episode43
「見て見てリグさんっ おっきい絵だね!」
「ルーカス、あまり触らない方がいいんじゃないか」
城内の清掃を担当することとなったリグだが、開始早々、好奇心旺盛なカツェルに振り回されていた。
滅多に着ることのない給仕服に興奮していた彼女だったが、今は既に興味の対象を変えている。目に映るもの全てに反応し、箒片手に忙しなく廊下を行ったり来たりした。
後方、彼は少女の行動をやきもきした気持ちで見ている。強く注意するべきかどうか迷っているようだ。
何より彼の中で一番の痼となっているのは、彼女はリグとグレウが親子であることを知らない、ということだ。
カツェルは彼にとって、憧憬を捧げ、畏れを抱いてきた父が拾ってきた子ども。そして処刑人として武器を与えられ、こうやって仕事を任されている。
その事実は、実の息子であるリグからして見れば複雑以外何ものでもない。嫉妬では決してないが、限りなくそれに近い気分だった。
深く思案に潜りそうになった時、彼は咄嗟に首を振る。業務に集中しろと言い聞かせ、羽根箒を握りしめた。
事前に知らされていた現場を見に行こうと言い、金髪の青年は体の向きを変える。カツェルは目を輝かせて彼の傍まで駆け寄った。
淡い色合いのドレスをはためかせ駆ける姿は、厚手のエプロンすら物ともしない。ずれたキャップを被り直し、彼女はにこりと笑った。
「ここらへん、人外さんの匂いはあんまりしないね。しばらく通ってないのかも」
前触れなく的を得たことを言う彼女に、青年は面食らって瞠目した。
元よりリグは純血の処刑人。人混みの中で人に非ざる者を摘発するのは造作もないことだ。
だが、匂いなどの目に見えない痕跡を見つけ出すことは至難の業である。今は人外である自分にしか分からない、感覚的なものだと思っていたが彼女は違うようだった。
怪物とはいえ生き物である人外は、特別に縄張り意識が強い。だからこそ、リグは残されていた僅かな匂いを敏感に察知できた。
では、カツェルは何故分かったのだろうか。
警戒されることを覚悟して問う。少女は茶髪を揺らしながら答えた。
「だってパパとママの匂いに似てるんだもん、分かるよ」
さも当然のことを言うかの口調で、ヴァイオレットの双眼を瞬かせた。
彼女の台詞に息を呑んだ青年は、腰に隠された軍刀へ手を伸ばしかける。だが即座に、彼女は正真正銘の人間だという言葉が脳を掠めた。
否、リグに束の間の殺意が湧いたのは、父親の姿が過ったからだ。
彼はぐっと堪え、息を吐く。
調査はまだ始まったばかりだ、問題は起こせない。
もう少し様子を見ようと心を落ち着かせた。
金髪の間から覗く瞳を翳らせ、彼は歩を進める。この少女に自分の内側を晒してはいけない気がしたのだった。
*
その頃、庭では。
「潜んでいる人外は屋内の可能性が高い。彼らに任せるとしよう」
「できることは探せばあるでしょう。ほら、さぼらない」
グレウは普段と変わらない調子で言い、堂々と手を抜こうとしていた。シュリは呆れた眼差しを向けつつ、城から離れていこうとする彼の裾を引っ張る。
この偉丈夫がこのような幼稚な態度をとるのは珍しいことではない。以前あった、一人で仕事を抜け出していたことをよく覚えているが、怠け癖は健在らしい。
叱り口調で諫める少年を、大男はくすくすと笑って見下ろした。優しげに細められた緑の双眸に、少年は既視感を覚えて口を噤む。
逡巡して、彼は意を決した。
少し前から気になっていたのだと前置きをし、瑠璃色の瞳を真っ直ぐに向ける。一際冷たい風が二人の間を通り抜け、太陽が雲に身を隠した。すべてが影に包まれる。
彼の声に淀みなどなかった。
「カツェルを処刑人にする必要があったの」
風の鳴る音以外、何も聞こえない静寂。向かいに立つ男は沈黙を口にした。
シュリは続けて言う。
確かに彼女は異常なほど命を奪う行為に慣れている上、死や怪我に怖気すら抱かない。それを利用して狩人にすることは当然の判断だ。だが、最終的な決断は本当に彼女の意志だろうか。たとえ本人がそう望んだとしても、正常な大人として導くべきは“普通の少女”の人生ではないか。
「少なくとも先生ならそうする。いや、してる。あの方は私に、普通の子どもであってほしいと願っているから」
出会ったばかりの当時、ヒュウに言われた台詞が熱を持って蘇る。君は普通に生きるべきだと、こんな殺伐とした世界で苦しむ必要はないのだと。
グレウは目を伏せる。一言だけ同意の言葉を吐くも、反応からして納得していなさそうだというのは明白だった。
彼は遠くを眺め、やがて重い口を開く。カツェル本人が酷く懐いてしまい、切るに切れなくなったと言った。
しかし彼の返答が不満だったらしい。子は睨みに近い目つきになる。
「私には、彼女をリグさんの代わりにしているようにしか見えない」
シュリの発言にグレウは口を噤む。
沈黙は肯定。
そう感じた少年は、彼を見あげつつ眉間に皺を寄せた。瞳は長に対する困惑と失望に似た色で濁っている。
そして、彼は一歩離れて言った。
「……リグさんが抱えてきた気持ち、貴方には一生わからないでしょうね」




