episode34(ⅱ)
ハーレンは既にこの世にいないとされているのだから、ばれることはないと断言できる。だが、全てを知っている本人にとっては気が気でなかった。
咄嗟に光栄だと返すも、手の震えが収まらない。それを隠すのにカップをテーブルに戻した。
もし自分が死んだ王子だと世間に知られてしまったらどうなるのか。
シュリには到底、考えもつかなかった。
歳に見合わず大人な返答をする彼を前に、ロゼルアはリグへ、普段からこれほど礼儀正しいのかと尋ねた。金髪の軍人は素直に頷き、抑揚のない口調で続ける。
「おれは敬語が苦手なので、レイツァはとても良い手本なんです」
それからは少年の戦場での活躍ぶりについて、リグは事細かに部下へと話した。半ば自慢話にも聞こえてくる伝え方だったが、彼がシュリを誇らしいと感じている証拠なのだろう。
しかし、話題とされていた本人は照れてしまったのか耐えられず、ひたすら恐縮だと返すばかりだった。ここまであからさまに褒められては、どのような返事が良いかなど分からないのだ。
説明が一区切りすると、部下は可笑しそうに言う。
「ははっ珍しいな、少佐くんがこんなに生き生き話するの。いつもは他人に興味ないのにね」
「む。そんなことないです」
年下の反論に構わず、ロゼルアは瑠璃の瞳と目を合わせた。
「十三歳の処刑人か。もっとスレたヤツだと思ってたけど、いい子で良かった。おにーさん安心したよ」
お茶目に言ってみせる彼に、シュリは困ったように一笑した。
和やかな雰囲気を断ち切る刹那。
それはけたたましいベルの音だった。
逡巡すらせず、少年は立ち上がって受話器に手を掛ける。
後方で驚いた顔をしたロゼルアは、向かいに座っていた上司へ何事かと尋ねた。彼は手短く仕事ではないかと答え、少年が電話を切るのと同時に腰を上げる。
シュリは同僚へ目を向けた。
「人外絡みの喧嘩だそうです。私が向かいますので、リグさんはここで」
「いや、先輩のことなら気にしなくていい。おれも行く」
「えーちょっとヒドくなーい? 民間人がいるなら先輩にだって仕事判定なんですけどー」
子は、ついて行くという大人二人に思わずぎょっとした。
だが打ち消すように、人手は必要かと考えて了承する。どちらにせよ軍の警察業務の範疇なのだから、省ける手間は省いてしまった方がいい。
感謝の言葉を口にし、シュリは案内すべく先行して事務所を出た。
・・・
現場は三番街の中心だった。
人が多く行き交う道路にて、男同士の取っ組み合いが発生している。野次馬が円を描くように捌け、ああだこうだと声を上げた。
殴り合いをする二人のうち、片方は見るからに偉丈夫だが、もう片方は上半身が虎だった。爪を突き立て抵抗するも相手が喧嘩慣れしているらしく、人外の方が若干劣勢に見える。
即刻やめるよう、騒ぎの渦中へと臆せずシュリは身を投じようとした。しかし、背の小さな子どもでは大勢の大人たちに押し負けてしまうだろう。
すると。
「はいはい盛り上がってるトコ悪いねー。乱闘罪で捕まえちゃうよー」
「あなた達も共犯者として逮捕できます、捕まりたくなければ早く去ってください」
二人の軍人が前に出ると、周囲を取り巻いていた者たちは一斉にこちらを振り返り、やがて駆け足で散っていった。
雑踏のうち、捕まったら堪ったものではないという台詞が耳に残る。シュリはふと、逮捕された後はどうなるのか知らないことに気づいた。
鈍い音で我に返る。
野次馬はいなくなったが、肝心の二人が冷静でない。相当頭に血が上っているらしく、互いを罵り合いながら殴り合っていた。
言わずもがな、両者の間に割って入れる隙はない。
少年は初め、発砲音で注意を引こうと考えていたが効果は薄いという気がした。だがそうも言っていられないとピストルに触れる、その時。
「シュリ君は待てだよっ」
民間人を散らしていたロゼルアたちが舞い戻る。勢いそのまま、それぞれが男の背後へ回って拘束した。瞬く間に、だ。
「乱闘罪で現行犯逮捕。怪我の程度、中」
「病院近くにないしなぁ、行かなくていいよね。すぐ治るっしょ」
暴徒と化していたはずの当事者は訳がわからない状態で腕を後ろで掴まれ、軍人の膝に敷かれている。
体躯はどう見ても若い二人の方が細い。しかし力では勝っているみたいだ。
虎の人外も目を白黒させていたが、一歩先に落ち着きを取り戻す。
伸し掛かるリグへ呻き混じりに問うた、オレは殺されるのかと。金髪の青年はきゅっと唇を結び直し、普通ならそうだと答えた。しかし彼はこう続ける。
「軍は守護団体とは不仲だ、正直おれも彼らを呼びたくはない。呼ぶとしたらさっきの野次馬の誰かがしているだろう」
つまり、おれは処刑人を呼ばない。
虎はその返答の意図を理解すると、酷く驚いた顔をした。近くにいたシュリも静かに目を見開く。
傍ら、偉丈夫を押さえつけるロゼルアは拍子抜けした表情で言う。
「え、待って少佐くん、何言ってんの? まさか逃がすわけ、」
「逃がすとは言ってませんよ。おれは軍人です、この国に住む者なら等しく守り罰します」
歯切れのよい答えに、部下は思わず苦笑して、シュリは密かに嬉しそうにした。
だが、それを聞いていた片方の男が怒鳴り声をあげる。




