜いたグレンファルトは言う。
「どう――ッ」
『どうして、もっと早く言ってくれなかったのか? 今、そう言いかけたな』
「違っ」
『早く告げていたら、どうしたというんだ? まさか、今とは違う別の道を歩んでいたとでも? なら今のお前の覚悟は偽物で、本当はユーリと――』
「黙りなさい!!」
劈くような静止の声を上げるも、グレンファルトは止まらない。
『俺は、ユーリ・クロイスと共闘して、お前たちを潰す心積もりでいる。
この状況では、あいつも乗らざるを得ない。首都エヴェスティシアを先んじて潰し、最期に俺たちに牙を向く事になるだろう』
「…………」
そう、グレンファルトだけではない。ユーリ・クロイス、それにエレミヤはミアリーゼが手ずから討つと誓った相手だ。
動揺するな、幼馴染が婚約者だから何だという? ユーリは、ミアリーゼを棄てて、エレミヤを選んだ裏切り者。
大逆者であるシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーすらも味方に引き入れ、自ら悪の道へ突き進んだ男に拘る必要がどこにある?
「彼らの思惑など、どうでもいいことです。このまま首都エヴェスティシアの防衛だけに留まるつもりはありません。私自らが前線に立ち、あなた方を引き摺り出して皆殺しにいたしますわ」
それは当然、グレンファルトに付き従う者たち全てが対象となる。彼らとの戦争が、人類の流す最後の血にしてみせる。
『そうか……』
それだけを告げると、グレンファルトはあっさりと通信を切断した。
血の繋がった兄妹最後の会話にしては、些か呆気ない。けれど、ミアリーゼにとって決別には充分すぎるやり取りだった。
船橋内には、現在ミアリーゼ一人しかいない。まるで世界に取り残されたような孤独感を味わい、縋るようにモニターを切り替える。
「ファルラーダ……」
重症で動けないのか、クリスフォラス家の面々が肩を貸してアルカナディアへ移送していく。
本当に無事で良かった。幸いにも、艦内には最先端の医療設備が整っているため、死ぬことはないだろう。
「あのファルラーダが、ここまで追い込まれる程の相手……ですが、私は」
ナイル・アーネストが、グランドクロスに匹敵する実力を有している事実を噛み締め、ミアリーゼは強く拳を握りしめる。
そして勢いよく立ち上がると、ファルラーダのもとへ一目散に駆け出していった。