第142話 姫の宣戦布告
ドラストリア荒野から離れたアルギーラ鉱山地帯にあるフリーディア統合連盟軍駐屯地。ミアリーゼ・レーベンフォルンと、グランドクロス=ファルラーダ・イル・クリスフォラスの介入によって、無事に撤退した兵士たちの顔色は、一様に優れない。
過去最大規模の激戦を経たフリーディア統合連盟軍の被害は甚大。政府首脳陣含めた多くの友軍を亡くし、心の傷が癒えぬまま負傷者たちを搬送する補給部隊たちの錯綜する声が木霊している。
今後のフリーディアの行く末含めて、次の進行までに増援は間に合うのか? 西部戦線の戦力が六割削られた現状で、異種族に進行された場合のことも考え、皆不安に駆られている。
彼らにとって唯一の救いは、ミアリーゼとファルラーダの存在だ。彼女たちの活躍のおかげで、種族連合も甚大な被害を被り、撤退せざるを得ない状況に追い込んだ。
つまり結果だけ見れば、双方痛み分けの無効勝負に持ち込んだということ。戦線の立て直しは異種族側も必須であり、グランドクロスの力を知った敵軍も、慎重に行動せざるを得ない状況。
数々の負傷者たちが、仮設の天幕にて応急手当てを受けている。兵士たちを労うべく訪れた、ミアリーゼ・レーベンフォルンの存在がなければ、彼らはとうに心が折れていただろう。
「ミア、リーゼさま……。我らをお救いくださり、本当……何と御礼、申し上げれば……いい、か」
瀕死の重症を負った一人の兵士が、窮地を救った姫君に対して感謝の念を告げている。そんな兵士の側で、ミアリーゼは全てを包み込み慈しむような表情で言う。
「いいえ、あなたが救われたのは、あなた自身の生きたいという力が働いたからです。
私自身、至らぬ点も多く、お父様含めて大勢の方々がお亡くなりになったことを心苦しく思っています」
「そのような、ことは……。ミアリーゼ、様」
元々軍務とは縁のない姫君が、責任を感じる必要はない。にも関わらず、こうして心を痛め、兵たちのために尽くしてくれるミアリーゼに対し、見聞きしていた兵士たちは感涙していた。
「ですので、私はここに誓います。亡くなられたお父様の御意志を継ぎ、全ての悪を討ち滅ぼすと。異種族、テロリスト、これ以上、彼らの思い通りにさせるわけにはいきませんから」
その瞳に宿る意志の強さを見た兵士たちは、残ったこの命を全て姫君に捧げると誓う。この御方こそが、次代の総帥に相応しいと誰もが心を一つにする。いつまでも下を向かず、姫が照らす光の道筋を歩んでいこうと。
◇
どれだけ探しても見つからない。ミアリーゼ・レーベンフォルンが、今最も会いたいと思っている人物。彼の所在を知っている兵士は誰もおらず、寧ろ西部戦線にいたことに驚いている者が殆どだった。
おかしい、ミアリーゼの存在を把握しているなら、絶対に会いに来てくれる筈なのに。彼の力になりたくて、そのために戦場へ駆けつけたというのに……何故?
「ユーリ様……」
ミアリーゼの考えうる限り、最悪の事態が脳裏に過ぎる。父を亡くし、それに加えてユーリまでいなくなってしまったら……。
「くっ」
今回の戦争で、六万人近くのフリーディアが命を落とした。負傷者、行方不明者を合わせれば、もっと数字が増える。
統合連盟政府総帥含めた首脳陣が、軒並み殺されたこと含め、市民たちの耳に伝われば大きな混乱と動揺、不安が広がるのは目に見えている。
そこに漬け込んで、反政府勢力組織ルーメン――ナイル・アーネストは、間違いなく首都エヴェスティシアを狙ってくる。
人類は今、未曾有の危機に陥っている。何故こんなことになってしまったのか?
「異種族、テロリスト……そうですわ、あなた方のような存在がいるからッ」
優しかった父は、テロリストの策略に嵌り、殺された。大切な幼馴染は、戦場に駆り出され行方不明。何一つ喜べないこの状況に、ミアリーゼは湧き上がる憎悪の感情を彼方にいる異種族へぶつけることしかできなかった。その時――。
「――ミアリーゼ様!」
慌ただしく駆け回る補給部隊たちの間を掻き分けて、長身の女性が姫の名を呼びながら現れる。
「ファルラーダ!」
グランドクロス=ファルラーダ・イル・クリスフォラス。たった一人で数万の異種族を相手にした最強のグランドクロスは、五体満足の状態で姫の前に姿を現した。
「帰還が遅くなり、申し訳ありません」
「構いません。見たところ怪我もなさそうで安心しました。通信が途切れた時は本当に心配で……」
エルフの姫巫女、エレミヤを討つため単騎で敵陣の中枢へ突っ込んでいったのだ。今は鳴りを顰めているが、溢れ出る強大な魔力で無事なことは分かっていたが、こうして自身の目で確認しないとやはり落ち着かない。
「ご心労をおかけして申し訳ありません。不覚を取られ、空鱏と通信機を敵に破壊されてしまったものですから」
魔術武装など後でいくらでも修復できるし、通信機も替えがある。怪我らしい怪我もなく、気になったのはダークスーツのジャケットとネクタイがないことくらいか。些か煤汚れ、多量の返り血が付着したシャツが気になったが、深くは問わないことにした。
「そうですか……とにかく今は休んでください。敵指揮官は討ち取ったのですから、敵軍の動きを窺いつつ――ファルラーダ?」
珍しくファルラーダが浮かない顔をしているものだから、ミアリーゼは心配気に顔を覗き込む。長い間共に行動してきたが、神妙な顔をして黙り込むファルラーダは初めて見た。
「敵指揮官……エレミヤは討ち損じました。ご期待に添えず、申し訳ありません」
まさか、あのエレミヤが生きている? 千術姫の猛攻をどう凌いだのか疑問に思ったが、エルフは転移スキルを扱うと耳にしていたことを思い出し、大きく頭を振った。
「あなたが謝る必要はありませんわ。寧ろたった一人で尽力していただいたことに感謝の念が尽きません。
エレミヤを討ち取るのは次の機会にいたしましょう、ね?」
だからそう落ち込まなくていいんだよ、と安心させるように笑みを浮かべるミアリーゼに対し、ファルラーダはバツが悪そうに顔を背けるだけ。
「あの……ミアリーゼ様は、ユーリ・クロイスを探していると兵から伺いましたが……」
「えぇ、そうです! ファルラーダ、彼がどうなったのか知っているのですか!?」
ファルラーダからユーリの名が出た瞬間、勢いよく詰め寄ったミアリーゼの表情は、どこか鬼気迫るものがあった。
「…………」
何と返すべきか、終始迷っているような仕草の従者に、胸騒ぎが収まらず焦ったくなったミアリーゼへ、意外な人物から言葉を寄せられた。
『――ユーリ・クロイスは現在、エレミヤと行動を共にしていますよ、ミアリーゼ』
「「!?」」
ミアリーゼの持つ通信機から発せられた声音に驚愕するのも束の間、予想だにしない情報の本流が押し寄せる。
『現在、テスタロッサに対応を任せています。ユーリ・クロイスは謀反を働き、我々フリーディアに牙を剥きました。
ファルラーダの負傷は、ユーリ・クロイスと戦闘を行った結果です』
「デウス・イクス・マギア様……」「御前……」
人類の祖――デウス・イクス・マギア。まさか通信機を通して連絡してくるとは思わず、両名とも唖然としている。いや、デウスが現れたことよりも、今し方の聞き逃せない発言について問わねばならない。
「本当なのですか、ファルラーダ? ユーリ様と、その……」
「……えぇ」
少し逡巡した後に、ファルラーダは同意する。
「そ、んな……待ってください! どうしてそんなことに!? だって、おかしいではないですか! 人間であるユーリ様が異種族側に付くこと事態あり得ないというのに、あろうことか私たちに敵対するだなんて!」
混乱と動揺で、訳が分からなくなり、姫はやり場のない怒りを吐き出すように取り乱す。
『落ち着きなさい、ミアリーゼ。次代の人類を率いる者が、取り乱しては子供たちに不安を齎します。
私を見返すと言ったからには、事実をあるがままに受け入れ、毅然とした態度でいなさい』
「あ……」
母なる人類の祖に諭され、ようやく我に返ったミアリーゼは辺りを見回す。すると何事だと、兵士たちが集まり不安気な表情でこちらを見つめていた。
「何でもない! こちらは気にせず、貴様らは職務を全うしろ!!」
「「「「は、はっ!!!」」」」
ファルラーダの号令により難を逃れたが、ミアリーゼの心臓はバクバクと早鐘を打ったまま。
『西部戦線の被害については、聞き及んでいます。私は、異種族を甘く見ていたのかもしれませんね。
子供たちにとっての試練だと、これまで手出しは無用と静観していましたが、そうも言っていられない事態となりました』
「御前、まさか……」
ファルラーダは何かを察したのか、驚愕に目を見開いている。
『えぇ、このまま痛み分けで終わらせるつもりはありません。今回だけは例外とし、私が直接裁きを下します。ここは私が引き受けますので、ファルラーダはミアリーゼを連れて首都エヴェスティシアに帰還しなさい。
恐らくテロリスト――ルーメンとの激しい戦闘が予想されます。あなたたちには治安維持部隊と連携して、首都防衛に徹っするよう命じます。
戻り次第、統合連盟総帥代行としてミアリーゼを据え、速やかに政府の再建を行います』
「………」「御意!」
デウス・イクス・マギアの命に、ミアリーゼは無言で返し、ファルラーダは片膝を折り、頭を垂れた。
今は一刻を争う事態なのか、デウス・イクス・マギアは驚くほどあっさりと通信を切断し、辺りに兵士たちの喧騒が轟いた。
「ミアリーゼ様、御前の命に従い、一刻も早く首都へ帰還せねばなりません。この状況をテロリスト……ナイルの野郎が大人しく観ているとは思えませんので」
「……えぇ、そうですわね」
そう返した姫の声には、憤怒の激情が込められていた。
「……裏切った? ユーリ様が? エレミヤに絆された? テロリストが関与した? 何なのですかそれは……ふざけるな! 私の想いを、覚悟を、無為にしてッ」
歯をギリギリと食い縛り、憎悪を吐き出す姫に従者は何も告げずにいる。
「決めましたわ。ユーリ様を惑わせたエレミヤは私自らが鉄槌を下します!
聞こえていますね、デウス・イクス・マギア様! テスタロッサに、ユーリ様とエレミヤには手を出すなとお伝えください!!」
『…………』
返事はないが、恐らく聞こえている筈だ。もしも、エレミヤを殺してしまった場合、ミアリーゼの憎悪が何処に向くか分からない。
「ふぅ……。申し訳ありません、少々取り乱してしまいました。
西部戦線の指揮は、アンベル少佐にお願いしましょう。捕らえたアイマン元中佐には、多少手荒でも構わないので、ダリル・アーキマン大佐と、ルーメンの繋がりを聞き出すよう兵にお伝えください」
「はっ!」
迅速に対応するファルラーダを他所に、ミアリーゼは明後日の方向へ目を向ける。
「私は本来、あまり強い言葉を使う主義ではないのですが、今だけ――今だけは、ファルラーダに倣って言わせていただきます」
これは、ミアリーゼ・レーベンフォルン個人から、エレミヤへ向けた宣戦布告だ。届かなくていい、向こうも今回の戦争で自身の存在を嫌というほど認識した筈だから、意識せずにはいられないだろう。
人物像は、後でファルラーダに聞けばいい。姫巫女の位に立つくらいなのだから、高貴な人物であることは間違いないが。だからといって異種族相手に遠慮は必要ない。
ユーリ・クロイスが、何を思ってミアリーゼ・レーベンフォルンを裏切ったのかなんてどうでもいい。血迷った彼を正しき道に引き戻すのは、幼馴染である自分の役目だ。
先ずは首都エヴェスティシアへ帰還し、脅威となるテロリストを殲滅する。その後はお前たち異種族。そしてエレミヤ、お前は……お前だけはミアリーゼの手で――。
「ぶち殺す!」