第104話 異質な敵
「つーわけだ、愚物共。ミアリーゼ様に手を上げるとは、随分嘗めた真似してくれやがったな、クソがッ!!」
ミアリーゼとファルラーダは、互いに揺るぎない信頼関係を結ぶことができた。ゆえにファルラーダは、主に手を出したテロリスト組織ルーメンの面々に、赫怒の殺気を放つ。
「身の程を弁えろよ、愚物共。貴様らの行った蛮行を、この私が断罪してやるッ」
「ヒッ」
凄まじい気迫を前に、テロリストの一人が腰を抜かして尻餅をつく。周囲にいた者たちも同様に動けずにいる。
マークス・ガレリアンというルーメンの中でも高い実力を有する男が蹴りだけで壁を突き破り、彼方へと吹き飛ばされていったという事実を前に、彼らは戦意すら消失してしまっている。
「ははは! やっべぇ、形勢逆転しやがった!!」
唯一、椅子に座ったままのナイルだけが、お茶の間のテレビを観ているようなテンションで笑い転げる。
「そうだよ、私はテメェらみたいな無関係の他人を巻き込んで不幸に陥れる愚物が許せない!
シャーレのクズも同様に、グレンファルトも、どいつもこいつも裏でコソコソしやがってッ!!
気に入らねぇんだよ……逃げてばかりでよぉ!! ミアリーゼ様のようにどれだけ傷付いても、悪に立ち向わんとする正義を何故示せない?」
「ファルラーダ……」
今も抱き抱えられたままのミアリーゼは彼女の言葉に胸を打たれ涙を流す。
「本気の本音で今の世界が間違ってると思うなら、正々堂々正面から挑め!! 負けるのが怖いだけの腰抜け共が、最初から勝負を逃げてんじゃねぇぞ!!」
ファルラーダの言葉にテロリスト集団たちも思うところがあったのか、堰を切ったように彼女へ向け駆け出す。
「それでいい、ミアリーゼ様に手を上げた報いを受けさせてやる、一人残らずぶち殺してやるから覚悟しろ愚物共!!」
魔術武装を展開せず、ミアリーゼを抱えたままというハンデを背負ってテロリストと同じ土台に立つファルラーダ。
しかし、その戦闘能力は圧倒的だった。
使えるのは足技のみ。にも関わらず、為す術なく、紙屑同然に吹き飛ばされていくテロリスト集団を見て、ミアリーゼは戦慄する。
改めて、とんでもない人物を従えてしまったものだと思う。
これで手加減しているのが丸分かりだ。魔術武装を使っていないのに、その威力は凄まじく、人の骨がクッキーのように簡単にへし折れ、拉げてしまっている。本気を出したファルラーダは、一体どれだけの力を秘めているのだろうか。
気が付けば、ナイル以外のテロリスト全員が彼方に吹き飛ばされ、視界から消え去っていた。
「残るは貴様だけだ、愚物! 何者かは知らねぇが、貴様はシャーレ以上に苛つく野郎だ。取っ捕まえて、全てを吐かせてやる!!」
周囲が破壊の嵐に見舞われ、凄惨な光景が刻まれる中、豪奢な椅子だけがポツリと取り残されている。ナイルは不遜に足を組んだまま、立ち上がろうとさえしていない。
得体の知れない、という点だけみればナイルは一級だろう。彼を捕まることができれば、内部に巣食う裏切り者の正体も判明するやもしれない。
「ははは! 威勢がいいねぇ。荷物背負った状態で、どうやって俺を捕まえる?
強すぎるってのも考えものだぜ? あんたの魔術武装じゃ、威力が高すぎてお姫ちゃんを巻き込んじまうしな」
ナイルの言う通り、ミアリーゼを主君として忠誠を誓ったファルラーダは、制約という名の枷で縛られている。ミアリーゼが耐えられるギリギリのラインまで魔力を調整しているし、余波が届かないよう身体も気遣ってくれている。まさに走りながら針に穴を通すような行為に、神経を擦り減らしているのだ。
「ファルラーダ、私のことは気にせずあの男を――」
「いいえ、それはできません。何よりお身体の傷が深すぎる……全てはこの状況を招いた私の不徳です」
ミアリーゼを囮にし、覚悟を試したのは他ならぬファルラーダだ。彼女は自身に対しても怒っており、命に変えても主君を守り通そうとしている。
「ファルラーダ……分かりましたわ」
従者の覚悟に報いるは主君の務め。ならば意志を尊重し、安心して身を委ねよう。
「さて、と。仕方ねぇ。こっちも捕まるわけにはいかないんでね。
グランドクロス相手に素面で逃げ切れるとはこっちも思ってねぇ。だから少しだけ情報を与えてやるよ」
「「!?」」
死んだ仲間には一瞥もくれずに、ナイルは椅子から立ち上がる。制限があるとはいえ、フリーディア最高戦力を有するグランドクロスを前に、顔色一つ変えない異質な男に最大の警戒を見せる。
「神遺秘装――」
「………?」「……何!?」
その光景を、ミアリーゼとファルラーダは呆気に取られ見つめていた。彼が今何を言ったのか? その意味を預かり知らないのはミアリーゼだけ。
ファルラーダだけが、この場の異常性を察知している。
「……まさか」
ミアリーゼは一つの可能性に思い至り、顔面蒼白のまま叫ぶ。
「どうしてあなたが、魔法を扱えるのですか!?」
まさか、ナイルは異種族だとでもいうのか……。いや、彼は間違いなく人間。ミアリーゼとファルラーダの本能が彼を同類だと理解している。
「なーんつって」
「「ッ」」
今のは冗談だったのか? この状況で平然と嘘を吐くナイルは一体どういう神経をしているのだ?
「安心しろ、俺は正真正銘の人間だ」
と、ナイルはひどく落ち着き払った声音で告げる。
「俺は俺が何者なのかよーく知ってる。決して逃れられない不滅の■■に囚われている憐れな存在さ」
何だ、彼は一体何を言っている?
「その点、ユーリ・クロイスは不憫だよなぁ? 自分が何者かも分からないまま、戦場に身を投じるハメになっちまったんだからな」
「な、何故あなたがユーリ様のことを!?」
ユーリ・クロイス。テロリストの口から絶対に出るはずのない名前が飛び出し、姫は動揺を露わにする。
「答えは自分で考えな。んじゃ、今度こそ正真正銘、俺だけが持つ特別な力を見せてやる――そら、出番だぜ。来いよ! "風精霊"!!」
その声音には慈しみ、愛情といったこの場に似合わぬ想いが込められており。ナイルという人物に対する不気味さと不可解さが、さらに加速する事態となる。何故なら――。
『ビュビュビュビューーーーン!! 吹き飛んじゃえ♪』
突如としてミアリーゼとファルラーダの耳に、場違いな程、陽気な少女の声音が響いたのだ。
『嵐法・精奏玉風!』
刹那、ナイルの周りを囲うように迅の風が吹き抜け、螺旋を描き、巨大化していく。
「ミアリーゼ様!!」
恐るべき反応速度で、ファルラーダが自身で開けた大穴を通って退避していく。突然の事態に脳が追いつかず、気がつけば巨大な竜巻が巻き起こり、建物ごと粉砕し吹き飛ばしていった。
さらに驚くべきは、風に乗って空中に浮いているナイルと、その周りをハエのようにブンブンと飛び回る一つの翠閃色の小さな物体。
『ふははははは!! どうだ、こら! まいったか!!』
目を凝らして見れば、場違いすぎる陽気な声は奇妙な翠閃色の物体から放たれており。
「小さな……女の、子?」
そう。翠の物体の正体は、手のひらサイズ程の小さな女の子にしか見えなかった。
子供らしい愛くるしさを残した見目麗しき相貌。さらに腰まで見える翠の長髪は、空の景色と見事に溶け込み、さらに舞踏会でお披露目するときに着用する翠のドレスがキラキラと燐光を放ち、少女の美しさをさらに際立たせていた。
「バカな、異種族だと!?」
ファルラーダにとっても理解の及ばない事態なのか、狼狽の声を上げている。そうだ、手の平サイズの人間などこの世に存在しない。
あるとするならば、世界の理から外れた生物――異種族しか有り得ない。
「ゴホッ、ゴホッ! おいシルディ、あんま目立つような大技放つんじゃねぇよ、咽せちまったじゃねーか!」
『うっさいなー! これくらい派手な方が格好いいいいじゃんかー! ナイルってば、ほーーーんとになっっさけない! ほらほら、久々に遊び相手に巡り逢えたんだから、全力全開でビュビュビューーーーン――って痛!!』
シルディと呼ばれた小さな異種族は、ナイルに手刀を当てられ、悶絶する。
「何が全力全開だ、相手見て言えバカ! お姫ちゃんはともかく、あそこにいるダークスーツの姉ちゃんは、フリーディア最高戦力を誇るグランドクロス=ファルラーダ・イル・クリスフォラス卿だぜ?
これ以上手の内明かすつもりもねぇし、本気で遊ぶなら、例の《《融奏》》を使わなくちゃ、勝てねぇよ。そういうわけだからほら、さっさと退らかるぞ」
『ぶぅーーー!!』
そんなやり取りを繰り広げるナイルとシルディに対し、ファルラーダは迂闊に攻め込めむことはせず、ジッと相手の出方を窺っている。
「貴様、一体何者だ……?」
「おぉ、怖っわ! 悪い、答え合わせはまた今度な。時が来たら全力で相手してやっから、今回のところは勘弁してくれ」
「…………」
分からない、ただのテロリストの枠に収まらないナイル・アーネストという不可解な男の正体も、シルディと呼ばれた異種族の存在も何一つ。
「俺はこの世界の全てを知っているが、お前たちが俺の真実に辿り着くことはない。
せいぜい抗って、俺たちを楽しませてくれよ? 勝ちの決まった遊戯程つまらねぇものはねぇからな!」
ナイルの言葉が終わるや否や、シルディが再び巨大な旋風を巻き起こす。
『バイバーイ! ねぇナイル、次は《《皆》》も呼んじゃおうよ!』
「機会があればな。さーて、挨拶は済ませたし次はどう舞台を引っ掻き回してやろうかね」
『そりゃ次行くとしたら、あそこしかないっしょ!』
「そうだな、ダリルの旦那と協力して派手な花火を打ち上げることにしようぜ!」
最後の方は何を言っているのか聞こえなかったが、そんな二人のやり取りを最後に、旋風が収まる頃には完全に姿が消えていた。
ファルラーダはミアリーゼの治療を最優先に考える追わなかった。ミアリーゼもまた、今回の事態を重く受け止め、内に抱える闇を一掃する覚悟でいる。
「――ファルラーダ、デウス・イクス・マギア様のもとへ向かいましょう。
私たちに課された使命を果たすために」
「御意に。ですがその前に、すぐに安全な場所へ退避し、治療を優先しなければ」
「そうですわね……正直、意識を保つのが限界、で……。後のことは、お願い、し……ま」
この一日に注ぎ込んだ精神と身体は、限界をとうに超えてしまっていた。それでも気力を振り絞って奮い立たせていたが、ナイルとシルディが去ったことで、一気に緊張の糸が解れ、ミアリーゼは眠るように意識を手放した。
◇
その後、ファルラーダが迅速に医師を手配してくれたおかげか、幸い後遺症もなく、傷も綺麗サッパリと消えていた。
ミアリーゼはすぐにでも首都エヴェスティシアへ帰還しようとしたが、ファルラーダが傷付いた主の顔を衆目に晒すわけにはいかないと断固拒否を示したので、完治するまで大人しく入院していた。
その間、情勢は刻一刻と変化していき、フリーディアはエルフに敗北し、余談を許さない状況となっていた。
テレビのニュースは相変わらず誤報だらけ。異種族やテロに関することは最小限にか報じず、市民の関心を別方向へと向けている。これまでは特に何も感じなかったが、こうして様々な経験を積んだ今は、腑が煮え繰り返る思いだ。
命をかけて戦っている者がいるのに、何故お前たちは平然と日常を謳歌している? 一緒に戦おうとしない? 自分だけは無関係だと、本気で思っているのか?
ファルラーダが愚物と呼ぶその理由が今ならよく分かる。今後は無関係な者たちを含め、きちんと当事者意識を持つよう徹底的に取り締まらねばならない。
ファルラーダと共に西部戦線へ赴き、ドワーフとエルフを一掃する。そしてユーリ・クロイスたちと共に内部の腐敗を取り締まる。テロリストは一人たりとも生かしてはおかない。
そのためには、今のフリーディア統合連盟政府を改革する必要があるが……。
そんなことを考えていると、病室の外から耳馴染みのノックの音が聞こえてくる。入室を促し、現れたファルラーダから現在の最新状況を報告させた。
「――スラム街にあるテロリストのアジトは治安維持部隊によって制圧されたそうです。しかし主犯格と思しき人物は未だ発見できず、ルーメンの組織体系は未だ不明確なままです」
「そうですか。今後もスラム街を中心に取り締まる必要がありますわね。けれど無闇矢鱈にアジトを潰しても、テロリストは散り散りになっていくだけ。
ファルラーダ。その後のナイル・アーネストの行方は掴めましたか?」
ファルラーダはゆっくりと首を横に振り否定する。
「そうですか……」
ミアリーゼは治安維持部隊を動かし、スラム街を隈なく調べさせたが、最も警戒すべきナイルの情報は発見されなかった。
"俺はお前たち人間の全てを知っているが、お前たちが俺の真実に辿り着くことはない。
せいぜい抗って、俺たちを楽しませてくれよ? 勝ちの決まった遊戯程つまらねぇものはねぇからな!"
ナイルがあのとき放った言葉通り、調べても調べてもまるで雲の中に隠れた幻影のように尻尾が掴めない。分からないという結果だけが、ミアリーゼたちに齎す真実。
「ミアリーゼ様。テロ組織ルーメンのことも大事ですが、目先のことにも意識を向けた方がよろしいかと。あまり先を見すぎると足元を掬われますよ?」
「そうですわね。今はエルフの脅威の排除が最優先。
西部戦線は私たちが思った以上に逼迫している。たった一人のエルフによって本隊が壊滅されられたと聞いたときは本当に驚きましたわ」
現在人類は、未曾有の危機に瀕している。魔術武装を得て以降、異種族に対し無敗だった記録を塗り替えられたのだ。
父――エルヴィス・レーベンフォルン含め、統合連盟政府の高官たちは、現在その対応に追われている。
「報告によれば、エルフは神遺秘装と呼ばれる未知の力を有しているとのこと。
ファルラーダ、あなたならそのエルフに勝てますか?」
「愚問です。戦闘に関して言えば、誰にも負けないと自負しております。それこそ、貴方様の兄君にも」
強く宣言するファルラーダに、ミアリーゼも応えるように頷き返す。
「うふふ、ファルラーダは本当にお兄様がお嫌いですのね」
テレビに流れるグレンファルトの勇姿を見ながら、ミアリーゼは笑う。ファルラーダからすれば、グランドクロスの名を利用して名声を上げて市民に媚び諂っているとしか映っていないのだろう。
「本当に、世界というものは複雑ですわね。様々な思惑が絡み合って、何が正しいのか分からなくなってしまいそうです」
異種族、テロリスト、内部の勢力争い、挙げ出したら本当にキリがない。ミアリーゼはその全てと戦わなければならない。
「ですけど、例えどんな結末が待ち受けているとしても、私たちは受け止め未来を歩んでいかねばなりません」
全てはそう、今を真面目に生きる人たちの笑顔のために。
人の上に立ち、答えを示すのではなく共に歩む。その想いを悪意を以て、阻む者がいれば容赦なく駆逐する。
善も、悪も、等しく呑み込む器となれ。
けれど、ミアリーゼは人間だ。神になんてなってやらない。人が大事だというデウスの想いは伝わったが、悪が嫌だという人の意見もきちんと聞いてほしい。
真面目に生きようとする人たちに寄り添いたい。悪意を持って人を陥れる者を殺し尽くし、泣いている人たちが立ち上がれるよう手を差し伸べる。
そして、誰もが真っ直ぐ前を向いて自分の足で歩いていける世界にする。それが、ミアリーゼ・レーベンフォルンがこの旅で得た答え。
誰に言われるでもなく、指示されるでもない、自分で選んで自分で決めた新たな道。
問題は山積みで、もしかすると大きな争いに発展してしまうのかもしれない。けれど、例え間違えてしまっても、何もしないでただ見ていることはもう嫌なのだ。
だから、そのために彼女たちは行くのだ。伝えるために、戦うために。怒りの業火で悪を焼き尽くす。正義は、我にあり。
ミアリーゼ・レーベンフォルンが導き出した答えを、デウス・イクス・マギアへ伝えに行くのだ。