第133話 師弟
ファルラーダ・イル・クリスフォラスの弟子であったことは、ダニエル・ゴーンにとって数少ない誇りの一つだ。
スラムで朽ち果てる筈だったこの身を救い、生きる術を与えてくれた恩師であり、誰よりも強く、気高き高潔な心を持つ人物。それがダニエルにとってのファルラーダだった。
約十年振りの再会になるが、師は何一つとして変わっていない。グランドクロスとなった経緯は分からぬが、フリーディアのために死力を尽くし貢献してきたことは明白。
感謝こそすれ、武器を向けるなど以ての外。だというのに、ダニエルの心に後悔はない。多分、分かっていたのかもしれない。彼は、顔も知らぬフリーディアのために意思を貫き通すことができない。
ファルラーダの生き様に憧れを懐いているだけで、理想にまで心酔しているわけではないのだ。
その心を見抜いていたからこそ、ファルラーダはダニエルへ自身と同じ道は歩むなと言葉を強く念押ししたのかもしれない。
互いに同じ道は歩めない。いつか必ず相対する時が来る。予感は現実となり、再び対峙する結果となった。
「感慨深いな。テメェの覚悟が、ひしひしと伝わってくる。その顔の入れ墨、クリスフォラス家の家紋だろ? 私は誇りに思うよ、自分で無くしたものだが、その想いはきちんと受け継がれている」
「姉御……」
そう言いながらも、ファルラーダの攻撃には容赦がない。ダニエルは、今にも崩壊しそうな重盾鉄鋼を必死に抑えつけながら、師の言葉を胸に刻んでいく。殺し合いの最中だというのに、胸から湧き上がる熱い感情をどうしてくれようか。
「姉御、あんたは暴力しかなかった俺に力の使い方を教えてくれた。クリスフォラス家に向かい入れてくれて、様々な道を示してくれたことも!
あんたが……あんたがいたから今の俺がある。全部あんたのおかげだ!」
敵として対峙しても尚、その気持ちは変わらない。スラムの暴漢から救ってくれた彼女の姿は今でも目に焼き付いている。
今こうして生きていられるのは全てファルラーダのおかげなのだ。師から教わった心の在り方は微塵も損なわれていない。
誰かのために、命すらも燃やせるその心こそが――。
「俺は親友の未来のために、この忌まわしき暴力をぶつける! あんたに、あいつらを殺させやしねぇ。俺の大事なもん、全部守ってみせる!!」
オリヴァー・カイエス、アリカ・リーズシュタット、ユーリ・クロイス。ひょんな事から同じ部隊に配属されたが、ダニエルにとっては家族も同然の存在となった。
ファルラーダ・イル・クリスフォラスを前にしても、その気持ちは変わらない。
「そうか。知らねぇ内にデカくなりやがって。遠慮はしねぇぞ? 本気で私を止めたくば、気張って掛かってこいッ!!」
「いくぜ、姉御ッ!!」
その言葉と同時に、ダニエルはファルラーダ目掛けて重盾鉄鋼をブーメランのように投げつけた。
回転しながら飛来していく巨大な盾を前に、ファルラーダは動じることなくバトイデアを操り、回避していく。
「!?」
しかし、次の瞬間高速旋回し、再びファルラーダ目掛けて飛んでくる重盾鉄鋼。
「ふんッ、ぐぐッぁぁぁぁッ!!」
かなり無理をしているのか、額に筋を浮かべながら鼻血を垂れ流して踏ん張るダニエル。重盾鉄鋼を遠隔操作するのに、四苦八苦している様子だ。
「無理すんなよ、そいつは本来守ることに特化した代物だろ? そんな使い方してたらすぐにガタがくるぞ?」
「へ、そんなの百も承知さ。別にあんたを倒せなくても、オリヴァーたちが逃げる時間を稼げりゃいいのさ」
「なるほどな、私を倒すでもなく、足止めするためだけに命を投げ出そうって腹か」
エルフ兵士たちから放たれる援護魔法を難なく回避しながら、ファルラーダは遠目にある豪奢な馬車に乗っているエレミヤたちの姿を捉える。
「逃さねぇよッ! 撃ち抜け、千術魔銃!!」
ファルラーダの手に再展開された千術魔銃が、火を吹いて馬車へと襲いかかる。
「あんたの相手は、俺だって言ってんだろ!!」
千発の魔弾からエレミヤたちを守るべく、ダニエルは渾身の力で重盾鉄鋼を操り、走り出した馬車を守っていく。
ダニエルの守りたいという想いが更なる奇跡を呼び起こす。重盾鉄鋼はただ防ぐだけではなく、魔法を磁力のように引き寄せたのだ。
ファルラーダが放った千の魔弾が全て重盾鉄鋼によって虚しく引き寄せられていく。千術姫はその光景に舌を巻きつつ、躊躇なく再度千術魔銃を解き放っていく。
「ちっ、これだから特化型は面倒くせぇ!
自律型千術魔装機兵、あの馬車を追え! 絶対に逃がすな!!」
《了解、マスター》
ファルラーダの指示を受け、猛スピードで馬車へと向かっていく四機の自律型千術魔装機兵。
「させっかよッ!!」
ファルラーダの魔弾を防ぎながら、手の空いたダニエルは、魔術武装の展開によって恩恵を受けた身体強化スキルを駆使して自律型千術魔装機兵へ殴りかかっていく。
拳が直撃した瞬間、激しい衝撃音と共に自律型千術魔装機兵の装甲に亀裂が入る。
「はは! まさかの素手かよ! 相変わらず無茶苦茶な野郎だ」
奇跡の恩恵を授かった今のダニエル・ゴーンは、ファルラーダに匹敵する身体能力を得ている。しかし、彼の肉体はその強大な力に耐えられるよう作られていない。
当然負荷の方が大きく、拳が大きく裂け、血が噴出する。
「火事場の馬鹿力……魔術武装を遠隔操作するだけでもキツいだろうに、私の魔弾を防ぎつつ更に自律型千術魔装機兵すらも相手にしてみせるとはな。
あの頃はあんなに小さかったクソガキが、ここまで立派に育ったことに感慨を覚えている」
感心したように呟きつつも、ファルラーダの攻撃の手は一切緩まない。寧ろ加減などしようものなら、命を賭けて戦っている弟子に失礼だ。
「うぉぉぉおぉォォォォォッーー!!!」
絶望的状況下にも関わらず、ダニエルは決して諦めることなく、自律型千術魔装機兵相手に、忌まわしき暴力を以て果敢に挑んでいく。
「守る、絶対に守ってみせる!!」
それが、ダニエル・ゴーンに残された最後の責務。元クリスフォラス家の一員として今度こそ、役目を果たす。彼は、オリヴァーとサラに未来を託した。
だから、きっと―― 。
◇
「――ダニエル!!」
馬車の車窓から身を乗り出しながら、親友の名を叫ぶオリヴァー・カイエス。出血が酷く、途中で気絶してしまっていたが、エレミヤによる迅速な治癒スキルのおかけで一命を取り留め、無事に意識を取り戻した。
時間が足らず、止血だけに留まったが、それでもオリヴァーとしては充分だった。
しかし、状況は深刻だ。同乗するサラから事情を聞き、ダニエルがファルラーダ・イル・クリスフォラスを止めるために戦っていることを知り、自分も戻って戦うため、馬車から降りようとしている。
「オリヴァーくん、その状態じゃ戦うのは無理だよ! 必死に私たちを逃してくれてるダニエルくんの想いを無駄にしないで!!」
「サラ、だけど!!」
オリヴァーとサラは、既に魔力が尽き果てており、戦える状態ではない。そんな状態で戦場に戻ったところで、足手まといになるだけだと、サラは必死になってオリヴァーを引き留めようとする。
「マズいです、エレミヤ! 敵が一機包囲網を突破してこっちに向かってきてるです、こんちくしょう!!」
オリヴァーの反対側の車窓から外の状況を見ていたミグレットが、慌てた様子で同乗するエレミヤに告げる。
《エレミヤと複数の魔力を発見、速やかに排除します》
追いすがる一機の自律型千術魔装機兵から無機質な機械音声が放たれる。
今馬車の荷台にはエレミヤ、ミグレット、オリヴァー、サラ、シオン、眠ったままのナギが乗っている。
人数が多い分、荷台は余裕のある広さでなければならず、思った以上にスピードが出せずにいる。
そんなエレミヤたちを守るため、種族連合は全神経を注いでファルラーダの魔術武装に抗っている。
本当ならオリヴァーと同じく馬車から飛び降りたい衝動を必死に抑えつけながら、エレミヤは残った微かな魔力を総動員し、応える。
「今の私にだって、魔法障壁くらい使える! 最後まで絶対に諦めないわ!!」
迫りくる自律型千術魔装機兵が容赦なく銃口を向け、魔弾の雨を降らせていく。
エレミヤは慣れない動作で魔法障壁を展開し、何とか魔弾を凌いでいくも――。
「「「「あぐぅぅううううッッッ」」」」
その衝撃は凄まじく、馬車の荷台が激しく揺さぶられる。
「クソッ、薔薇輝械が使えれば、あんな攻撃ッッ!」
オリヴァーに残された手は、命を代償に魔力を引き出す制限解除を使用する他ない。
やれなくはないが、もし仮にランディ・カイエスの時のように内側から魔力が暴発しては、元も子もない。それではダニエルが命を張ってファルラーダを止めてくれている意味がない。
けれど、このまま逃げ切れるはずもなく、誰か一人が犠牲になって自律型千術魔装機兵の足を止めねばならない状況に追い込まれてしまっている。
「くそぅッ、何で自分はこんな時に戦えねーですか、こんちくしょう!!」
ミグレットが己の無力さに打ち拉がれている。彼女だけじゃない、エレミヤやサラ、もちろんオリヴァーだって同じ気持ちだ。
己がもっと強かったら、こんな状況になど陥っていない。何で、自分たちはこんなにも弱いのだろう?
「く、こうなったら私が足止めを――」
サラが覚悟を決めて、馬車の扉を開こうとした瞬間――。
「えぇえぇぇぇッッい!! スキル・あくせる!!」
「「「「なッ!?」」」」
これまで沈黙を保ち、ナギに寄り添っていたシオンが勢いよく馬車から飛び出したことに、一同驚愕の声を上げる。
加速スキルを用いて、自律型千術魔装機兵目掛けて殴りかかるシオンの表情は、鬼気迫るものを感じる。
「シオンはようやく見つけた! ここが……ここが命の使いどころなんだ!! シオンの命は今、ナギおねーちゃんたちを守るためにあるんだぁぁぁぁああああッッーーー!!!」
ずっと皆の足を引っ張り続け、置いてけぼりだった一人のビーストの少女は、ついに己の為すべきことを見つけたのだった。