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episode40

 穏やかな陽気が続く、ここ数日。

 子どもたちの賑やかな声が街の至る所で谺する。あたたかな日差しに気が緩みそうだが、それを引き締めるような硬い音が響いた。


 短い息継ぎ。踏み込む足音。風が鳴る。


 事務所の裏庭にて、シュリとリグが手合わせをしていた。木製の西洋剣を交じらせ、二人は面に汗をにじませている。

 凄まじい身長差だが少年にとっては好都合。小回りの利く動きと常人離れした瞬発力が相手を翻弄する。

 彼が負った怪我は、二週間を待たずして完治していた。そのためか思い切りの良い体捌きが可能になっている。

 対して、金髪の青年は冷静な判断をし続けており、守りに徹していた。


 するとシュリから、虚を突く一撃が繰り出される。咄嗟に躱すと、その躱した先に再び刃が牙を剥いていた。

 一本取った。

 子がそう思った瞬間、リグは剣を自身の剣で弾き返す。重い力が一度に刀身に伝わって、ビリビリと柄まで振動が伝わった。


「いい動きだ」


 金糸から覗く深緑の瞳と目が合う。彼は満足げに笑っていたのだ。


 シュリは大きく引き下がり、額の汗を拭う。かれこれ二時間は動き続けているのだ。そろそろ疲労が溜まってきた頃合いだろう。

 息を整えようとする彼を見て、リグも構えを解く。休憩しようと提案して歩み寄った。


 ふと裏口の扉が開く。ヒュウがトレーを両手に、こちらを見ていた。


「お、丁度いい。お茶にしようと思ってたんだ。おいで」


 錆びついたガーデンテーブルに薔薇のような香りが立つ。用意されたグラスには美しい琥珀色が注がれた。

 軽食で作ってくれたらしい小さなサンドウィッチは、白い丸皿に整然と並ぶ。日の光を浴びたその様は、一種の絵画のようだった。


 火照った体をシャツの襟元で扇ぎながら、師のもとへ向かう。リグも首元まで留めていたボタンを外した。

 グラスの中の氷が崩れる。少年は丁寧な所作で一口含むと、意外そうな顔をして言った。


「ディンブラのアイスティーですか。珍しいですね」

「君たち暑いって言うだろうから冷たいのにしたんだ。味もすっきりしてるしね」


 サンドウィッチを頬張りながら師が答える。

 傍ら、リグは紅茶の銘柄など分かっていないような反応をしつつも、狼耳を機嫌よく動かした。尾も規則正しく左右に振られている。


 ヒュウは眠たげに欠伸をすると、気を改めて口を開いた。


「この間の三体同時発症の件なんだけど、誰かが意図的に仕向けたものだと断定して良さそうだ」


 弟子の蒼い双眼が瞠目する。隣の青年も、ぴくりと動きを硬直させた。


 ヒュウは年下組の反応を一瞥して続ける。

 前回、発症者からの死体から採取された血液を鑑識に掛けた結果、どれも遺伝子が途中で変わっていたらしい。

 通常の食欲発作で、遺伝子がここまで急激に変わることはない。この変異は前々から分かっていたことだったが、もう看過することはできそうにないと青年は言う。


 完全に、第三者が仕組んでいると。


 遺伝子の変化は発作関連以外にもある。リグの人外化だ。

 昨日、採っておいた彼の血を検査したが、到底人間のものとは思えない塩基配列を成していた。それでもなお、彼が以前の姿を保ち続けられているのは、外的要因に上手く順応できたからではないだろうか。


 そこまで話を聞いていたリグが、ふと面を翳らせて問う。


「あのフレイアという女性が、おれに何らかの影響を与えたと……あまりよく覚えていなくてすいません」

「謝らなくていいよ。大体の予想はついてるから」


 申し訳なさを払拭するほどのヒュウの笑顔に、狼の青年は心做しかほっとした表情をした。

 一方、彼の発言に対して弟子が、どんな予想なのかと問うた。師はアイスティーを嗜みながら答える。


「アイツの専門分野は薬剤だ。飲み薬、塗り薬、その他諸々調合できる分には知識が確か。手っ取り早いのは注射かな」


 シュリにとって、薬と言われると同時に思い浮かぶのは毒の存在だった。


 初冬辺り、主に現場で起こった処刑人暗殺事件は毒が使われていたらしい。それも少量で死に至らしめるほどの猛毒。細かな針に仕込んだせいもあって、凶器の存在が明らかとなったのは最近だそうだ。

 フレイアが黒だと判明したあの夜、ヒュウと争った際も毒の塗られたナイフを使っていたのが記憶に新しい。


 故意に食欲発作を起こすことができる薬。

 無理やり人間を人外にさせる薬。

 そして、連続した処刑人殺し。


 ターゲットは絞られているようには見えない。だが、裏で糸に繋がった何かがあるのは感じ取れた。


 少年は手に持つ、食べかけのサンドウィッチを見下ろして言う。


「シンセ森の人外たちが街に下りているのも彼女の仕業なのでしょうか」

「あの蝶の目的が分からない以上、そうは言い切れないね。でも可能性はゼロじゃない。一体なに考えてんだか」


 呆れに近い溜息を吐いて青年は答えた。


 紅い双眸は知らぬ間に伏せられ、彼の長い黒髪が肩から流れる。

 この三人の中で、師は最もフレイアについて知っているはずだ。だからこそ複雑な心境なのだろう。長く同志と思っていた仲間が裏切るだなんて、考えもしていなかったのだから。


人外(かれら)に心はないと言っても、先生はきっと、違う)


 弟子は暗示に似た言葉を胸中で吐いて、鼻の奥に飽和する紅茶の匂いを忘れようとした。

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