第140話 敗北、そして
ダニエル・ゴーンと、ファルラーダ・イル・クリスフォラス。抱擁を交わす二人は、時が止まったかのような感覚に包まれる。
全てが静止した時の中で、二人の意識だけが自在に動くことができた。お互いに理解する。これが最期の別れになると。
「そうだ、最後にお願いしたいことがあんだ。聞いてくれるか、姉御?」
「何だ?」
「今回だけでいいから、ユーリたちのこと見逃してやってくんねぇか?
姉御も感じただろうけど、本当に楽しくて面白い奴らなんだ。少なくとも姉御が忌避する悪人じゃないってことだけは確かだぜ」
「んなもん、言われなくても分かってんだよ。けど、世の中ってのはそう簡単にはいかねぇ。ただでさえ身内でゴタついてんのに、異種族なんぞ絡んできたら余計にややこしくなる」
「だから今回だけ、な! 頼むよ、姉御」
「…………」
最期に師と言葉を交わす機会を与えてくれた奇跡に、ダニエルはいたく感謝する。間もなく彼は、死ぬ。最期くらい自己満足に浸って死にたいものだ。
「それとこれだけは言わせてくれ。俺、実は姉御のことが好――って痛ッ!?」
言い終える前に、ファルラーダがデコピンでダニエルの額を弾いた。精神世界で痛いも糞も無いが、それはないだろう最後まで言わせてくれよ、と思わずにはいられない。
「テメェ、私に対してそんな不遜な感情懐いてやがったのかよ」
今まで見たことのない心底嫌そうに顔を歪めるファルラーダを見て、普通にショックを受けてしまう。
「おーい、人生最期の盛大な大告白だってぇのに……そりゃないぜ、姉御……」
ガックリと、肩を落とすダニエル。
「せめて私に勝ってから言え。少なくとも私より弱い奴に、心は靡かん」
ダニエル・ゴーンは、師を超えることができなかった。あのまま戦っていれば、間違いなく身体が暴発していただろう。人の形を保ったまま、逝かせてくれるファルラーダには感謝しなければならない。
「だが、見直した。やるじゃねぇか、ダニエル」
あの日、スラム街で見せた時と同じ笑顔を浮かべながら、ファルラーダは弟子の成長を認め、乱暴にダニエルの頭を撫でる。
「………姉御ぉ」
大好きな師が認めてくれた。これまで歩んできた人生は、無駄じゃなかった。ダニエルは、充分に報われた。
「テメェは、私の誇りだよ。ありがとう、達者でな」
ファルラーダは、分かってくれていた。ダニエルは、己の死に泣いて悲しんでほしいわけじゃない。死なないでくれ、なんてそんな言葉はいらないのだ。
ありがとう。
恋は実らなかったが、その一言だけで充分だ。何故ならダニエルは、この命を誰かの幸せのために使うと決めていたのだから。
本当、満足だ。
唯一の心残りは、ユーリやオリヴァー、アリカたちときちんと別れを告げられないことか。彼らのことだから、きっとこれからも無茶をする。
湿っぽい別れは無しにしよう。ダニエルは、ニヤリと笑みを浮かべ告げる
「あばよ、皆。すぐに追いかけてくんなよ?」
◇
ユーリ・クロイスは、抱き合うダニエルとファルラーダの姿を呆然と見つめる。
ダニエル・ゴーンは、安らかな笑みを讃え、静かに息を引き取っていた。そんな彼の遺体をゆっくりと抱えるファルラーダ。
「ダニ……エ、ル」
また、大切な仲間を失った。ユーリが弱いから……。ダニエルは制限解除の影響により、暴発寸前だったのをファルラーダが止めた形となった。
彼女があと一秒でも止めるのが遅ければ、見るも無惨な結末を迎えていただろう。人として最期を与えたファルラーダを恨むことは筋違い。破裂死を防いだことを感謝すべきなのかもしれない。
だから、行き場のない負の感情は己に向ける他ない。
「俺は……何で、こんなにも」
弱い。命を燃やし不屈の精神を保ったまま、魔力を解放し続けているのに、意志も実力もファルラーダ・イル・クリスフォラスに遠く及ばない。
「弟子の最期のお願いだ。ユーリ・クロイス、今回だけは特別に見逃してやる」
「…………」
え? と、ユーリは呆けた様子で顔を上げる。
「私は、ダニエルの意志に負けた。奴に感謝しろよ? もう二度と私たちの前に姿を見せないと誓うなら、金輪際手は出さんと約束する。どっかで隠れて暮らしてエレミヤ共々よろしくやってろ」
これが、ファルラーダの出せる最大の譲歩。ユーリたちが今後戦闘に参加せず、静かに余生を送るというのであれば、命の心配はなくなる。仲間の死を見なくて済む。
「俺は……」
少数の大切な仲間のためだけに……。それ以外の命はどうなろうと構わない。そうやって割り切れればどれだけいいか。
「ふん……ま、これ以上の会話は無駄か。さっさと戻ってダニエルを弔ってやらねぇとな」
そう呟いたファルラーダは、安らかに眠るダニエルの遺体を抱えたまま、自律型千術魔装機兵の大軍勢と共に、この場を退いた。
「うぅ……」
彼女が去っていくのを呆然と見送るしかないユーリは、自身の無力さに打ち拉がれる。
また、守れなかった……。
"おい、ユーリとか言ったな? 止めなくていいのか?"
"俺じゃ、どう考えても無理だろ。つかあんたのが見た目厳ついし、強そうなんだから二人を止められるだろ?"
"おいおい人を見た目で判断するなよ? 俺は根っからの平和主義者でね。静観していたのも余計なトラブルに巻き込まれないためさ"
"タチ悪っ!?"
"ははっ、そういうことだ。すまんなシティーボーイ"
初めは、何てことないやり取りから始まった。厳つい見た目とは裏腹に、愛嬌さのあるジョークを混ぜながら、場の空気を整えてくれていた兄貴分。
彼がいなければ、今のユーリはいない。それは退避しているオリヴァーとアリカも同様で。
「うわぁぁぁあぁぁッッッーーーー!!」
その場で膝をつき、ユーリは感情をぶつけるように大きな声で泣いた。零れ落ちる涙の雫は、大地へ溶け込み、乾燥した荒野に潤いを与えていく。
ファルラーダ・イル・クリスフォラスを恨むなど筋違い。だけど、感情の部分が許せないと思ってしまっている。理屈では分かっているのにどうして?
「こんな……こんなにも複雑な感情を持つ人間たちから悪を一層なんてできるわけないだろうッ。だから、俺は…………ッッッ――くっそぉぉおおおおッッーーーー!!!!!」
感情の赴くままに、何もかも壊してしまいたい。そう思うこの気持ちが悪なのだとしたら……。無くしてしまったら、誰の死も悼めなくなる。
光は悲しまない、嘆かない。負の感情、全てを破壊しようとするミアリーゼたちを止めたかった。停戦に持ち込んで、人類の祖――デウス・イクス・マギアに会って、異種族の存在を認めてもらう。そして最後に、この戦争を裏で仕組んだナイル・アーネストを倒す。その筈だったのに――。
「…………」
なまじ、自分が特別だからと自惚れていたのか? 現実は、無情でこの手に残ったものは何もない。胸の内に虚無感を残したまま、グズリッと鼻を啜り立ち上がる。
フリーディア統合連盟軍と、種族連合の争いも止み、両軍が撤退を開始していた。完膚なきまでに敗北したユーリに残された道は……。
「みんな……」
先ずは仲間のもとへと向かおう。彼女たちは、きっと待ってくれている筈だから。
◇
「「「「「「「ユーリ (おにーちゃん)!!」」」」」」」
幾許かの時間をかけて、ゆっくりと歩いて戻ってきたユーリ。案の定、姿を見せるなり、ナギ、アリカ、エレミヤ、サラ、シオン、ミグレット、オリヴァーの七名は、真っ直ぐこちらに駆け寄ってきた。
「みんな、無事でよかった」
泣き腫らしたのか、皆目元が朱くなっている。腰に縋り付き、泣きじゃくるシオンの頭を撫でつつ、今回一番苦労し、悲しんだであろうエレミヤへ顔を向ける。
「エレミィ、本当は共存を成し得た後に会いたかったけど……負担を押し付ける形になって、ごめんな」
「う、うぅぅぅぅぅぅッッ」
自分の我儘で、エレミヤに全ての責任を押し付けてしまったこと。肝心な時に起きずに、何もできずにいた己の不甲斐なさに怒りを覚える。
ユーリが駆けつけても手遅れだった。共存の道は潰え、残された唯一の手は抗うことだけ。
泣きじゃくるエレミヤが勢いよくユーリの胸に飛び込み、そっと支える。今のユーリには、エレミヤの背負った悲しみを拭ってやることができない。ただそっと頭を撫でるだけ。
「私、全然ダメだった! 姫巫女だからって絆されて調子に乗った結果がこれよ! イリスもナギも皆傷付いて倒れて、私は悲しむことしかできない!! ファルラーダ・イル・クリスフォラスに、何も言い返せなかった! ミアリーゼ・レーベンフォルンの相手にすらならなかった! あなたの大切な友人も死なせてしまった! 私……こんなのッッ」
エレミヤの口から溢れ出す慚愧の言葉の数々は、己の心に刃を斬りつけるのも同様の行いだ。多くの同胞の死と、ユーリの登場で自分を保てなくなったのだろう、子供のように泣きじゃくりながら想いを吐露する。
「お願いユーリ、もうファルラーダ・イル・クリスフォラスと戦わないで。あんな化け物に敵う筈ない!
私、フリーディアに投降を呼びかける。私が大人しく首を差し出せば、それで全てが終わるなら……あなたまで死んでしまったら、私……私ッ」
「それは駄目だ。例えエレミィが首を差し出しても、フリーディアは止まらない」
「ユーリ……」
エレミヤ一人の犠牲で全てが収まるほど現実は甘くない。ユーリだけじゃなく、他の異種族たちも納得しないだろう。
そうして、皆それぞれ悲嘆に暮れながら立ち竦む。ようやくエレミヤも泣き止み、落ち着いたところで、ユーリはグランドクロスに言われた言葉を口にする。
「ファルラーダさんは言ってたよ。俺たちが戦線から離れて、静かに余生を過ごすなら特別に見逃すって」
それは、エレミヤにとって姫巫女の地位を捨て、エルフの誇りを捨てるに等しい行い。
「そう……それはそれは魅力的な提案――と言いたいところだけど、ハッキリ言ってクソ喰らえだわ!!」
泣き腫らしたエレミヤは、今度は怒りを携えてファルラーダの提案を吐き捨てた。
「エレミィ……」
「今回の戦争で、フリーディア……グランドクロスの脅威は、エルフ国にも伝わったわ。ドワーフ王亡き今、窮地に立たされたドワーフ国を守るために、王は本腰を入れてフリーディアを潰すでしょうね」
「それじゃあ、戦火は留まるどころか……」
「むしろ際限なく広がって、それこそ世界中全ての種族を集めて大連合を結成して攻勢に転ずるわ、きっと」
「「「「「………………」」」」」
全世界にいる種族たちが集い、結成される種族大連合。もしも実現してしまったら、それこそフリーディアを巻き込んだ全ての種族が、滅亡の危機に瀕してしまう。
想像するだけで分かる最悪な展開に、全員の顔が青褪める。それと同時に、ユーリの脳内には一人の人物の姿が浮かんだ。
(ナイル・アーネスト)
反統合連盟組織ルーメン。テロリストの目的は、フリーディア統合連盟政府の転覆だ。それが今回起きた戦争のトリガーとなってしまい、瓦解した政府は謂わば丸腰も同然。彼らの思惑通りにシナリオが進んでいるとするのなら、この展開も――。
「元凶となったダリル・アーキマンは、俺が殺した。だけど終わりじゃない、ナイル・アーネストっていう裏で率いてた奴がいた。クソッ、全部奴の思惑通りってことかよ」
寧ろ、ダリルはナイルにとって体のいい駒でしかなかった。ならば彼の目的とは何だ? 相対した瞬間に分かった、彼の理念とルーメンが掲げる理念は違うのだと。
(ミアリーゼ様も、戦線が整うまで迂闊に攻めはしない筈……その間にできることは何だ? ダニエルが残してくれた命をどう使えばいい?)
ファルラーダに負けた今、ユーリ自身にできることは少ない。ミアリーゼに会いに行く? 今更どの面下げて? もう攻めるのはやめてくださいと惨めに縋るのか? 何をするのが、正解なんだ? もう仲間が死ぬのは見たくない。ユーリがいなければ、ダニエルは死ななかったかもしれない。
ぐるぐると回る思考は、行き場をなくし、袋小路に迷い込んでしまった。
そんなユーリを見かねたのか、ミグレットがくいっとシャツの袖を引く。
「ユーリ、ダニエルが死んで悲しいのは分かるですけど、思い詰めすぎです。一人で全部背負おうとするんじゃねーです、こんちくしょう」
「ミグレット……」
「ミグレットせんせーの言うとおりだよ、ユーリおにーちゃん。一人でかかえこみすぎると、前のシオンみたいになっちゃう……」
「…………」
シオンの言う通りだった。ウジウジと悩み続けても一生答えなんて出ない。分かってる、そんなことは分かっているのだが。
「ユーリ、私たちは負けた。だけどまだ終わりじゃない。そのナイルとかいう奴も、ミアリーゼもグランドクロスも、全部まとめて倒して戦争を終わらせる。
そうじゃないと、ジェイたち同胞に顔向けできない」
そう語るナギの瞳の色は闘志で燃えていた。今回の戦争で、ファルラーダに煮え湯を飲まされた彼女は、決して逃げようとはしていない。
「私もナギに同意。今回は機会がなかったけど、グランドクロスと戦えるチャンスを逃す手はないわ。
変に落ち込んで悩みすぎても、現実は変わらない。ダニエルなら小粋なジョークで場を和ませてたわよ」
「アリカ……」
そうだ。ダニエルは、命をかけてバトンを託してくれた。ファルラーダ・イル・クリスフォラスは、執拗にエレミヤを殺そうとしていたが、彼はその心を変えたのだ。
そして、ダニエルの意志を、言葉を直接受け取ったオリヴァーとサラも。
「戦おう、ユーリ。今度こそ一緒にさ」
「私たちじゃ足手纏いかもしれないけど、それでもオリヴァーくんと戦うって決めたから」
「オリヴァー、サラ……ありがとう」
ユーリたちが決然したその想いは、今も尚消えていない。みんなの心が一つになっていくのを感じる。彼らが願うその日は、陽だまりの中にある日常。人間、異種族関係なく誰もが笑って暮らせる世界にする。だから――。
「決めたよ、俺は逃げない。ミアリーゼ様とも、きちんと向き合う。そして戦う、今度こそ勝つ!」
「「「「「「「うん(あぁ)」!!」」」」」」
ナギ、エレミヤ、アリカ、シオン、ミグレット、オリヴァー、サラ。もう誰も傷ついてほしくない。けれど、このまま逃げることなんてしたくないから。今度こそ全員で勝利を掴み取ろうと誓った。
「あ、イリス!」
そして、ようやく姫巫女は近衛騎士の気配を察知し、笑顔を綻ばせながら大きくこっちだと手を振りながら駆け出した。
「エレミィ、それに……」
二人のエルフに肩を借りながら、イリスもエレミヤたちの姿を捉え、安堵の様子を見せている。
神遺秘装を発動した影響で、自分の足で歩くこともままならない。けれど、エレミヤが無事だったならそれでいい。
ファルラーダ・イル・クリスフォラスに完膚なきまで叩きのめされたイリスの心は、今も行き場を無くして彷徨っている。
世界に意志は存在せず、神の存在もまた偶像。何を信じるのが正解なのか分からなくなってしまったイリスだが、一つだけ確かなのはエレミヤと共に育んできた絆は、不動だということ。
次は負けない、そう心に誓いを立てたイリスは、真っ直ぐに駆け寄ってくるエレミヤを迎入れ――。
『魔術武装・展開――緋々色金国光』
「「「「「…………え?」」」」」
突如、虚空より湧いて出た緋色の機械仕掛けの甲冑を纏った存在の呪詛にも似た声が響いた瞬間、新たな地獄が具現した。