第148話 二人の神
未だ予断を許さぬ状況ではあるが、ようやく事態がひと段落したことで、ユーリ・クロイスは改めて思考に耽け、状況を整理していくことにする。
この戦争の裏には、何者かの意志が介在している。それはフリーディア統合連盟軍でもなく、種族連合でもない第三勢力――フリーディア反統合連盟政府組織、革命軍ルーメンと呼ばれるテロリスト。
主犯格のナイル・アーネスト、実行犯のダリル・アーキマンが引き金を引いたことで、過去類を見ない程の大きな戦争が勃発し、両陣営に壊滅的被害が及んだ。
ナギは、クレナ・フォーウッドと戦い、その手で討ち取ったという。同胞の仇を討ったといえばそれまでだが、彼女の死は到底喜べるものではない。
クレナは言っていた。思想を盾に、正当性を強いて無関係な人々を不幸に陥れるテロリストこそが本当の敵なのだと。
戦うのが嫌で嫌で仕方ないのに、涙を殺しながら最期まで戦った彼女を誰が責められる? 慚愧を閉ざし、最後の最後でようやく全ての業から解放されたクレナは、ナギに「ありがとう」と、そう言ったそうだ。
彼女が殺した同胞たちも、やるせない想いを抱えていたに違いない。ユーリ自身、ナギから話を聞いた時は、胸が苦しくて仕方なかった。どうするのが正解だったのか? 答えなんて分かる筈もなく、行き場のない無念だけが心の中を彷徨っている。
オリヴァー・カイエスは、義兄のランディ・カイエスと再会したことにより、アリカ・リーズシュタット、ダニエル・ゴーンと引き離されてしまった。過去に虐待を受けていたオリヴァーは、克服できず、終始義兄の言いなりとなる。どうしようもない状況に抗えず、サラと戦ってしまったという。
しかし、二人は本音をぶつけ合うことで、改めて分かりあうことができた。また、病で床に伏せていた祖父が亡くなったのを感じ取り、最期の言葉が二人に届くという奇跡すら引き起こしてみせた。
人間と異種族が手を取り合うというユーリたちの願いを体現したオリヴァーとサラ。ダニエル・ゴーンが命をかけて守った彼らを、絶対に死なせたりなんかしない。
そして、アリカ・リーズシュタット。突如として出現したグランドクロス=テスタロッサのことを知っている様子だった。紅鴉国光と緋々色金国光、同系統の魔術武装を持つグランドクロスは、一体何者なのか? 彼女は内に何を秘めているのか分からず、依然として口を閉ざしたままだ。
皆、この先に起こる大きな戦いに向け、全員が一丸となって準備に励んでいる。エルフ国が消滅し、ドワーフ王までも亡ってしまった状況で立て直せるのはエレミヤだけ。
フリーディアが放った大量殺戮兵器は、あれ以降使用されていない。あの一発を異種族への抑止力として見せつけたのか、環境汚染を慮ったのか、或いはその両方なのか。
幸いにもドワーフ国は無事で、フリーディア西部戦線の侵攻も完全に停止しており、両軍睨み合っている今が最大のチャンス。フリーディア本国にとっては、テロリストの侵攻を最も警戒しなければならない筈で、一番の脅威となるミアリーゼ・レーベンフォルンと、ファルラーダ・イル・クリスフォラスが首都エヴェスティシアへ帰還したのが功を奏した。
後は、どうやって首都エヴェスティシアへ赴くのか? 強大な力を持つ、グランドクロスとどう渡り合うか? 課題が山程ある中で、ユーリたちはやれることをやるしかない。
目下最大の敵は、人類の祖――魔術機仕掛けの神だが、それ以上に気になることがあった。
それは、ナイル・アーネストというテロリストの主犯格について。
彼は、神の因子と精神世界で激闘していたユーリを現実世界に起こし、シルディ、ウェンディ、サーラマ、ノインといった四精霊なる異種族を使役していた。
何故、こちらの事情に精通していたのか? そもそもどうやってユーリの居場所を突き止めたのか? 異種族と行動を共にする彼は、一体何者なのか? 何故、テロリストとして活動しているのか?
考えれば考える程深まる謎に、エレミヤ含めた他の仲間たちも頭を唸らせていたが、やがてユーリ・クロイスは一つの答えに辿り着いた。恐らくナイル本人も隠すつもりがなく、正体がバレる前提で、ユーリの前に姿を現したに違いない。
ユーリは、関係者全員をドワーフ王宮にある玉座の間へ集めた。空席の玉座に立ち並ぶは、ユーリ本人と、ナギ、サラ、アリカ、オリヴァー、シオン、ミグレット含めたエルフ、ドワーフの高官たち。
重要な話がどういったものかナギたちも察したようで、どこか緊張感が漂っている。この場にいる誰もが口を開かないのは、最後の一人がまだ姿を見せていないから。
待つこと数分、やがてギギギッ、と大仰な音を立てながら大扉が開かれる。そこから現れたのは。
「――ごめんなさい、待たせてしまって」
エルフの姫巫女、エレミヤ。今回、ユーリがする話において重要な鍵となる人物。慌ただしく駆け寄ってくる彼女に対して、ユーリは「構わないよ」と、告げる。
そして、ようやく全員が揃ったところで、ユーリは本題を切り出した。
「今回の戦争、皆も知っての通り、裏で糸を引いていたのはフリーディア統合連盟政府転覆を目論むテロリストの主犯格――ナイル・アーネストだ」
皆、神妙に理解していると頷く。
「奴は、どういうわけかこっちの事情に精通していた。俺の居場所を正確に把握していたこともそう、しかも奴は、人間では絶対にあり得ない異種族を使役していたんだ」
ユーリが齎した情報は、エレミヤたちにとっても衝撃で、ナイル・アーネストと呼ばれる人物の不可解さをより極める形となった。
「俺は、奴の正体について一つの確信を得た。そこで聞きたいんだがエレミィ、お前は俺が眠っていた状況を、ここにいる者以外の誰かに話したか?」
「え?」
急に話を振られたエレミヤは、先程話したナイルの情報と、自身の状況を照らし合わせようとするも。
「それって、外部にって、ことよね? 話して……ないわ。どうして、そんなことを聞くの?」
当然、思い当たる節がないエレミヤは、困惑を露わにユーリへ問いかけるしかない。ユーリは意を決して告げる。
「俺は多分、エレミィがナイルに情報を流していたんじゃないかって思ってる。奴は、お前を通して、こっちの事情を把握していたんだ」
「「「「「「!?」」」」」」
エルフの姫巫女が、人間……しかも、テロリストに情報を流していた? 暴論に等しいユーリの発言に対し、場はざわつき、エレミヤは「あり得ないわ!」と、強く否定した。
「ユーリは、私がフリーディアのスパイだって言いたいの!? そんなこと、天地がひっくり返ってもあり得ない。大体そのナイルって、フリーディアなんでしょ? 顔も知らない距離の離れた相手と連絡を取るなんて不可能よ!」
「そんなことないだろ? なら俺とエレミィはどうやって知り合ったんだ?」
「それは勿論千里眼の力を使って――っ!?」
この瞬間、エレミヤはようやくユーリが何を言いたいのか悟り、言葉もなく絶句する。何故なら、彼女は気付いてしまったから。絶対にあり得ない、容疑者に入れることすら憚れる存在が頭に浮かんでしまったのだ。
彼は慮って、気付かせてくれたのだろう。いきなり答えを出されても、きっと頭ごなしに否定してしまうから。エレミヤの反応を見て、周囲が響めく中、ユーリだけは冷静な声で言う。
「俺は、信仰に縁遠い存在だからさ。ミグレットから神の逸話を聞いた時は、本当に驚いたよ。
信じたわけじゃない、ただ純粋に疑問に思ったんだ。世界の意志って何だろう? 既に死んでいる神は、どうやって精神体になってるのかって」
生物学において、死後の世界は存在しないとされている。死は終わり、即ち無。これは自死した神も例外ではない筈で、それならエレミヤは誰と対話を行っているのか?
唯一この理論を覆せるのは、解明されていない魔法――神遺秘装だけとされるが、この場は人類側の常識で考えるのが最善だと思ったのだ。
「神は、不変不滅の生を終わらせるために、終滅剣で自身を貫いたとされている。
私は、というより全ての種族たちは、神は精神体となって世界と同化していると思っている……んだけれど、それは違う、って……こ、と?」
震えながら顔が青褪めていくエレミヤへ、ユーリは頷き、こう言った。
「あぁ、神は死んでいない。未だに、この世界で生きている。お前が千里眼を使って会っていた人物こそが、ナイル・アーネスト――即ち神だ」
◇
「全部、あなたの思惑通りってことかしら? 神――いいえ、"ナイル・アーネスト"!」
こうして、神の正体を看破したエレミヤは、千里眼の能力で一人ナイル・アーネストと対峙する。
真の諱を呼ばれたナイルは、今もニヤついた表情は崩さず、余裕を保っている。逆にエレミヤは、緊張と罪悪感で身体が震えてしまっている。彼に全てを話してしまったから、あの戦争が勃発したのだと。
「そんなに気張んなって、いつも通り、気楽にいこうぜ。安心しな、此処では俺は何もできねぇ。ただ、いつも通り呼ばれたから来ただけだ」
「ッ」
そうだ、ナイルからすれば普段の交流と変わらない。落ち着け私、とエレミヤは使命感から己を奮い立たせる。
「ねぇ、これだけは教えて。あなたは、本当に私たちの信奉する神なの?」
「そうだ、と言いたいが、正直お前らが勝手に有り難がってるだけで、俺からしたら気味が悪りぃとしか思ってねぇよ。
だから、お前の問いの答えはイエスであり、ノーでもある」
ナイル本人からすれば、エルフが勝手に神と呼び、崇めているだけに過ぎないと。もしそうなのだとすれば、エルフの祖先が都合のいいように書き換えた偶像を崇拝していたことになる。
それこそが、フリーディアの忌み嫌う信仰の答えだと、エレミヤはようやく悟った。
「……なら、あなたは何故テロリストとして活動しているの? あなたの本当の目的は何?」
「前に言わなかったか? 余計な詮索はするなとな。俺は一方的にお前たちのことについて知るだけで、その逆はねぇ。
俺は既に、お前たちの理解を超えた範疇にいる。お前じゃ絶対に俺の真実には辿り着けない」
神の言う通り、エレミヤたちでは未来永劫答えに至れない。ただあるがままの事象を受け入れ、盲信してしまう。だけど――。
「――いいえ……あなたについて、一つだけ分かることがあるわ」
「あん?」
だけどそれは、以前までのエレミヤだったらの話だ。今はもう違う。きちんと現実が見えている。ユーリ・クロイスや皆がいてくれるから、一緒に悩んで、考えて、本気の本音で神と向き合うことができる。
神が、何故ナイル・アーネスト――しかも人間として今生にいるのか?
その答えに、エレミヤは既に至っているのだ。
「神、あなたは終わる事のない――不滅の輪廻に囚われている!」
「!?」
「輪廻転生。あなたは死んでもまた、別の種族に生まれ変わる。つまり、そういう事でしょ?」
そう……これこそが必死に頭を悩ませ、エレミヤたち全員で導き出した神の真実。ナイルの余裕ぶった態度が崩れ、驚愕が浮かんでいるのがその証拠。
エレミヤたちは間違いなく、真実の一端に迫ったのだ。
「なるほど、ユーリ・クロイスか。転んでもただでは起きませんってか?」
「ユーリだけじゃないわ。私や、ナギ、サラ、シオン、ミグレット、オリヴァー、アリカも含めた全員で導き出した真実よ」
転生――ナイル・アーネストは、死んでもまた別の種族として一から生まれ変わる。それも記憶を保ったまま。
フリーディアの科学で解明できない何かがナイルにはあって、魔法や神遺秘装といった科学を超えた奇跡を交えて、順繰りに推察していた結果至った答えだ。
この仮説ならば、神が現在人間であることの説明が付く。
ユーリは言っていた。神遺秘装は、祝福を齎すだけでなく、呪いにもなり得ると。
エレミヤが、常に瞳を閉じていなければならないように、ヴァンパイヤが不死の特性を得ているにも関わらず、弱点を消せないように。
神遺秘装自体謎が多く、エレミヤたちの遺伝子に刻まれたというのも状況を照らし合わせて推察した結果に過ぎない。
実際のところ理屈はよく分かっておらず、一つだけ確かなことがあるとするなら、神は――今のナイル・アーネストは、言うなれば不変不滅を司る神の残滓だということ。
これまでの行動や、発言から推察していき、本人すら逃れられない厳しい制約があるのではないか? そうエレミヤたちは結論付けた。
「神遺秘装――廻転核」
最早誤魔化すのも無駄だと悟ったのか、観念した様子で、ナイルは真実を告げる。
「この身に宿る魔核こそが、俺を不滅の転生者として成り立たせている。お前の言う通り、俺は終わらない生き地獄を今も繰り返しているのさ」
神遺秘装――廻転核。
初めて耳にするその諱と、特性の意味を理解した瞬間、まともにナイルへ顔を向けられなくなる。
終わらない生き地獄。だとするなら、彼は一体何千年生きているのだ? 数えるのも億劫になるほどの年月を生きてきて、どうしてそんな風に笑っていられる?
「理解しろ、なんて言うつもりはねぇ。同情とかそういうの、本当に何にもいらねぇんだよ。一時ヘラって自暴自棄になった時期もあったが、今は割り切ってるし、ぶっちゃけ言うと今は楽しんでる」
「どういう……」
「転生先を選べない以上、次はどんな種族に生まれ変わるのか? そこで、どんな人生を満喫しようか? 一瞬一瞬に楽しみを見出し、今日まで繋いできたのさ」
真実を知ったエレミヤには分かる。ナイルは毛ほども生きたいなんて考えてない。死んでも強制的にリスタートする人生に、どんな楽しみを見出しているというのだ?
「これまで碌に何もできずにいたが、人間に転生し、グレンファルトと出会えたことで、俺の不変不滅の生に今度こそ本当の終わりを見出す術を得た」
「!?」
ナイル・アーネストとして転生したことで近づけた神の悲願。その大願を成就せんがため、自身もプレイヤーとして遊戯に参加する。彼にとって、正真正銘最後の終わりとするために。
「俺の真実を見抜いた褒美だ。お前には、出血大サービスで教えてやるよ!」
そして、ついにナイル・アーネスト=神の本当の目的が明かされる。
「――俺の目的は、《《この世界にいる全ての生命を滅ぼす》》こと。そうすれば、俺はもう二度と生まれ変わらなくて済む! 今度こそ本当の終わりを迎えられるのさ!」
神がやろうとしていること、その恐ろしさと規模の壮大さに頭が真っ白になる。けれど同時に理解する。これはある意味で理に適っていると。死んでも生まれ変わるのなら、生まれる先を失くしてしまえばいいという安直且つ、極端すぎる考え。
転生先がいなくなれば、ナイルは不滅の輪廻から解放される。彼が示す終わりは、もうすぐそこまで来ている。フリーディアが、エルフ国を滅ぼすのに放った天からの終焉の光があれば世界など一瞬で消し炭になってしまう。そんなこと――。
「――させると思うか? ナイル・アーネスト!」
「!?」「へぇ……」
刹那、決して介入できない筈の千里眼で創られた幻想空間に、第三者の声が木霊した。
「ユーリ!」
ユーリ・クロイス。神の因子を内包している彼だからこそエレミヤのもとまで来られた。恐らく万が一の場合を考えて、来てくれたんだろう。
エレミヤは一人で大丈夫だと言い聞かせたつもりだったが、来たら来たらでホッとしてしまうのはどうしてだろうか?
「よう、俺の後輩くん」
そして、ナイルは皮肉混じりにユーリの登場を歓迎する。正体を見破られた以上、隠すつもりは毛頭ない。
「俺は、あんたのくだらない趣味に付き合う気はない。この世界を遊戯と捉えてる神様に、世界を滅ぼされてたまるかよ!」
ユーリ・クロイスと、ナイル・アーネスト。二人の神は、互いに一歩も引かず真っ向から対峙した。