episode34(ⅲ)
だが、それを聞いていた片方の男が怒鳴り声をあげる。
「はァ!? コイツ人外だって見りゃ分かんだろッ!? 人外は目撃したら即殺すって法律じゃねーのかよッ!」
唐突に振り翳された正論と現実。
リグの表情が固まる。反撃の言葉は出るも相手の勢いに呑まれてしまった。
軍人は民間人を守る。
人外は人を襲う。
ならば軍人は人外から人を守るべきである。
何ら破綻のない論理。至極当然のことだ。
しかし現在のリグは人でなく、また師弟と過ごしたお陰で人外への理解がある。二者を平等に考えたく思うのは自然だが、ここでそれは許されない。
彼は、一端の軍人なのだから。
「贔屓すんのかこのバケモンにッ!」
男の言うことは正しい。
人外は敵であり、人間が肩入れすれば罪である。どんな人外でも同じだ。優しかろうと命を喰っていなかろうと関係ない。
シュリもリグも、その前提が嫌だった。
男の罵倒はまだ続く。虎の人外も下手に言い出すことができず、牙を剥き出すだけで精いっぱいだった。
同じくシュリも反論できずにいた。
子どもの自分が、氷輪の救急箱だという中立組織だと言っても聞く耳を持ってはくれないだろう。きっと媒であると説明しても、犯罪組織だの平穏を脅かす組織だのと被害妄想で事を大きくするに違いない。
ヒュウが不在である今、幼い対抗心で氷輪の救急箱に誤解を生ませてはいけない。今は、今は耐えなくては。
ジレンマで少年の中の糸が切れそうになった時、能天気な声が響いた。
「ギャンギャンうるさーい。ねぇ、キミは今どうして取り押さえられてるのか分かってる?」
ロゼルアが男を見下ろす。
偉丈夫は激怒した様子で、相手の虎の問題が先だと言う。だが気圧されることなく彼は口を開いた。
「違うでしょ、優先すべきことはキミとアイツの乱闘騒ぎ。ボクらがここに来た発端はそれだから人外云々は二の次」
「っテメェも犯罪者かッ!」
「キミに言われたくないな。そもそもなんでアイツと喧嘩になったワケ? 人外を成敗しようとしてたの? 一般人が? 自主的に?」
畳み掛けるかのような問いかけに男の声が詰まった。
他方、赤毛の軍人の質問に虎の彼が答える。
争いの原因は、偉丈夫からの脅しだった。
路地を歩いていたら背後から襲われ、金を強請られたらしい。それから逃れようと抵抗し、取っ組み合いとなる。その最中、虎の彼が我慢の限界となって本来の姿を晒してしまったのだ。
事の顛末はこの通り。
どうやら彼の証言は事実らしく、男は酷く取り乱した様子で違うと言い続けていた。
すべては白日のもとに曝される。
あとは裁きが下るのみだ。
「さて少佐くん。罪状は一番エラい君が決めてね」
部下の言葉に背を押され、リグは口を開いた。
「二名を乱闘罪とし、うち一名は脅迫及び傷害罪を加える」
下される罪の名。それは鎖となって咎人たちを縛った。
二人が男らの背から降りる。彼等に抵抗する間も与えず、腕に縄をきつく括りつけ、立ち上がらせた。
ふと金髪の軍人は虎に耳打ちする。すぐさま虎は人間の姿に化け、大人しく連行されていった。
それはあくまで人と軍人として接しているからか、はたまた自身が化け物であるからか。恐らくどちらでもあるのだろうと、シュリは彼の抱える複雑さを察した。
しかし、重罪の男は気に入らなかったようだ。
彼は背後の軍人に思い切り体当りすると、手綱を握る力を弱めさせる。その僅かな隙を突き、反動でリグたちの元へと突っ込んで行こうとする。最後の抵抗らしい、なりふり構わず頭突きをお見舞いしようとしていた。
「この腐った国の犬畜生がッ!!」
リグは虎の人外を拘束している。
共に回避することはできない。
これではぶつかる。
その瞬間、乾いた一発の音が空気を切り裂いた。発砲音だった。
偉丈夫は既のところで制止している。顔を引き攣らせ、冷や汗を伝わせていた。出血はない。掠めてもいなさそうだった。
彼の丁度、右の延長線上。
そこには氷の眼差しをした一人の少年が、銃口を向けていた。
「――大人しくできないのか、外道」
眼光には殺意が見て取れる。臆したのか、情けなく男は腰を抜かしてへたり込んだ。
その様にロゼルアは声をあげて笑う。緊張は一気に解けてなくなっていた。
・・・
応援が来たため、咎人二名は他の軍人に引き渡された。
静まり返った現場を後にして、三人は事務所へと向かう。
おもむろにシュリが呟いた。罪状が軽いとは言え、あの虎は正体がばれる前に逃げられるのだろうかと。通報されていなければ良いのに、という私情も口にした。
対して、赤毛の軍人は明るい声音で返す。
「案外ね、あぁいう大勢がいる時って、他の誰かが通報してると思い込んじゃってしないんだよ。それに、ボクらの現場到着から四十分経過した時点で来てなかったから大丈夫!」
最寄りの駐屯地は、現場から三十分ほど歩いた場所にある。なるほど、それならば呼ばれている可能性は低い。
シュリは安堵の息を漏らした。追って彼を見上げ、尋ねる。
「ロゼさんは人外に偏見がないのですか。とても寛容な対応でしたので驚きました」
「うーん、おっきくて暴れてる状態は嫌いだけど、普通にしてたらヒトと変わんなくない? だからかな」
黄色い双眼を細めて彼は笑ってみせた。赤毛の短髪が夕日に透かされて眩しい。
不意にシュリは、自分が思っているよりも人外を忌み嫌う人は少ないのかもしれないと思った。
だがすぐに打ち消す。事件のあの男の発言は偏見の塊だった。この世は優しい人ばかりではないと、改めて胸に刻む。
(少しでもこの溝が埋まる方法は、ないのだろうか)
この時、彼は知らなかった。
それは溝では済まされず、崖へと変わっていってしまっているということを。
*小話*
「リグさんはいつの間に人に化けられるようになったのですか」
「つい先日だ。尻尾は体内にしまえるようになったんだが、耳はどうも難しい。髪で誤魔化すので精いっぱいだ」
「先生のような尖った人の耳の形でなくて良かったですね」
「あぁ。不幸中の幸いだな」




