第169話 すれ違う想い
ユーリ・クロイスと、ミアリーゼ・レーベンフォルン。
二人が最後に会ったのは、姫がトリオン基地に訪問して以来になる。大切な幼馴染が傷ついた姿を見て、自分が何もできていない事に気づき、自らを戒め戦場に身を投じると決意した。ユーリの力になりたいと一心に想うこの時のミアリーゼは、思いもしなかっただろう。
――ミアリーゼ自らの手で、ユーリへ銃口を向けることになるなど。
慣れていないのが丸わかりで、両手でグリップをギュッと握りしめている。もう引き返せない程にすれ違ってしまった二人の再会は、到底喜べるものではなくなってしまった。
「ユーリ様」
「ミアリーゼ、様……」
かつて心を包み込むような優しい微笑みを浮かべていたミアリーゼが、怒気を込めて無言の殺意を放っている。彼女に伝えなくちゃいけないことが沢山ある筈なのに、何故か言葉が出てこない。
シャーレもマズいと思ったのか、兄たちを救うために最厄になりきって全力で惚ける。
「あら? 芝居とはまた素っ頓狂な事を言いますね。お二人は確か、幼い頃から親しい間柄の筈……いつからミアリーゼ様の目は、節穴になったんです?」
挑発ともとれるシャーレの言葉に、ミアリーゼは冷酷さを混じえた声音で返す。
「幼い頃からユーリ様を知っているからこそ、演技だと分かるのです。彼のあなたを見る目は、とても人質がとる反応ではありません」
「…………」
ミアリーゼは、シャーレの演技を見破ったのではなく、ユーリの反応を見て確信したのだ。これにはシャーレも反論する術を持たず、無言を返すしかなかった。
「ユーリ様、異種族を人類領内に招き入れたばかりか、大罪人シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーに味方するあなたに弁明の余地はありません。
セリナ様のご遺体は、既にこちらで回収いたしました。抵抗せず、大人しく投降して罪を償いなさい」
ミアリーゼは、この場でユーリを殺すつもりはないようで、投降するよう呼びかけるも。
「確かに、ミアリーゼ様の言う通り、今の俺は罪に塗れてる……でも、それに応じる事はできません!」
ハッキリと否定の言葉を口にするユーリに、治安維持部隊兵士たちから再び銃口が向けられる。彼らもシャーレの演技に騙されたことに対し、憤っている様子で、今にもトリガーを引きそうな勢いだ。
しかし、ミアリーゼは僅かに眉根を寄せるだけで、努めて冷静に問いかける。
「異種族と共存共栄を為すために、ですか?」
「はい。ミアリーゼ様、俺は永きに渡る戦争を終わらせたいと本気で考えています。ここにいるナギ、エレミヤ、サラ、シオン、ミグレットたちは化け物なんかじゃない……俺たちと変わらない優しい心を持っているんです!!
このまま、異種族を滅ぼし続けることが正しいことだと俺は思いません、彼女たちと協力して一緒に未来を歩んでいく――そのために、俺に力を貸してくれませんか?」
ユーリの放つ言葉一つ一つにかけがえのない想いが詰まっている。もし、この場でミアリーゼを説得できれば、ユーリたちの目的はほぼ完遂される。
姫が現れたのは想定外だったが、寧ろ好都合の状況。後は、テロ組織ルーメンを倒せば戦いは終わる。
治安維持部隊兵士たちが騒めく中で、エレミヤもミアリーゼを説得しようと想いを吐き出す。
「ミアリーゼ・レーベンフォルン! あなたのお父様……エルヴィス様は、私たちの想いに応えてくれたわ! 一緒にお酒を飲んでそれぞれの未来を語り合ったの! だから……だからもう一度――」
しかし、その言葉は一発の銃声により強制的に断ち切られた。
「ミア、リーゼ……さ、ま?」
発砲したのは他ならぬミアリーゼ・レーベンフォルン自身。魔弾は、エレミヤの頬を掠め、明後日の方角に飛んでいく。あと数ミリ軌道がズレていたら、姫巫女の顔面は撃ち抜かれていただろう。
「お父様を死に追いやった元凶が、抜け抜けとよくそんなことを!」
ミアリーゼは、警告ではなく本気で当てるつもりだった。運悪く外しただけ。彼女の放った銃声は、場の騒めきを鎮めるには充分すぎる効果を発揮していた。
「エレミヤッ」
「ッ」
ミアリーゼの向ける殺意の視線に、死ぬ寸前だったエレミヤは、何も言えずビクリと肩を震わせる。
「ミアリーゼ様!!」
シャーレから離れたユーリは、エレミヤを庇うように前へ出て姫の愚行を糾弾する。想いが届かず、動揺を滲ませるユーリだが、ミアリーゼの反応は芳しくなく。
「ユーリ様……いいえ、叛逆者――ユーリ・クロイス。あなたはもう、私の知っているあなたではないのですね」
昔のユーリだったら、絶対にミアリーゼの味方をしていた。戦場に出て、沢山の事を知って、変わってしまったユーリを認めたくないのだろう。
姫は、裏切られたと思っている。エレミヤに唆されたのか、ユーリは乱心し、フリーディアに牙を向けた。ファルラーダから話には聞いていたが、実際この目で見るまでは少しだけ期待していたのだ。
ユーリならきっと、ミアリーゼの味方をしてくれると。
願い叶わず、異種族と共存共栄を訴えるユーリは、堕ちるところまで堕ちてしまった。せめてもの手向けとして、ミアリーゼ自らの手で……。
「前提から申し上げますと、私は異種族と手を取り合いたいとは微塵も感じません。
個人的な感情も相まって、寧ろ好ましくないと思っています。お父様が亡くなられた間接的な原因は、あなた方異種族にある。そしてエレミヤ、数多くの兵士を死に追いやったあなたを決して赦しはしません」
フリーディア西部戦線を壊滅に追いやったのは、他でもないエレミヤだ。客観的に見ても、指揮官だったミアリーゼが、ユーリたちの提案に乗ることはあり得ないと分かる。
「私だって、あなたに多くの同胞を殺されたわ。国や家族だって全部失った! だけど、もうこんな悲劇は起こしちゃいけないって、そう思ったから……」
種族連合の払った犠牲は大きすぎて、もう誰も死なせたくないとエレミヤは本気で思っているから――。
「だから、私は危険を犯してここにいるの! このままじゃ本当に世界は滅んでしまう……どうしてそれが分からないのよ!?」
エレミヤの切実な訴えに、ミアリーゼは心動かされることなく、静かに怒気を強める。
「その世界も、あなた方がいなくなれば滅びずに済みます。そして人々を悲しみの淵へ陥れる悪――概念そのものを全て討滅すれば、私たちは誰も傷つかずに済むのです」
「だから市民を煽動するような真似をしたの? あなたのやり方は強引すぎる、こんなやり方を続けていたら……」
「それでも、誰かがやらねばならない事なのです。この世界は、強く在らねば生き残れない……悪に怯え、誰かの傘の下で守られて平然と無関係を装う方々に慈悲を与える必要などありません。
私の示す正道を、自らの足で立ち上がり歩んでいく方々こそ尊重されるべきだと考えています」
絶対的な正しさだけを是とした究極の理想郷。ファルラーダから聞いていたが、考えるだけで息が詰まると思ってしまう。そこに自由なんてない、ミアリーゼやファルラーダのような卓越した精神力を見習ってお前たちも同じ事をやってみせろ、できなければ見捨てると言っているようなものだ。
そんな事できる者が果たしてどれだけいるのか? 姫の創る正道は、必ず何処かで破綻する。いや、既にしている。何故なら周囲の治安維持部隊兵士たちですら、姫に畏怖を抱いていたのだから。
そんな中、これまで静観していたシャーレが、酷くつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「何ですか、それ? 黙って聞いてればくだらない。要はミアリーゼ様たちの断食行為に率先して参加しろ、しない者は生きる権利すら与えられないと厳しい戒律を課しているだけではないですか?
そんな縛りは、身内だけで留めて関係ないところで勝手にやっていればいい、無関係な他人を巻き込まないでいただけますか?」
「これだけの被害を齎しておいて、どの口が言うのですか」
エレミヤとユーリから視線を外し、シャーレへ向けるミアリーゼの表情は憎悪に満ちており。
「ミアリーゼ様も、傍迷惑という意味では私とそう違いはないのでは? 善悪なんて関係ありません、あなたの理想は何あなた自身を滅ぼしますよ?」
これまでシャーレは、世界全てを黒に染め上げようとしていた。ミアリーゼが目指す白の世界も、塗り潰すという意味においては変わらない。そんな事誰も望まないし、無理矢理理想の色に塗り変えたとしても、必ずどこかで淀みが生まれてしまう。
「私と変わらない? だからユーリに力を貸せと? 論外です。そもそもの疑問として、彼の目指す異種族との共存共栄は、大罪人すらも簡単に赦してしまえるのでしょうか?」
ミアリーゼは、ユーリたちの事情を詳しくは把握していない。最厄を司るシャーレが、彼らの味方をしていることに違和感が拭えないのだ。
「私は、兄さんたちに赦されたわけではありません。私の罪は、永遠に消えない……死んで楽になるだけなら誰でもできます。
私は一生を掛けて、不幸に陥れた人たちの何百倍の人々を笑顔にするために生きていくって決めたんです」
「兄……さん? まさか、ユーリとシャーレは」
目を凝らして、ユーリとシャーレの顔を見比べると、目の色含めて、僅かにだが二人の面影に似通った部分があった。一体全体どういうことだと、微かに動揺を見せるミアリーゼだが、すぐに冷静になり。
「例えそうだとしても、あなたはここで死ぬべきです。そしてユーリ、あなたも」
カチャリと改めて銃口を突きつけたミアリーゼの手は、僅かにだが震えていた。一度放った言葉はもう取り消せない、兵士たちの前で発した以上、有言実行しなければならない。
ユーリたちを逃すこと=ミアリーゼの覚悟が無為に帰すことに繋がるのだから。何よりも、これまで付き従ってくれたファルラーダ・イル・クリスフォラスの想いに報いたい。
「ミアリーゼ様!!」
「気安く私の名を口にしないでください――裏切り者ッ!!」
ユーリに名前を呼ばれた瞬間、過去を断ち切らんと引き金が引かれ、魔弾が一直線に放たれる。
「兄さん!」
同じ轍は踏ませない。ずっと警戒していたシャーレは、指先に魔力を込めて弾いただけで、弾丸の軌道を逸らすという曲芸を披露してみせた。
「エレミヤさんだけに留まらず、兄さんを殺そうとするなんて、絶対に赦しませんよ?」
碌な戦闘訓練も受けていないミアリーゼ如きなど、シャーレからすれば赤子も同然。
魔術武装と神遺秘装を失ったとはいえ、半吸血鬼の身体能力だけで、治安維持部隊を制圧することは充分に可能なのだ。
「クリスフォラス卿がいない今、あなたたち如きでは私は止められません。そもそも彼女は何故この場にいないんです?」
言われると確かに、ミアリーゼを守護するべきファルラーダがこの場にいないのは違和感がある。
正直、無謀に等しい。ミアリーゼ本人が出てきた事は、間違いなく悪手だ。もしも、シャーレがユーリに救われていなかったら、今頃全員血の海に沈んでいた――いや、その前にイリスに殺されていたか。
「あなたに言う必要はありません。それにあなたを殺せずとも、ファルラーダが戻るまで時間を稼ぐことくらいはできます」
「あら、それは怖いですねぇ。でも安心してください、兄さんたちに手を出さない限り、私が動くことはありませんから。仏の顔も三度まで――次はないですからね?」
元々相性が悪いのか、シャーレもミアリーゼもバチバチに睨み合っている。心を救われ、命までも助けてくれた皆を何としてでも守り抜くと、シャーレの強い意志が伝わってくる。
「…………」
そしてユーリは、ミアリーゼの口から裏切り者と言われたショックで、何も言えず呆けたまま。
シャーレの時のように、本気の本音で想いをぶつければ結果は違ったのかもしれない。ユーリが何も言えなくなる程にミアリーゼの言葉に傷ついてしまうなど、シャーレたちにとっても予想外だったのだ。
シャーレ以外の全員が満身創痍の中、実質詰んだ状況を打開する術はあるのか?
「どうして……」
そんな中、ミアリーゼ・レーベンフォルンが悲壮感を漂わせながら理解できないと頭を振り。
「どうしてなのですか? どうして、私の想いは、あなたに届かないのです!?」
切実なる姫の叫びが木霊し、ユーリの心を素通りしていく。
「俺は、あなたやファルラーダさんの言う正道は間違ってると思うから……。例えここで殺されることになるとしても、自分に嘘はつけません」
「ユーリ・クロイス! ならば、あなたの言う異種族との共存共栄の道こそが正しいということですか!?」
再びの問答。ユーリは心を痛めながら、ミアリーゼは心に激情を抱えながら互いに視線を交わし合う。
「ファルラーダさんにも言いましたが、俺は自分の歩む道が正しいとは思っていません。そもそも正しいとか間違ってるとか、善とか悪とかそういうのどうでもいいんですよ。
俺はただ、異種族たちを不幸に陥れたくないだけなんです」
「…………」
ミアリーゼの想いがユーリに伝わらないように、ユーリの想いも彼女に何一つ伝わってはいなかった。どうして分かってくれないのだと、もどかしい気持ちが鬩ぎ合い互いの心を傷つけていく。
「異種族は、ユーリをあんな目に遭わせた輩なのですよ!? それなのにどうして!」
ミアリーゼは、改めてエレミヤたちを見るも、許せないという気持ちの方がずっと強く胸に残っている。
ユーリに重傷を負わせたのは、ビーストだと耳にした。そのビーストが三人も……しかも、ユーリに寄り添っているのはどういう訳なのか?
「ユーリ、これ以上の説得は無理よ! ミアリーゼはもう――」
「エレミヤ!!」
ミアリーゼが最も嫌悪し、憎むべき異種族。同じ姫の名を関し、先の戦争では互いに指揮官としてぶつかり合った。その事からも強く意識をせざるを得なかった存在――それが、エルフの姫巫女であるエレミヤだ。
「ごめんなさい、ミアリーゼ。本当は、あなたを説得できるまで粘りたいのだけれど、仲間の命が最優先よ」
「何を……」
そうミアリーゼが問いかけた瞬間、エレミヤたちの足下に魔法陣が浮かび上がる。
エルフが得意とする転移スキル。万が一の場合に備えて、ミグレットのスキルでシャーレの魔力をエレミヤと共有し、ミアリーゼたちの気を逸らしながらずっと仕込みを行なっていた。
「ミアリーゼ様、俺は――」
「スキル・転移」
最後にユーリが何か言おうとしたが、それより早くエレミヤの転移が発動した。
「ッ、待ちなさい!!」
制止の声を上げるも、時既に遅し。三度目に放った銃弾は、そのまま何もない虚空を疾り抜けていく。
忽然とその場から姿を消したユーリたちを見て、治安維持部隊兵士たちが姫へ指示を仰ぐも、無言のままその目を離さない。
「私は……」
今更ながらにミアリーゼは気付いた。自分が淡い希望に縋っていたことを。ファルラーダや、魔術機仕掛けの神からユーリのことを聞いても尚、話せば理解してくれると思っていたのだ。
しかし、現実は無情だった。
ユーリ・クロイスは、ミアリーゼ・レーベンフォルンではなく、異種族と共に在る道を選択した……つまり、エレミヤを選んだのだ。
「何なのですか、この気持ちはッ」
胸が苦しい。心が張り裂けそうな程に痛い。ユーリへ引き金を引いたのは、間違いなくミアリーゼの意思だというのに、何故こんなにも後悔が押し寄せるのか?
ファルラーダと共に都市を巡っていた時には感じなかった想いが、ユーリと相対したことで溢れ出てくる。人が懐く喜怒哀楽とは別の――良い知れぬ何かがあるとでもいうのか?
「……何処へ飛んだか分かりませんが、絶対に逃しはしません。彼らをテロリストとして全都市へ指名手配をかけてください」
「よろしいの、ですか?」
指示を受けた治安維持部隊兵士が、恐る恐るそう尋ねる。
「何故、そのようなことを聞くのでしょうか?」
「失礼ながら、あなた様が泣いていらっしゃるように見受けられましたので」
泣いている? ミアリーゼは、そっと目元に触れると指先が濡れていることに気づいた。
幼い頃からユーリと過ごしたあの日々がもう二度とやってこない、それが悲しくて、辛くて、自らの正道をも脅かしかねない程に強くて。
「私に泣く資格などありませんわ。まだ、何も終わっていません。ファルラーダがテロリストの首魁を抑えている内に、一人でも多くの市民を救うのです」
そう――光は悲しまない、後ろを振り返らない。常に前だけを見て進み続ける。ミアリーゼ・レーベンフォルンの過去に、ユーリ・クロイスという幼馴染は既に存在しないのだ。