第166話 蒼銀と真紅 前編
ついに激突したイリスと、アリカ・リーズシュタット。二人の剣士の戦いの行方を、ユーリたちは固唾を飲んで見守っている。
「はぁぁああぁぁあああッッーーー!!!」
先手は、アリカ・リーズシュタット。紅鴉国光を携え、イリスへ真っ向から斬りかかる。
後手となったイリスだが、その表情に焦りはない。それどころかその場から一歩も動かず無防備を晒しており、腰に帯刀する神遺秘装を抜く様子すら見せない。
「バカにしてッ!」
アリカからすれば、イリスの行為は侮辱に等しい。先程の言動通り、本当に己の獲物を使うまでもないと思われているようだ。
「後悔しても知らないから!」
その事実に苛立ちを覚えたアリカは、紅鴉国光を振り抜き、大上段から斬りかかる。
「――バカになんてしていません。必要がないからそうしてるだけです」
迫る真紅の剣閃を前に、イリスは動じることなく僅かに右脚の踵を僅か浮かせ、直後に地面に押し付ける。
「な!?」
その瞬間、大地が鼓動を鳴すように激しく揺れ動く。
「土法・地鳴震」
耳心地の良い息吹ように紡がれるイリスの言葉とは裏腹に、起きた現象は天地をひっくり返すような激しい大地震だった。
イリスを中心とした半径二百メートル圏内にある大地が丸ごと陥没し、まるで卵の殻が割れるかのごとく地殻が剥がれ落ちる。
「嘘でしょ!?」
当然、巻き込まれたアリカは視界と手元が同時に狂い、紅鴉国光の鋒はイリスを斬ることなく虚しく空を斬る。
何故か、大地震の影響を受けないエレミヤたち。その事にアリカが安藤するのも束の間、直立するイリスは、真横に剣閃が奔るのを見届けた後、静かに次の魔法を言祝ぐ。
「土法・地突核」
追撃とばかりに放たれたイリスの土属性魔法。アリカの足元から無数の岩石の槍が突き出される。
「くぉんのッ!!」
その場で勢いよく跳躍したアリカは、迫りくる岩石の槍を、真紅の斬撃波で悉く粉砕していく。しかし、イリスの攻撃はこれで終わりではない。
「土法・岩石掌」
息吐く暇も与えず、連続で魔法を行使するイリスは、手掌を天高く掲げると再び大地が揺れ動き、そこから岩石で成形された巨大な剛腕が二つ出現する。
岩石でできた巨大な両腕は、空中にいるアリカを包み込むように掌を広げ、圧し潰さんと迫っていく。
「潰せ」
イリスの号令と共に、巨大な岩石の腕がアリカを包み込んでいく。取り囲まれたアリカだが、空中では満足に動くこと叶わない。
「神はかつて、奇跡の御業で大地を操り、今の世界を形造りました」
イリスの声は堂々とした語り口で、その言葉を宛らえるように、巨大な岩石の剛腕が捕えたアリカを圧縮し始める。
やがて球体状となった岩石は、物理法則に逆らい空中に浮遊したまま停滞している。大地そのものを自在に操り形を成していくイリスの所業はまさに神の御業そのものである。
「今の彼は、全盛期の力が失われていますが、神の騎士たる私がいれば事足りる。あなたとは個人的な因縁はありませんが、邪魔をするなら容赦なく殺します」
例え、エレミヤを悲しませることになっても、やらねばならないのだ。その言葉を最後に、イリスは腕を振り降ろす。巨大な岩石で覆われたアリカは脱出する暇もなく、容赦なく地面に叩き付けられていく。
「終わりです、土法・地鳴震」
再び大地が激しく揺れ動くと同時に境目から亀裂が大きく広がっていく。大地そのものを断絶し、地割れを意図的に引き起こしたイリスは、岩石ごとアリカを奈落の底へ落とそうとしているのだ。
その場から一歩も動かず、一撃を受けることもなく、アリカ・リーズシュタットを追い詰める。並のフリーディアでは相手にすらならない圧倒的な力。
これぞ本来在るべきエルフの姿なのだと、ユーリたちに見せつけているようだった。
「さようなら、アリカ・リーズシュタット。所詮フリーディアでは神に抗えません」
アリカを覆う巨大な岩石が奈落の底へ落下していくのを見届けると、再び踵を鳴らして地殻を元に戻していく。
二つに大きく裂けた断崖が、何事もなかったかのように再生され、深々とした空気の音だけが響き渡る。
あれだけの戦闘を繰り広げて、エレミヤたちに一切の影響を及ぼしていなかった。アリカ・リーズシュタットは、為す術なく敗北した。その揺るがぬ事実にイリスは踵を返し、ユーリ・クロイスに狙いを定めた瞬間――。
「ッ」
ゾクリ、と唐突にイリスの背筋が凍る。まるで本能が危険信号を発しているかような感覚に捉われ、命ずるままに下へ屈み込む。
その行動は正解で、イリスの頭が置いてあった先に、突如として真紅の剣閃が真横に奔ったのだ。
「バカな!?」
背後から、突然膨大な真紅の魔力を感じ取り、イリスは慌てて飛び退いた。
「――ち、これも躱すなんて、ナギ以上の反射神経してんのね」
振り返った先にいるのは、つい今しがた奈落の底へと落下したはずのアリカ・リーズシュタット。どういう原理か、五体満足でその姿を晒していた。
「まさか……」
何故、断崖の底へ落ちたはずのアリカは無事なのか? 仮に逃れたとしても、それは地中から飛び出てくる筈であり、この事象の説明がつかない。しかし、イリスは一つの可能性に思い至り、冷静にアリカを見据えて答える。
「リーズシュタット流剣術。先ほど跳んだと思わせたのはフェイクで、実際は気配を殺して近付いていただけ。空中にいたあなたは、ただの残影にすぎなかったということ」
「御名答。リーズシュタット流剣術――緋紅剣・空蝉。
紅鴉国光から放たれた魔力を人型に押し留めて分身を生み出す剣術よ」
イリスは遠隔操作にて地形を動かしていたため、感触が掴めず気付けなかった。視覚情報に囚われ、肝心のリーズシュタット流剣術の能力を見誤っていた。
「なるほど、しかし今の一撃で私を倒せなかったことは致命的ですね。地に足が着いている以上、あなたの扱える剣術には限界がある」
イリスの言う通り、肝心要の足の踏み場が支配されている以上、どうあってもアリカに勝ち目はない。
「ならッ、あんたに魔法を発動させる隙を与えなければいいだけよ!」
イリスの魔法は確かに強力だが、扱っているのが知的生命体である以上、必ず意識が介在する。
そして、意識は綻びを生みやすい。グランドクロスに匹敵する力を持つとはいえ、イリスは完全無欠ではないのだ。
アリカは瞬く間に間合いを詰め、神速の剣技を振るう。大地が再びイリスの魔法によって揺れ動くが気にしない。足元に魔力を一点集中させ爆発させるように解放し、強引に足場を作り出したのだ。
「面妖なッ」
間合いを詰められたイリスは、追撃の魔法を放つ暇がない。加えて剣すら抜いていない無防備な状態でもある。イリスの眼前に迫る真紅の剣閃。最早、躱す術も、防ぐ手段も暇もない。そうなれば、することは一つだろう。
イリスは、アリカが持つ紅鴉国光の刀身へ手を添え、流れるような動作で受け流した。
「な!?」
流麗且つ、華麗な動作に、アリカは一瞬気を取られるも、すぐに意識を切り替え、追撃の一刀を放つ。
イリスに反撃する隙を与えない。アリカは怒涛の攻めで、このまま勝ち切るつもりのようだ。
だが、イリスは剣閃の軌道を読んでいたかのように、再び刀身に手を這わせていく。同時にパァンッ、と空気が破裂したかのような音が響き、紅鴉国光が弾かれてしまう。
「こんのォォッ」
往なされている。その事実に驚愕しつつも、アリカは果敢に攻め続ける。
「ふっ」
アリカが放つ豪速の剣技の呼吸を掴めたのか、イリスは完璧なタイミングで手刀を凝らし、捌いていく。
素人目には、イリスが防戦一方に映って見えてるだろうが事実は違う。実際は、アリカが追い込まれている。イリスの呼吸を乱す術が見いだせない。
青銀の髪と、真紅の髪が激しく靡き、互いの視線が交錯する。
「恐らくですがあなた、リーズシュタット流剣術を完璧に使いこなせていませんね?」
「!?」
「私はあの時、本物を直に体験しました。どうやら、あなたの剣術はまだ未完成のようですね」
イリスの言うあの時とは、グランドクロス=テスタロッサが襲撃してきた時のことを指しているのだろう。一太刀その身に浴びただけで、アリカの剣術と同質のものだと理解したのだ。
「あの緋色の鎧を纏ったフリーディア――極みの果てに至った彼の剣技は、この世界に存在することすら気付かせない。
亡霊のように揺蕩い、常世と現世の狭間を縫い込む。それこそが、リーズシュタット流剣術の真の完成系なのでしょう」
「な、何であんたがそんなこと……」
イリスの指摘は、言い得て妙だ。アリカは全てのリーズシュタット流剣術を習得しているわけではない。戦闘に向かないと思った剣術は放置し、利用できそうな物だけを取捨選択し極めてきた。
けれど、この選択が間違いなのだとしたら? いや、そもそも何故イリスはそこまで的確にリーズシュタット流剣術の本質を言い当てることができる?
「そう驚くことはありません、剣の道を極めた者なら誰でも気付けます」
アリカの息も吐かせぬ怒涛の攻めに対し、イリスは言葉を交わす余裕すら浮かべている。涼し気な顔で、殆ど一歩も動いていないイリスに比べて、縦横無尽に襲いかかるアリカの体力は目減りしていく一方。
「あんた、強すぎでしょ。何なのよッ」
このままでは負ける。攻め手を変えようにも、魔法を使われたら間合いに入れなくなる。完全にペースを奪われたアリカは、焦燥感に駆られながらも必死に活路を見出そうとする。
「そうです、神に選ばれた私は強い――だからもう二度と負けるわけにはいかないんです」
そう言葉を放つと同時に、イリスは迫る紅鴉国光の鋒に対し、ジャストタイミングで両手を挟み込むようにして掴み取る。
「な!?」
これぞまさに、真剣白刃取り。所謂、神技というべき所業を成したイリスの技量に、戦慄せざるを得ない。
イリスは、紅鴉国光の刀身を掴んだまま両手首を捻転させる。エルフ最強の騎士が持つ膂力を前に、為す術もなくアリカの身体が宙に浮き上がった。
「リーズシュタット流剣術ッ」
「遅い、土法・地突核」
空中で無防備を晒し、リーズシュタット流剣術を駆使して逃れようとしたアリカだったが、一手早くイリスの魔法が紡がれる。
地形操作により、再び大地が脈動し、無数の岩石でできた強固な槍が地表から突き上がってくる。
「ごふッ」
肩、腹、太腿、ふくらはぎ、至る所に岩石の槍がアリカへ突き刺さる。夥しい量の血液が傷口から流れ出し、激痛のあまり意識が遠のく。
「ほう、まだ意識があるのですね」
完全に息の根を止めるつもりで地突核を放ったイリスだが、宙に浮きながらも即死を避けたアリカの技量に、驚嘆混じりの声を上げる。
しかし、息があったところでどうすることもできない。瞬時に地形は元に戻り、致命傷を受けたアリカはそのまま力なく地面へ倒れ伏す。
「残念でしたね、アリカ・リーズシュタット。あなたなど所詮その程度です」
アリカとの一戦を経ても尚、イリスは息一つ乱していない。
「っさいわね。ぐ……、まだ、私は負けてない!」
全身から夥しい量の血を流しながら、アリカは再び立ち上がろうとする。彼女の瞳に宿る闘志は、微塵も損なわれていない。寧ろ、これほどの強者に出会えたことを感謝している様子だった。
「認めてあげる、あんたは私より強い。だからこそ、私はまだ強くなれる!」
「…………」
アリカの言葉に何かを感じたのか、イリスは無言で距離を取り、警戒の眼差しを向ける。
「不思議ね、アマツ・クニミツの怒りが私の魂に響いてくる。俺が造った最強の刀を使っておいて、無様な姿を晒すなって背中を蹴飛ばしてくれてる」
「アマツ・クニミツ……?」
イリスは聞き慣れぬ名に首を傾げるも、アリカは構わず続ける。
「いいわよね? あんた強いから、殺す気でいっても死なないわよね? 修羅と化した私の本気を受け止めてくれるわよね?」
アリカから膨れ上がる紅色の魔力が炎のように揺らめき、修羅の化身のごとく周囲の世界を染め上げていく。
「!?」
イリス同様、アリカ・リーズシュタットも本気を出していたわけじゃない。エレミヤたちに気を遣って、傷つけないよう細心の注意を払って戦っていた。
けれど、そんな気遣いはイリスには無用であると悟った。自身を凌駕する強敵と憂う事なく本気で戦いたい、今のアリカの瞳には、それ以外何も映していなかった。
◇
「アリカ!!」
一方で、状況を見守るしかないユーリたちは、致命傷を負ったアリカの名を叫んだ。シャーレとの一戦で動くことも満足に叶わないユーリたちは、完全に足手纏いだ。
今も終滅の呪いに抗う妹の手を握り、兄は無力感に打ちひしがれる。
「駄目、傷が塞がらない!」
今も懸命に治癒スキルを施すエレミヤは、焦りを滲ませている。シャーレの抵抗力が著しく弱っており、徐々に侵食していく終滅が身体全体を覆うのも時間の問題だ。
「エレミヤ、さん。私の……こと、よりも、イリスさん……を――」
「傷に障るから黙っててちょうだい! あなたは、何があっても助ける。そうしないと、私たちのこれまでの努力や想いが無意味になる!」
どれだけ深い闇に閉ざされても、ユーリたちなら祓うことができる。これこそ希望という名の魔法、フリーディアと異種族の戦いを終わらせるための奇跡の力だ。
だからエレミヤは諦めず、治癒の手を止めない。奇跡を起こし、イリスの神遺秘装の呪いに打ち勝つのだ。
「……そう、ですね。私……も、あぐっ――こんなところで死ぬわけには、いきません!」
愛を取り戻したシャーレには、やらねばならないことが沢山ある。死んで楽になることは許さないと、自身を鼓舞して不死の呪いを加速させていく。
しかし、現実は無情でエレミヤたちの想いを拒んでいく。ユーリやナギ、シオン、ミグレットは、見ていることしかできないのか? 否――。
「自分がやるしかねーです、こんちくしょう……」
「ミグレット……?」
ボロボロのミグレットが何かを決意したのか、唯一の可能性を提示する。
「シオンの時と同じ……自分の命全部賭けてシャーレを救う――もう一度奇跡を起こしてみせるですよ!」
シオンが融合型魔術武装に取り込まれた際に、ミグレットは絶対不可能な奇跡を起こして救ってみせた。手元に治癒包帯はないが、一体どうやって救うのか?
「変幻機装――制限解除」
「「「「!?」」」」
禁断の力を躊躇なく解き放つユーリに、エレミヤたちも覚悟を決めたようだ。
「ミグレット!」
「はいです、異能術・共鳴連接」
ドワーフの持つ固有スキルの一つに、触れた者と魔力を共有化できる能力が存在する。シオンを救う際に起こした奇跡も、ユーリとミグレットが互いに魔力を共有させた連接状態だからこそ為せた偉業。
それを今度は、ここにいる全員で行う。制限解除状態を互いに共有するのだ。
謂わば命を平等に削る自殺行為で、けれどシャーレを救うにはそれしか手段はなく、残された最後の可能性に全てを賭ける。
「兄さん……皆さん」
本来なら見殺しにして然るべき大罪者を、命を懸けて救う道理などない。けれど、絶望と悲劇ばかりのこの世界において、それでもと抗う者たちの希望が、シャーレの中に流れ込んでくる。
終滅を打ち破る可能性があるのは、ミグレットの起こす奇跡だけ。彼女の想いの強さは、誰にも負けない。だからもう一度、いや……何度でも奇跡を起こしてみせる。
「神遺秘装――創刻回帰!」
全員の命を吹き込ませて発動したミグレットの神遺秘装。
時間という檻そのものを破壊する無法の力は、終滅剣に貫かれたという過去そのものを無かったことにする。
「これは……」
再生すら上回る、回帰の力がシャーレの中に流れ込んでくる。身体を蝕む終滅を、回帰の魔力が悉くを粉砕していく。
それどころか、彼女の血霊液すらも巻き込み、抗えず自身に宿る不死性が消えていくのを感じていた。
「神遺秘装を殺す神遺秘装……。これが、ミグレットちゃんの本当の力」
これは、理を歪めて現在に起きた事象をなかったことにする力だ。当然、この神遺秘装はミグレット一人の手には余る。彼女の魔力量では発動することさえ叶わない。
しかし、ユーリ、ナギ、エレミヤ、シオンと魔力を共有化し、限界以上に魔力を引き出しているため、このような現象が起こっている。
「そんな物騒なものじゃねーですよ、これは誰かを救う力です!!」
そして、ミグレットの想いがついに終滅を不死性ごと打ち破り、無に帰したのだった。
「血霊液が、消えた……?」
シャーレは、己の身に起きた奇跡を呆然と受け止めている。あれ程までに疎ましいと思っていた忌まわしき血の呪いが消え去ったことに、嬉しさよりも喪失感の方が勝ってしまうのは何故なのか?
ユーリたちを守れなくなるから? いや、そうじゃない。
(私とお母様を繋げていた唯一の絆……それが消えてしまったから)
シャーレ自身、忌むべき呪いと揶揄していたが、失われて初めて気付く。血霊液は、シャーレを守るために母が遺した力だったのだと。
「シャーレ、大丈夫か!?」
呆然としている妹へ、兄が必死に呼びかける。
「はい。私、本当に馬鹿だったんだなって気付いてしまって……」
「「「「「…………」」」」」
ユーリ、ナギ、エレミヤ、シオン、ミグレットが、息も絶え絶えの状態で何を今更と言いたげな顔をしていた。シャーレは、優しく微笑み胸に手を当てて言う。
「うふふ、そうですね。お母様、今までありがとうございました。私はもう一人じゃありません、だからゆっくり休んでくださいね」