episode34(ⅰ)
雪の降らない日が続き、花の蕾が綻び始めた。過酷であり一時的な平穏だった冬が終わる頃。
今朝からヒュウは、裏切り者の調査に出向いて不在だった。ここ最近は朝から晩までいないことが多く、シュリとリグは心配した顔を隠せずにいる。
そんなある日の昼下がり。閑静な事務所に小気味よいノックの音が鳴った。
一階で部屋の掃除をしていたシュリが応答し、玄関へ向かう。扉の向こうにいたのは小柄な軍人だった。
「おや、こんにちは。氷輪の救急箱でいいかな」
黒の軍服。間違いない、リグの同僚だ。
彼は愛らしい丸い目をしてこちらを見下ろしていた。明るい茶髪は日に透かすと赤く見える。ここらでは珍しい赤毛らしい。
子は快く返し、用件を尋ねた。軍人は口元のホクロを歪ませ、にこりと笑って言う。
「ボクは軍の対人外機動部隊所属、ロゼルア・ホワイト。ロゼって呼んで。ここにボクの上司がいるって聞いたんだけど会わせてくれない?」
少年のような声で丁寧に自己紹介する彼は、ちらりと室内を見遣った。シュリは心中で警戒すべきだと判断し、相手と似た笑顔を浮かべて答える。
「残念ながらその方は現在、体調が優れておりません。失礼ですが日を改めていただけますか」
リグは今、人前に出られる姿をしていない。彼はまだ人に化けられないのだ。
それも軍に在籍している立場である以上、敵である人外に変貌しただなんて卒倒案件だ。成人から人外になってしまったという新たな事実も、世に知れ渡れば混乱も引き起こしかねない。
たとえ上司部下の関係だとしても、人でなくなってしまえば即刻、処刑人に連絡するだろう。
それだけは避けたいとシュリは嘘を吐いた。
彼の返答に、ロゼルアは眉を思い切り八の字にする。
「そっかぁ、それは残念。急ぎで伝えなくちゃいけないことがあるんだけど」
「言伝ではいけませんか」
「手紙でもNGな極秘事項だからさ」
彼は何度も、そっかそっかと繰り返して周辺に視線を投げる。シュリは何か粗探しをされている気がし、それに気づくのと同時に軍人は言った。
「ねー本当にダメ? あの人ならダウンしてても話は聞いてくれると思うんだけどぉ」
媚びを売るような台詞と口調に、思わず子はぎょっとした。まさか強行突破に賭けられるとは思っていなかったのだ。
一回り年下の子どもに諂う軍人など、端から見ればまったく意味の分からない状況。おまけにロゼルアの高い声がよく響いていた。
言葉で追い払えなくもないが、相手が同僚の部下となると、さすがに脅しもできなかった。力で押し返したとしても、性格の悪い軍人ならば公務執行妨害とすることもある。どちらにせよ、今の彼ではどうすることもできない。
困り果てたシュリは、意を決して一思いに切り捨てようとした。
すると。
「先輩、子どもを困らせないでください。軍人としての威厳がないですよ」
振り返る時には既に、リグは少年の隣に立っていた。
ロゼルアは待ちかねていたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべて言う。
「ひっさしぶりだね、少佐くん! なんか痩せた?」
「そうですか? ご飯は食べてるんですけど」
能天気な会話をする二人に構わず、シュリは慌てて金髪の頭上に目を向ける。そこに三角耳はなく、以前の彼の姿があった。
人間の様相に化けたらしいリグの状態が飲み込めない。だが子は辻褄合わせで体調を尋ねた。青年はきょとんとしたが、余計なことは言わずに返答してくれる。
上司の健康が確認できて満足なのか、ロゼルアは嬉しそうに笑いつつ、拗ねた様子で言った。
「キミならボクの声で起き出してくれると思ったんだ。この男の子、頑固でさぁ」
「レイツァが頑固……あぁ、確かに」
「ちょっとリグさん??」
話の焦点はそこではないだろうと言いたげに、少年は呆れを滲ませて引き戻す。
彼は真顔で悪いと謝ると、再び前を向いた。
「警戒されたんですよ、先輩。極秘事項なんて機動部隊の所に来るわけないんですから」
生真面目に答えるリグに部下の彼も苦笑する。どうやら自身の所属への自虐は共通してあるらしい。
シュリをさり気なく庇いながら、青年は平生と変わらない眼差しで短身の軍人を相手する。
部下であって先輩でもあるとは複雑な関係だなと思い、少年は中で話さないかと提案した。
リグが人外だとばれなければ追い返す理由もない。加えて、ロゼルアに作り話を通しておけば部隊内での不信感も払拭できるだろう。使える手は使っておこうと考えたのだ。
子の誘いに、赤毛の彼はすぐさま乗って事務所へと足を踏み入れた。
軍に属する人間とはいえ、皆が皆、リグのように堅苦しく律儀な性格とは限らないみたいだ。ロゼルアは間もなくくつろぎ始め、シュリが淹れた紅茶を絶賛した。
「キミ、お留守番もできて客の接待もできるってスゴいね。名前を聞いてもいいかな」
絆すとはまた違う雰囲気だった。自然とひとの心に入り込む力でもあるのか、彼の明るい表情は師のものより柔らかい。
シュリは意識の隅で、先生のような人間が他にいるのかと感心して答えた。対して、軍人の彼は黄土色の目を丸くして言う。
「シュリムレイド君か。ずいぶん古風だね、今どき長い名前なんて珍しい」
「名付け親が古い者でして。どうぞ、シュリとお呼びください」
子が穏やかに微笑むと、ロゼルアは顎に手を当てて思案する仕草をした。そして一言、王子様に似てると呟く。
王子という単語に動揺しかけて、シュリはティーカップの取っ手をきつく握る。面に出さないよう必死だった。しかし、リグもそれに反応を示してしまう。
「確かに似てますね。青い目の辺り」
「だよね! なんかハーレン様を思い出すなぁ。あの火事さえなければ、きっとシュリ君くらいの歳だったろうに」
冷や汗が背を伝い、浮かべる苦笑が剥がれそうになった。




