第115話 義兄弟の戦場
混沌とした戦場の中、オリヴァー・カイエスは汎用型の魔術武装を手に必死に応戦を続けていた。
「兄上!」
中等部での演習以来となる銃型の魔術武装に四苦八苦しつつ、オリヴァーは義兄であるランディ・カイエスに声をかける。
「おッッそいんだよ愚弟が!! もっと早く私のフォローに回れよ!!」
「申し訳ありません……ッ、兄上! 後方よりドワーフ兵士です!」
「あぁもう、しつこいんだよ化け物共が!! 私はここから逃げ出したいだけなんだ! なのに何で襲いかかってくるんだよ!!!」
種族会談の行末を、オリヴァーとランディは勿論見ていたし知っている。ダリル・アーキマンが言ったように異種族たちが裏切り、統合連盟政府首脳陣たちを虐殺したことについては、現場にいるランディを何よりも動揺へと誘った。
オリヴァーを連れて、一目散に逃げ出そうとしたランディだったが、足元に現れた無数の魔法陣に巻き込まれ、戦場のど真ん中に転移されてしまう。どこを走っても逃げ場はなく、辺り一面敵だらけという最悪の事態に直面してしまったのだ。
質の悪いことに、エルフの魔法はそれだけに留まらず、順繰りに地形を操作し、こちらの陣形を乱しにかかってくる。おかげで指揮系統は完全に麻痺し、皆誰の指示に従えばいいのか分からなくなっていた。
「フリーディアァァァッッ!!!」
「ひぃぃッ!!」
剣を抜き放ち、怒りの形相で迫ってくるドワーフ兵士に、目尻に涙を浮かべながら後退るランディ。
オリヴァーと同じ型の魔術武装を展開しているというのに、片手で御守りのように抱える薔薇輝械が、戦いの邪魔をしてしまっている。
「兄上、僕がやります!」
オリヴァーは接近してくるドワーフ兵士相手に引き金を引きつつ、援護射撃で牽制する。
周りにいるフリーディアたちも同様に応戦していくが、勢いは種族連合にある。イリスの魔法――地突核によって、再び足元が揺れ動き、照準に狂いが生じる。
その隙を突いたドワーフ兵士が、炎を纏った剣でフリーディア兵士を順繰りに斬り伏せていく。
「あ、あぁ……」
無惨に殺された味方の遺体を見て、ランディの表情が絶望に染まる。
どうして、どうしてこんなことになってしまったたのか?
落ちぶれたカイエス家を見捨てて、フリーディア治安維持部隊に入隊したランディだが、その心は昔から変わっていない。
――名家としてのプライドを保つ。
つまりランディは常に格下を虐げたいのだ。家の名を盾に、弱者を強請ることで自己欲求が満たされる。それが彼の生きる意味であり、存在意義なのだ。
しかし、アルギーラ最前線基地に配属されたランディは、そのプライドを大いに傷付けられる結果となる。
格下である平民たちの傲慢な態度。戦場で初めて見た異種族に怯え、平民ごときに無様を晒したこと。オリヴァーがカイエス家の誇りそのものといってもよい、薔薇輝械を持っていたこと。
祖父が何を思って、オリヴァーに薔薇輝械を託したのかは知らない。適性がある、ただのそためだけに渡したというのならこれほどの屈辱もない。
それはオリヴァーがランディよりも立場が上になるという証明になってしまうから。下賤の血が混じったオリヴァーがランディの上に立つなど絶対にあってはならない。
「兄上!」
そんな義兄の陳腐なプライドのために薔薇輝械を奪われたオリヴァーは、今も必死にランディを守るために戦い続けている。
「死なせるもんか、僕はこれ以上家族を失いたくないんだぁぁぁぁッッーーー!!!」
義兄が誉められた人格者ではないことは分かっている。これは理屈じゃない。大好きな祖父に、これ以上家族を失う喪失感を懐かせたくないのだ。
だからオリヴァーは絶対に死ぬわけにはいかないし、ランディを殺させるわけにもいかない。
義兄の盾になろうと、迫るドワーフ兵の刃を銃身で受け止め、蹴り飛ばす。すかさず魔弾を放とうとするも、横から別のドワーフ兵の剣が迫りくる。
「くっ」
躱せばランディに当たる恐れがあるため、オリヴァーは慣れない近接戦闘を繰り広げる他ない。幸いにも実戦を潜り抜けてきた成果か、剣閃の軌道を先読みし、手先に蹴りを放つことでドワーフの剣を弾き飛ばしていく。
「何でこんなこと……僕はこんな光景望んでない!!」
「なに!? ぐぁッ」
捻転させた身体を翻し、オリヴァーはドワーフへ向けて引き金を引いた。魔弾が直撃したドワーフは大きく吹き飛ばされ岩壁に激突していく。
「くそ、これじゃキリがない!?」
倒しても倒しても無限に湧いて出てくる異種族たちに焦りを募らせるオリヴァー。加えて天候が悪化し、激しい豪雨が足場を滑りやすくし、視界すらも遮る。
「本当に、僕は何をやっているんだろう?」
悲鳴を上げるランディを守りつつ、ドワーフ、ならびにエルフの攻撃から逃れようと奮闘するが、このままでは何れ限界は訪れる。
異種族との共存を夢見た景色は儚い泡沫のように消え去り、黒く汚泥に包まれた悪意に染められていく。
本当なら、戦争を止めるべく今すぐにでも動くべきなのだ。この場にいないアリカ・リーズシュタットとダニエル・ゴーンと協力していれば、状況は違っていたのかもしれない。
「こんなの……どうしようもないじゃないか。所詮僕にできることなんて高が知れている。兄上一人でも手がいっぱいなのに、全員なんて守れるわけがない」
オリヴァーの耳に届く何度目か分からなくなる程の、フリーディアたちの悲鳴。豪雨と重なり合い反響する断末魔に心が折れそうになる。
「クソクソクソッ、何で私がずぶ濡れの泥だらけにならなくちゃいけないんだよ、一番似合わないだろうがよ! 一体いつになったら撤退の指示が降りるんだよ、なぁ!?」
「あ、兄上落ち着いてください!」
「うるさい! 貴様は何も喋るな!! 自分が異種族と戦えるからって私を馬鹿にしているんだろ!!」
「そ、そんなことありません! 僕が兄上を馬鹿にしたことなんて一度も」
ストレスで狂乱状態に陥るランディを宥めようにも、ドワーフの襲撃によって中断せざるを得なくなる。
迎撃する度、ランディのストレスは溜まっていく一方で、その捌け口としてオリヴァーを罵るという悪循環に陥ってしまっている。
死ぬ、このままだと間違いなく死ぬ。ランディが手にする薔薇輝械を見つめ、オリヴァーは一縷の望みにかけた。
「兄上、薔薇輝械を僕に……そうすれば逃げられる可能性が!」
「ふざけるな! そんなことすれば、いよいよとなって私の立場がなくなるだろうが!! 余計なこと言ってないで、さっさとあの化け物共を殺せよ!!」
「ッ」
聞く耳すら持たない義兄の無茶な要求に遣る瀬無い怒りが湧く。けれどそれを口に出しても仕方がない。オリヴァーがランディに怒れば、どうなるかは目に見えている。
「――さっきはよくもやってくれたなフリーディアァァァァッッ!!」
再び迫りくるドワーフ兵たち。その中にはオリヴァーが先ほど倒した者も幾人か混じっており――。
「は? あいつさっき、愚弟が殺した筈じゃ……」
ランディも見覚えがあったのかどういうことだ!? とオリヴァーに顔を向ける。
「アイツも、そうだアレもじゃないか!?
貴様まさか、魔術武装を非殺傷モードで使ってるんじゃないだろうな……?」
「…………」
オリヴァーは否定しなかった。魔力出力をギリギリまで調整し、ドワーフ兵たちを気絶させるだけに留めていたのだ。
「おい、何か言えよ!! どういうつもりだオリヴァー!!!」
「申し訳ありません」
そう告げたオリヴァーは、再びドワーフ兵たちと相対する。自分がやっていることは、ただの欺瞞に過ぎないと分かっている。
これは戦争だ。殺さなければ自分が殺される。オリヴァーの独り善がりの偽善でドワーフ兵を生かした結果、己の首を締める嵌めになっている。
再び迫りくるドワーフ兵たちに魔弾を放っていくオリヴァー。命中、防ぐ、躱す、命中、命中命中命中。
しかし、倒れるドワーフ兵たちは尽く息をしている。死んでいない。そう、死んでいないのだ。
「オリヴァーッッ!!!」
命を救ってくれた恩人に向ける視線ではない。ランディは、指示に逆らったオリヴァーに憎しみに近い視線を向けている。
しかしオリヴァーは何も答えず、ランディを連れて退避する。幸いにもエルフが生み出した岩石が影となり、身を隠すことができた。そして残った一人のドワーフが追いかけてくるも、オリヴァーはすかさず迎撃し意識を断つ。
最悪の危機は免れた。けれど、オリヴァーの心は一向に晴れる様子はない。
ランディが怖い。雨に打たれたせいか身体が寒さで震える。いや、そう誤魔化しているだけで本当は恐怖に震えている。
「申し訳ありません、兄上。僕は……異種族を殺せません」
「貴様ぁッ」
だって、仕方ないじゃないか。どれだけ恐怖を植え付けられても、オリヴァーの脳裏に浮かぶ一人の異種族の少女が消えて無くならないのだから。
"オリヴァーくん! 君の涙と鼻水で服ベトベトなんだけど、どうしてくれるの!"
"なら僕が今度君に似合う新しい服を見繕って買ってやる!! だから死ぬなよ、サラ!!"
"うん!!"
再び巡り合う、その日まで。サラと交わした約束は、祖父を想う気持ちと同じくらい大切になってしまったから。
どれだけ無様を晒そうと、サラを悲しませることだけはしたくない。もしかしたら、倒れているドワーフはサラの友達かもしれない。そう思うと、殺すなどとてもできない。
「(ギリリッ)……この愚弟がぁッ」
カチャリと、ランディはオリヴァーと同じ銃型の魔術武装の銃口を向ける。
それも、倒れているドワーフではなく血の繋がった義弟に対して。
「な、兄上!?」
オリヴァーは驚愕のあまり目を見開き、義兄を見つめる。ランディの目は完全に据わっており、これが冗談ではないと窺える。
「なぁ、オリヴァー。何で私の言うことが聞けないんだ? 殺す、魔力を殺傷域にまで高めて引き金を引くだけの簡単なことが何故できない?」
「………」
「ハァ、本当はこんな脅しなんてしたくないんだ。こんなことになってしまって、お祖父様もさぞ嘆き悲しんでいることだろうな」
「くッ」
降り注ぐ豪雨の音を搔き消すほど、激しく轟く雷鳴。まるでオリヴァーの心を反映するかのように、ゴロゴロと唸り始める。
「お祖父様も中々しぶといよねぇ。くたびれたカイエス家なんざ、遺産ごとさっさと売り渡せばいいのにさ。何のために私が嫁ぐと思っているんだよ」
「あ、あに……うえ?」
「ったく、命令さえ無ければッ、お祖父様がさっさと死んで遺産を全部私に相続してさえいればッ、こんな目に遭わなかったのにさぁ!!!」
義兄から紡がれる信じがたい言葉の数々オリヴァーは放心状態に陥る。幸いなことに岩陰に隠れ、ドワーフ兵たちに見つかっていないため襲撃されることはなかった。
いや、幸い……どころではない、ランディはオリヴァーを更にたちの悪い絶望に陥れようとしている。
「オリヴァー、そこで転がっている化け物を殺せ。さもなくば、お祖父様は更なる絶望を与えられ死ぬことになるぞ?」
「あ…………あぁッ……」
オリヴァーは知る由もない。祖父が病気となってしまった原因がランディにあるのだと。
ランディがとある名家に嫁ぐ条件としてカイエス家の遺産を全て受け継ぎ、財産を売り渡すのが必須とされていることも。
祖父がランディではなく、オリヴァーにカイエス家を受け継がせようとしていたことも。その事実を知り、ランディが祖父宛に病気を誘発させる化学物質が多量に含まれた菓子類を送っていたことも。何も気付かない祖父が嬉しそうに息子のお土産の菓子をこっそり食べていたことも。
水面下で何が行われているのか、オリヴァーには知る由もなかったのだ。
「………」
自分の命よりも大切な祖父を人質にとられた。その事実を受け止め、オリヴァーは気絶しているドワーフ兵に銃口を向ける。
黒一色のどす黒い感情の渦に呑み込まれ、引き金を引こうとした瞬間――。
「――止めなさい!!」
「………え?」
戦場の中に響いた確たる少女の声音に驚愕し、トリガーをかけていた指をそのまま引き抜く。
パァンッ、と乾いた音が響いたと同時に、オリヴァーは恐る恐る声のした方向へ視線を向ける。
「フリーディア、よくも私たちの夢をッ、皆を! 絶対に許さないから!!」
視線の先いた、一人のビースト。会いたくて、だけど一番会いたくなくて。こんな状況を彼女にだけは知られたくなくて。
「サ、ラ……?」
「うそ……オリヴァー、くん?」
奇しくも最悪の戦場で再会を果たしたオリヴァーとサラは、呆然と互いの名を呟いた。