第103話 姫の結論
テロリストの潜伏先は網の目のように各所に点在しており、掃討は非常に困難であるとされている。
全貌が掴めぬ以上、軍は常に後手に回るしかない。ファルラーダ・イル・クリスフォラスたちグランドクロスが最も警戒しているのが、テロリストによるエヴェスティシアの襲撃だ。
内側を強固に守っているため、自然と外の監視は緩くなる。スラム街にテロリストが潜んでいる事実は政府も把握しているが、誰も寄り付かぬ無法地帯ゆえに放置している。
表立ってスラム街を襲撃し、テロリスト殲滅も可能ではあるが、それをすればより懐疑的な目で見られ、内部分裂を促進してしまう。テロリストはあくまで今の政府の方針に不満を懐いている者たちの集い。
よってファルラーダのような個人で動ける戦力が出向いて殲滅しているが、未だ需要人物の拘束には至っていない。
異種族と戦争する裏で暗躍し、国家転覆を目論む人物とは誰なのか?
軍の情報網を駆使しても足取りすら掴めない。加えてこちらの情報が漏れている事実から、まず間違いなく軍内部に裏切り者がいる。
ミアリーゼはテロリストについて、ファルラーダから大まかにそう聞いていた。
けれど――
「テロリスト――もといフリーディア解放戦線ルーメン所属、マークス・ガレリアン。
それが俺の名前だ、お嬢ちゃん」
ミアリーゼを見ろ下ろすマークスと名乗った男には、誇りなど微塵も感じられない。無関係なスラム街の住民へ暴力を振るうことの何が解放なのだ。
「何が……フリーディア解放戦線ですかッ、あなたの行った残酷な行為のどこに救いがあるのです!」
初めて味わう激痛を必死に堪えミアリーゼは叫ぶ。暴力の痛みを直接身体に味わった彼女は今も震えている。
「ははは! ねぇな。けどスラムの住人なんざいくら殺した所で何の影響もねぇんだよ」
そう言いながらマークスはポケットから手錠を取り出しミアリーゼの両手に嵌めていく。
もはや抵抗する力もない。マークスはミアリーゼの襟首を掴み無理矢理立たせ、「おら、さっさと歩け」と急かす。
言われるがままに歩を進めるも、いつの間にか内にある怒りは消え失せ、変わりに恐怖と絶望が沸き上がってくる。
一分、十分、三十分経てども、ファルラーダ・イル・クリスフォラスは姿を現さない。ひょっとして見捨てられたのか?
(ファルラーダ様は、本当の意味で私に従っていたわけではない。
あくまで私の覚悟を確かめるための手助けをしていただいたに過ぎません。スラム街の現状を見て、襲われて、それがとても怖くて……。
今思えば、あの時に将たる器を示していれば、結果は違ったのでしょうか?)
ファルラーダと共に旅をして、いつの間にか彼女に依存していたのかもしれない。隣にいるのが当然で、ミアリーゼの想いに応えてくれると無意識に甘えてしまっていたのだ。
多分、そう感じたからこそファルラーダはミアリーゼを見捨てたのかもしれない。何もできず恐怖で震えて所詮は口だけの小娘だと。
悔しい。ミアリーゼは自身の弱さに直面し、ひたすら歩き続ける。
導かれた先は、廃墟と化した古い屋敷だった。されるがまま中に入るよう促され、ミアリーゼは言葉もなく従う。
屋敷の内装は、廃墟とは思えない程様式美に富んでいた。その中でも一際大きい扉を無遠慮に開いたマークスは。
「帰ったぜー!」
やがて、ミアリーゼの視界に複数人の人影が映る。彼らはこちらに気づくと一目散に駆け寄ってきた。
「ガレリアン! 貴様また勝手にほっつき歩いていたのか!」
身なりがスラム街の住民より整っている。恐らくここが、ルーメンと呼ばれるテロリスト集団のアジトなのだろう。
マークス・ガレリアンがテロリスト集団においてどういう立場なのかは預かり知らない。仲間と思しき男性がマークスへ詰め寄ったと同時にミアリーゼの存在に気付き、驚愕の眼差しを向けていた。
「その方は……」
「ほら、お前らに土産だ。正真正銘本物のミアリーゼ・レーベンフォルン様だよ」
テロリスト集団が揃って、馬鹿な!? と声を上げ動揺を露わにする。
「俺の徘徊趣味もたまには役に立つだろ? まさかお目当てのお宝が自分から顔を出すだなんて、正直罠かと思ったが、何てことはねぇ。
確か、このお嬢ちゃん軍事基地や危険な場所に顔を出すのが趣味なんだろ? こっちに興味を示して姿を見せるのは不思議なことじゃねぇさ」
「「「「…………」」」」
説明を受けて、はいそうですかと簡単には納得しない。愚鈍な連中に話は通じないと、マークスはこの部屋にいるテロリストの中でも一際異彩を放つ二十代半ばの青年へと問いかける。
「そうだろ、"ナイル・アーネスト"?」
そして、勿体ぶったようにナイル・アーネストと呼ばれた青年は。
「――はは、俺に聞くなよ。お前の人殺し趣味にゃ、こっちも辟易してんだ。お姫様を寄越した所でコイツらのご機嫌なんざ変わんねぇよ」
恐らくナイルと呼ばれたこの人物がリーダー格なのだろう。その証拠に、彼だけが豪奢な椅子に腰を降ろし、他の面々は囲うように並んでいるのだから。
ミアリーゼは痛みで顔を顰めながら、ナイルの名をなぞるように呟く。
「ナイ、ル?」
兄、グレンファルト顔負けの端正な顔立ち、ファルラーダのように場を捩じ伏せるような風格はないが、異質さはシャーレの時に感じた以上だ。テスタロッサのような理から外れた存在でもない筈なのに、別の次元から語られたような奇妙な感覚が通り抜ける。
知らない、なのに知っている。初めて会う筈なのに、遥か昔に会っていたような。
どういうわけか姫の内なる本能が錯綜する矛盾を祝福していた。
「ナイル・アーネスト――あなたが、テロリストの主犯格なのですか?」
訳が分からず思わず口から出た問いに対し、呆気からんとナイルは肯定の意を示す。
「ま、そうともいえるな。俺の名はナイル・アーネスト。今後とも是非によろしく、ミアリーゼ・レーベンフォルンちゃん」
座ったまま足を組みながら自己紹介という、無礼極まりない態度で姫に名乗ったナイル。
「つーか、初めて生で拝んだが、本当不愉快極まりねぇ面してやがんな。こんな状況でもキラキラ輝いて見えて、どこぞの女神様を思い起こさせる。
お前は生まれた時から特別だ。それを理解してるか? 極光の英雄――グレンファルト・レーベンフォルン様の妹ちゃん?」
「なにを……」
彼が言っている意味の一割も理解できず、より不可解さを募らせる。
「理解しなくていいさ、今のは戯言と適当に流してくれ。それより、その顔――マークスのやつに相当痛めつけられたようだが、傷大丈夫か?」
道端で転んで擦りむいた子供に軽い気持ちで言葉をかけるような問いかけ。どこか軽薄で、それでいて心の臓を指先で撫でられたような奇妙な不快感がミアリーゼを襲った。
「…………」
「あぁ、こんな訳の分からねぇ場所に連れ込まれて恐怖に震えてんのか……。ま、無理もないわな。こっちもお姫様が現れたことは予想外で、正直持て余してんだわ。どうすっのが正解かねぇ……。
つかよ、あんたあの千術姫ちゃんと呑気に旅行してた筈だろ? 何でこんな寂れた場所に一人でいる? 奴はどうしたんだ?」
「な、どう……し」
ファルラーダが未だどこにいるのかはミアリーゼも知らない。けれど驚くべきことは、テロリストが何故こちらの行動を把握しているのか? その一点に尽きる。
「あなたは、何者なのですか?」
「ん? どういう意味だそりゃ?」
「そこにいるマークス・ガレリアンは置いておくとして……あなたには、ここにいる方々のような信念を感じません。
まるで私に真実を教えることで、身に及ぶ危険を愉しんでいるように感じます」
「へぇ……」
ミアリーゼの問いは、ナイルという人物の真を問いかけるもの。テロリストの信念と彼の信念には大幅なズレがある。
恐らくミアリーゼたちがここに来た事に気付いていた筈だ。口では驚いたなどと宣いながらも、彼の態度に驚いた様子がない。口から出まかせ、テロ組織ルーメンの主犯格は一体何を考えているのか?
「俺に問いを投げるよりも先ず、お姫ちゃんは自分の心配をした方がいいんじゃねぇか?」
刹那、ナイルが指で銃の形を作りミアリーゼへ突きつける。まるで本物の銃口を向けられた時のような死の悪寒が再び恐怖となりて伝播した。
「状況を見るに、お姫ちゃんは見捨てられちまったみてぇだな。じゃなきゃ、こうしてのんびり話なんてできるわけがねぇ。
それか、お姫ちゃんを餌にどっかで待ち伏せでもしてんのかね? さすが天下のグランドクロス様はやることがえげつねぇ」
その可能性は大いにあり得るだろう。ファルラーダがテロリストを見逃す筈がない。その時が来ればミアリーゼごと巻き込んで殺す。
助けは来ない。この絶対絶命の状況下で、身体全身が痛みで悲鳴を上げる中、姫はただひたすらに自分にできることは何なのか考え続ける。
こんなところで、死んでたまるか。試練はまだ終わりじゃない。恐怖を飼い慣らし、心に鎮めろ。もう一度初めから考え直せ。ファルラーダが求めるミアリーゼの気質とは何なのか? どうすれば彼女は認めてくれるのか?
(私は初め、デウス・イクス・マギア様を超える器を示さねばならないと思っていました。そうしないとファルラーダ様を従えて戦場に立つことはできないと。
けれど、それは私の思い込みで――ファルラーダ様は一度としてそんなことを口にしていませんでした)
ファルラーダはただ現在の状況をミアリーゼに語って聞かせただけだ。デウス・イクス・マギアの代わりをしろなどと一言も口にしていない。全部ミアリーゼが勝手に思い込んでいただけなのだ。
人間の全てを見て、知って、受け入れる。それは今の現実を否定して下を向かず、きちんと受け止めて前を向く。それがファルラーダの求めた答えなのだとしたら?
ファルラーダの原初から懐く想いとは――デウス・イクス・マギアが人類の繁栄を願っていることは分かった。善も悪も全てを総べる御方は全人類を等しく愛しているのだ。
その想いをファルラーダは尊重している。けれど、彼女自身はそんなこと微塵も思っていない筈。
(私、分かっていた筈なのに。ファルラーダ様は迷っておられるって。善悪全てを受け入れる器を望んでいるのはデウス・イクス・マギア様。
けれど、ファルラーダ様は違う。異種族を……テロリストを、悪が許せない、滅ぼしたい。
だけどあの御方の想いを知り、尊重もしているから、相反する想いが重なり板挟みになっておられた)
ミアリーゼは依存していたファルラーダと離れることで、もう一度自分を見つめ直す機会を得ることができた。
「おいナイル、そのお嬢ちゃんは俺が見つけて連れてきたんだ。お前ばかり喋ってないで、こっちも遊ばせてくれや。それかいっその事全員で汚して楽しむか?」
「ゲスめ。我らはお前とは違う!」
マークス・ガレリアンの下劣な提案にテロリスト集団たちは憤慨する。彼らは彼らなりの信念があってルーメンというテロ組織に身を置いているのか? だとするなら、誤った道を正すべきで――それができるのは一体誰だ?
ファルラーダ・イル・クリスフォラス? グレンファルト・レーベンフォルン? シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガー? テスタロッサ? フリーディア統合連盟政府? デウス・イクス・マギア?
――いいや、違う。彼らは既に悪に堕ちた。他の誰でもない、裁くのは正義を示せる己しかいない。
「……私、ようやく理解できましたわ(ボソッ)」
「あん?」
それは一瞬空耳ではないかと疑う程の小さくか細い声。しかしその声音とは裏腹にミアリーゼの胸の内は激情が渦巻いていた。
「そう、一人間に神なんて務まるはずはありません。それでは生贄と変わらない、ファルラーダ様はそんなこと望んでいません……彼女が本当に望む私は、主は――」
ファルラーダがミアリーゼに望むこと、デウス・イクス・マギアは関係ない。彼女本人が心から尽くしたいと思える将とは。
「――誰かが敷いたレールの上を歩かず、どんな状況に立たされても、誰に何を言われても自分を失わない、惑わされない! 胸に懐いた想いを貫き通してこの世全ての悪を討つ正義――それが、ファルラーダ様が本当に求める主です!!」
「「「「!?」」」」
今まで沈黙を保っていたミアリーゼが突如上げた声に、テロリスト集団が目を剥いて驚愕する。
「おー、びっくりした。恐怖でおかしくなっちまったのは分かるが少し黙ってな」
マークス・ガレリアンはミアリーゼを黙らせようと拳を容赦なく振るう。
「うぐっ、人の――人の未来は自分たちで切り開いていくものです!! 過去と同じ過ちを繰り返さない、そのお気持ちは分かります、けれどそのせいで今泣いている方々を蔑ろにしていることに何故気付かないのです!!
末永く繁栄すること、全ての人間を受け入れるその高潔な精神は神たる器に相応しいのでしょう。
それでもッ、今生きている人の嘆きを無視しているあなた様のやり方は絶対に認めるわけにはいきません!」
「おいおい、コイツ誰に喋ってんだ? マジで殴られて頭がイカれやがったか?」
拳を奮ったマークスも、周囲のテロリスト集団も困惑し狼狽し始める。ナイルだけはミアリーゼの意図を探ろうと見据えているが、無理もないだろう。彼らからすれば突然ミアリーゼが意味不明なことを喚き散らしたとしか映っていないのだから。
けれどそんなことはどうでもいい。ミアリーゼ今、こんな不安定な世界を作り上げたデウス・イクス・マギアに対し激怒している。
あなたがそんな風だから、テロリストや異種族たちに付け入る隙を与えるのだと。
「私が戦う理由は、あなた方のような世を脅かす悪を滅相する事です!!
それが、私の出した結論です!! 神だとか器だとか、そんな誰かの定めた価値基準など知ったことではありませんわ!!
私は悪が許せない! 許容なんてできません! なればこそ、私自らが矢面に立ち、人々に正道を示しましょう!」
人を不幸に陥れる悪を徹底的に殺し尽くす。人を傷付け平然と笑っている奴らを野放しにはしておけない。コイツらを今すぐにでも殺さねば人々に明日はない。けれど、それはミアリーゼ・レーベンフォルン一人の力では不可能だ。
けれど、彼女と――悪の存在を誰よりも憂う彼女と一緒ならば、きっと。
「ファルラーダ!! これが、私の出した答えです!! 人が持つ数多の感情を見て、知って、理解して、私自身が選び抜いた正道です!!
あなたが本当に今ある世界を変えたいと思うのなら――主として命じます! 己が正義を為すために私に力を貸しなさい!!」
ミアリーゼは叫ぶ。どれだけ暴力を振るわれようとも、煩いと口を塞がれても決して屈しない。自身の決意、そして覚悟を想いと共に全て曝け出した。
だから――。
「――そんなに叫ばれなくても、あなたの想いは充分に伝わりましたよ、ミアリーゼ様」
ファルラーダ・イル・クリスフォラスはミアリーゼの想いに応えてくれた。ドカンッ!! と天井を突き破り颯爽と姿を現す。
「な!?」
「邪魔だ、消えろ愚物!」
「ごはぁッッ!?!?」
驚愕するマークス・ガレリアンの身体を容赦なく蹴り飛ばしていくファルラーダ。ボールのように宙に上がり、建物に風穴を開けながら吹き飛んでいくマークスに目もくれず、ミアリーゼを優しく抱き上げる。
「ファルラーダ……」
突然現れたファルラーダに動揺するテロリスト集団を余所に、彼女はミアリーゼに架けられた手錠を指でピンと弾いただけで砕いてみせる。そして、解放されたミアリーゼは涙を浮かべながら抱き着いた。
ファルラーダはミアリーゼの想いに応えてくれた。従者として主と同じ道を歩いてくれる、それがこんなにも嬉しい。
デウス・イクス・マギアよりも、ミアリーゼ・レーベンフォルンと共に道を進みたいと、ファルラーダ・イル・クリスフォラスは思ってくれた。
人間の想いが神を超えた奇跡の瞬間だった。
「私はずっと、あなたのような方を求めていました。クリスフォラス家として裏で人類を支えていましたが、皆私に憧れるばかりで引き連れようとする者はいませんでした。
かつてこの世から悪を一掃しようとして、軍に捕まって、御前から悪を討つ愚かさを指摘されて、世界の真実を知って、多分……分からなくなっていたんです」
「はい」
ファルラーダの本音を噛みしめるように受け入れていくミアリーゼ。グランドクロスという立場の彼女は自由に動くことはできない。
なまじデウス・イクス・マギアが本気で人類の繁栄を願っているため、自身の懐く悪を一掃するという想いが間違いだと思い込んでしまったのだ。
「私は御前を心から尊敬しています。あの御方の想いに報いたいと、今でもその想いは変わっていません」
「でもそれは、あの御方の敷いたレールの上である必要はありません。神の言葉が正しいなど誰が決めましたか?
私たちは誰の言葉にも惑わされず、自分の信じる正道を歩んで行けば良いのです。共に世界を変えて、あの御方をあっと言わせて差しあげましょう!」
「御心のままに。新たなる我が主、ミアリーゼ・レーベンフォルン様!」
答えはシンプルかつ単純に。ミアリーゼという光を以て闇を祓う。今後の人類は姫の覇道により導いていく。邪魔する者は誰であろうと殺す。ごちゃごちゃ考えるから動けないのだ。
この胸の内に抱える激情と怒りの業火で人類等しく呑み込んでやろう。
ここに、ミアリーゼ・レーベンフォルンとファルラーダ・イル・クリスフォラスの確固たる主従関係が実現したのだった。