第163話 憎悪の行方
あの日、ユーリ・クロイスが制限解除を発動したのは、最愛の妹を取り戻すためだった。
勝てる筈のない勝負を、無謀に挑んで自滅した結果、シャーレを深い絶望に陥れてしまったのは笑えない話だ。
この件に、父ヨーハンは関与しておらず、事情を知り、酷く憤っていたのを覚えている。息子の命を救うため、献身的に治療を施してくれたおかげで一命を取り留めたが、母セリナに事情を明かさないわけにはいかず、そこで全ての歯車が狂ってしまった。
シャーレの実の母親――アリシアもそこで娘がいなくなったことを感じたのだろう。生後一度として抱くことが叶わず、部屋に仕込まれた監視カメラの映像をヨーハンに見せてもらうことでしか、娘の成長を見ることが叶わない。
シャーレを失い、第二の半吸血鬼を産み出そうと、一人の研究員が独断で暴走したのが全ての始まり。
ユーリに付きっきりのヨーハンの隙を突いて、勝手にアリシアに接触し、返り討ちに遭った研究員の末路は悲惨なものだ。
屍鬼にされた挙句に、ヨーハンの手によって研究所ごと消滅してしまったのだから。
シャーレが、神遺秘装――血霊液に覚醒したのもその時だろう。脳細胞や神経を研究員によってズタズタにされ、満足に動くことが叶わないシャーレに齎された祝福。或いは、母の愛が奇跡を呼び起こした結果なのか。
身体は無事でも、心の方は既に手遅れ。血霊液といえども、闇の奥深くに閉ざされた心を治すことは決してできない。
シャーレ・クロイス自身が、もう一度生きたいと願わない限り、決して叶わないのだ。
「――愛や祝福なんて要らない、あなたたちが奏でる絶望と怨嗟の嘆きがあればそれでいい!」
グランドクロス専用魔術武装――血刎大魔鎌を構えたシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーの射殺すような殺気が、ユーリたちの肌を伝っていく。
大鎌から滴り落ちる血はおどろおどろしく、飢えた獣が涎を滴らせているようにも見える。
恐らくあれは、シャーレの血霊液によるもので、あれに接触すれば忽ち支配の魔力に呑み込まれることになるだろう。
ユーリ・クロイス、ナギ、アリカ・リーズシュタット、エレミヤ、ミグレット、シオンの六名だけで、果たして凌ぎ切れるのかどうか。
「スキル・転移」
エレミヤは、第一にセリナ・クロイスの亡骸を安全圏に避難させることを優先した。
「何で、母さんだけ!? エレミィたちも一緒に」
「私たちのことなら気にしなくていいわ! あなたのお母様が最優先――って、来るわよ!」
最早、口論する時間も惜しい。何故なら、シャーレが大仰に振った大鎌は、既に迫ってきているのだから。
「換装・重盾鉄鋼!」
エレミヤたちを守るべく、死神の大鎌を思わせる大型魔術武装を、亡きダニエルの盾を展開して防いでいく。
「その程度の盾でッ!!」
だが血刎大魔鎌の切れ味は、その鉄壁の防御すらも易々と上回っていく。
「なっ!?」
スパンッ、と綺麗に両断された重盾鉄鋼は、虚しく魔素へと解けていった。
「皆、一旦退がれ!」
負傷したミグレットと、シオンを抱き抱え、その隙に後方へ大きく下がるユーリたちだが、尚も大鎌が地面を抉り取り、進行が止まらない。
絶大な威力に戦慄するユーリたちの前に、今度はエレミヤが魔法障壁を張り巡らせ、シャーレの猛攻を食い止めようとするも。
「くっ、私の魔法障壁じゃ、足止めにすらない!?」
バリンッと、ガラスが砕け散るように、呆気なく魔法障壁が突破されてしまう。
シャーレの魔力に圧し負けた結果だが、ここまで力の差を見せつけられると、いっそ清々しい。
「アンタら退きなさい! リーズシュタット流剣術――緋紅剣・一閃!!」
魔法障壁が破られたと同時に、アリカが凄まじい勢いで真紅の斬撃波を繰り出した。
その結果、大鎌の軌道がユーリたちへの直撃コースから大きく外れ、明後日の方向に弾かれる。
「血が足りない、血が渇く、血が欲しい……」
しかし、シャーレは弾き飛ばされても尚、血走った眼で標的へ狙いを定めていく。狂気を孕んだ眼と、歪な笑みを貼り付けたまま、死の旋風を撒き散らしていく。
「エレミィ、シオンとミグレットを預けるぞ。俺がシャーレを食い止める!」
多くの人々が寝る墓所が、原型すら留めずに破壊されるのを見て、ユーリは覚悟を決めて魔力を解き放った。
「換装・千術魔銃!」
一度に千発分の魔弾を放てる最強の魔術武装を用いれば、シャーレの猛攻を凌ぐなど造作もない。
「お兄さんは、クリスフォラス卿の武器が大好きなんですねぇ! 私、何だか妬いてしまいます!」
「シャーレ!!」
どれだけ強く想いを込めて呼びかけても、妹の心の奥深くにまで届かない。千発の魔弾を解き放つも、シャーレは躱す素振りすら見せず、真っ直ぐこちらへ突っ込んでくる。
「非殺傷……? 殺しても死なないとはいえ、流石に嘗めすぎじゃないですかねぇ!!」
命中しても身体を貫かず、激しい衝撃が伝うだけ。
例え蜂の巣にされようが、血霊液の前では全てが無に帰す。それが分かっているとはいえ、手加減されたという事実が気に入らず、怒りを露わにしている。
だがそんなシャーレは隙だらけで、白雷の化身が見逃す筈もなく。
「白纏雷!」
目にも留まらぬ速さで、瞬時に間合いを詰めたナギは、渾身の飛び蹴りをシャーレへ叩き込んだ。
「ぐっ」
ナギの速さは並大抵の反射では付いてこられない。シャーレも言うに及ばず吹き飛ばされ、苛烈な暴力の餌食となるしかない。
「お前が、ユーリの妹だってことは理解した。だけど、シオンを陥れて同胞を殺させたことだけは絶対に許さないッ! どうせ死なないし、ボコボコにぶん殴るだけで勘弁してあげる!」
白雷が激しく嘶き、シャーレからユーリたちを引き離していく。
「なら私は、あなたに殺されたフリーディアの方々の分まで殴って差し上げますね」
「がっ!?」
刹那、ナギの頬にドゴンッ! と、強い衝撃が奔り、虚しく吹き飛ばされていく。
シャーレの容赦ない鉄拳は、白纏雷の鎧の傘などお構いなしに粉砕する。
「淑女の顔を殴るなんて、酷い人。私、暴力には屈しませんよ?」
「ぺっ、どの口が」
口に溜まった血を吐き出して反論するナギ。シャーレの方も、段々と衝動の勢いが弱まってきたのか、余裕を取り戻しつつある。
真実を突きつけただけでは足りない。シャーレ・クロイスを呼び起こすには、もうワンアクション挟む必要がある。そのためには何が必要なのか? 不死の吸血姫相手に真っ向から勝負を挑むなど自殺行為に等しい。
再び激闘を繰り広げるナギを援護すべく、ユーリたちも動こうとする。
「……ユーリおにーちゃん」
「ん?」
負傷したシオンに呼び止められ、振り向く。
「シオンのときと同じ……シャーレおねーちゃんに、ありったけの想いを込めてぶつかってあげて」
闇の中に堕ちたシャーレを、奇跡の力で救い出す、今度こそ。
「あぁ!」
もう誰も死なせたりなんてしない。シャーレに罪を犯させない。だから――
「雷法・雷咆刀!」
ナギは手刀の形を取ると、そこから大きな刀状の雷魔法が形成させる。触れただけで相手を蒸発させる一撃必殺の雷速居合。もし、シャーレに直撃すれば余波だけでも身体が消し飛んでしまうだろう。
「あは♪」
だが、シャーレは皮膚が爛れながらも紙一重で躱し、お返しにと血刎大魔鎌で辺り一面薙ぎ払う。
ナギは、雷咆刀を維持したまま、大鎌の軌道を見切って回避すると、再びシャーレへ攻勢を仕掛けていく。その際、血霊液を浴びてしまうも、ナギには支配が通用せず、空振りに終わった。
「流石に三度目の正直とはいきませんか。私の魔力に対する抵抗力が上がっていますね」
一度支配を打ち破れば、どう逃れるかコツが分かってくる。思い通りにいくと思うな、とナギの咆哮が爆ぜる。
グランドクロス=ファルラーダ・イル・クリスフォラスに瞬殺されたことは、ナギの戦士としての矜持をいたく傷つけた。
ユーリとエレミヤが、ナイル・アーネストと接触し、出発の準備が整うまでの間、死ぬ思いで修練を重ねたのだ。
雷咆刀も、その一つ。近接戦に特化したナギの射程距離を大きく伸ばす役割を果たしてくれている。
シャーレを助ける以前に、彼女を無力化しなければ始まらない。だから倒す、グランドクロス一人に負けるようでは、世界なんて変えられないから。
「うおぉぉおおォォォォォッーー!!」
怯まず、怖けず、勝利の灯火を瞳に宿し咆哮を上げながら、雷咆刀を振るうナギ。
バチチチチチチチッ! と、空気を震撼させながら、必殺の雷刀は、夜の吸血姫を斬り裂かんばかりに迫っていき。
「えいっ!」
既に軌道を見切っているシャーレは、大鎌を墓所の大地に押し当て、勢いよく跳躍し、難を逃れた。
「コイツゥッ!?」
ナギは、悔しそうに呻き、上に飛んだシャーレを見上げる。
「あなた、全然学習しませんね。いくら動きが速くても、単調な動きでは私を倒せませんよ!」
シャーレは、落下の重力を利用し、血刎大魔鎌を両手で握りながら大きく掲げて身体ごと振り下ろし、大車輪のごとく超高速回転しながら、ナギ目掛けて突っ込んでいく。
「まるで大道芸を見せられてるような気分……これじゃ私の魔法も弾かれるし、最悪だ!」
迎撃するも、大鎌の刃先が雷咆刀に触れた瞬間に断ち切られてしまう。切断強度において、ナギの魔法はシャーレの魔術武装に劣っていた。
こればかりはどうすることもできず、ナギは回避に徹する他ない。
ブォンブォンブォンッ!! と、夜の闇を血色に染めながら勢いよく地表に激突し、隕石が衝突したかのごとき激しい轟音と共に、砕けた墓石と土砂が激しく宙に舞い上がる。
どこか不気味な様相を帯びていた墓所は見る影もなく、壮絶な破壊の痕が刻まれていた。
この場所が民家から離れているからいいものの、街中であればどれだけの被害が出ていたことか。亡くなった大切な家族たちが眠る墓所を見た無関係な市民たちが、悲しみに包まれる姿が脳裏に過り、胸が痛む。
「これじゃ、クレナ・フォーウッドが言っていたように、私たちはテロリストと変わらない……だけど、今は!」
ナギは、邪念を振り払うように戦闘に集中する。吸血姫の攻勢は、これで終わりではない。大鎌を乱舞させながら、周囲の土砂を吹き飛ばし、汚れ一つない夜に映える白い肌色の右手を掲げて告げた。
「魔術武装・展開――無窮血鎖棺」
これまで死体のように放置されていたシャーレのもう一つの魔術武装が再起動し、ジャラジャラと不吉な旋律を奏でながら、鎖が再びナギへと襲いかかる。
「千術魔銃!」
だが、ナギの背中をユーリが千の魔弾を用いて守ると、すかさずアリカが飛び出し、二体一の状況を形作っていく。
「リーズシュタット流剣術――」
「もう、しつこいですよ!」
鎖が魔弾の餌食となり、明後日の方向へ吹き飛ばされ、再び迫り来るナギの雷刀を大鎌で防いだ途端に真紅の刃が別方向から襲いくる。
シャーレが苛立つのも無理からぬ話である。しかも峰打ち、意識を奪うことのみに特化した連撃を受け、シャーレの華奢な肢体が虚しく地面へ叩きつけられた。
「くっ、リーズシュタット流剣術といいましたか……今のところ、あの人が一番厄介ですね」
アリカ・リーズシュタットは、無闇矢鱈に攻めることはせず、的確にナギの生み出した隙間を縫って攻撃してくる。初見の剣術もさることながら、シャーレ自身剣術の心得がないため、どうしても対応に一歩遅れてしまう。
『シャーレ、やっぱり一度撤退した方がいいって! その精神状態じゃ、勝てるものも勝てないよ』
原型を留めていない治安維持部隊兵士の遺体から、クーリア・クロウ・ククルウィッチの声が発せられる。
幸いにも追撃はなく、シャーレはのろのろと立ち上がり、大鎌を見据え、溜め息を吐く。
「ハァ……何を言い出すかと思えば。ここで退いたら、私が負けたみたいじゃないですか」
元来の負けず嫌いの性格が、ここにきて悪い方向に現れている。
『いやいやいや、そうは言ってもさ――』
「私は、今、ここで、お兄さんたちを殺さないと気が済まないんですよッ! そうしないと内なる衝動に負ける! 私は私でいるために戦ってるんですから邪魔しないでください!!」
この戦いはシャーレにとって、己の命よりも重要な一戦だ。元来の負けず嫌いの性質も相まって、退くに退けない状況となっている。
『もう、シャーレの分からず屋! それもこれも全部、ユーリ・クロイスが余計なこと言うから! あんたのせいで、私のミグレットちゃんが殺されちゃうじゃんか!!』
クーリアが抱えるやり場のない怒りの矛先は、シャーレを惑わせた元凶であるユーリ・クロイスへと向けられる。
「クーリア、お前のような人を人とも思わないような奴に、ミグレットもシャーレも渡すもんかよ。
操られてる間も、ずっと聞こえてた。俺は、お前に心底ムカついてるんだよ。自分の欲望のために、罪なき人々を陥れたお前は、絶対に許さない! 必ず見つけ出して表に引き摺り出してやるから覚悟しろ!!」
『ひぃッ』
バツンッ、と怯えたクーリアは逃げるように通信を切断する。一連の流れで、彼女がルーメンの一員であることは把握済み。恐らくシャーレに関することも知っていた筈なのに、敢えて泳がせて利用したことに不快感が消えて無くならない。
クーリアがいなくなったにも関わらず、シャーレは歯牙にもかけずにユーリを見据える。
「お兄さん」
そして、ユーリもまた愛する妹の名を紡いでいく。
「シャーレ」
彼女の笑みは、ユーリの記憶にあるシャーレ・クロイスとは別人のような悪意を孕んでいる。
本当の笑顔を忘れ、残された唯一の悪感情に自分の存在意義を見出すしか術がなかったのだ。
都合、数百にも及ぶ鎖がうじゃうじゃと蛇のように、シャーレの周囲を蠢いている。彼女の背後に聳える無窮血鎖棺と手にした血刎大魔鎌、そして神遺秘装――血霊液こそが、シャーレの保有する武器。
魔術武装と神遺秘装の両立は、半吸血鬼であるシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーだからこそ成せる偉業。
あのファルラーダ・イル・クリスフォラスに勝るとも劣らない――圧倒的な才能を持つ妹の執念を感じ、ユーリは改めて気を引き締める。
「俺は、お前を救う。今度こそ」
「私は、お兄さんを殺す。今度こそ」
義兄妹の声が重なり、同時に前へ飛び出した。
二人の間に割って入るのは無粋だと考えたアリカ・リーズシュタットは、魔力切れを起こし肩で息をするナギやエレミヤ、シオン、ミグレットを守りながら最大の愛情を込めてエールを送る。
「ユーリ、絶対に勝ちなさいよ!!」
「あぁ!」
シャーレを救うことに憂いも迷いもない。過去最高に高まったコンディションで以て迎え撃つ。
「呪法・血針千本」
先手は、シャーレに譲った。目を覆いたくなるような痛々しい戦法を用いて、広範囲に体内から血の針を炸裂させていく。
「換装・薔薇輝械!」
だが、この程度の魔法ならば、オリヴァー・カイエスの魔術武装で容易に弾ける。何十メートルにも伸縮させ、鞭のようにしなやかな動きで全弾弾き返す。
ごく僅かの間に再生してのけたシャーレは、薔薇輝械の間を掻い潜り、血刎大魔鎌で難なく斬り捌いていく。
「あの大鎌、よく見ると僅かにだが振動している……? それであの切れ味を再現しているのか」
実質防御不可の血刎大魔鎌の斬れ味の秘密は、超高周波振動にあるようだ。
高周波振動が物体に衝突すると、共振現象により微細な振動の波が摩擦によって連鎖していく。その結果、分子結合を破壊し、切断するほどの破断力が生まれている。
それに加え、血霊液を滴らせた大鎌は、魔法すらも容易く切断してのける。シャーレの不死性も相まって、ほぼ無敵に近い彼女に勝利することは実質不可能。
「うふふ、お得意の完全再現とやらでもしてみます? 断言しますが、私の血刎大魔鎌を再現したとしても、本物に強度で勝ることはできませんよ」
「お前こそ、俺がファルラーダさんの魔術武装を再現できることを忘れるなよ? 換装――」
「!?」
天敵の名を出され、シャーレは反射的に無窮血鎖棺の鎖を解き放つ。大地そのものを焦土に変える程の威力を持つ千術魔術武装を、むざむざと展開させるわけにはいかない。
攻防は、シャーレの方が一手早かった。鋭い鎖がユーリの肩口を掠め、換装が中断される。だが、やられっぱなしでは終わらず、鎖を掴み取り、強引に引きちぎった。
「めちゃくちゃしてくれますねッ」
乱暴で強引なやり方までファルラーダの真似をしなくてもいいだろうに、と大鎌を振り回しながらシャーレは思う。
「換装・閃光手榴弾」
すかさず大鎌を回避したユーリは、抜け駆けに閃光手榴弾を解き放つ。
「くっ」
シャーレの視界に強烈な光が差し込み、思わず視界を塞いでしまう。グランドクロスだからと惑わされがちだが、案外小手先の手段に弱い部分がある。それが分かったのは大きな収穫だった。
「シャーレ!」
ユーリは、怯んだシャーレの隙の逃さず瞬時に間合いを詰める。その手に武器はない。妹の額に指先を添えて、渾身の魔力を流し込んでいく。
「がっ、あぁぁぁあああッッーーー!?!?!?」
たったそれだけの行いで、シャーレは絶叫を上げ、苦しみ出す。
彼女の内に眠る本物のシャーレ・クロイスの記憶を刺激し、呼び起こすのだ。
それこそが、シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーを打倒する唯一の方法で、妹はユーリにしか救うことはできない。
再び、荒れ狂うような衝動が襲いかかり、無我夢中で血刎大魔鎌を振り回すシャーレ。
「ぐっ」
当然、ユーリは逃れるのが遅れ、決して浅くない負傷を背負いながら、距離を置く。
「シャーレ、お前はもう独りぼっちなんかじゃない! 自分の闇に負けないでくれ!」
裂かれた胸元から流れる血を抑えながら、尚も懸命に叫び続ける。
「うるさい!!」
「俺は、ちゃんと生きてるし、今度こそずっと側にいる! だから――」
「うるさいって、言ってるんですよッ!!」
しかし、シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーの確立された強靭な絶対悪の自我は、過去の己を想起することを赦さない。
自身の血と、降り注ぐシャーレの血霊液が交ざり合っていく。同じ父親を持つ者同士の血と血で織りなす惨劇を見て、亡き両親たちは心を痛めていることだろう。
「父さん、母さん、アリシアさん……俺に、妹を救う力を貸してくれッ!」
シャーレを救う、あの日果たせなかった誓いを今度こそ――。
「換装・千術雪月華!」
夜を覆う死の荒れ地に咲き誇る千輪にも及ぶ雪月華が、吹雪いていく。シャーレを取り囲むように氷風が吹き荒れ、全てを凍てつかさんと咲き乱れる。
元の使用者であるファルラーダ・イル・クリスフォラスは、好みじゃないという理由であまり魔法は使わなかったが、ユーリにはそんな拘りは一切ない。
シャーレの血霊液は、血――即ち液体であることからして、氷属性魔法による攻撃は弱い筈。しかし――。
「呪法・血鎌鮮輪!!」
生半可な氷属性攻撃など、シャーレには通用しない。彼女を軸に、大鎌と鎖を超高速旋回させながら振り回し、駒のように大胆に回転すると、そこから風魔法顔負けの血の竜巻が沸き起こった。
氷魔法ごと千術雪月華を粉微塵に斬り刻ざまれ、虚しく空に溶けていく。
「く、これじゃ近づけない!?」
血の嵐が止み、再び姿を現したシャーレは、勢いそのままにユーリ目掛けて血刎大魔鎌を投げつけた。
「クリスフォラス卿の魔法なんかに!」
シャーレ自身、ファルラーダを強く意識しているためか、千術姫と同じ戦法を取るユーリに負けたくないと鬼気迫る勢いで吠える。
「出鱈目すぎるだろ! 換装・銃形態」
勢い迫る大鎌を紙一重で躱し、反撃の魔弾を浴びせかけるも幾重にも重なる鎖に阻まれ失敗。
加えて、血刎大魔鎌の下端にある柄部に鎖が巻き付けてあり、シャーレは勢いよく引き戻して自らの手の内に収めていく。
血刎大魔鎌もさることながら、最も厄介なのが数百にも及ぶ鎖を放出している無窮血鎖棺だ。
シャーレの背後に鎮座した機械仕掛けの棺を破壊しなければ始まらないが、彼女は先の手痛い失態により、ユーリを大きく警戒している。
「お兄さんが、どんな奇策を用いてこようとも、全て力尽くで捩じ伏せる! 二度と声を開けぬよう、喉を掻っ斬ってあげますよ!!」
アドレナリンが切れた影響か、大鎌に裂かれた部分がジクジクと痛み出す。そんな事などお構いなしに、シャーレは再び血刎大魔鎌を投擲した。
芸がない、といえばそれまでだが、血霊液が満遍なく付着しているだけで、やはり脅威だ。
防ぐ事もできず、ユーリは飛び退いて躱すしか手段がない。シャーレは回避行動を予測して、攻撃を差し込めばいい。
「呪法・血霊魔弾」
シャーレは、すかさずピンッと指を弾き、血霊液を凝縮させた魔弾を撃ち込んでいく。
同じくトリガーを引き、応戦するユーリだが、凝結された血霊魔弾を回避しきれず、腿を掠める。
「「「「「ユーリ(おにーちゃん)!!」」」」」
防戦一方に追い込まれるユーリに、仲間たちの心配の声が上がる。彼は、極力仲間に被害が及ばないよう立ち回っているため、後手に回るしかないのだ。
逃げ回るユーリを、シャーレは執拗に距離を詰めて追い詰めていく。
さながら鼠を追い詰める猫のような光景。身体を這い回る支配の魔力に抗いながら、猛攻を掻い潜るユーリへ向け、邪悪な笑みを浮かべながらシャーレは言う。
「あらぁ? ひょっとして打つ手なしですか、お兄さん?」
豆鉄砲のような魔弾を意味なく乱射するだけでは、シャーレを救うなど夢のまた夢。しかし、ユーリはどこか懐かしさを覚えるような口調で言葉を返した。
「お前は、昔からすぐそうやって油断するよな。一緒にゲームやってた頃を思い出すよ」
「なっ!?」
刹那、シャーレの足がガッと何かに捕まれ、前のめりに体勢が崩れてしまう。地面に手をついて足元に目を向けると、ユーリが再現した薔薇輝械が地面から突き出して絡みついていた。
「!?!?」
こんなもの、野生動物を括り罠にかけたのと変わらない。あまりにも単純な子供騙しの罠に引っかかり、シャーレは羞恥心で顔を真っ赤にする。
「こんなの、普通誰も引っかからない。けどお前だけは別だよシャーレ。換装・黎切!」
これまでの戦い方で、シャーレに武の心得がないことは把握済み。戦士や軍人ですらない彼女は、周囲の状況把握力が劣っていると判断した。
血霊液の不死性に依存している影響か、見えている攻撃にはすぐに対処できるが、ナギの不意打ち然り、アリカの剣術然り、意識の外側から放たれた攻撃は、軒並み命中している。
魔術武装を遠隔操作できる情報をひた隠しにし、ユーリは薔薇輝械を再展開し、地中に張り巡らせていたのだ。
「うぉぉぉおおぉぉぉッーーー!!!」
シャーレの晒した大きな隙をついて渾身の斬撃のもと、迫る鎖の悉く斬り裂いていくユーリ。
逃げ回っていたのは、エレミヤたちに被害が及ばないようにするため。彼女たちにサインを送り、それとなく援護は無用だと告げていたのだ。
散々見たし、軌道も既に見切った。次いで飛来する大鎌の柄部を蹴り抜き、明後日の方向へ吹っ飛ばすと。
「アリカ!!」
「えぇ!」
待っていたとばかりに駆け出したアリカ・リーズシュタットは、飛んでくる血刎大魔鎌目掛けて、渾身の力を込めて紅鴉国光を振るう。
「リーズシュタット流剣術――緋紅剣・九濡層々!!」
三日月のように軌跡を描く真紅の一閃。たった一太刀浴びせただけで、ガガガガガッ!! と、何度も斬られたと錯覚する程の剛撃の音が鳴り響くと同時に、最凶の切断力を誇る血刎大魔鎌が、バラバラに砕け散っていった。
「何なんですあれは!? 一振りで九連撃の斬撃を叩き込むなんて!?」
遠目に見える信じられない所業を行ったアリカに動揺するも、すぐに我に返ったシャーレは。
「くっ、呪法・血霊剣」
シャーレの血を手に纏わせ剣状にし、薔薇輝械が絡みついた脚ごと切断する。トカゲの尻尾切りのように瞬く間に再生する脚を地につけ、立ち上がるも。
「お兄さんは!?」
目を離した刹那、ユーリの姿を見失う。鎖が行き場を求めてウジャウジャと宙に漂っていると、背後からガキンッ! と、激しい剣戟音が轟いた。
それは、ユーリが無窮血鎖棺の本体を、黎切を用いて上空へと打ち上げた音だった。
「しまっ」
気付いた時にはもう遅い。虚空の夜空に浮かぶ漆黒の棺目掛けて、ユーリは、とっておいた最後の魔力を捻り出した。
「換装・千術魔閃斬々剣!!」
天高く轟くユーリの叫びと共に、超弩級巨大魔術武装が、空の黎ごと呑み込んでいく。
視界一面に覆い尽くされる千術魔閃斬々剣の圧巻さを前に、シャーレは絶望と共に無窮血鎖棺が破壊されるのを見ていることしかできなかった。
血刎大魔鎌と、無窮血鎖棺――同時に二つの武器を失ったシャーレは、もう神遺秘装に頼るしか術はない。
「よくもッ!!」
激昂したシャーレは、血霊液で凝縮させた魔弾を指で弾き続け、ユーリを蜂の巣にせんと狙っていく。
「シャーレ、もう止めろ!!」
勝負は付いたと言わんばかりに叫ぶユーリへ、シャーレは手を緩めずに叫ぶ。
「私は、まだ全然やれますよ! お兄さんこそ、今ので魔力を使い果たしたんじゃないですか?」
シャーレは武器を失ったが、身に溢れる魔力は底を見せていない。それに、魔術武装は時間が経てば魔核の中で勝手に修復されていく。対してユーリは、今にも死に体で、血弾の雨を凌ぐのがやっとの様子だ。
「こんなんじゃ、全然足りないか。もう、魔力が残ってない。こうなったら、制限解除を使うしか」
ユーリに残された手段は一つ――使用者の命を搾り取り、無尽蔵の魔力を生み出す諸刃の剣を用いる事。
しかし、いくら神の因子を宿しているとはいえ、過去に二度使用した経験上、三度目は何が起こるか本人すら予想がつかない。
シャーレを救う最大のチャンスに、惜しむ時間はないと覚悟を決めたユーリだったが。
「さっきから私を無視して……お兄さんが見ている私は過去の幻想に過ぎないんですよ! 私を見ろ、私ときちんと向き合え! あなたを殺そうとするシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーを蔑ろにするな!!」
「!?」
ユーリは、妹としてのシャーレ・クロイスしか見ていない。それに対し、最厄を司るシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーは、激怒する。
今の自分を無視して、過去の幻想ばかり追いかける。それは、最大の侮辱であると。
「闇に堕ちろ! 母親を殺した仇を憎め! 憎悪と怨嗟の嘆きこそが、私の――」
血霊液を撒き散らし、血の旋風となりてユーリの身体を襲っていく。何かに気付いた様子のユーリは、致命傷を負いながらも、必死にシャーレへ手を伸ばしていく。
「シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガー、お前はまさか……この世の全ての悪をその身に受けて死のうとしてるのか?」
「…………」
刹那――シャーレの動きがピタリと止まる。愕然とした表情には、嘘の仮面が塗りたくられており、今のユーリの一言で剥がれ落ちている様子だった。
「シャーレが憎むべき対象は、自分の存在そのもの。自分じゃどうあっても死ねないから、この世全ての人たちに恨まれて、最も劣悪な死を迎えたい――それが、お前の根源にある願いだったのか?」
ユーリ・クロイスが放った言葉の魔法は、ついにシャーレ・クロイスを闇から引き摺り出したのだった。