episode44(ⅱ)
鍋の沸騰する音、煮える音。
まな板と包丁がぶつかり合う音。
金属音と人の声。
厨房では各々の作業をしつつ、大勢の従者が働いていた。
そこに配属されたヒュウと処刑人二人は、すっかり場に溶け込み仕事を任されている。しかし彼らは、この中では最下層に当たる下拵え係、最も人手の多い仕事だ。
閉鎖的な空間ともあって、本来の依頼である調査は未だ手を付けられていない。勝手に抜ける手も考えたが、他の従者に怪しまれては元も子もないと判断して、今の今まで大人しくしている。
(見たところ、厨房にいる奴らにはいないな。時々出入りするフットマンが怪しいんだけど)
冷たい水に浮かぶ芋類を手にし、片手のナイフを器用に使って皮を剥く。芽を取り、指定された大きさに切る。
座っての作業とはいえ、しばらく前傾姿勢が続いていた。指先が赤くなって動かしにくいが、さして支障はない。
不意、外から騒ぎが聞こえた。
と思えば引き戸が凄まじい勢いで開けられ、傍にいたヒュウが飛び退く。
「ロッドさんっ すぐ見つかって良かった。ルーカスが負傷してしまって」
青年が三白眼を丸くする先、リグが少女を抱きかかえて息を切らして立っていた。慌てて彼は口元に指を立て、静かにしろと注意する。
周辺にいた者の数人だけが視線を向けたが、幸いにも興味がないようで作業を続行していた。ヒュウはリグの袖を引いて退出する。
様々な音が鳴り渡っていた仕事場から離れると、屋外の静けさは浮き彫りになった。
金髪の青年は困りきった表情をして謝罪を零す。腕の中のカツェルも、眉を八の字にして申し訳なさそうにした。
対してヒュウはへらりと笑い、彼女の容態を確認し始める。
「いいのいいの、ちょうど飽きてたとこだし」
顔色や応答のチェックを手早く済ませ、次に彼女を横たわらせる。打ちっぱなしの石畳は、日陰なこともあって涼しかった。
患部を一目見ると彼は彼女の脈を測る。その間、リグが自分たちの身に降りかかった出来事を話した。
報告を聞き終え、ヒュウは目を細める。彼は、毒を刺されたのだと診断した。
軍人たちが遭遇したのは蜘蛛の人外だと断言して良いだろう。一概に蜘蛛とは言うが、今回の場合は捕食する前に毒を打つ種類だろうと彼は言う。件の書庫に住み着いているとは考えられないが、なんらかの理由があるに違いない。
カツェルに関しては軽症の部類。多量に水を飲み、患部を処置すれば問題ないそうだ。
「よくココまで走ってきたね。毒が回る前で良かったよ」
長髪の青年は腰元から小型の注射器を取り出し、中に薬を込めてから彼女に打った。解毒剤らしい。
「激しい動きをしなければ大丈夫。戻ってヨシ」
「わぁっ ヒュー先生ありがと!」
ぱっと笑う少女に、青年は優しく微笑み返す。簡易的な診察が終わったのを見計らって、金髪の青年は小さく片手を上げた。
「あの、今回の仕事って従者の中に紛れている個体を摘発するんですよね。おれたちが見たのは紛れてすらいなかったんですが」
「そこなんだよね。住み着いてるってなると話が違うんだよな」
依頼主側の誤情報か、はたまた話とは違う人外なのか。
真偽の程はここで明らかにできない。ヒュウは小首を傾げながらも立ち上がり、背後にあった小窓から室内の様子を窺った。
厨房は慌ただしく、一人が抜けても忙しなさに掻き消されてしまうようだ。彼は紅い目を細め、口角を持ち上げる。
分からなければ自分の目で確かめれば良い。
リグたちが来てくれたお陰で調査に専念できそうだと言い、彼はエプロンの結び目を緩めた。
同じ班である処刑人二人には、あとで抜け出せるように仕込めば問題ないだろう。何せ、これだけ人がいるのに加えて自分たちは新参者。同僚たちに顔を覚えられている可能性も低い。
「君らは戻りなさい。サボってると思われてメイドたちに叱られるぞ」
下手に群れては注目を浴びる。単独行動とはなるが一時的だ、若い二人には離れてもらった方が得策だと彼は考えた。
年長者の言葉に、リグもカツェルも頷く。聞き分けよく踵を返す二つの背を見送って、ヒュウはすっと笑みを消した。
過る予感と、いくつもの憶測。
彼は長い黒髪を靡かせてその場を去って行った。




