第117話 精霊たちの遊戯 前編
死んでいく。誰も彼もが戦場で命という華を散らせていく。瞬きする間に一人、また一人とこの世に未練を残しながら虚しく散っていく。
エルフ、ドワーフ連合の指揮官を務めるエルフの姫巫女――エレミヤは地図を広げながら、伝え聞く戦況をもとに戦術を立てていく。
名も知らぬ兵士が姫巫女の命令に従い、駒のように動いていく。それぞれに授けられた命という宝石があまりにも呆気なく、奪われていく。彼女はそのことを知っている。知っていて命令を下している。
全ては、フリーディアに勝つために。
十万を超えるフリーディアの軍勢を相手に、一人の犠牲もなく勝利できるなど考えてはいない。けれど、この大規模な戦場という舞台だと、一人一人の兵士の命が驚くほど軽いと改めて思い知らされる。
「私は、フリーディアから見れば悪のお代官様ってところかしらね……」
エレミヤの呟きは、悲哀と自嘲が織り交ざっていた。
戦場とは離れた安全な場所で、高みの見物を決め込んでいる。フリーディアたちはそう捉えているに違いない。
事実その通りで、イリスやナギ、サラたちが命を賭して戦っているというのに、エレミヤがやっていることは状況を聞いて、ただ指示しているだけ。
他の者から見れば偉業に映る行いも、エレミヤからしたら、戦えないから代わりに出来ることをしているにすぎない。
たまたま将たる才能があった。ただそれだけのこと。
天秤は、未だ種族連合に傾いている。けれどこの均衡がいつ崩されるか分からない。余談を許さぬ状況、一時も気が休まらない。
チラリと隣に立つミグレットへ視線を向ける。
彼女は自身の開発した魔信機へ魔力を通し、目尻に涙を浮かべながらエレミヤと一緒に報告を聞いている。多分ミグレットも自身の無力さに苛まれているのだろう。
外で敵襲に備えているシオンも恐らく同じ。飛び出したい気持ちをグッと堪え、為すべき役割を果たしている。
そんな彼女たちを勇気付ける資格も暇もなく、エレミヤはただひたすら最善の一手を指し続けるしかない。
「ユーリ……」
エレミヤはこの場にいない一人のフリーディアの少年を想う。彼が目を覚ましたという報告は未だにない。それを心のどこかで良かったと思ってしまったのは、こんな不甲斐ない姿を見せたくないから。
ユーリ・クロイスは戦争を止めるために、命すら投げ打つことだろう。願わくば、全てが終わった後で目覚めんことを――。
「世界は私が考えるより、ずっと複雑で様々な命の犠牲の上に成り立っている。生きるために、殺して殺されて……その連鎖を終わりなく続けることが私たちの宿命。
千里眼は何も教えてくれない、映してくれない。何が正しくて何が間違っているのか、どうして神は正解へ導いてくれないの?」
"科学的に証明できず、理屈で答えられない事象を頭ごなしに信じることを、我々は宗教と呼んでいます"
種族会談で言われた統合連盟総帥――エルヴィス・レーベンフォルンが放った言葉が脳裏に浮かぶ。
エレミヤは世界に意志があり、神は実在していると信じ込み、無意識下で縋っている。千里眼が全てを見通す神の瞳であると当たり前に信じてきた。
「信仰……そう思い込みたいから、そういう事象に当て嵌めているだけ。だって、この未曾有の危機に世界が何もしないなんておかしい。奇跡の一つ二つ起こったって不思議じゃないのに……」
「エレミヤ……」
ミグレットが心配げにエレミヤを見つめる。
「ミグレットは、世界に意志がないって言われたらどう思う? 神なんて本当はいなくて、千里眼もただのガラクタだって知ったらどうするの?」
ミグレットは種族会談に参加していないため、事情を預かり知らない。突然こんなことを姫巫女の口から語られて戸惑っている様子だ。
「ごめんなさい、少し弱気になってしまったわ。私がしっかりしなくちゃ、皆を不安にさせちゃう」
一向に終わらない闘争にストレスを抱え、関係のない話題で気分を落ち着かせようとしたエレミヤだが、今命を賭して戦っているイリスたちに失礼だったと反省する。
「オメェ、一人で色々背負い込みです、こんちくしょう。いくら千里眼を持つ姫巫女とはいえ、オメェは自分と変わらねー、一人の種族ですよ」
「ミグレット……」
「正直、自分としては世界や神の意志があろうが無かろうがどっちでもいいですよ。奇跡は起きるものじゃなく、起こすもの。ユーリと一緒に戦って自分はそう思ったです、こんちくしょう」
そう言って屈託のない笑みを浮かべるミグレットに、エレミヤは激しく胸を打たれる。
「あんまり役に立てねーですけど、もっと仲間を信じてやってくれですよ。それに、まだ諦めるのは早えーです、フリーディアにも自分たちを想ってくれる奴らがいるですから」
「……そうね。ありがと、ミグレット」
「こんなのお安い御用です、こんちくしょう」
激怒から不安に変わり、精神を蝕まれていたエレミヤだが、ミグレットのおかげで平静を取り戻した。
そうだ、まだ終わりじゃない。フリーディアには少なからず、想ってくれる人たちがいるのだから。
殲滅ではなく、終わらせるために戦う。そのために勝つ。犠牲は今後も増えていくことだろう。けれどダリル・アーキマンを倒し、フリーディアに勝利した後に停戦を呼びかければ……或いは――。
「ユーリ、私は……」
◇
ユーリ・クロイス。彼は今尚記憶に呑まれ、自ら宿った神の因子により、黒に満ちた深淵に引き摺り込まれながらも、僅かな異変を感じていた。
(何だ、この感じ……)
現実ではどのくらいの時間が経っているのか? フリーディアとの交渉はもう行われたのか? 漠然とした不安を抱えながらも、今確かに何かが起きたとそれだけは分かって……。
(クソッ、こんなことしてる場合じゃないのに!!)
未だに足を掴んで離さない影からは、ユーリの意識を乗っ取ろうとする意思を感じる。
(俺が過去に触れたから? そのさらに奥はコイツにとっても見られたくないものなのか?)
六歳以前――正確にはミアリーゼと出会った五歳の時の記憶以外が欠除している。恐らくユーリは何度も父に会いに研究施設に訪れていた筈だ。そこで何をしていたのか全く思い出せない。ジェネラル計画のことをもっと知らなければ、前に進めないと思い、エレミヤに無理を言って頼んだのだ。
(今はもう時間がない。とにかく、コイツから逃れて意識を浮上させないと!)
嫌な予感がする。黒い影と化した神の因子からは死の香りしかしてこない。かつて自決し、生涯を終わらせたように、今度はこの世の全てを消し去ろうとしているのではないか?
神は不変であり不滅。死して尚、神遺秘装として異種族たちの遺伝子に刻み込まれ続けている。それらは、物質だけに留まらず感情を含めたあらゆる概念にも該当する。
ナギが持つ白纏雷は神の怒りを。エレミヤが持つ千里眼は神の眼を。イリスは恐らく剣に該当し、実験体となったヴァンパイアは神の血を宿していた。
なら、ユーリは?
(まさか魔核? 俺が力を使い熟せていないから、意識を離さすまいと抵抗しているのか?)
恐らく記憶の底と共に封印されていたのを、幾多の戦いによって再び呼び起こされた。ユーリが短期間で強くなれたのは、父が施した神の因子による力のおかげ。
(どうすればいい? 深海の中にいるみたいで、身動きが全く取れない……。魔術武装が使えない以上、どうやっても抗えない)
足を掴む影の腕に触れようとしても、スルリとすり抜けてしまう。物理的に意味において、神の因子を排除することは不可能だ。
(ナギ、サラ、シオン、ミグレット、エレミィ、イリス、アリカ、オリヴァー、ダニエル……)
ユーリの理想に賛同してくれた仲間たち。戦争を終わらせ、フリーディアと異種族が共に共存共栄していく未来を形作る。無茶や無謀や道理を飛び越えて、交渉という名の戦争に協力してくれたのに、自分だけが過去に囚われている。
今仲間たちは危険な状況に陥っている。想いの強さなら誰にも負けない。暴走している神の因子など、気合いで捩じ伏せてやる。
(俺はッ)
その刹那。
――しゃあねぇ、今回ばかりは手を貸してやるよ。
(誰、だ!?)
どこか軽薄で、飄々《ひょうひょう》さを感じさせる男性の声音が響いた。
――お前には総帥殿を種族会談へ導いた恩があるからな。お前らにとっちゃ災難な結果だが、俺としては手間が省けて万々歳。だから、ほら。いい加減目を覚ましやがれ。俺らの魔力で抑え込んでいる内にな。
(くっ、突然何を訳の分からない……)
男性が何を言っているのか? そもそも何故ユーリの意識に干渉してきているのか? 様々な疑問が脳裏に過ぎるも、神の因子たる黒い影の力が弱まっていくのを感じる。
(けど、これなら!)
影が手を離した瞬間、内なる魔力を爆発させ、ユーリは一気に意識を浮上させる。そして――。
「ぶはっ!?」
現実に躍り出たユーリは、水面から出た直後のように肺いっぱいに空気を吐き出した。視界に映る曇天空は、今にも泣き出しそうな勢いで。
「……どこだ、ここ? 寒いし風が強――って、はぁ!?!?」
驚くのも無理ない。ドワーフ国にあるミグレットの家で眠りについていた筈のユーリは、現在空の上にいたのだから。
眼下を降ろすと、荒れた荒野が視界いっぱいに広がっている。何故? 一体何が起きている? どうして空中にいるのだ? もしかしたらまだ夢に囚われたままなのか? と様々な疑問が浮かんだその時――。
「――よう、おはよう寝坊助くん」
同時に、先程聞いたばかりの軽快な男性の声音が耳朶を打ち、恐る恐る顔を向ける。
「あんた……知ってるぞ」
その男を見た瞬間、全身の細胞が沸き立った。年齢は二十代半ばといったところか。思わず感嘆するほどの整った顔立ちに加え、ニヒルな笑みがどことなく純粋な子供らしい愛嬌さを備えている。
彼はどこからどう見ても正真正銘の人間だ。初めて会う筈なのに、ユーリの中で既視感が止まらない。どこかで会った? だとしたら何処で? これは記憶というより内なる本能が叫んでいるような。
「俺はナイル。反統合連盟政府組織、革命軍ルーメン所属――ナイル・アーネスト。改めてよろしくな、ユーリ・クロイス」
ナイル・アーネスト。初めて聞く名だが、驚くべきことは他にある。
「反統合連盟政府組織……まさか、テロリストか!?」
"異種族など本来どうだっていいんですよ、人類の内部に巣食うその醜いイデオロギーこそが、私の斃すべき敵です"
"そうです! 奴らこそが、人類の本当の敵! 異種族なんてまだ可愛い方ですよ……妄執に取り憑かれた愚かな思想を持つ人間こそが、本当の脅威なんです!"
かつて、クレナ・フォーウッド少佐と戦った際に放たれた言葉の数々が脳裏を過ぎる。統合連盟政府転覆を目論み、世界を混迷の闇に陥れようとする存在。母、セリナ・クロイスが総司令を務める治安維持部隊最大の敵。
「あんたが!!」
衝動のままに、空中を泳ぐようにナイルへ殴りかかろうとするユーリ。しかし次の瞬間、突風が巻き起こり、身体がぶわりと浮き上がる。
「止めとけ、生殺与奪はこっちが握ってんだ。下手すりゃ、真っ逆さまに落ちてあの世行きだぜ?」
高度数千メートルはあろう遥か上空から落下すれば、いくらユーリでもひとたまりもない。今すぐどうこうする気はない様子で、テロリストの意図を探るためにも、ここは大人しく従うのがベストだろう。
ナイルの言葉に従い、ユーリは拳を緩めた。彼の表情は依然として軽薄な笑みを浮かべているが、その瞳には計り知れない深さがある。まるで、遥か昔からこの世の全てを見届けてきたかのような古の智慧が宿っているように見えた。
「いい子だ。今、お前の中に様々な疑問が過っているだろうが、一切の質問は受け付けねぇ。こっちが一方的に喋るから黙って聞いてろ」
「…………」
一見隙だらけに見えるナイルだが、彼の周りを飛び交う四色の軌跡に嫌でも目を惹きつけられ、躊躇せざるを得ない。朱、蒼、翠、橙の強大な魔力を持つ小さな閃光は、優雅に踊るようにユーリの周りへと集まっていき、その姿を現す。
「異種族……」
ユーリは信じられないものを見る目で、手のひらサイズの眉目秀麗な美少女たちを見つめる。
『『『『初めまして、神の因子を宿し者よ』』』』
ユーリ・クロイスとの出会いを祝福するかのように、四色の少女たちは綺麗な音色を響かせた。
ユーリの周囲を飛び交い、花火のごとく咲き溢れる爆炎と、大地が悲鳴を上げるがごとき地震が同時に起こり、世界を沸き立たせた。
更に風が空気を巻き上げながらメロディを刻み、溢れ出る水が小さな人形の形状となり、アーチを描くようにリズムに乗って踊っている。
まさにサーカスに来ているかのような演出に、笑えないのは祝福を受けているユーリ本人だけである。何だ、どういう状況だ、これは。
「ったく、本当に勝手気ままな奴らだぜ。完全にお前らの遊び場じゃねぇかよ」
ナイルが呆れた様子で言葉を繰り出す中、四色の色彩を彩る少女たちは、ユーリへ向けて無垢な笑みを浮かべながら自身の名を名乗っていく。
『私は自由気儘な風を司る精霊――シルディ』
『私は自由奔放な水を司る精霊――ウェンディ』
『アタシは自由闊達な火を司る精霊――サーラマ』
『ボクは自由放任な土を司る精霊――ノイン』
それぞれが自身の名を謳いながら優雅にユーリの周りを飛び回り、先程放ったのナイルの言葉に応えていく。
『『『『その通りだよ、ナイル。何故なら世界は、私たち四精霊のための遊戯場だからさ!!』』』』
彼女たちは、エルフが生まれる以前より存在する最強の異種族――精霊。
気分次第で表にも裏にもなる自由闊達、自由気儘、自由奔放、自由放任主義な彼女たちを自由自在に操れると思うことなかれ。
四色を司る精霊たちは、呆気に取られるユーリに向かって優雅に、かつ艶やかに微笑んだ。