第112話 開戦の号砲
ダリル・アーキマンから放たれし、開戦の号砲。ユーリ・クロイスたちが懐いたささやかで暖かな願いは無情にも崩れ去り、フリーディアと異種族の共存の可能性が完全に潰えた証だった。
フリーディアたちの怒りが、激情が、殺意が、ドラストリア荒野全域に木霊し、大気を震わせる。
大地が揺れ、皆それぞれに魔術武装を展開し、一目散にエレミヤたち目掛けて突撃していく。
「うわぁぁああああッッーーーーーん!!!」
狂乱したように泣き叫ぶエレミヤ。ナギとイリスに抱えられ急いで離脱するも、いやいやと抵抗を試みている。
「エレミィ……」
届いていた、確かに届いていたのだ。エレミヤたちが望むフリーディアとの共存の道が。
互いに相互理解を示し、明るい未来を語りながら酒を飲み交わしたあの時間は、エレミヤにとって数少ないかけがえのない宝物だったのだ。
彼女が夢見た人類の街をユーリを連れて歩くこと。ナギやイリス、ミグレットとサラ皆で一緒にわいわい騒ぎながら、お酒を飲んで燥ぎまわる。
「嫌……いやいや嫌!! こんなの嫌ぁぁぁぁッッーーーーー!!!」
エレミヤたちが懐いた、ささやかな幸せを無情にも奪われた。あの男に元凶だと全ての責任を擦り付けられ、今も天に轟く程の激しい慟哭がエレミヤを襲っている。
――ダリル・アーキマン。
この男の手によって、ユーリの描いていた夢も、エルフとドワーフの誇りや信頼も、全て破壊された。
ドワーフ王――ファガールを殺された彼らが黙っている筈がない。もはや再び和平を結ぶことは二度と叶わない。
「何で……何でこんな残酷なことが平然とできるのよぉぉおおおおッッーーーーー!!!!」
これは突発的な犯行では断じてない。前もってエルヴィスたちを殺すために誰かが仕組んだ計画的な犯行。加えて罪をエレミヤたち異種族に擦りつけることで、フリーディアたちの心を一つにしてしまった。
「落ち着いてください、エレミィ! フリーディアの大軍が攻め込んできています! 今迎撃の指示を下さなければ手遅れになります!!
あなたはエルフとドワーフの命を背負う指揮官でしょう!?」
「イリス……ぅ」
イリスに諭され、唯一残されたエルフの姫巫女としての使命感と責任が、エレミヤの正気を取り戻すに至る。
「エレミヤ、私は今から敵陣に突っ込んでダリル・アーキマンを殺しにいく。あいつだけは、あいつだけは絶対に許せない!!」
そしてエレミヤの横で叫ぶナギの表情は既に憎悪に呑まれ、ユーリと出会う前に逆戻りしてしまっている。内から溢れ出す殺気を抑えもせずに涙を流すナギを見て、エレミヤの胸に痛烈な痛みが伴う。
「全部、全部あいつが台無しにした! 私がもっとちゃんと、警戒していたらッ!」
「油断……はしていませんでしたが、完全に掌で玩ばれました。それにあの天から降り注いだ魔法……どうにも違和感が消えてなくなりません。
エレミィ、我々に挽回のチャンスをいただけませんか?」
ナギとイリスは、既に殺る気満々だ。恐らくどんな言葉をかけようとも、彼女たちの行動を制限することはできないだろう。
「……分かったわ。今から敵陣に仕掛けた魔法術式を展開して、部隊を撹乱させるわ。
イリス、合図をお願い。上空で襲撃した敵の居場所を最優先に突き止めて排除をしてちょうだい。さっきの魔法砲撃、もう撃ってはこないみたいだけど、無茶は禁物。二人とも絶対に死んだら駄目よ!」
「ごめん、約束はできない。それほどまでに私はあの男に憎しみを懐いているッ、パパとママに飽き足らず皆を、私たちの懐いたささやかな夢まで壊しやがってッ!!」
「ナギ……」
ナギの怒りに呼応するように、身体からバチバチと白雷が帯電していく。多分、彼女にはどんな言葉を投げかけても届かない。何故ならその気持ちは、エレミヤが今懐いている想いでもあるから。
「エレミィ、私もナギと同じ想いです。あなたの想いを踏み躙ったアーキマンという男だけは生かしておけません。
そして、それを阻むフリーディアを容赦なく殲滅します」
声は冷静だが、イリスも怒りに震えていることが分かる。もう戦争の流れは止められない。それなら規定通りフリーディアを殲滅しなければならない。
エレミヤは、即座に頭を切り替え、懐からミグレットに渡されたマジックアイテム――魔信機の子機を取り出す。
「――聞こえる? ミグレット」
『……エレミヤですか!? 一体全体何がどうなってやがるです、こんちくしょう!! 空から突然放たれた魔法に皆混乱してるですよ!』
エレミヤの応答に応えたミグレットは、状況を上手く呑み込めていないのだろう。説明する時間は惜しい。かつてないほどの冷酷な声でエレミヤは告げる。
「会談は失敗よ。あのアーキマンとかいう男、全部責任こっちに押し付けて権威を奪い取ろうって腹積もりかしらね。
今からそっちに戻って、フリーディア迎撃の指揮に入るわ! 必ず、必ず報いを受けさせてやるッ」
『エ、エレミヤ……本当に、あの会談で何が――』
戸惑うミグレットに答えず、ブツリと強制的に通信を切るエレミヤ。感情が暴走し抑えが効かない。自暴自棄になり、全部消えて無くなれと思ってしまっている。こんな感覚生まれて初めてだ。今エレミヤはきっと酷い表情をしているに違いない。
何故なら、幼い頃からずっと一緒だったイリスが、見たこともない驚愕の視線を向けていたのだから。
◇
ダリル・アーキマンより解き放たれた開戦の号砲――それは後方部隊で見守っていたアリカ・リーズシュタットとダニエル・ゴーンの耳にも届いており、突撃していくフリーディアたちに身体を巻き込まれていた。
「うぐぅッ、少しは落ち着けっての……痛ッ、誰よ今肩ぶつけたの!!」
アリカが抗議の声を上げるが、その音はフリーディアたちの号砲により、無惨にも掻き消されていく。
人波に曝され、いつの間にかダニエルと逸れてしまったアリカは、苦悶の表情で声を上げる。
「くっ、ダリル・アーキマン! あいつどういうつもりで!
何が同士よ、私たちと同じ志を胸に懐いているよ!! 状況掻き乱して、しっちゃかめっちゃかにしてくれちゃって!!」
ダリル・アーキマンから、エルフ姫巫女の罠により統合連盟首脳陣が殺されたと告げられたが、アリカはその言葉を真実だと受け止められなかった。
アリカ個人はエレミヤと面識がないため、どういう人物かは預かり知らない。本当に罠だった可能性もあるが、何よりこの状況はダリル・アーキマンにとって都合が良すぎると思えてしまう。
先の発言により、異種族を明確な敵だと定めたフリーディアたちは、名家、平民の垣根を超えて一つの目的のために走り続けている。
エルフ、ドワーフを殲滅、ならびに元凶たるエレミヤを生け捕りにして公開処刑を行う。
統合連盟首脳陣が一気に失われた今、人類はかつてないほどの混乱に陥ることだろう。
「まさか……アーキマン司令の目的ってどさくさに紛れて権力を手に入れる、ってこと? この戦争で勝利すればあの人は英雄になれる。そうなれば、誰も逆らえなくなる。
今の統合連盟政府を破壊することがアーキマン司令の目的なのだとしたらッ!?」
アリカの脳裏に浮かんだ一つの可能性。この事態が全てダリル・アーキマンによって仕組まれていたのだとしたら?
「ひょっとして、ユーリはトリオンにいない……? あれも全部嘘だったってこと? 本当はナギたちと合流して……」
アリカは直接ユーリの無事を確かめたわけではない。ダリル・アーキマンがトリオン基地へ搬送したと言っていたが証拠などどこにもない。
クレナ・フォーウッドが素知らぬ顔でダリル・アーキマンと一緒にいる時点で気付くべきだったのだ。
「ふざけるなぁぁああああッッーーーー!!!!」
全部、全部嘘だった。騙されていた。アリカたちが戦力になるから、体のいい駒として利用していただけ。
アリカが放つ咆哮は、他のフリーディアには異種族に怒っているように聞こえることだろう。
もう、何もかもが手遅れだった。
「クッソォ、落ち着け私! 何か、何か考えないと……。ユーリもこの件知ってるの? 戦争を止めなくちゃ……どうやって? これだけの数、私一人じゃどうしようもない。
オリヴァー、ダニエル、それに――」
ナギ。共存の可能性が潰えた今、彼女は何を想い何を成そうとしているのだろう?
彼女はフリーディアとの共存に全てを賭けていた。故郷を、家族をフリーディアに殺されても共に道を歩もうと寄り添ってくれたナギにとってこの状況は、計り知れない衝撃を与えることだろう。
フリーディアと異種族による過去に類を見ない程の大規模な戦争。もはや両陣営共に殲滅し尽くすまで止まることはない。
本来ならばアリカもフリーディアとして異種族を殲滅すべく戦わねばならないが、彼女はもっと別の視点で物事を見ていた。
「この戦争……絶対に勝敗を着けちゃ駄目なんだわ。何とかナギと合流してこの事を伝えないと! あいつ絶対にキレて暴れ回るに決まってるわ!」
フリーディアと異種族、どちらが勝っても人類に未来はない。それならば、当初の予定通りにフリーディア、異種族共に戦力を削って停戦を呼びかける。
「何とかして、前衛に出ないと……ダニエルと――それにオリヴァーを見つけ出して連れて行く!!」
最早立ち止まっている猶予はない。ユーリ・クロイスを助け出す以前に、この戦争の落とし所を見つけねば、全てが無為に帰す。
「私は戦うことしかできない。ユーリの剣であると誓った私が道を切り開いてみせる!!
魔術武装・展開――紅鴉国光!!」
アリカ・リーズシュタットはフリーディア、異種族どっちとも戦うと決断し、自身の愛刀を手に一目散に駆け出そうとするが――
「なっ!?」
刹那、アリカの足元に見知らぬ六芒星の魔法陣が浮かび上がる。いや、正確に言うとフリーディアたちが降り立つ大地そのものが魔法陣と化したのだ。
――異能術・超広域転移。
それはエルフの姫巫女、エレミヤが万が一の時に備えた、兵力の差を覆すとっておきの策。
地形と空間そのものを切り取り、強引に転移させることでフリーディアの陣形は文字通り大きく崩れた。
十万にも及ぶフリーディア全隊はミキサーのようにぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。
右にいた仲間が別人に入れ替わる。後ろにいたはずの仲間も別人に入れ代わり気が付けば逆走している。装甲戦車が有らぬ方向へ走り出し、自軍の兵士たちを轢き殺す。ぐるぐると景色が入れ代わり、フリーディアたちは混乱の渦に呑み込まれていく。
さらに加え、異種族のもとへ一直線に突撃していた兵士たちは、前後左右あべこべに入れ替わったことに気付かず、誤って同士討ちを始めてしまう始末。
アリカ・リーズシュタットも突如景色が変化したことに戸惑い、自分が今どの辺りにいるのかも分からなくなってしまった。
「何なのよ、これは!?」
何が起きたのか分からず、混乱のままに周囲の状況を見回すアリカ。その瞳に映る光景はまさしく地獄絵図だった。
混乱に乗じて名家が平民を殺した、殺された。何でお前がここにいる!? 隊長はどこに行った!? 誰か詳しい状況を報告してくれ! 止めろ、こっちは逆だっての! お前こそ何でこっちに向かってきているんだ!? よくもやってくれたな平民風情が! 役立たずの貴族は後ろに引っ込んでろよ!
味方の陣形は壊滅し、あちこちから阿鼻叫喚の嵐が吹き荒れる。
「敵の指揮官、これまでの異種族とは違う!?」
陣形そのものを崩すという大胆な発想。更に加え、地形や空間そのものを切り取り、超広範囲にランダム転移させるという不可能を実現したエルフ、ドワーフの実力に戦慄を覚えるアリカ。
しかし、エルフが放つ固有スキル――転移はフリーディアの陣形を崩すだけには留まらなかった。
荒れ果てたドラストリア荒野の大地が不自然に盛り上がる。そのことに気付いた瞬間、地中から巨大な岩の塊が姿を現した。
次々に出現する岩の塊は、柱のごとく天高く聳え立つ。動揺と混乱が広がるフリーディアたちの前に、地の利を得たエルフとドワーフが雄叫びを上げ、一斉に襲いかかったのだった。