第126話 姫と姫巫女
戦場の舞台であるドラストリア荒野から、少し離れたカレウム鉱山地帯にある駐屯地。本作戦司令部として設置された室内で複数の男女が、卓を囲っていた。
机の上に置かれた端末を目に通しながら、一人の光を帯びた白髪の少女が、息をホッと吐く。そして鋭い視線を兵士たちへ向けて凛とした声で告げる。
「そういうことですので、皆様。現時点でダリル・アーキマン大佐、ダルトリー・アイマン中佐の指揮権を剥奪し、身柄を拘束してください。今後は私の指揮のもと動いていただきます。
アイマン副司令、あなたの無用な指揮で味方に要らぬ犠牲を強いたことをきちんと猛省してください」
ミアリーゼ・レーベンフォルン。新たに西部戦線の指揮官となった彼女は、容赦のない言葉を放つ。それに対し、兵に取り押さえられたダルトリーは沈黙を保ったまま、同意した。
「それで、肝心のダリル・アーキマン大佐はどこにおられるのですか?」
ミアリーゼは、憤怒を抱えたまま冷静に近くの兵士へ戦犯の居場所を問いかける。
「それが、戦場へ出て行ったきり応答がなく……。恐らく司令はもう……」
「分かりました。あなたは後方の補給部隊との連携を維持しつつ、迅速な対応をお願いします」
「はッ」
ミアリーゼの命令を受け、統合軍兵士の一人は速やかに退出していった。ダリル・アーキマンが胸の内に懐く野望など知る由もなく、また頓着すらせずに、ミアリーゼは今も戦っているだろう一人の少年へ想いを馳せる。
「ユーリ様……私、ようやくあなたに追い付けましたわ」
ユーリ・クロイス。兄、グレンファルト・レーベンフォルンによって前線基地トリオンへと送られたミアリーゼの初めての友人。
今すぐに会いたい衝動に駆られるが、今は指揮官として……今後の統合連盟軍政府を担う者として兵たちに示さねばならない。
そう、ミアリーゼが戦場に立つ切っ掛けを与えてくれたのは、他ならぬユーリ・クロイスなのだ。彼の想いに応えるためにも、そして亡き父の無念を晴らすためにも、ミアリーゼは絶対に負けるわけにはいかない。
「何としてでも勝ちます! 皆様、どうか私に力を貸してください」
ミアリーゼの言葉に、周囲にいるフリーディアたちは力強く首肯した。ファルラーダの魔術武装――空鱏の拡散通信機能を使い、大胆にも手の内を晒しながら指揮をしていく。
現在、陣形が瓦解したフリーディア統合連盟軍の兵士たちが撤退するまでの間、ファルラーダ・イル・クリスフォラスが単騎で足止めをする。
一見無茶で無謀ともいえる作戦だが、ファルラーダの実力は群を抜いている。正直彼女一人で種族連合を全滅させることも可能ではあるが、それだと時間がかかりすぎるのと、撃ち漏らしが増え、要らぬ犠牲者を増やす結果となる。
ファルラーダに後ろを気にせず存分に力を振るってもらうためにも、撤退と戦線の立て直しは必須。
「後は、敵の指揮官がどう動くのかですわね。種族会談が始まる以前から、戦争を見越し、巧妙に網を張っていた狡猾さ、大規模軍隊を何かしらの連絡手段を用い統制する。相当のカリスマと知性がなければ成し得ない芸当……」
ファルラーダがいるとはいえ、決して余談は許さぬ状況。ミアリーゼは連絡手段を整えつつ、味方陣形を即座に把握していく。
その際に敵の指揮官が、エレミヤと名乗るエルフであること。エルヴィス・レーベンフォルン以下統合連盟首脳陣を暗殺した元凶であることが味方兵士から伝えられた。
「エレミヤ……そうですか。ダリル・アーキマン大佐の言葉を鵜呑みにするわけではないですが、私はこの戦争に対し、強い憤りを感じています」
「「「…………」」」
ミアリーゼ・レーベンフォルンが見せたことのない表情で怒りを現す姿を前に、統合軍兵士たちは言葉を無くしている。
味方陣形が引き起こした同士討ちの顛末は聞いている。司令官の指示の不明瞭さ、そして何よりも今を生きる人々を脅かす異種族に対する激しい怒りが胸の内に渦巻いている。
「ファルラーダ、どんな手を使っても構いません。必ずエレミヤを討ち果たしてご覧に入れなさい」
人間が懐く喜怒哀楽全てを網羅したミアリーゼには、もう甘さや迷いは存在しなかった。
◇
グランドクロス=ファルラーダ・イル・クリスフォラス、ならびにミアリーゼ・レーベンフォルンの凱旋に、激しい動揺の色を見せるエレミヤは、顔面蒼白で机を勢いよく叩く。
「迂闊だったわ、ミアリーゼ・レーベンフォルン。千里眼内で神が殺せとまで言って忠告していたというのに……私はッ」
ようやくファルラーダが放つ重圧に身体が慣れてきたエレミヤだが、自身が一番警戒しなければならない人物を失念していたことに激しい後悔の念を懐く。
「エレミヤ、ミアリーゼって知ってるフリーディアですか? それにグランドクロス、ユーリからチラッとだけ話には聞いてましたが、いくら何でも出鱈目すぎるです、こんちくしょう!?」
戦場の空気を、一瞬で塗り替えた恐るべき魔力と重圧を放つグランドクロスの存在に、さしものエルフたちも動揺を隠しきれない様子。
「今は推測の域を出ないけど、一つだけ分かることはミアリーゼ・レーベンフォルンと、ファルラーダ・イル・クリスフォラスを仕留めねば、この戦争は勝てないということよ。
グランドクロスが参戦した以上、出し惜しみなんてしてられない。全霊を賭して挑まないと負けるわ」
未だに地の利や数は種族連合に有利であるが、最早そんな悠長なことを言っていられる事態ではない。
「イリス、応答して! 無事なの!?」
エレミヤは種族連合が誇る切り札――姫巫女の近衛騎士を務めるイリスへ問いかける。
『エレミィ、こちらは問題ありません。いつでも出られます!』
グランドクロスに対抗できる者は現状、神遺秘装を扱えるイリスしか存在しない。
エレミヤの指揮とミアリーゼの指揮、イリスの終滅とファルラーダの千術。どちらがこの混沌とした戦場を制することができるのか?
そして――。
「――ミアリーゼ・レーベンフォルン」
「――エレミヤ」
エルフとフリーディア。姫の名を関する二人の指揮官は、共に相対する敵の名を噛みしめるように呟く。
「「この戦争、私 (私)たちが必ず勝つわ(勝ちますわ)!!」」
エレミヤとミアリーゼは、互いに素顔を知らぬまま、戦場から遠く離れた司令室で同時に言葉を放った。
◇
「嘘だろ、姉御……なのか?」
予期せぬファルラーダ・イル・クリスフォラスの登場に、一番の動揺を示しているのは他ならぬダニエル・ゴーンだった。
重症のオリヴァー・カイエスを、エレミヤたちのいる駐屯地へ運び治療するためにサラと行動を共にしていた彼だが、馴染みのある憤怒の圧力を受けた瞬間、かつて師として仰いだファルラーダの存在に気付いたのだ。
「ダニエル、知っているのか!? あの凄まじい魔力を持つ御人がグランドクロスって、しかもミアリーゼ様だって……ぐッ」
「オリヴァーくん!」
動揺に声を荒らげたオリヴァーだが、貫かれた腹部の痛みで顔を顰め、それをすかさずサラが支える。
「ミアリーゼ様が、グランドクロスを連れてくるってのは何となく予想してたが、まさか姉御とはな。
あの人はファルラーダ・イル・クリスフォラス、ガキの頃に俺の命を救ってくれた恩人であり、盃を交わした師匠でもあった御人さ」
「「…………」」
グランドクロスとの予想外の縁に言葉を失うオリヴァーとサラ。
「安心しろ、お前さんらを放っぽいて飛び出していったりはしねぇからよ。今更再会を喜ぶような間柄でも状況でもねぇからな」
即座に冷静さを取り戻したダニエルは、二人へ向け安心させるように言葉を並べる。
今は戦争の真っ只中だ。例え過去の恩師が参戦したとしても、先ずは仲間の安全確保が最優先だ。
もし、ダニエルが我を失ってオリヴァーたちを見捨ててファルラーダに会いにいったとしたら、彼女は激怒するだろう。
「つか、この状況相当ヤベェぞ。姉御が来たってことは、異種族たちが全滅する恐れがある」
「ダニエルくん、それは流石に言いすぎじゃ……確かに凄い魔力だけど、いくらなんでも一人で戦況を変えられるわけが……」
サラは、ダニエルの発言が大袈裟すぎると捉えた様子だ。確かに現れたファルラーダの魔力は群を抜いているが、種族連合の力を合わせれば、抑えることは容易の筈。そんな彼女の想いを裏切るようにダニエルは首を横に振り、彼方にいる空鱏を指差した。
「うそ……きゃあッッ!?!?」
刹那、空鱏の砲口から破滅の極光が放たれ、空の蒼ごと地表を呑み込んだ。それはまさに天変地異、世界そのものを怒りで焼き尽くす破滅の業火。
衝撃が離れた位置にいるサラたちにも伝わり、激しい時空震が巻き起こる。
「な、何なのあの魔法……桁外れにも程がある!?」
「「………」」
サラの動揺にオリヴァーとダニエルも声を上げることができない。種族会談の会場を襲った天の魔法砲撃を遥かに凌ぐその威力に、戦場にいる誰もが動けずにいたが――。
「「「「「う、うおぉぉぉぉぉおおおおおおーーーー!!!!!」」」」」」
やがて、統合軍兵士たちから怒号のような歓声が上がる。今の一撃で種族連合の戦力が一割削られた。まさに秒も満たない信じられぬ結果に、完全に勢いが衰えた異種族たちだった。
そして、天よりミアリーゼ・レーベンフォルンによる指示が降り注ぎ、陣形を立て直すために迅速に退避していく統合軍兵士たち。それを守るように、ファルラーダ・イル・クリスフォラスは前に出る。
完全に置き去りにされたダニエルたちだが、サラがいるこの状況でフリーディアに戻るわけにはいかない。
「ダニエル……いいんだな?」
ダニエル・ゴーンは師であるファルラーダと敵対する。その事実を確かめるようにオリヴァーは覚悟を問う。
「姉御は口酸っぱく言ってたよ、どんな状況に立たされても自分を見失うなってさ。ここで背を向けて逃げ出せばそれこそ、弟子失格だろうが」
己の意志で決めた道を最後まで貫き通す。例えそれがファルラーダと相容れぬ道であろうとも、決して立ち止まるわけにはいかないのだ。
「オリヴァー、サラ。お前さんらは俺が命を賭けて守る。これ以上は指の一本だって触れさせねぇさ。姉御が気付く前に急いでここを離れるぞ」
「ありがとう、ダニエル」「ありがと、ダニエルくん」
オリヴァーとサラの絆をここで絶えさせるわけにはいかない。急いで戦場を離れ傷を癒やさねば手遅れになる。
ダニエルは重盾鉄鋼を駆使して、エレミヤたちのいる駐屯地へと急いだ。