第135話 救世主
多分、シオンには最初から分かっていた。この世界には意志が存在しない。全ての事象には、必ず誰かの意思が介在することを。神など所詮は飾りに過ぎず、誰かが描いた偶像が意識に刷り込まれているだけ。
ミグレットから語られた神の史実を聞いた時、尚更そう思った。ビーストは、エルフほど世界に盲信していない。
シオンが信じるのは、意思の力。誰かを想う強い意思がある限り、奇跡なんて簡単に起こせる。ユーリ・クロイス、そしてミグレット。二人から受け取った想いは、今も変わらず心にある。
本来なら突破不可能と思われたファルラーダ・イル・クリスフォラスの所有する自律型千術魔装機兵を相手に奮戦したのも、シオンの守りたいという意志の力が上回ったから。
「――もう邪魔をするものはいない。ダニエルも異種族共も全て潰した。魔力の尽き果てた貴様らに抗う術はない! 今度こそ終わりだ、エレミヤ!」
ファルラーダ・イル・クリスフォラス。他のフリーディアに向けられる嫌悪と侮蔑の視線とは明らかに違う覚悟を背負った崇高な眼差しに、シオンはどこかホッとする。
訳の分からない誰かに殺されるくらいなら、ファルラーダのような高潔な意志を持つ者に呑み込まれた方が何億倍もマシだと思った。でも――。
「まだ……終わりじゃないよ」
そう、終わってなどいない。何故なら、シオンたちはまだ生きているから。
ミアリーゼ・レーベンフォルンとファルラーダ・イル・クリスフォラスの意志がどれだけ強くとも、決して最後まで諦めない。死ぬから何だ? そこで諦める理由など何処にある?
シオンは、あの日に誓ったのだ。もう、二度と心を手離さないと。信じてる。諦めない。そんな不屈の精神が、奇跡を起こすことを彼女はよく知っている。
「再び巡り合う、その日まで。シオンたちは、絶対に諦めない。最後の最後まであがき続けてやるんだ。このまま、負けてなんてあげない――そうだよね、ユーリおにーちゃん?」
だから、きっと、彼はシオンたちの想いに応えてくれる。
「――あぁ。シオンの言う通りだ!」
その瞬間、耳心地のよい安心感を覚える少年の声が木霊し、柔らかな笑みを浮かべる。
そう、この人はどんな時でも必ず来てくれる。いつだってシオンを想ってくれている。ずっと届いていたよ、あなたの想い。シオンは、その想いに応えられたかな?
「ユーリおにーちゃん!!」
ユーリ・クロイス。フリーディア、異種族関係なく争わなくて済む世界を築こうとしているシオンたちの救世主。
「受け取ったよ、シオンの……皆の想い。絶対に、無駄になんてするもんか。だから――」
今まさに、ファルラーダがエレミヤたちを追い詰め、その手で撃ち殺さんとしている。しかし、ユーリは既に変幻機装を用いて、四大魔弾へ換装していた。
「属性変更・雷弾完全解放!!」
「!?」
突如として彼方より飛来する雷魔法を帯びた魔弾。ファルラーダ・イル・クリスフォラスは、新手の存在に驚愕しながらも、巧みに空鱏を上昇させ、回避するが。
「曲がれ!」
刹那、ユーリが解き放った雷弾が直角九十度に折れ曲がる。この世の物理法則に逆らい、軌道変更した魔弾から逃れることなどグランドクロスでも困難だろう。
「バカな!?」
ファルラーダの乗る空鱏の真下から、雷を帯びた魔弾が奔り、ズガンッ!! と、大きな風穴を開けられる。
これには流石のファルラーダも驚愕の表情を浮かべる他ない。
完全に意識の外――バトイデア唯一の死角となる直下から放たれた魔弾に対抗できる人間など存在しない。それは千術姫たるファルラーダも同様。ダークスーツの胸元が縦に裂かれ、ネクタイが消し飛んだ。通信機能も破壊され、ミアリーゼとの通信手段を失う。
「クッソがぁッ、何処のどいつだ! 嘗めた真似しやがったのは!!」
スーツのジャケットが破れたばかりか、貴重なバトイデアを破壊されるという失態を犯したファルラーダは、屈辱に顔を歪ませながら怒号を張り上げる。
爆炎を上げながら墜落するバトイデアから飛び降り、荒れた地表へ華麗に着地する。ミアリーゼとは連絡不可能且つ、一時的とはいえ航空戦力を失った事実は、フリーディアの勢いを削ぐには充分。
「ち、追尾弾でもないただの魔弾が曲がるなんて予想できるかよ。それに何だ、あの得体のしれないフリーディアは?」
どんな生物も勝利を確信した瞬間は、どうしても脇が甘くなる。しかも、数多の手数を持つファルラーダすら知り得ない特異な魔術武装の存在。それを操る少年とは面識はないが、感じる魔力と意志の力は脅威だ。
「――あんたが、グランドクロスだな? 本当、巫山戯た魔力だ。おかげで直ぐ居場所が分かったよ。
これ以上好き勝手はさせない、俺がこの手で止めてやる!!」
エレミヤたちの乗る馬車を庇いながら、真っ直ぐにファルラーダを見据えるユーリ・クロイスは、臆することなく戦意をぶつけていた。
◇
「ミアリーゼ様! クリスフォラス卿が単身中央部隊を突破したとのことです!」
「分かりました。穴の空いた敵部隊に陣形を立て直す時間を与えないようにしてください。
エルフの地形操作魔法は未だに脅威です。自律型千術魔装機兵を上空援護に回して、敵を牽制させます」
「仰せのままに!」
カレウム鉱山に設営された駐屯地、司令室内にてミアリーゼ・レーベンフォルンの指示に従い、フリーディア兵士が通信機器を駆使して迅速に対応していく。圧倒的不利な状況から見事に逆転してみせたミアリーゼとファルラーダの手腕には、感服せざるを得ない。
しかし、当のミアリーゼ本人は、ファルラーダに頼り切りの戦術になってしまっていることを猛省していた。もし彼女がいなければ、逆転などできなかっただろう。
ファルラーダは、イリスに難なく勝利したが、戦術の面だけで見れば、ミアリーゼはエレミヤに完敗している。
「エレミヤ、あなたには申し訳ないことをしたと思っています。ですがこれは、盤面上の勝負ではなく戦争です。私は戦争を忌避しますが、必要とあらば手段として用います。誰も傷付かずに戦いを終わらせる、などとはもう申しません。
生きるために殺す。そう、殺すとは生きること。私たち人間も、あなた方異種族も、それは変わらない……例え汚泥に塗れたとしても、その心に宿る意志は決して消えはしません!」
ファルラーダと共に人間の懐く様々な感情を知ったミアリーゼは、以前のような甘さは存在しない。より洗練された彼女の総てを包み込む女神のごとき佇まいは、カリスマという名を持って人々を魅了している。
間もなく戦争は終わる。大将首を獲り、ドワーフ国を堕とせば、ミアリーゼ・レーベンフォルンは真に人類を導くに相応しき象徴となることだろう。
その後は、ファルラーダと共に首都エヴェスティシアへ帰還し、瓦解した統合連盟政府を立て直す。兄であるグレンファルト・レーベンフォルンと協力すれば、より強固な体制が整うだろう。
やるべきことは山程ある。軍備改革、内部分裂の抑圧にテロリストの殲滅。
デウス・イクス・マギアの後継者に相応しき資格を得たミアリーゼだが、天命を全うするまでに終わるのかどうか……。
一代で終わらないのなら、次代へその宿命を託す他ない。
そのためには結婚し、子を儲けることが一番の近道であるが、ミアリーゼ本人は未だに悩んでいる。好きでもない男性と婚儀を結ぶなど以ての外。そんなことをすれば、ファルラーダに対する裏切りになってしまう。
ミアリーゼが本気の本気で想いをぶつけたからこそ彼女は応えたのであって、そこに嘘を挟み込むなど論外。となると、結婚相手はミアリーゼが本気で愛した男性ということになるが――。
「ユーリ様……」
ユーリ・クロイス。どうしてだろう? 結婚について考えると、頭に浮かぶのは彼のことばかりだ。ユーリは撤退したのか? 無事なのか?
「私の声は、あの方にも届いたのでしょうか?
どうか無事であることを願います。この戦争が終わったら、真っ先にあなたのもとへ駆けつけますわ」
信じてる。ユーリ・クロイスが無事であることを。そして再び邂逅した暁には、共に未来を歩もうと手を差し伸べよう。そう思った矢先、事態は信じられない方向へと動き出す。
「――大変です、ミアリーゼ様! クリスフォラス卿のバトイデアが、敵に撃墜されたそうです!」
司令室内にいる二十代前半とおぼしき若い男性フリーディア士官が、戦況の異常を察知し、慌てた様子でミアリーゼへ報告した。
「そんな……ファルラーダ、聞こえていたら応答してください!」
『…………』
ミアリーゼは、すぐさま携帯端末機を用い、ファルラーダへ呼びかけるも応答がない。空間が軋む程の魔力は未だ健在のため、戦闘不能に陥ったわけではないと分かるが、事態は予期せぬ方向へと動き出していることを予感する。
「ファルラーダは、エレミヤを追っていた筈。どなたか、詳しい状況が分かる方はいらっしゃいますか?」
「申し訳ありません。現在、クリスフォラス卿が単独で先行しすぎているため、遠目にしか判断が付かず、誰と戦っているかまでは……」
統合軍士官の言う通り、ファルラーダは現在単独で敵指揮官を討つべく行動している。彼女の力は、先の戦闘で充分すぎる程に伝わっている。イリスという最高戦力を退けた今、エレミヤにはもう手駒は残っていないと思っていたが――。
「思わぬ伏兵が潜んでいたようですが、私たちの目的に変わりありません。エレミヤはファルラーダに任せて、兵士の皆様の撤退を急がせてください」
「仰せのままに!」
戦勝は変わりない。けれど胸がざわつくような不安が消えてくれない。徐々にだが、歯車が狂っていくのを感じる。
父の死、統合連盟政府の瓦解。そしてこの大戦――これら全てが誰かの描いたシナリオ通りだとするのなら。
"俺はお前たち人間の全てを知っているが、お前たちが俺の真実に辿り着くことはない。
せいぜい抗って、俺たちを楽しませてくれよ? 勝ちの決まったゲーム程つまらねぇものはねぇからな!"
反政府組織ルーメンの主犯格――ナイル・アーネスト。素性不明のあの男の影が、脳裏にチラついて離れない。
運命は人知れず、残酷にミアリーゼの望まぬ方向へと動き出していく。
姫は未だ気付いていない。ナイル・アーネスト、グレンファルト・レーベンフォルン、テスタロッサ、そしてシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーの思惑が絡み合い、それぞれの魔の手が忍び寄っていることも。
大切な幼馴染であるユーリ・クロイスが、現在ファルラーダ・イル・クリスフォラスと相対していることも。
世界はミアリーゼの思い通りになんて動いてくれない。それすらも知らずにいる彼女は、ただ前を向いて理想へと突き進む他なかった。