第171話 手遅れ
シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーの最厄の饗宴から始まり、ナイル・アーネストによって齎された都市壊滅により、現在フリーディアたちは、終わりの見えない地獄に苛まれている。
人間は、この世界で生まれた種族ではない。
ナイル・アーネストが語る神託を、ミアリーゼ・レーベンフォルンも当然耳にしていた。
「私たちは、既に手遅れだったのかもしれません」
ミアリーゼ・レーベンフォルンが、統合連盟総帥代行の地位に着任してから一ヵ月弱。
テロ組織ルーメンは、それこそ数十年以上の歳月をかけて政府転覆を目論んでいた。これまで無意味なテロ活動など、大岩の破片を落とす程度の行為しかできていなかったのだが、ナイル・アーネストという異端が現れてから、全ての状況が変わってしまった。
じわりじわりと、時間をかけて大岩の中に染み込ませ、内側から盛大に破壊してのけたのだ。
ミアリーゼとファルラーダが、様々な都市を巡って新たな覚悟を決意した時には、既に手遅れだったということ。彼女たちは、悉く後手に回り続け、現実複数の都市が壊滅するという未曾有の被害を被ってしまった。
それどころか、フリーディアの根幹たる機密を盛大にぶち撒けたことにより、ミアリーゼたちへの不信感や責任説明を、全て押し付けられた。
彼女を守る治安維持部隊兵士たちも、フリーディアの出生の謎に気を取られてしまっている。ミアリーゼ自身、初耳だったことも多い。なので、姫の目の前にいる天才異生物学者へと問いかける。
「クーリア・クロウ・ククルウィッチ、異生物学者でもあるあなたは、異種族がフリーディアと融奏できることを知っていたのですね。魔術武装は、その能力を元にして造られたことも」
「ひぃっ」
月明かりに照らされた夜の中、ミアリーゼと治安維持部隊兵士たちに囲まれ、銃口を向けられたクーリアは、涙目でノートパソコンを抱きしめ怯えていた。
逃げ出そうにも、すぐ背後に軍用装甲車があるため、実質ほぼ詰んでいる。
「こ、答えますから、その前に銃を降ろして欲しいなー……なんて。ほら、大事な受験を控えた無力な女子中学生相手に、大人数で取り囲んでも、ねぇ? 絵面的にも、ちょっと――って、ヒィッ!?」
ふざけたことを抜かすクーリアへ、ミアリーゼは容赦なく発泡した。わざと外したとはいえ、一切の躊躇なく引き金を引いた事実に恐れ慄く。力が抜けたクーリアは、へなへなと膝から地面に崩れ落ちる。
「時間がありません。ルーメンのこと、あなたの知っていることを全て話してください。もし次に余計なことを宣うのなら、容赦なく撃ち殺します」
冷酷を孕んだ姫の声音に、理不尽さを覚えたクーリアは、なけなしの抵抗を示す。
「な、何で私がこんな目にぃ。今までどれだけ政府に貢献してきたと思ってるんですか? 私を殺せばパパが黙ってないですし、ミアリーゼ様にとって大きな損失に――って、分かりました話します! 余計なこと言って、申し訳ありませんでした!!」
クーリアが、テロ組織ルーメンと繋がっていることは既に判明している。ミアリーゼが、危険を犯して出向いたのも、第三者の絡んだ報告だけでは、不都合だと感じたからだ。
「融奏重想については、私ら異生物学者の間では常識……てか暗黙の了解になっていて、魔術武装にその技術が取り入られていることは間違いありません」
魔術武装を起動すると、微粒子となって使用者の魔核に収束されるという効果がある。
物質の質量を変換し、自らの体内に取り込むという行為は実質融合と変わりない。融合型魔術武装も、質量変換を応用して用いられる技術なのだろう。
「とはいえ、異種族と融奏できることを知っているというだけで、どういう条件下で発動できるのか、誰にも分かりませんでした。
先程のナイルの発言から推測するに、恐らく異種族側の許可がいるんだと思います」
人間によって造られたとされる異種族にもこれは当て嵌り、彼らは身体を微粒子へ変質する能力を持つということになる。
異種族の遺伝子研究を行なっていた異生物学者たちは、それを人工的に再現してみせた。
「そうですか……」
ミアリーゼの握る銃を見つめ、無理矢理納得する。
異生物学者が、裏でどんな非人道的な行為を働いていたか容易に想像がつく。物証がないため、これまで摘発できなかったが、今後はクーリアに洗い浚い吐かせれば問題ない。
「では、次の質問です。ナイル・アーネストの真の目的について教えていただけますか?
彼は、テロ組織ルーメンを利用して何かを為そうと企んでいる。私は、絶対に彼の野望を食い止めねばなりません」
初めて会った時から、ナイルは他のテロリストと思想が根本から異なっていると悟った。
異種族を使役していることもそうだが、デウス・イクス・マギアの存在といい何故あそこまで事情に詳しいのか? クーリアほどの人物なら、ルーメンの下っ端ということは絶対にあり得ない。彼女なら何か知っているのでは? と、期待したが。
「いやいや、あいつの目的なんて知りませんし、興味もないですよ! てか、ぶっちゃけ嫌いですし! あんな事実知ってることにこっちが驚いてますもん! 自分のこと神とか言ってますし、四精霊とかいう変な異種族飼ってるし、絶対普通じゃないですって!!
「神……」
ミアリーゼには、馴染みのない言葉だ。元々姫は、異種族の歴史に疎いため、いまいちピンときてない。その間も、クーリアはべらべらとあることないこと捲し立てる。
「それと私、一応ルーメンに在籍してることにはなってますけど、見ての通り昼間は学校行ってますし、それ以外は研究室に引き篭もってるんで、殆ど何も知らないんです、信じてくださいよぉーー!」
裏では禁忌とされる融合型魔術武装を極秘開発したり、学院内では授業に殆ど出席せずにデータ解析に費やし、その他様々な違法、犯罪行為に手を染めていることを棚に上げて、ミアリーゼに泣きつくクーリア。
「先程、彼を嫌っていると仰っていましたわね……なのにルーメンに所属しているのですか? そもそも、どのような経緯であなたはテロ組織に身を置いたのでしょうか?」
「ミアリーゼ様は知らないでしょうけど、色々と複雑な事情があるんですよ! そもそも、ルーメンってただのテロ組織なんかじゃなくて、反レーベンフォルン家勢力が関わっていたり、色々と複雑で組織構成だって、どうなってるか把握してる人の方が少ないんですよ!」
「そんなことは、既に承知しております。胡乱な言葉で誤魔化さず、あなたがテロ組織に加入した経緯を語ってください」
「う……」
総帥の地位に君臨したレーベンフォルン家を快く思わない勢力がいる事は、幼い頃から把握している。
以前は、彼らとも和解できるよう、自分にできることをしていこうと思っていたが、今のミアリーゼは容赦なく皆殺しにした。
結局、誰も彼もクーリアと同じような反応を見せ、口を閉ざしてしまうため、一向にルーメンの組織像を掴み取れない。
ナイル・アーネストとは別の、得体の知れない何か黒幕のような存在が垣間見え、焦燥感が隠せないのだ。
「あぁもう、シャーレが素直に撤退してくれればこんな目に逢わずに済んだのにぃ! よりにもよって、何でユーリ・クロイスなんかの仲間になっちゃうんだよ、クソぉ」
絶対絶滅な状況だからか、クーリアの心の声が漏れ出していた。いい加減、焦ったくなったミアリーゼは、続け様に二発発砲し、クーリアに脅しをかける。
「後、十秒以内に答えなければ、あなたの頭蓋を撃ち抜きます」
これが冗談ではないことを、クーリア本人も分かっている。だというのに、彼女は。
「こ、殺せばいいじゃないですか! 言っときますけど、私にだってプライドくらいあるんですからね!」
何が、クーリアをそこまで堰き止めている? 先程まで情けなく怯えていたにも関わらず、今は断固として黙秘権を行使している。
「それに、クリスフォラス卿がこの場にいないってことは、今頃ナイルの相手をしてるってことですよね? なのに未だに決着がつかなかいってことは、苦戦してるということ。ぶっちゃけ、私なんかにかまけてる暇はあるんですか?」
「黙りなさい!」
異種族四万の軍勢を相手に孤軍奮闘したファルラーダが、一人のテロリスト相手に苦戦するなどあり得ない。そう否定したいが、現実にナイルは生きており、千術姫相手に真実を語る余裕さえ見せている。
「そうやって、有無を言わさず上から黙らせて自由を奪うから、テロリストなんてもんが生まれるんですよ。
私たち異生物学者にとって、規制は退化と同義――できることをやらせないとか、自分で自分の首を絞めるようなものですよ?
だから異生物学者の殆どが、統合連盟政府転覆を願い、ルーメンに力を貸している。
既に楔は打たれた――私を殺しても、あんたの負けは変わんないんですよ!」
動揺したミアリーゼへ、すかさず言葉の刃で斬りつけるクーリア。他の兵士たちは、ミアリーゼから撃つなと命令されているため、苦々しい表情でクーリアの言葉を聞くしかない。
「私には、異生物学者の想いは理解できません。できるから――それだけのために我が子ですら平気で運命を捻じ曲げるあなた方は、理性の効かぬ子供と同じですわ」
「それってもしかして、ローレンス家が立案したジェネラル計画のこと言ってます?」
「………」
「アレは確かに酷いと思いますけど、それにも意味はあるんですよ。実証したヨーハン・クロイスの目的はどうあれ、異生物学者の最終目標は人工的に魔核を造り出し、エネルギー問題を解決することにある。
小さな目を瞑って全体を見れば、フリーディアの発展に貢献してるってことになりません? それが何で、違法だからと殺されなくちゃいけないんですか?」
「…………」
クーリアの言葉は、異生物学者の総意だ。とはいえ、この場で論争しても仕方のないこと。経緯はどうあれ、法を犯した彼女には、然るべき鉄槌を下さねばならない。
「人は誰しも、自由ではありません。私は、それを当然だと思って受け入れてきました。
分かりますか? クーリア・クロウ・ククルウィッチ、正義とは理不尽なものなのですよ。誰もが前を向いて立ち上がって正道を歩む世界にする――そのためなら、私は容赦なく自由を奪います」
「ッ」
実質の死刑宣告に、クーリアは死を覚悟して瞳を閉じた。ミアリーゼは冷酷な眼差しで、引き金に指を引こうとしたその瞬間――。
「ぐあっ」「何だ!?」「ぎゃあぁぁッ!?」
「「!?」」
突如として、ミアリーゼを護衛しながらクーリアを取り囲んでいた治安維持部隊兵士たちから、苦悶の声が立ち昇った。
「え?」
目を向ければ、次々と兵士たちが倒れていく。噴出する血で隊服を汚し、瞬く間に一帯が地獄と化した。
「な、何が……」
新手の襲撃者? しかし、ミアリーゼの目には何も映っていない。兵士たちがひとりでに苦悶の声を上げ、倒れていくのだ。まるで見えない刃に斬りつけられたように、綺麗に首や手足を寸断されている。
何かがいる。そう思い、何もない虚空へ向けて銃口を向けた瞬間。
『――久しぶりだなぁ、お嬢ちゃん』
ゾワリッ、と耳元に届いた男の声音に背筋が震えた。バクバクと心臓が暴れ出し、冷や汗が発汗して止まらない。
ゆっくりと、見えない襲撃者に肩を組まれる。肩にのしかかる冷たい何かの感触と、耳元を撫でる不快な息遣いが、姫のトラウマを刺激して離さない。
「あな、たは……」
ミアリーゼは知っている。この男の正体を。死んだと思い、記憶の隅に追いやっていたが、姫の運命を変えるきっかけとなったスラム街の出来事は、彼女に強烈なトラウマを植え付けていたのだ。
忘れもしない。あの日、ミアリーゼへ苛烈な暴力を振るい、恐怖の底に叩き起こしたこの男の名を。
「……マークス・ガレリアン」
無抵抗な女性を痛ぶることに悦を覚える極悪人。ミアリーゼが最も忌避する悪そのものの正体を口にした瞬間、見えない何かからくつくつと下卑た笑いが起こり。
『融合型魔術武装――殺戮怪魔。
マークス・ガレリアンなんて名前はとっくに捨てた。''ベルナーデ"、それが人の身を超えた今の俺の名前さ』
ビビィィイイ……と、映写するように姿を現したマークス・ガレリアン――もといベルナーデ。
しかしその様相は、以前出会った時とは違い、身体全身が禍々しい漆黒の機械仕掛けの鎧に包まれていた。
人型のその御姿は、どこか緋色の亡霊――テスタロッサを思わせる。これが噂の融合型魔術武装だというのなら、ミアリーゼは。