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episode35(ⅰ)

 赤毛の軍人と出会って七日経った真夜中のこと。


 シュリは草臥(くたび)れた様子で帰宅した師を出迎え、他方リグは既に就寝していた。

 しばらく雪が降らなくなって、風も刺すほどの痛みはなくなった。コートを脱ぎつつヒュウは、今回も収穫はなしだと言って自身の仕事机に向かう。


 その背を追って弟子が尋ねた。


「先生、昼頃にこんなものが投函されていたのですが、悪戯でしょうか」


 白い手には掌大の葉。光沢や厚みもあることからフテの木の葉だと分かるが、街中では見かけない代物だ。

 長髪の青年は、ぎょっとした顔をしてそれを受け取る。裏返すとそこには、古いインクが縦横無尽に這っていた。端から見れば黒をぶち撒けただけのようだが、よくよく見ると字を成している。


『来て』


 葉いっぱいに書かれていたのは、たったそれだけ。

 幼児が真似事で書いたにしても酷い字である。シュリは初め、近所にいる子どもの仕業だと考えていたが、意味深長な文字の並びに違和を覚えた。


 ヒュウは疲れた顔を顰め、大きく息を吐く。これは悪戯ではないと答えると、ぴらぴらと葉を弄びながら言った。


「月魄様からだ。森で何かあったみたいだね」


 久しく聞いた名に、弟子は思わず声を出す。


 月魄様もといセーゼは、シンセ森をたった一人で守り続けてきた人外である。人柄も目的も謎に満ちており、わかるのは圧倒的な戦闘能力。神と畏れられるには申し分ない存在だ。


 そのような者からの連絡など非常事態に違いない。シュリはすぐに向かった方が良いと言った。

 対してヒュウは首を振り、慌てる弟子へ静かな眼差しを向ける。


「夜の森は危ない、日が昇ってからにしよう。あとリグも連れて行く。何が起こっているのか分からないからね」


 時計の針がカチリと時間を刻む。

 シュリは一つ頷いて、蟠る不安に蓋をした。


 ・・・


 翌日、早朝。

 日がまだ昇りきらないが、師弟は事情を説明したリグをつれて森へと来ていた。


 音のない自然に囲まれた此処は、相変わらず生命を感じられない。薄暗いが、明かり無しでも行けそうである。ヒュウを先頭にして一行は歩き出した。


 軍人は狼の姿を晒し、辺りに忙しなく視線を遣る。真剣な目付きは仕事中の彼と同じなのだが、尻尾は素直に振られていた。

 不思議に思ったシュリは、彼を見上げながら理由を問う。対してリグは平然と答えてみせた。


「森には一度行ってみたいと思ってたんだ。人外がたくさん居るみたいだからな」


 それは仲間意識なのか、はたまた処刑人の血が騒いでいるだけか。前者であることを祈ってシュリは微笑み返した。


 森の中心部に近づいた辺り、冷気がぴんと張り詰める。たびたび谺する鳥の鳴き声に気味悪さを感じながら、三人は歩を進めた。

 ふと、氷の音が鼓膜を掠める。


「待ってた。ヒュウ、ひとの子」


 師の足が止まるのと同時に、空を覆う木々から人影が落ちる。ふわりと着地する姿は、さながら天使のような優美さを纏っていた。

 セーゼは変わらず感情のない顔と声で、シアンの瞳を瞬かせる。白銀の髪はシルクを彷彿とさせるほどに美しく、整った面の白さを引き立てていた。


 彼もしくは彼女は、師弟の後ろにいるリグを見て小首を傾げる。


「なんか増えてる。人外の軍人なんているんだ」

「いや、この子は元々人間。色々あって今は違うけど、それより呼び出しの理由を聞かせてもらえるかい」


 早急に本題に入りたいヒュウは、平生よりも低い声音で返した。彼の一笑すらしない態度には慣れているのか、番人は気にも留めない。

 単刀直入に切り出すその顔に、表情というものは相変わらず存在していなかった。


 森に住まう若い人外たちが、街へと出ていってしまっていると。


 一度に多くの、という訳ではないが人間に化けられない、ましてや人語すら話せない状態の化け物たちが続々と森を後にしているらしい。原因は不明。何か思い立ったかのように忽然と姿を消すそうだ。

 セーゼは止める理由がないため彼等を自由にさせていたが、今回は流石に看過できない事態だと言う。


 ヒュウは話を聞いた途端、面を険しくした。気配を感じないのはそのような背景があったのかと呟き、唸り声で口を噤む。

 隣、何故だか黙り込みたくなかったシュリは問うた。


「話を折るようで申し訳ありませんが、そもそも、どうして人外はこの森に来るのですか」


 生まれて間もなく、怪物たち(かれら)は本能的にシンセ森へと移り住む。どれだけ遠くにいようとやって来るのだ。

 人間が主食だというのに、人間のいない森で一世紀もの長い時間を過ごす。やがて人の皮を被れるようになり、街へと下りる。


 このメカニズムは何処か説明的で、仕組まれているものだとシュリは感じていた。所々に違和が散りばめられている気がするのだが、形容しがたい。


 少年の疑問に答えたのは神だった。


人外(わたしたち)は生まれた瞬間から怪物だと思う?」


 セーゼの蒼が、シュリの瑠璃を射止める。彼もしくは彼女は続けた。


 彼等は人類よりも強い存在だ、という言葉は虚偽である。現に処刑人という人間は化け物たちを狩ることができているのだから、必ずしも人外より人の方が弱いわけではない。

 怪物とはいえ幼い彼等は狩りの技術が未熟で、人間を襲うと反撃や捕縛という高いリスクを背負っている。生まれて間もない頃は人の血肉を食らうこと以上に身を護ることが重要だ。つまり、まずは安全な森で成長すべきだという本能的な回避行動によるものである。

 身体の成長だけが速い彼等の、唯一得られた進化。


 白い人物の説明にヒュウは首肯してみせる。そして傍らにいる年下組へと目を遣った。


「それがなくなってる今の状況の末路、君たちなら分かるよね」


 二人は顔を見合わせ、代表するようにリグが答えた。頭上の三角耳を反らしながら、険しい表情をして。


「若い人外が狩られやすくなる――絶滅する可能性があるということですね」

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