第125話 グランドクロスの凱旋
この大戦が始まって以降、初めて状況が変わった。まさに天変地異にも等しい魔力を放ちながら、混沌とした戦場に舞い降りる一つの大きな黒い影に、誰もが目を奪われていた。
特化型魔術武装――空鱏の御姿にではない。機体の上部に立つ人物から放たれる憤怒の魔力が、空間全域を支配しているのだと理解したためだ。
「な、何なんだアイツは!?」
その声はフリーディア、種族大連合どちらの陣営から放たれたものなのか? それすらも分からない程に、戦場は混乱に包まれていた。
異種族には見慣れぬ、フリーディアにとっては馴染み深いダークスーツを身に包んだ長身の麗人。力強さと美しさが同居した見目麗しい容姿と共に、一房に束ねた黒髪が戦場の風と共に激しく揺らめいている。
しかし、その見た目とは裏腹に、彼女から放たれる圧倒的な魔力。空間が軋みを上げ、重力を形成してしまうほど。その暴力的なまでの殺意は、敵味方関係なく影響を及ぼし、この戦場に集しい全ての種族が傅くように膝を折った。
「…………」
静寂。けたたましく戦場に轟いていた音が、唐突にピタリと止んだ。怒号や悲鳴、銃声、剣戟の音、ありとあらゆる音が一瞬にして消失した。まるで世界が凍てついたかのように、時間の流れすら止まってしまったかのごとく。
この場に集う全ての種族に刻まれたのは、畏怖の感情。赫怒の殺意を発するダークスーツに身を包んだ麗人に対する恐怖だ。
――彼女こそ、フリーディア最高位を冠する最強最大戦力の一人。千術姫の異名を司るグランドクロス=ファルラーダ・イル・クリスフォラスに他ならない。
人の身でありながら、この世のありとあらゆる恩恵を一心に受けた奇跡の神子。偶然にも生み出された、人が進化の果てに辿り着く究極体と呼ぶべき存在だ。
「ようやく、この時が来た。私はずっと待ち望んでいたのかもしれない。憂いなく、真に主と認めた御方に尽くし、共に戦場を駆け抜けるこの時を」
ファルラーダは、赫怒の殺意を保ったまま戦域全てを見渡し一人呟く。その声はどこか感極まる様子で、主との思い出を振り返っていく。
「始めて主を見た時、何てことない愚物だとそう思っていた。グレンファルトの妹ごときに、世界を変えられるものかと軽んじていたんだ」
主が懐く決意は立派だと思ったが、如何せん浮世離れしたお姫様故に、人が持つ醜悪さをご存知でなかった。権力を持った無知が齎す愚行の影響は計り知れない。
所詮はレーベンフォルン家の傀儡。ファルラーダ手ずから再教育して思い知らせる必要がある。とはいえ主の見た目に合わない根性と、真っ直ぐな性格は気に入っていたので、自然と仲は深まっていった。
いくつかの都市を巡り気付いたのは、主が少しずつファルラーダに依存していったということ。彼女の言葉を疑うことなく、信じてしまっていたのだ。
戦術に関する勉強の折りに嘘を教えたら、主が素直に信じ込んでしまう。これでは傀儡がレーベンフォルン家からファルラーダに移っただけ。その時深く失望したのを覚えている。
やはりダメだったか。所詮は夢を見ることしかできない愚物。自らの足でファルラーダを引っ張ろうとすることは叶わないか。
ファルラーダは決して表には出さなかったが、内心では悩んでいた。本当にこのままでいいのだろうか? 人の持つ悪性を放置し、受け入れることが本当に人類のためになるのかと。
デウス・イクス・マギアと開口を果たし、世界の真実を知ったファルラーダは、正解の道が分からなくなっていたのだ。
そんな複雑な気持ちを抱えたまま、主には決して悟られぬよう最後のゴール地点、スラム街へと訪れた。
着いて早々、暴漢に襲われた主は、人が齎す本物の殺意に恐怖し、身を竦める。キョロキョロと辺りを見回しながら、ファルラーダから離れようともしない。
最早、何を目的にスラムを歩いているのか分からなくなっている様子の主を見て、ファルラーダは最後の賭けに出た。
正直このまま見捨てようかとも思ったが、ここまで一緒に過ごした主に情が沸いてしまったのだ。身の程を弁えず、愚物としてこのまま静かに生きていくと誓うのなら、今すぐにでも馳せ参じよう。主を救い、テロリストを殲滅した後は、すぐさま姿を消そうと、そんなことを考えていた。
恐らく二度と会うこともない。主がテロリストの一人に蹴飛ばされ、激しい暴力を振るわれながら連れ去られていく姿を黙って見届けていた。
人の本質とは、我を失うほどの恐怖に見舞われた際に現れる。主が見せる本質を見極めるためにも最後まで手を出すつもりはなかった。
そして――。
"人の未来は自分たちで切り開いていくものです!! 過去と同じ過ちを繰り返さない、そのお気持ちは分かります、けれどそのせいで今泣いている方々を蔑ろにしていることに何故気付かないのです!!
末永く繁栄すること、全ての人間を受け入れるその高潔な精神は神たる器に相応しいのでしょう。それでもッ、今生きている人の嘆きを無視しているあなた様のやり方は絶対に認めるわけにはいきません!"
"私が戦う理由は、あなた方のような世を脅かす悪を滅相する事です!!
それが、私の出した結論です!! 神だとか器だとか、そんな誰かの定めた価値基準など知ったことではありませんわ!!
私は悪が許せない! 許容なんてできません! なればこそ、私自らが矢面に立ち、人々に正道を示しましょう!"
絶望的状況に立たされても尚、色褪せず強い輝きを放つ主に、ファルラーダは電撃が奔ったかのごとき衝撃に見舞われた。
未来とは、今を生きる者が紡いでこそ描かれる。先を見すぎて足元を疎かにするなど本末転倒。しがらみに囚われ、全てを知った気になって雁字搦めとなっているデウス・イクス・マギアへ喝を入れたのだ。
「――ミアリーゼ・レーベンフォルン様、あなたの理想は、この私が叶えてみせます。
いえ、違いますね。叶えるなんておこがましい。一緒に正義の味方を目指しましょう。
今を生きる人々を脅かす悪を討つ、私の内に巣食うこの怒りが、未来を繋ぐ階とならんことを!」
ファルラーダから放たれる赫怒の殺意が、勢いを増していく。それは無様な姿を晒しているフリーディアたちへ向けられる明確な怒り、戦う意思のない背を向けた者たちへ容赦なく猛威を振るう異種族たち。
思い知らせてやろう、フリーディアの真の恐ろしさ。その身に刻め!
『――聞け、愚物共!!』
高らかに告げたファルラーダの声音は、ドラストリア荒野全域に木霊した。彼女が乗る特化型魔術武装――空鱏に搭載された拡散通信機能によるものだった。
『我が名は、グランドクロス=ファルラーダ・イル・クリスフォラス!
我が君主で在らせられるミアリーゼ・レーベンフォルン様の命により馳せ参じた!』
その言葉に対する反応は様々だった。聞き慣れぬ名前に警戒の色を強くする種族大連合の兵士たち。その中でもエレミヤは愕然とし、震えながらファルラーダの言葉を聞いている。
『グランドクロスとして命ずる! 全軍、これよりミアリーゼ・レーベンフォルン様の指揮下へ移行し行動しろ! 今より、我が主の言葉を届ける。心して聞け!!』
フリーディア陣営に至っては反応が顕著だ。長らくベールに包まれていた極光の英雄――グレンファルト・レーベンフォルン以外のグランドクロスが堂々と名乗りを上げたこと。
最早疑いようもない。ファルラーダ・イル・クリスフォラスから放たれる常軌を逸した赫怒の殺意に、異を唱えるものなど一人として存在しない。
そして、人類希望の姫君であらせられるミアリーゼ・レーベンフォルンの名が上がり、恐怖より先に驚きが勝ったのか、各々動揺の声が広がっている。
絶望に打ち拉がれたフリーディアたちへ差し込んだ一筋の光。まさかと誰もが期待を寄せる中、その期待に応えるように空鱏から確たる少女の声が戦場へと響き渡る。
『――私は、ミアリーゼ・レーベンフォルンです。
突然のことに驚かれているでしょうが、今しがたファルラーダが告げたように、皆様にはこれより私の指揮下のもと尽力していただきます』
天より降り注ぎし姫君の声音は、壮絶な戦場を鎮めるかのごとき力を秘めていた。恐怖と絶望に打ち拉がれていた統合連盟軍兵士たちの瞳に光が灯っていく。
『ようやく、ようやく皆様に追いつくことができました。前線基地を巡るばかりで何もできず、ただ見ていることしかできなかった無力な私はもういません。
勝ちましょう、未来を掴み取るために。今を生きる人々を悲しませることだけはあってはなりません。
亡くなられたお父様たちの無念を晴らすために――そのためにどうか、私に命を預けてください!!』
ミアリーゼ・レーベンフォルンの切なる声が、フリーディア兵士たちの心へ撃ち込まれる。名家、平民関係なく戦場へと舞い降りた姫君は、父を亡くした悲しみを背負い、今を生きる人々を守ろうとしている。
未来を掴み取るために、その果てにある希望へと至るために。
『命令です、ファルラーダ! 先陣を切り、道を切り開きなさい! これ以上、異種族の好きにさせてはなりません!』
初陣たる姫が告げた最初の命令。一番槍を務めるに相応しい存在は、ファルラーダ・イル・クリスフォラスしか存在しない。
「御心のままに、我が主――ミアリーゼ・レーベンフォルン様に栄光あれ!!」
勇ましき咆哮と共に、ファルラーダの乗る空鱏の下部に搭載された筒状の長い砲身が地表にいるエルフ、ドワーフ連合軍へと向けられる。
ファルラーダの中に存在する高密度の魔力を取り込み、空鱏の砲身はうねりを上げて収束していく。砲口から荒々しい暴力的な魔力が迸り、周囲の大気がビリビリと震え上がる。
「散れよ、姫の正道に歯向かう愚物共。憤怒の渦に呑み込まれろ!」
千術姫――ファルラーダ・イル・クリスフォラスから上がる第二幕の狼煙。
バトイデアの砲口から解き放たれし赫怒の殺意が、形を成しえて種族連合目掛けて襲いかかる。その膨大な熱量を伴った破壊の閃光は、エルフ、ならびにドワーフの群れを容易く貫いていく。
破壊の業火が種族連合を呑み込んでいく光景を目の当たりにした全ての者は、ただただ立ち尽くし放心していた。そして――。
「「「「「う、うおぉぉぉぉぉおおおおおおおおーーーー!!!!!」」」」」
鮮烈さを極めた光景を目に焼き付けた統合軍兵士たちが、歓喜の喝采を上げる。言葉通り、不安と狂騒に駆られていたフリーディアの士気が一気に高まったのだ。
『ファルラーダ、このまま敵軍の陣形を撹乱し続けてください! そして兵士の皆様は、近くの部隊長の指示に従い撤退を!
負傷している方の救助を最優先に、戦線を後退しつつ迎撃してください』
「「「「ハッ! ミアリーゼ・レーベンフォルン様の御心のままに!!」」」」
上空から響くミアリーゼの命令を受けた全フリーディア兵士たちは、一斉にそれぞれの役割を果たすべく動き出す。もはや名家、平民といった確執は、ミアリーゼとファルラーダの一声により掻き消された。
これ以上、異種族の好きにさせてたまるかと、誰もが心を一つにしたのだ。
「そういうわけだ異種族共、貴様らは私が一人で相手をしてやる。我こそはと思う益荒男は、心して挑んでこいッ!!」
世界に轟くファルラーダの咆哮に、種族連合が鼓舞されたように一斉に牙を剥いた。