episode39(ⅱ)
「私が今日、手合わせをした相手は少女は……貴方のお父様が拾ったと聞きました」
シュリの話を聞いて、狼の軍人は音もなく振り返った。深緑の双眼を瞠目させ、瞬く間に頭上の三角耳が後方へ反らされる。
当然の反応だと思いながら、彼は報告という名の情報共有を続けた。少女の名前、特徴、彼女はグレウを心底信頼していると。
話が進めば進むほど、無表情だったリグの面に影が差した。複雑そうに瞳を揺らし、いつの間にか止まってしまっていた手を注視する。
できる限りの情報提供が済むと、しばらくの沈黙が落とされた。時計の秒針のみが空白を埋める。
青年は理由を問いたかった。
それをおれに話した意味は。意図は、何なのか。
しかし声になる前に萎んでしまう。父親が自分でない子どもを手元に置いていることに、言わずもがな動揺していたのだ。
彼の何か言いたげな唇を見て、少年は目を伏せる。リグの形容しがたい心中を察して、自ら答えを口にした。
「これを機に、ちゃんとお父様とお話しされた方が良いのではないでしょうか」
助言とも節介とも取れる台詞。
彼は青年の父子関係を気に掛けていたのだ。
シュリは、リグの抱える実父への後ろめたさを知っている。自身の不甲斐なさ、無力さ、後継ぎとして立てるかどうかの不安も、すべて聞いている。
だからこそ腹を括って話をしなくては、もう二度と戻れなくなってしまうのではないかと感じていた。
グレウがカツェルを拾い、傍に置き続けている理由は分からない。考えられるのは、彼女の存在を息子の代わりとさせているのではないかという憶測のみ。あの偉丈夫に至ってそのようなことはないと思うが、とシュリは付け加えた。
一方、金髪の青年は、まだ幼い同僚に返す言葉を探していた。無を貫く面とは打って変わって、狼の耳と尾が萎縮してしまっている。戸惑いを隠そうとしているのだろう。
そんな様子の彼を見上げ、少年は優しく言った。
「お気持ちが決まりましたらお話ください。私も何か助力いたします」
無理に今答えろというわけではない。急いてはきっと何処かで綻びが生じる。ならば、彼自身に舵を任せるしかない。
精一杯の心配を浮かべられ、眼前のリグは一つ首肯した。迷いがあるのは明白だった。
彼は片付けを済ませると、先に休むと言って部屋を出ていった。逃げたわけではないだろう。一人で考える時間は必須だ。
それを見計らってか、裏庭からヒュウがやってきた。彼は笑みを消し、閉ざされた玄関を見つめている。
「今回ので流石に決心できそうだと思うんだけど。どう転ぶかな」
「盗み聞きは良くありませんね、先生」
「僕だってあの親子のことは興味深く思ってたんですぅ、仕方ないんですぅ」
子どもじみたわざとらしい屁理屈に、弟子は大袈裟に溜息を吐いてみせた。同時に、師もリグのことを仲間だと認識してくれているようで安心したのだ。
以前のような――特に、セレスの時と同じことがあっては心が保たないとシュリは思っていた。再び彼との齟齬に直面した時、今度こそ人でなくなってしまう気がした。
一呼吸置いてシュリが立ち上がる。自分もそろそろ眠ると言い、近くにあったシャツに腕を通した。
長髪の青年は適当に返事をして自身の仕事机につく。散乱した紙の束をまとめつつ、弟子の背を見送った。
(親子、ね)
覚えずそんな言葉が胸に残る。
ヒュウは親の顔などほとんど覚えていなかった。三百年以上も前のことなのだから、霞んでいても仕方がないと言い切れる。
しかし代わりに過るのは、かつて彼の親代わりをしていた人間の姿。
硬い髪を無理に一つに結び、たった一人で山奥に暮らしていた壮年の男。飽きもせずにイーゼルの横に居座っていた画家の端くれ。
人外の子どもだというのに、恐れることなく頭を撫でてくれた変わり者。
彼のことを、父親としていた頃の記憶が懐かしい。
(その呼び名は重かっただろうに。どうして嬉しそうに反応してくれていたんだろうね。父さん)
蝙蝠の夜は、静かに更けていった。
*
同日、深夜。
大通りに面する花屋は深く眠り、店の奥ではガラス瓶の小さな音が立つ。液体が沸騰し、古紙を捲る音が鳴った。
合間を埋めるように、明る気な声色の会話が聞こえる。
「へー、意図的にバケモノにできる薬かぁ。なんだっけ、食欲発作?」
「えぇ、画期的でしょう。これならアナタとの計画も成功するわ」
緩くウェーブのかかった金髪を揺らし、彼女はトレーに乗せたいくつもの試験管を見せた。中には色の違う血液が入れられており、左に行くにつれて濁った赫になっていく。
向かいに座っていた赤毛の彼は、それを見上げて言った。
「でも直接注射しなくちゃいけないのがネックだよね。人外って減ってるんでしょ? なおさら探すのが大変っていうか」
「そうね。だから今、人外化させる薬も調合しているのだけれど……みんな拒絶反応を起こしてしまうわ」
トレーを置き、彼女も椅子に腰掛ける。困ったかのような表情になって頬に片手を添えた。が、すぐに顔を上げる。
「でもね、一人だけ成功した子がいるのよ。処刑人の子」
「マジ! すごいじゃん、どうやって投与したの?」
黄色い目をした彼に、優美な仕草をする女性は人差し指を口元に寄せた。どうやら秘密らしい。
「これで復讐が果たせるわね、ロゼルア」
「うん、頑張ろうね、フレイア」
密会は、不穏な影を過ぎらせて進んでいった。




