第120話 最後の灯火
激突するナギとクレナ・フォーウッドの死闘は、熾烈を極めていた。
クレナの持つ特化型魔術武装――四大魔弾を駆使した航行戦術に対応できるものはそうはいない。
空を飛べないビーストのナギでは、そもそも攻撃が届かないのだ。
「はぁぁぁああああッーーー!!!」
「ッ」
岩石の足場を駆使して、勢いよく跳躍し、空中を疾駆するナギ。再びクレナのもとまで迫るも、回転式拳銃から放たれた魔弾で雷爪による攻撃を相殺される。空中で停滞できないナギは、やむなく地表へと降下してく。
この一連の攻防を一体何度繰り返したことだろう。一向に進展しない戦況に苛立ちを覚えながらも、ナギは決して諦めることなく食らいつく。
そんなナギに対し、クレナは淡々と機械のように感情を伺わせることなく迎撃していく。
「属性複合・嵐雨散弾」
水と風属性を複合した拡散魔法射撃。嵐のように降り注ぐ豪雨を隠れ蓑にばら撒かれる魔弾だが、威力より命中率を重視したためか、ナギを仕留めるには至っていない。
ナギがクレナの制空権を突破できないように、クレナもまた、白纏雷の超高速戦闘に対応しきれていない。
ジリ貧な状況であるが、打つ手立てもない。互いに一歩も譲らぬ攻防を繰り広げているが、このままではどちらの魔力が早く尽きるかの勝負になってくる。
「くっ、こんなところでぇッ!!」
それではダメだ。ナギが相手にしなければならないのは、フリーディア十万の兵士たち。たかがクレナ一人に手こずっていては、戦争には勝てない。
(……勝つ? 勝ってどうするの?)
ふと、そんな疑問がナギの脳裏に過った。もし仮にクレナを殺し、戦争に勝利したとして、残るものは一体何だ? 一時の感情は満たされたとしても、その後に残るのは虚しさだけ。
その果てに何が待っているのか? ナギはもう知っている筈だ。一度失敗したくらいで、諦めてしまってもいいのか? ナギの大好きなユーリ・クロイスならどうする?
それは刹那の逡巡。だけど、その隙をクレナが見逃す筈はなく。
「属性複合・炎雷弾」
直径一メートル程にまで膨張した、真紅と紫電で彩られた炎雷弾が、ナギの身体目掛けて迫り来る。
丁度、空中に身を投げ出された形となっていたナギは回避する術をもたない。一瞬の迷いが敵に反撃のチャンスを与えてしまう結果となってしまった。
「ハァァァアァァッ」
ナギは魔力を爆発させ、白纏雷を全開状態で発動させる。物理法則に逆らうべく空中を蹴り、無理矢理回避しようとするも、追尾機能を持つ炎雷弾の前では無意味に終わり直撃を受けてしまう。
「あぐぅぅぅうううッ」
何とか致命傷は避けたものの、ナギの肢体は容赦なく聳え立つ岩柱に叩き付けられる。白纏雷を展開していなければ、今の一撃で死んでいただろう。
しかし、ナギの神遺秘装は防御に特化していないため、衝撃までは防げない。吐血しながらも何とか立ち上がるが、クレナ・フォーウッドまでの距離は遠い。
「ハァハァ……」
だがクレナの方も今の一撃で仕留めきれなかったことに焦りを懐いたのか、僅かに表情を崩している。疲労が隠せておらず、息も絶え絶えの状態だった。
連続で属性変更を行い、制空権を維持するために常に風魔法を放出し続けなければならない。
魔力消耗量はクレナの方が圧倒的に速い。もしこのまま逃げ切れば、彼女は自滅してしまいナギの勝利となるが――。
「四大魔弾――制限解除」
クレナ・フォーウッドには……否、魔術武装を持つ全てのフリーディアには切り札が残されている。
制限解除――魔力の枯渇したフリーディアが命を代償にして、再び力を得る行為、諸刃の剣。
「うぐっ、がぁッ」
内から暴発しかけた魔力を全力で抑えつけながら、クレナは苦しみに喘いでいる。全身からひび割れるように夥しい鮮血が溢れ出し、空の色を汚していく。
「お前ッ、何でそんなになってまで戦う!? お前は何のために戦ってる!?」
ナギには分からない。クレナが命をかけてまで守りたいものが見えないのだ。誇りのためでもなく、何か叶えたい望みがあるわけでもない。彼女は一体――。
「……愚問です。私は任務を遂行するだけの名もなき機械。壊れるまで敵を殺せとアーキマン司令から仰せつかった以上、その命を果たすのが機械の使命です」
「何、何なのそれ……」
機械だから殺す。機械だから殺しても心が傷まない。機械だから自分の命に頓着しない。機械だから何も感じない。機械だから……。
「お前はユーリと戦って、一体何を見てきたんだ!!」
ユーリ・クロイスと本気で戦ったナギだから分かる。クレナもきっと、過去に何かしらの大きな傷を背負っていること。慚愧に向き合えず、心を閉ざしてしまった臆病者。他者にも自分にも向き合わず、逃げて逃げて逃げ続けてきた結果が今のクレナ・フォーウッドを形作っているとしたら。彼女の本音はきっと――。
「彼と戦ったなら分かる筈、自分の想いには決して嘘をつけない! 人は機械になんてなれないってことに!!」
「くっ」
だからほら、少し突いただけで簡単に皮が剥がれる。ボロが出る。クレナの慚愧は強固な扉に守られてなんていない。どれだけ閉じても、勝手に戸が開いてしまうような崩れかけの扉なのだ。
「私は……私はあなたたちほど愚かになんてなれませんよ!!
クロイス君もあなたも勝手に人の慚愧をこじ開けないでください!!」
閉ざされた慚愧が再び浮上したクレナは、血の涙を流しながら出鱈目に魔弾を撃ち放っていく。この状態になればもう、魔弾は当たらない。
「私は、いつだって気付くのが遅すぎるんです。いえ、違いますね……気付いたから逃げ出した。
私は弱いから、認めたらもう戦うことができない。存在価値がなくなることを恐れていたんです。
分かってるんですよ、アーキマン司令が私の望むことと逆のことをしていることを……」
クレナは、種族会談で行われた殺戮行為を黙って見ていることしかできなかった。戦争の片棒を担いだのだと理解した瞬間、心を閉ざして逃げ出した。そんな弱くてちっぽけな臆病者。
「こんな結果を招いて、今更どんな顔して家族に顔向けできるんですか……。私にできることはもう、機械のまま壊れて朽ち果てることだけ。
アーキマン司令の命令だけが、唯一私に残された道なんです!!」
つまり、クレナ・フォーウッドは死を望んでいると? 戦争で生き残るつもりなど微塵もなく、心を閉ざしたまま死にたかったとそういうことか?
「だから私はあなたを殺す! 恨んでください、呪ってください、あなたの大切な同胞を奪った私を! 同情なんて必要ない、私に対して懐く感情は憎悪だけでいい!!」
「お前ッ!!」
最早話し合いは無意味に等しい。クレナはその身が朽ち果てるまで戦い続けることだろう。ナギを殺したところで止まらない。ならばいっそのこと――。
「ユーリ、ごめんね。私はあの女の望み通り、憎悪を燃やして殺すことにする。パパを、ママを、ジェイを、同胞を殺したあいつが許せないから!!」
魔弾が肩先を掠め、負傷をものともせずナギは一気に跳躍する。制限解除状態のクレナの魔弾は殺傷力が跳ね上がっており、白纏雷で防ぐことは不可能だった。
身体が朽ちるまで魔力が枯渇することのないクレナは、出し惜しむことなく魔弾を繰り出す。敵味方問わず、破壊の痕を刻んでいく彼女を止めるには殺すしかない。問題はどうやって近づくかだが。
「私だって、遊んでいたわけじゃない。シオンの修業を見てる合間、アリカ・リーズシュタットに勝つためにイリスに何度も手合わせしてもらった」
正直負けるつもりはなかったが、結果としてはイリスに惨敗。自慢の超高速攻撃を難なくあしらわれてしまい、ショックが隠せなかったのを覚えている。
「私は、素早いだけで上手さがない! 戦っていればどれだけ速くても目が慣れてしまう。だから、アリカ・リーズシュタットや、ユーリにも受け流されたんだ!」
ナギの言う通り、クレナ・フォーウッドも目が慣れたのか魔弾の精度が徐々に上がっている。動きを先読みされ、数発被弾しつつも何とか跳び起き、岩柱を縦横無尽に疾駆していく。
「だけど今更型を習得したって、中途半端で動きに雑味が出るだけ……そもそもごちゃごちゃ考えながら動くのは性に合わないの!」
ナギの最も得意とする戦闘分野は、圧倒的なパワーとスピードによる力のゴリ押しだ。イリスと手合わせしていく内に、この分野をもっと追求していくことがナギにとって重要ではないかと考えた。
受け流されるなら、受け流す暇も与えなければいい。防がれるなら、防ぐ意味すら無くせばいいし、強引に穿けばいい。
戦闘スタイルは人それぞれ。誰が正解だとか間違いとかない。
「お前の魔弾を突破できないなら、それ以上の威力の魔法を放てばいい。簡単な理屈だ、後のことを考えすぎて魔力を出し渋ったことが今の状況を生み出しているのだとするならッ」
ナギは持てる魔力の全てを攻撃に費やすために、防御を捨て去った。端的に言えば、クレナによる魔弾の雨を受けながら白纏雷を解除したのだ。
「どういう!?」
自殺行為に等しいナギの行動を理解できず困惑を露わにするクレナだが、攻撃の手を緩めるつもりはない。ナギを殺した後は、命の全てを捧げて最後の特攻を仕掛けるつもりだ。
「もう、どうしようもなく手遅れなんだってことは分かった。お前の望み通り、私がお前を殺してやる」
同情なんてしない。想ってなんてやらない。そんなことをしても、クレナはそんな資格はないと切り捨てるだろう。
「ユーリ、ごめん」
魔力を足先と手先に一点集中させながら、ナギは大切なフリーディアの少年を想う。
「悲しいよ、悔しいよ。こんなことになって……私が不甲斐ないから」
クレナの回転式拳銃から放たれる篠突く雨のような魔弾が、肩口や脇腹を掠めていく。激痛が走るが、これは罰なんだと必死に受け止め魔力を総動員していく。
「ここまでやってきたのに……全部振り出しに戻って、結局争いの果てにしか私たちの安寧は得られない」
ナギの慟哭に呼応するように、雷光があちこちから激しく瞬き、奔っていく。きっと世界もナギと同じ気持ちなのかもしれない。この豪雨と雷は世界の悲憤を現している。
クレナの攻撃を躱さない。そして防がない。時折狙い澄ましたように外しているのが分かる。彼女もいい加減終わらせたいのだろう。
ナギにできることは正面からの一点突破ただそれだけ。ビーストの主な攻撃手段は魔力で編まれた鋭い爪を振るうこと。武器など使わない、使う必要もない。
防御を捨て、白纏雷を手先と足先にのみ一点集中させた最強の矛。クレナ・フォーウッドに狙いを定め、ナギはクラウチングスタートの要領で構えを取った。
「雷法・雷爪牙!!!」
「属性変更・雷弾完全解放!」
ナギの咆哮と共に放たれる極一点突破型魔法――雷爪牙。
攻撃に魔力を全振りし一点特化させたその爪牙は、如何なる敵も残さず粉砕する。大地を蹴り抜き、空を駆けるように飛翔するナギの身体は、ソニックブームを巻き起こしながら、迫りくる雷弾へと向かっていく。
「うぉぉぉおおおおおおッッーーーーー!!!」
ナギの雄叫びが木霊する中、雷爪牙とクレナの放った極大雷魔弾がぶつかり合い、激しい光を放ち、周囲に衝撃波が撒き散らかされた。
衝撃の余波によって雲が吹き飛び、そこから陽光が差し込まれる。それは、クレナ・フォーウッドの命を照らす最後の灯。
絶対に負けない。この戦いに勝利する。
想いの強さは圧倒的にナギの方が上。逃げ出して背中を向けたクレナに負ける道理など何一つない。
「これでッ、終わりだぁぁぁああああああッッーーーーーーー!!!」
ナギの声が空を裂き、そのままクレナの放った極大雷弾を打ち破った。
「……ありがとう……ございま、す」
霞むその声と共に、クレナ・フォーウッドの命の灯は掻き消された。ナギの雷爪が正確無比に彼女の心の臓を穿った結果だ。
そのまま腕を引き抜くと、救われたように柔らかい笑みを浮かべ、亡くなったクレナの肢体が地表へ真っ逆さまに墜落していく。
その後、制限解除の限界が訪れ、パァンッと血の花火が咲き誇るようにクレナの身体が内側から破裂した。
「……くっ」
これが制限解除を発動したフリーディアが辿る末路。魔力が膨張し内側から破裂するという遺体すら残らない残酷な死に方に、ナギの中で言いようのない不快感が襲う。
先の戦闘で大きく消耗したナギは、受け身も取れずに岩柱へと激突する。幸いにも敵の攻撃は来なかったが、いつここが狙われるかも分からない。
「ハァハァ……戦争、を……終わらせる。覚悟しろ、ダリル・アーキマンッ!!」
戦意はそのままに再び立ち上がったナギは、どこにいるとも知れない敵へ向けて明確な殺意を放った。