episode4(ⅲ)
「怪我の具合を聞いてもいいかい? 処刑人さま方」
人外のヒュウは、そう言って笑ってみせた。
シュリは頭から血の気が下がるのを感じ、つい声を上げる。しかしヒュウは悪びれる様子もなく、にこやかに返した。
一方、処刑人らは怪訝そうな顔をして、見下ろしてくる青年に銃口を向ける。
「ほう。貴様が噂の救命士とやらか、ロッド」
「え、僕ってウワサされてんの? 有名人じゃーんすごーい」
ヒュウは両頬に手を添え、何故か嬉しそうに言った。
先程の緊迫した空気が彼の所為で嘘のように無くなる。シュリの心にも余裕が生まれ、視界が一気に広がった。
しかし安心はできない。ヒュウが人外であるという事実が晒されるのも時間の問題だ。なるべく戦わず、迅速に事態を収束させたい。
「んで、なんの用だい。怪我をしているようには見えないけど」
笑っている仮面を付けたような青年が尋ねると、一人の処刑人が今一度すべてを説明した。人外の少女がここへ逃げた、と。
それを聞くなりヒュウは「そうなのか⁉」とシュリに聞き返す。思わず少年は大きな溜息を吐いて、師を当てにすべきでないと判断した。
だが彼の頭には何か妙案が浮かんでいるらしく、視線をしきりにこちらへ向けてくる。
目下の処刑人らの気を引くのに、ヒュウはどうでも良い話を何度も彼等に振った。最近の人外の被害に関すること、国際情勢など気難しい話をマシンガンのように絶え間なく尋ねる。
話している最中、ふとヒュウは自身の腰元を一瞬だけ指さした。
これは自分への合図だとシュリは感じ、彼も腰に手を伸ばす。そこにあるのは愛用しているピストル、そして――
少年がその存在に気が付き、目を丸くして師を見た。彼は途切れさせることなく話をし続けながら、小さく口角を持ち上げる。
処刑人の一人が痺れを切らしたらしく、棘のある口調で言った。
「ロッド、話が通じないのか。さっさと中に……」
しかし、その言葉はそれ以上紡がれなかった。
突然黙り込んでしまった同僚を気にして、他の処刑人らが猟銃の構えを解く。顔をそちらに向ける頃には、既に彼等の視界も暗くなっていた。
物騒な処刑人らは深い眠りに落ち、その場に倒れ込んだのである。
ごろごろと地面に転がった大人を前に、シュリは片手に握った注射器の針を眺めた。そこに滴るは半透明の液体、以前ストーカーを行った人外の捕獲にも使用した麻酔だ。
彼は少し不安げに、笑みを消したヒュウを見上げる。
「先生、これ対人外用の麻酔なんですが……人体に影響は」
「まぁ多少はあるだろうな。丸々一本使ってないから死にやしないとは思うけど、記憶障害は負うんじゃね?」
「疑問形なのやめて下さい」
ヒュウは踊り場から飛び降りると、地べたにへばり付いて眠る彼等の手首に指を添えた。脈を測っているらしい。
数分後に顔を上げると、彼は満面の笑みで「問題なし!」と言って立ち上がる。
その後はヒュウが手際よく処理してくれた。
処刑人らを束ねる国の守護団体に連絡を入れる。流石に子供が麻酔で眠らせた、というのは聞こえが悪いため黙っていることにした。
ヒュウが処刑人らの相手をしている間に、シュリはキッチンへと駆ける。そこには顔面蒼白の母親と震える少女が蹲っていた。
「もう大丈夫ですよ、楽にして下さい」
微笑みかける彼に、親子は揃って安堵の息を吐いた。
ふと外から複数の蹄の地面を蹴る音が聞こえてくる。早くも守護団体がやってきたようだ。
師一人に任せても良いが、なんだか胸騒ぎがして仕方なかったためシュリも表へと出た。
馬に乗った十人ほどの大人が、ヒュウを見下ろす形で対峙している。長と思われる一人が、睨みつけるような眼差しでこちらを見つめていた。
「同胞が失礼をしたようだな、謝罪しよう」
そう言うと彼は、後ろに控えていた部下たちに片手を上げて何やら指示をした。彼等は横たわる処刑人らを担ぎ上げ、馬の背に乗せるとその場を後にする。
長はそれを見送ることなく、視線を変わらず青年に向けていた。
「俺は処刑人らを統率する者、グレウという。彼等に代わって詫びをさせてくれ」
「詫びはいりません。ですが私の質問にお答え下さい」
間髪入れずにシュリが言う。高い身分の者を相手に助手は何を言うのかと、隣に立つヒュウは開きかけた口を噤んだ。
長――グレウは小柄な少年に視線を向け、彼の言葉を催促する。
「あなた方処刑人は、人間と人外を見分けられるというのは事実ですか」
「当然だろう」
「では何もしていない人間に手を出すことなどありえませんよね」
「……少年、その問いはあの同胞らのことを言っているのか」
睨みに近い眼光のままシュリは頷く。彼の返答に長は暫く黙り、何か思案するように遠くを見た。
「わかった、彼等にはしかるべき処置を施そう。濡れ衣を被った人間にも謝罪する」
そう言い残し、グレウは手綱を開いた。馬は身を返しその場を去っていく。
影が見えなくなった瞬間、ヒュウは少年に向かって低い声で呟いた。
「あのリーダー、僕が人外だって気付いてたな」
師の台詞を聞くなりシュリは勢いよく顔を上げた。不安そうな表情は酷く取り乱しており、そんな、を小声で何度も言う。
彼は今すぐ殺しに行くと言って腰に手を伸ばすと、ヒュウに叱られてしまった。
「何考えてんだ馬鹿。殺されずに済んだんだ、別に始末しなくていい」
銃に伸ばされた手を握り、ヒュウは少年の小さな体を引き寄せる。
「しかし先生……っ」
「大丈夫だから。それより今は親子の方」
彼の言葉にシュリは事務所の玄関に目を向ける。開けたままの扉の向こうから、母親と娘が安心したように笑い合う様子が見えた。
本来の目的を思い出した彼は脱力し、か弱い声音で謝罪を口にする。ヒュウはきつく掴んでいた手を放し、一つ頷いて玄関へ歩き出した。
その後親子はシュリの護衛付きで自宅へと帰って行った。
一方、事務所に独り残ったヒュウは、助手の彼が今朝用意してくれた紅茶を口に含んでいる。すっかり冷めて香りも薄くなっているが、それ以上に気になって仕方ないものが胸を満たしていた。
(処刑人が民間人に手を出した……これも食欲発作と関係が?)
人間と人外の間に掘られた深い溝。その原因となっている食欲発作による事件には、ある謎があった。
それは発作を起こした人外の血の変異。
つまり通常の人外の血と、食欲発作を発症した人外の血の一部が変わっているということだ。
そもそも発作は人外自ら発症させることはできない。人間でいう発熱と同じようなもので、血自体が別物に変わることなどない筈だ。
(となると、やっぱり第三者が故意に発症するように仕向けていることになるな)
誰が何の為に、どのような手口で行っているのかはまだ分からない。
その「誰か」がもし、処刑人と関係を持っており民間人に危害を加えるよう吹き込んでいたら。
人外と人間の溝を完全なる崖にしようと企んでいたら。
尽きない憶測にヒュウは首を振り、カップをテーブルに置く。立ち上がって、意味もなく辺りを見回した。
あの少年が来て、一年が過ぎる。
殺風景だったこの部屋に、もう一人分の生活用品が増え、何気ない会話も聞こえるようになった。
彼には今でも頭を悩ますことがあるが、孤独より遥かに良い。かつてまだ彼が一匹の人外であった頃、このような未来は想像もしていなかっただろう。
人間を恨みつつも、人間の命を繋ぎ留める仕事を始めたあの頃は、ただ感情を殺して手当てをしていた。自分の父親を見習って、わかり合うためにと綺麗な理由を携えて生きてきた。
しかし今は、人間のことを信じても良いような気がしている。
人外を信じて、付いて来てくれた人間がいるのだから。