第118話 精霊たちの遊戯 後編
戦場に出て以降、様々な経験を積んできたユーリ・クロイスは、予期せぬ不思議な出来事に耐性ができていたつもりだったが。
『ビュビュビュビューーーーン!!』
『ザザザブーーーーン♪』
『ババババーーーーン!!』
『ドドドドーーーーン……』
目の前で繰り広げられる精霊たちの祝福についていけず、完全に呑まれてしまっていた。
まるで突然童話の国に迷い込んだような……。四精霊という聞き慣れぬ単語もそうだが、何故彼女たちがテロリストであるナイル・アーネストと行動を共にしているのかも分からない。
目まぐるしく状況が動いていく中、唯一理解できたのはシルディと呼ばれる風精霊の魔法によって、ナイルとユーリは空中を滑空しているということ。
「コイツらがこんなに燥いでんのは久しぶりに見たぜ。モテる男ってのは辛いねぇ」
「…………」
一見揶揄っているようで、場の空気が和んだように見えたが恐らく違う。ユーリには軽快な瞳の奥に宿るナイルの心が少しでも反抗的な態度を取れば、間違いなく殺すと言っているように聞こえる。
「分かってんじゃん。流石は人工的に生み出された神だ。
なぁ、お前が何故異種族たちと意気投合できてるか分かるか?」
「…………」
「挑発には乗りませんってか? それよりさっさと目的を教えろって? 今どういう状況で大事なお仲間がどんな目に遭ってるか知りたくてたまらねぇって面だな」
腹に据えかねる態度でナイルが煽ってくる。ユーリは決して感情的にならず、黙って続きを促した。
「分かった分かった教えてやるよ。まず、異種族とフリーディアの間で行われた種族会談――統合連盟総帥のエルヴィス・レーベンフォルン含めた政府首脳陣が殺されたことにより決裂。
現在、フリーディア統合連盟軍西部戦線十万の兵士がエルフ、ドワーフ種族連合と戦争中だ」
「殺された……って、エルヴィス総帥を殺ったのはあんたしかいないだろうが!! 他人事みたいに言うな!!」
ミアリーゼ・レーベンフォルンの実の父――エルヴィス含めた政府高官を暗殺したのはテロリストであるナイル・アーネストだ。
ユーリは過去にエルヴィスと何度か話した事があるが、こんな中途半端に殺されていい人ではなかった。何より、グレンファルトやミアリーゼの肉親の命を奪ったであろうナイルが許せず、生殺与奪を握られていることすら忘れ、怒りをぶつけていく。
「俺を助けたのも借りがあるからって話だったな! 黙って聞いてれば他人事みたいに言いやがってッ、俺は絶対にあんたを――」
『――ビュビュビュビューーーーン!! はぁい、そこまでだよユーリ。
ナイルが言ったでしょ? 少しでも反抗的な態度見せたら容赦なく突き落とすって』
「!?」
翠の軌跡を描きながら、ユーリの目の前に立ち唇をそっと指で抑えた風精霊――シルディ。
指先から伝う殺意の魔力が口の中へ入り込み、ユーリは強制的に黙らされる。
『ドドドドーーーーン……。今の、ユーリじゃ、ボクたちには、勝てない、よ?
状況、理解、したなら、ナイルの、話を、聞いて』
橙色の軌跡を描く土の精霊――ノインの忠告に大人しく従う他ない。
『それでももし戦るってんなら、アタシが相手になってやんよ!! その時は容赦なく、火魔法でババババーーーーン!! してやるぜ!』
朱の軌跡を描きながら好戦的に炎を激らせる精霊――サーラマ。
『ふふ、サーラマちゃんだけ狡いです。どうせならみんな一緒にザザザブーーーーン♪ しちゃいましょうか』
蒼の軌跡を描きながら、悠々と語る水精霊――ウェンディ。一人だけならユーリにも勝算はあるが、ナイル含めた五人を纏めて相手にするのは分が悪すぎる。
ナイルたちは、この場でユーリを殺すつもりはないようだ。大人しく話を聞くだけに留まるならば、今回限りにおいて彼らは力を貸してくれると判断。
「…………」
隠忍自重の想いでユーリは沈黙を守り、ナイルの言葉を待った。
「へっ、続けんぞ。お前を助けた理由は単なる気紛れさ。
一方的な遊戯はつまらねぇってのが俺たちの心情でな。特別サービスでお前を戦争の舞台へ送り届けてやるよ」
「遊戯、だと……」
四種霊たちが世界は遊び場だと評したように、この男もまた結果以前に過程を重点視するタイプらしい。
何か成し遂げたい目的がある筈なのに、ただ達成しただけでは満足できない。一般的なテロの思想とかけ離れた狂信者の思考に、ユーリは嫌悪感を隠すことなく眉を顰める。
「そうさ。ちなみに俺が介入しなくても、結果は変わらなかっただろうぜ?
何せフリーディアには大の異種族嫌いなデウス・イクス・マギア様がいやがる。そいつを倒さねぇ限り、お前の望みは一生叶わねぇよ?」
「デウス……?」
胡乱な言葉でユーリを惑わせる意図は感じない。ナイル・アーネストの語る言葉は全て真実なのだと本能で理解できる。
「デウス・イクス・マギア。グランドクロスを率いてる人類の祖先――所謂神様ってやつだな。
旧時代から現代に至るまで生き永らえてる正真正銘の化け物さ」
「何を、言って」
デウス・イクス・マギア。過去、現在、未来、善悪全てのフリーディアを統べる首魁。ずっと謎だったフリーディアの根幹をこんな形で耳にすることになるとは。
それにしても、ナイルという男は一体何者なんだ?
ただのテロリストではない。恐らく彼はフリーディアに……この世界の根幹に深く関わっている。
「いくら考えたところで、お前じゃ俺の真実は掴めねぇよ。知りたきゃ、首都エヴェスティシアへ行ってデウスを倒すことだ。
あ、そうだ。悪いけど少し寄り道するぜ。もう一人借りを返さなくちゃならねぇ奴がいるんでな」
「は? どういう……っておい!!」
フリーディアと種族連合の戦場の舞台――ドラストリア荒野へ向かっていたはずの道筋を逸れ、何故か明後日の方向へ奔りだす。
『ビュビュビュビューーーーン!!!』
シルディの風魔法に抗えず、空中で流されるままになるユーリ。
「くそッ、ナイル・アーネスト!!」
「悪いな、道案内はここまでだ。後は自力で頑張んな!」
ナイルの声が遠ざかる中、ユーリは急速に地上へと降下していく。風が耳元で激しく鳴り、目を開けていられないほどの速さだ。しかし、不思議と落下する恐怖はない。シルディの魔法が、まだ彼を守っているようだった。
地面が目前に迫る中、突然ユーリの周りの空気が穏やかになり、彼の体は柔らかく地上に着地した。目の前に広がるのは、荒れ果てた大地と遠くに見える戦場の煙。この場所が、フリーディアと種族連合の戦いが繰り広げられているドラストリア荒野の一角であることを、ユーリは直感で理解した。
「皆!!」
ユーリは、呑気に手を振りながら去っていくナイルを追わずに、一目散に駆け出した。ナギ、サラ、シオン、ミグレット、エレミヤ、イリス、アリカ、オリヴァー、ダニエル。彼らを一人たりとて死なせない。
そして、慟哭の雨がユーリの身体を濡らす。寝ている隙に着させたのだろうフリーディア統合連盟軍の軍服のジャケットが肌に張り付き、鬱陶しげに脱ぎ捨て、シャツ一枚となる。
やがてユーリの視界の先――戦場の舞台への一本道を阻むように人影が立ちはだかる。
「あんたは!?」
初老ながらも威厳と貫禄を感じさせる佇まい。歴戦の勇姿を思わせる風格を漂わせた一人の男を知らぬ者はいない。
そう……彼こそ種族会談を崩壊させ、フリーディア、異種族両陣営を地獄へ叩き落とした張本人。フリーディア統合連盟軍西部戦線司令――。
「待っていたぞ、ユーリ・クロイス!!」
「ダリル・アーキマン!!」
ユーリの目に映るダリル・アーキマン大佐の姿は、まるで運命の糸によって結ばれた宿敵のようにも見えた。彼の眼差しには、戦いを望む熱い光が宿っている。
全ては今日、この日、この時のために。ダリル・アーキマンはユーリ・クロイスと戦い、打ち勝つために存在しているのだ。
◇
『あー、楽しかったー。いっぱい運動したからスッキリしたよ!』
「ったく、お前らのせいでせっかくの雰囲気が台無しだよ」
未だ気分上々といった様子のシルディに、呆れざるを得ないと空を泳ぎながら肩を竦めるナイル。
『けどよー、ナイル。本当にいいのか? ユーリとかいうガキを行かせちまって』
同じく、火を司る精霊のサーラマは、空中で胡座をかきながら問いかける。
『――危険、排除推奨?』
サーラマに被さるように声を上げるは土を司る精霊であるノイン。彼女は他の精霊たちと違い、あまり感情を表には出さない。今も必要最小限の簡素な言葉で意見を述べている。
ユーリ・クロイスという男について、個人的趣味嗜好はともかく、計画に支障をきたすのでは、と彼女たちは心配している。
『大丈夫ですよ、サーラマ、ノイン、シルディ。ユーリ・クロイスと、デウス・イクス・マギアを相手に今のナイルが負けることはありませんから』
水を司る精霊であるウェンディはナイルの意図を把握していたようで、懇切丁寧に三人の少女に説明する。
『なっるほどな! なぁナイル、もしもユーリ・クロイスと戦るときがあるなら、アタシに行かせてくれ! アタシの火で奴の魔法をババババーーーーーーンッだ!!』
『なら、デウス・イクス・マギアの相手は、私。アイツなんて、ボクの、土魔法で、ドドドドーーーーーーーン……だよ』
『はーい、なら私は、ミアリーゼ・レーベンフォルンとファルラーダ・イル・クリスフォラスにしよっと! 正直不完全燃焼だったし、今度こそ二人纏めて私の風魔法でビュビュビュビューーーーーーン!! しちゃうよ!』
『それなら、全員纏めて私の水魔法でザザザブーーーーーーン♪ しちゃいましょう!』
「お前さんらは相変わらず自由で好戦的だねぇ。神の言うことなんて聞きやしねぇ」
言うなれば、彼女たちは聖なる存在ではなく、手のつけられない悪ガキといった方が正しいか。
『『『『それは当然さ。私たちは君と自由闊達、自由気儘、自由奔放、自由放任なまま終わりを迎えたいからね。娯楽のない人生なんてクソ以下さ。私たちの自由を縛ることなんて神にだってできやしない』』』』
そうだ。彼女たちはこんなにも自由に人間よりも人らしく生きようとしている。そんな彼女たちの邪魔をする権利など誰にもありはしない。
「ユーリ、お前さんの掲げる志は立派だし、力を貸してやりたいって気持ちも嘘じゃねぇ。けどま、俺の邪魔するってんなら話は別だ。その時が来たら全力で相手してやる。それまで、頑張って生き延びろよ?」
そう、それこそがナイル・アーネストの歩む娯楽。こんなにも個性豊かな彼女たちと楽しく終わりを迎えたい。彼に悪意などという感情は一切ない。
ただ純粋なままで終わりたい。惰性で続く人生なんてそれこそクソくらえだ。この先どれだけの悲劇が訪れようと、笑顔だけは絶やしてはいけないのだと心に誓って。