第129話 千術 VS 終滅 前編
『――お願い、イリス! もうあなたしかいない!! 今すぐファルラーダ・イル・クリスフォラスを倒さなければ手遅れになる!!』
「承知しましたエレミィ!」
魔信機から放たれるエレミヤの切羽詰まった声音に呼応したイリスは、戦場を駆け抜ける。
ファルラーダ・イル・クリスフォラスの排除を最優先に。ここに来て様子見は必要ない。全力で終滅剣をぶつけるしかない。
『ファルラーダ、恐らく彼女が敵の主力です! 絶対に突破させてはなりません! 何としてでも抑えてください!』
「ハッ、仰せのままに!!」
対するミアリーゼも、報告からイリスの持つ終滅剣の恐ろしさは把握済み。イリスは、ファルラーダを唯一倒し得る可能性がある相手。
『『つまり、この戦いを制した者が、戦争に勝つ!!』』
種族連合最強の騎士と、フリーディア最高戦力の激闘。最早、両陣営出し惜しみなどしていられない。
「終われ!!」「死ね!!」
無法の剣と、無限の魔力が互いの主の命を果さんと激突する。それはまるで神話の一頁を切り取ったかのごとき光景である。
空鱏の砲身が接近するイリスの姿を捉え、容赦なく火を吹いた。巨大な光の柱が一直線に突き進み、種族連合の兵士ごと呑み込まんと迫りくる。
「無駄です!」
イリスは、躱す素振りすら見せず、そのまま光の奔流へ突撃し、刺突を放つ。終滅剣に触れた空鱏の魔法砲撃は、虚しく空に溶けていく。
「……無効化、ではないな。それに吸収でもない。触れるだけで死を与えているのか?」
ファルラーダは勢いのままに空中へ駆け上がってくるイリスを見据え、冷静に対処するべく空鱏の高度を上昇させる。
未だ底の見えぬ終わりの剣を相手に、無闇に突っ込むほど戦脳ではない。エルフが空を飛べないことは先の戦闘で把握済み。
「土法・岩星群!」
しかし、イリスはその不利を覆す手段を持っている。土属性魔法によって無数の岩石が突如として空中へ出現する。空そのものが一種のデブリ帯と化し、視界を埋め尽くす程の岩々が宙を漂う。
それらの岩石は様々な形状、大きさを持ち合わせ、乱雑に絡み合っている。空を埋め尽くす程の彩雲と化したデブリ帯は、地上から見るものにとって壮大なる絵画のごとく映り、そこから感じる壮絶な戦闘の規模に戦場全体が息を呑む。
当然、空鱏の進行方向上空にもデブリは展開され、ファルラーダの地の利を奪っていく。
「邪魔だゴルァッ!!」
ファルラーダは千術魔銃を構え、千にも及ぶ魔弾を一斉に解き放つ。
撃ち落とされた岩石は、まるで隕石群のように地表へと落下していく。さらに高度を上げるファルラーダだが、その逃げ場を阻むかのように再び岩石群が出現する。
「チッ、キリがねぇな! そんなに接近戦がご希望かよ、愚物が!!」
徹底的に地の利を奪うイリスの戦法に舌を巻きながら、ファルラーダは千発に及ぶ魔弾の雨を容赦なく降らせていく。
「くっ」
まるで無重力地帯のごとく空中を漂う岩石と岩石の間をイリスは駆け抜け、千術魔銃から繰り出される魔弾を終滅剣で打ち払っていく。
「攻めきれないッ、あれだけの数の魔法を放って消耗すらしていないとは!」
距離は徐々に近付いているが、如何せん手数が多すぎてイリスは攻め切れずにいる。ファルラーダ・イル・クリスフォラスに魔力切れという概念はない。イリスは攻め手を変えなければジリ貧となってしまう。
現在イリスは終滅剣の発動に加え、空中のデブリ帯を維持するのに全神経を注いでいる。他の魔法を放つ余力はなく、焦りばかりが募っていく。
こんな筈じゃなかった。エレミヤやナギたちほどユーリに思い入れがないイリスは、フリーディアを滅ぼすことなど造作もないと思っていた。万が一が起きても、神の恩恵を一身に賜る神遺秘装の力でどうとでもなる。
実際戦争が始まってからは、終始種族連合側が圧倒しており、敗戦後のフリーディアをどうするのかなどと起きてもいない未来のことばかり考えていたのだ。
だが現実はどうだ? ミアリーゼ・レーベンフォルンと名乗る指揮官と、フリーディア最高戦力のファルラーダ・イル・クリスフォラスが現れてから状況が一変し、一気に不利に追いやられた。
エルフの存在など霞むほどの強大な魔力。相対する今も、一切衰えることなく世界を圧殺せんと空間が犇いたまま。
何故、神の恩恵を受けていないフリーディアが、これ程の力を持つのか? 何故、イリスは圧されているのか?
「どうしてッ!!」
決着は付いていないにも関わらず、強者としての格で劣っていると感じてしまった。グランドクロスは称号――彼女個人を指す単語じゃない。ともすれば、これだけの力を持つ者が他にも存在するというのか?
「…………」
焦燥感を露わにするイリスに対し、ファルラーダは終滅剣の特性を冷静に分析していた。
どうすれば終滅から逃れることができるのか? 対抗策を編み出すまで迂闊に攻撃はしない。とにかく相手の土俵に上がらないことだけを意識する。急く必要など微塵もない。むしろ長期化するほど、フリーディアが有利。
イリスは焦るあまり、剣筋に雑味が出てしまっている。ファルラーダが放つ魔弾を相殺するので精一杯。一発一発終滅されていくたびに情報をアップデート。
そして――。
「解析した。その剣、触れた万物の構造を書き換え量子分解させる性質を持つようだな」
「な!?」
ファルラーダから放たれた言葉に、イリスは驚愕を浮かべる。というより言葉の意味が理解できていない。
「つまり量子の操作、それが貴様の持つ奇天烈な剣の能力というわけさ」
「戯言を!」
何故かは分からないが、これ以上ファルラーダの口を開かせてはいけない。そんな焦燥感に駆られながら、イリスは迫る魔弾を迎撃していく。
「終滅剣は、万物すべてを終わりへと導く剣です!!
不変不滅の神が、自決するために編み出した神遺秘装を、奇天烈などと呼ぶな!」
イリスの咆哮が爆ぜ、ついにファルラーダを眼前に捉える。終わりの剣を前に、空鱏の上に立つファルラーダに焦りはない。むしろ理解できない者を見るように、イリスへ侮蔑の視線を向けていた。
「ハッ、妄想も大概にしろ。世界に意思なぞあるものかよ。神にしろ所詮は異種族の生み出した偶像にすぎん」
「ッッッ」
ファルラーダの口から放たれた侮辱ともいえる一言に、イリスは激怒した。統合連盟総帥エルヴィス・レーベンフォルンもそうだったが、フリーディアは余程エルフの誇りを穢すのが好きと見える。
一切の躊躇なく放たれる終滅の剣閃を前に、ファルラーダは顔色一つ変えずに、パチンと指を鳴らした。
「なッ!?」
瞬間、あらぬ方向から魔弾が射出され、慌てて飛び退き、回避行動に移る。結果としてファルラーダは討ち損じたが、あのまま斬りかかっていたら魔弾の餌食となっていただろう。
「魔術武装――自律型千術魔装機兵。
油断すんなよ? どこから魔弾が飛んでくるか分からねぇぜ?」
「くッ」
地表にいるファルラーダ専用魔術武装から放たれた無数の援護射撃。種族連合を相手にしつつも、マスターの支援を行う余裕を見せている。
「別に近づかなくてもそれ当てられるだろ? 下にいるお仲間を気遣ってんのか知らねぇが、そんな余裕が貴様にあるのか?」
「言われなくてもそれくらい分かっています!」
四方八方に空中に漂う岩星群の上を移動し、下から迫りくる支援射撃を避けながら、イリスは言葉を返す。
「私は、あなたたちフリーディアが気に入りません!」
「あ?」
唐突に放たれたイリスの言葉に、ファルラーダは首を傾げる。
「何故、あなたたちは世界の意志を否定する!? 何故、神が偶像だと言い切れるのですか!?」
イリスの爆ぜるような声と共に、終滅剣から放たれた衝撃波が、ブォオンッ!! と、うねりを上げてデブリ群ごと空間を斬り裂いた。
ファルラーダはバトイデアを駆り、迫る斬撃波を難なく躱す。そして終わりを迎えたデブリ群に不自然な孔が空いた。
「答えなさい、ファルラーダ・イル・クリスフォラス!! あなたが神を否定するその根拠は何なのですか!!」
悲鳴にも似たイリスの叫びに、ファルラーダは鬱陶しそうに顔を歪める。
「さっきから、ピーピーうるせぇんだよ、狂信者がッ!
言った筈だ、神など偶像に過ぎんとな。順序が逆なんだよ愚物、神が貴様らを生み出したのではない――貴様らの祖が、勝手に何処かの誰かを神に仕立て上げ、崇拝してんだよ」
「!?」
「要は知識があるか無いかの違いだ。貴様はこの世界がどうやって誕生したのか知っているか? 何故空は蒼いのか説明できるのか?」
「それは、神が創造した天が、蒼の神秘を体現しているからで……」
イリスは、ファルラーダの問いに明確な答えを提示することができず、途中で口籠ってしまう。
「ちなみに私は知っているぞ。空が蒼いのは、大気中に存在する窒素や酸素、魔素といった分子が、波長の短い蒼色光を散乱させるからさ」
「………」
理解できない。ファルラーダが放つ単語がどういう意味を持つのか、イリスには何一つとして分からない。
「これが知識がある奴と無い奴の差だ。世界の意志? 神? 自殺? 馬鹿馬鹿しい妄言にも程がある。
貴様ら異種族は、誰が作ったのかもしれん訳の分からん妄想話に踊らされているんだよ」
「そんなことッ!!」
「あるわけがないって? なら証明してみせろよ、世界に祝福されてんだろ? 亡き神の恩恵を授かってんだろ? その妄言が真実だとするなら、私に負ける筈ねぇよなッッ!!!」
言葉を終えると同時に、すかさず千の魔弾を放つファルラーダ。イリスは、すぐさま終滅剣を構え、魔弾を迎撃していく。
しかし、消滅した端から代わりの魔弾が襲いかかってくる。一度に千発しか魔弾を放てないファルラーダだが、次弾を放つのにインターバルは必要ない。
次々に襲いかかる千の魔弾を片っ端から迎撃しつつ、都度岩星群で足場を固めていかねばならず、その繰り返しによって徐々にイリスは疲弊していく。
「くッ、あの奇怪な魔術武装さえ墜とせればッ」
空鱏さえ無ければ、地形操作魔法を巧みに操りファルラーダを追い詰めることができる。一撃、一撃与えればそれが叶う。だというのに――。
「ふん」
圧倒的存在感を放つファルラーダに、勝つ術が見いだせない。衰えるばかりか、力を取り戻していくように、どんどん増していく重圧にイリスは戦慄するしかない。
「やはり、こんなものか」
と、ファルラーダは落胆し、神を信ずる狂信者を睥睨する。
「貴様を足止めし続ければその内勝てるだろうが、趣味じゃない。貴様は、私が手ずから、ぶち殺さねぇと自軍の士気に関わる」
「ッ」
千術姫――ファルラーダ・イル・クリスフォラス最大の強みは、無制限の魔力と圧倒的火力を誇る千術魔術武装を保持しているという点。
加えて最大の弱点は、あくまで意識は一個人故に、複数の魔術武装を同時に操ることができないということ。
自律型千術魔装機兵は例外として、空鱏、千術魔銃を繰るだけで精一杯なのだ。
新たな魔術武装を展開するには、一旦千術魔銃を解除するという手間が生まれる。
だから決め手にかけるのはファルラーダも同じで、彼女の場合、噯にも出していないだけである。
「私は、自分の弱点をよく理解している。人間として生まれた以上、必ず意識という隙間が介在する。
その弱点を補うために生み出されたのが自律型千術魔装機兵だ」
どれだけ絶大な力を誇ろうが、ファルラーダ・イル・クリスフォラスは人間。
対面するイリスも、それは理解している。意識が介在する以上、必ずどこかで綻びが生まれる。それは神遺秘装を扱うイリス本人が一番よく分かっているのだ。
だから、心があるからこそ、イリスは負けるわけにはいかない。世界で一番――心から信奉する神のためにも。