第134話 宿る灯火
この戦争が始まってからずっと――いや、それ以前からシオンには分かっていた。どれだけ覚悟を決めようとも、所詮自分は足を引っ張ることしかできないのだと。
現実は、物語のように都合良く奇跡なんて起こしてくれない。シオンが死ぬ気で励んだ修業など、所詮付け焼き刃。神遺秘装の領域まで至るなんて夢のまた夢。
エレミヤの護衛という重要なポジションについていたシオンだが、本当ならもっと相応しい者がいるはずだ。エレミヤたちが気を遣ってくれたのだと悟り、余計に悔しさを募らせる。
シオンは以前、大きな失敗をした。自分勝手に行動を起こした際に起きたアルギーラでの惨劇は、記憶に新しい。
同胞を殺した罪だけが消えずに、ずっとシオンを苛み続けている。
シオンは、ずっと考え続けてきた。この命を使う場面があるとすれば、どこなのかと。
「ユーリおにーちゃん……決めたよ、シオンの命の使い道」
ファルラーダ・イル・クリスフォラス専用魔術武装――自律型千術魔装機兵に殴りかかったシオンは、大好きな兄へ想いを馳せる。
「――シオォォオオオオッーーン!!!」
馬車から飛び降りたシオンの背後から、サラたちの悲痛な叫びが聞こえてくる。けれど振り向かない。今はただ、目の前の敵を全力で倒すことだけに意識を注ぐ。
《敵ビーストの乱入を確認。排除行動に移ります》
拳は命中したが、威力が足らず、千術機兵を仰け反らせただけ。両腕に展開された高周波魔力ブレードが、うねりを上げてシオンへと襲いかかる。
「させないもん!」
シオンは、玉砕覚悟で千術機兵の両手首を掴み取る。高周波魔力ブレードの熱で両肘の皮膚が焼け爛れるも、決して離さないと踏ん張った。
「こんなの、同胞が受けた痛みにくらべたら、ぜんぜんヘッチャラだもん!!
おまえだけは、ぜったいにシオンがたおしてみせる!!」
守るべき馬車を背に、シオンは身を僅かに引いた後、そのまま勢いを乗せ、渾身の頭突きを千術機兵へ叩き込んだ。
額がバックリと裂け、血が噴き出るが、気にしない。シオンは持てる全ての力を込めて、再び頭を振り下ろす。
「こんのぉぉぉおおおおッッ」
ガギィィン、という甲高い金属音が響き渡るも、破壊には至らない。しかし、ほんの僅かにだが、自律型千術魔装機兵の装甲に亀裂が奔る。
千術機兵は、背部にあるスラスターユニットを駆使してバーニアを吹かしながら空中を動き回り、シオンを引き剥がそうとする。だが彼女は決して両手を離さず、必死に食らいついていく。
「ダメ、シオン!! 今すぐ逃げてぇッッ!!」
そんなシオンと、自律型千術魔装機兵の戦闘を見ていることしかできないサラは、涙を流し叫ぶことしかできずにいる。
今戦える者は、シオンだけ。魔力の尽きたサラが援護に出ても、足を引っ張ることしかできない。皆、それを分かっている。
エレミヤ、ミグレット、オリヴァー、サラ。四人にできることは、シオンの勝利を信じることだけ。
「泣かないで、サラおねーちゃん。シオンは今、すごくむくわれてるんだよ」
「シオン!」
尚も千術機兵にくらいつくシオンの表情は、どこか満足げで、仲間を守れていることに誇りすら懐いていた。
三発目の頭突きを叩き込むと、ついに外装が剥がれ落ち、複雑な機械の回路が顔を覗かせる。
「それ、鎧じゃなかったんだね。どうりで心を感じないと思ったよ。なら、えんりょなんていらないよね」
名も無い機械へ向け、どこか憐れみの視線を向けるシオン。きっとこの機械は、シオンのように誰かを守ろうなどとは考えていないのだろう。ただマスターの命令に従うだけ。疑問を懐かず、決して裏切らない無敵の兵隊。
確かに凄いと思う。それを操っているファルラーダ・イル・クリスフォラスの怒りが、シオンにも伝わってくる。
グランドクロス=シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーの汚泥のような漆黒の闇とはまるで正反対の、恒星のような激しい輝き。同じグランドクロスでも、ここまで特色が違うのならさぞかし相性が悪いことだろう。
「ファルラーダおねーちゃん、そしてミアリーゼおねーちゃん。あなたたちの心はすごいよ、どこまでも真っ直ぐで聞いてただけのシオンにも伝わってきたもん。だけど――」
ミアリーゼ・レーベンフォルンとファルラーダ・イル・クリスフォラスの参戦は、確かにフリーディアに光明を齎し、勝利へと導いた。
「なんでだろう……全然うらやましいって思えない。ユーリおにーちゃんのときみたいな暖かさを感じないの。
あなたたちの心は、シオンにはまぶしすぎるよ」
ユーリ・クロイス、そしてミグレットからもらった暖かな一筋の光。ちっぽけで、周りは真っ暗闇のままだけど、シオンにはそっちの方が好ましく思う。
例えるなら、ミアリーゼたちの淹れる舌が焼けるほど熱いミルクよりも、ユーリの願うどこか心地の良い、ホッとする温かさのあるミルクを飲む方が、シオンにとっては幸せなのだ。
「だから、この戦いでシオンがしょうめいしてあげる。ダニエルおにーちゃんが見せてくれる。まだ終わりじゃないんだって、ユーリおにーちゃんのめざしたり理想の火は消えてないって!」
シオンは、憐れな意志なき自律型千術魔装機兵へ向け、止めの頭突きを放とうとしたその瞬間――。
《敵ビーストの脅威度を再計算……脅威度修正。システム自動修復開始……》
「!?」
そんなシオンに向けて、最後の抵抗とばかりに、千術機兵が胸部ハッチを開く。その中から、コインほどのサイズの小さな口径が、四門出現する。
機械音声と共に照準されたシオンだったが、ここまで来て逃げるつもりは更々ない。それなら、撃たれる前に仕留めればいいだけの話。
「あぁぁぁああぁぁああああッッーーー!!」
《発射》
自律型千術魔装機兵の胸部から、無慈悲に放たれようとする四砲の魔弾。対するシオンも、全身全霊を込めた頭突きを繰り出そうとした瞬間――。
――緋紅剣・荒薙!!
突如として彼方より飛来する紅色の剣閃。血濡れた鴉の濡れ羽を思わせる軌跡は、自律型千術魔装機兵の頭部を容易く貫いていく。
《――――ジジッ》
刹那、ドゴォォンッ! という轟音と共に、千術機兵の頭部が爆発炎上した。
流石に頭部を破壊されてはどうしようもないのか、千術機兵はそのまま崩れ落ちるように地表へ墜落していった。
「………え?」
何が起きたのか分からず呆けたまま、地表へ落下していくシオン。その身体にドンッ! と、衝撃が奔り、誰かに受け止められたのだと分かった。
「――あ゙ーーー!!! ようやく追いついたわ!! シオンちゃん、無事?」
シオンを危機一髪のところで救ったのは、真紅の髪を靡かせたフリーディアの少女。
「アリカ、おねーちゃん」
――アリカ・リーズシュタット。
戦争を終わらせるために、一人で両陣営を相手に尽力していた彼女は、見るも無惨なボロボロの姿で颯爽と登場したのだ。
「私も人のこと言えないけど、ボロボロね。小さな女の子がこんなになってまで頑張ってるのに……」
アリカとは以前敵として戦ったことがある、時間もあまりなくきちんと話をすることは叶わなかったが、ユーリと同じ温かさに満ちた優しい手つきでシオンを抱えながら頭を撫でる。
「うぅ……アリカおねーちゃん!!」
「よしよし、怖かったわね。こっちを優先して正解だったわ、本当」
恐らくアリカは、ダニエルとファルラーダの戦闘に介入するより、シオンたちの方が危険だと判断したのだろう。事実その通りで、急死に一生を救われたのだ。
「アリカ!」
馬車はスピードを落とし、扉からオリヴァーが身を乗り出し手を伸ばす。アリカは躊躇なくその手を取り、シオンと共に馬車の中へと駆け込んだ。
「「「シオン!!」」」
エレミヤ、サラ、ミグレットは帰ってきてくれたシオンの身体を思いっきり抱きしめた。
「ごめんなさい……シオン」
「ううん、こっちこそごめんね。シオンが無事で良かったよぉぉぉー」
サラは泣きじゃくりながら、シオンの無事を安堵する。まだ事態が解決したわけではないが、危機を乗り越えたことに希望の灯火が湧いたのだ。
そして、向かい合うオリヴァーとアリカ。当初は険悪だった両者だが、今はそんな雰囲気は欠片もなく。
「アリカ、今回ばかりは君に救われた。本当にありがとう」
「少し見ない間に、随分殊勝な態度になったものね。吹っ切れたのはいいけど、こっちとしては違和感凄いし、気持ち悪いったらないわ」
「何だと!? 人がせっかく素直に礼を言ってやったというのに!!」
アリカとしては、自分の預かり知らぬ間に吹っ切れたオリヴァーに対して、違和感しか感じないのだ。事情は何となく察するが、急に改まった態度を取られても困ってしまう。
はいはいとあしらいながら、アリカは気絶して眠っているナギを見やる。
「ほら、ナギ! みんなが頑張ってんのに、何を呑気に寝てんのよ!」
乱雑にナギの頭を叩いたアリカ。
「「「ちょっ、えぇぇぇえぇぇっーー!?」」」
エレミヤが治癒したとはいえ、余談を許さない状況のナギに、それはあんまりじゃないかと一同が声を上げるも。
「――うるさい……。言われなくても、分かって、る」
「「「ナギ!」」」
アリカに負けたくないのか、気力を振り絞って意識を取り戻したナギに、エレミヤたちは安堵の声を上げる。
こうしてエレミヤ、ナギ、サラ、シオン、ミグレット、オリヴァー、アリカ。志を同じくする者たちが集まったわけだが、皆魔力が尽き果て、まともに戦える状態ではない。
イリスやダニエル、エルフ、ドワーフの安否が気にかかる彼女たちだが、そこへすかさず憤怒の魔力が襲いかかる。
「――まさか、あんな手負いの奴らに自律型千術魔装機兵が破壊されるとはな。
本当ならお前たちの気持ちに応えてやりたいがすまない、私には果たすべき使命があるんだよ! だからぶち殺す、ようやく追いついたぞ、エレミヤッ!!」
グランドクロス=ファルラーダ・イル・クリスフォラス。
ダニエル・ゴーン含めた種族連合が総出で彼女を抑えてくれたにも関わらず、依然として無傷のまま空鱏を駆り、猛スピードで追いかけてくる。
「く、ファルラーダ・イル・クリスフォラス!」
エレミヤは焦りを滲ませ、車窓から迫りくるファルラーダを強く見据える。
シオンとアリカが命懸けで窮地を救ってくれたにも関わらず、そんなものどうしたと容赦なくぶち壊してくる。ファルラーダの行動は、一貫してエレミヤの抹殺。脅威となる神遺秘装の殲滅だ。
「最早、邪魔をする者は誰もいねぇ。ダニエルも、異種族共も全て潰した。魔力の尽き果てた貴様らに抗う術はない! 今度こそ終わりだ、エレミヤ!」
そう。最早、エレミヤたちにファルラーダの砲撃を防ぐ手立てはない。未熟な魔法障壁など一瞬で砕かれてしまうだろうし、避けるなど以ての外。
だけど、それでも。この場で諦めているものは誰一人としていない。ナギやアリカ、サラ、ミグレット、シオン、オリヴァー。皆歯を食いしばって、決して最後まで諦めないと強い視線をファルラーダへ向ける。
そして、エレミヤは――。
「……リ――ユーリィィィィッッーーー!!!」
心に浮かんだ一人のフリーディア。初恋の男の子の名を叫ぶ。未だこの戦場に現れていないが彼ならば、きっと――。