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episode30(ⅰ)

 家族というには些か乱暴で粗雑な、そんな関係だった。

 彼は父ではなかったし、彼もまた僕を息子だとは思っていなかっただろう。

 でも、確かに僕は彼を「父さん」と呼んでいた。意味も分からずに、正しくないことも知らずに。


 あの狭くて薄暗い、油に似た匂いが充満する小屋。

 そこで僕は生まれて初めて人の持つあたたかさを知った。


 ・・・


「あーやっぱり壊すことにしたのか」


 暖炉の熱気が漂う室内に珈琲の香りが立つ。誰にも向けられていない呟きは新聞紙越しに聞こえた。

 自身の仕事机で朝刊を広げていたヒュウは、気だるげな視線で文字を追う。


 向かい、本棚の整理をしていた弟子が顔を上げて何をかと問うた。ヒュウはマグカップに手を伸ばしながら答える。


「十九番街の山奥にある、古い空き屋敷だよ。よく度胸試しで若者が行くとこ」


 師の説明を聞いたシュリは、少し黙って記憶を掘り返した。そういえば聞いたことがある、と思い当たるものを引っ張り出す。


「中世貴族の、オラベル邸でしたっけ」


 オラベル家はヴィンリル王国の建国の際、王家に助力をしていたと言われていた一族だ。

 伝説の立役者とも表現されているが現在その姿を目にすることはできない。時代の荒波に揉まれた結果、彼らは没落の一途を辿ることとなった。

 人でない娘の存在が世間に露呈したことで。


 今も昔も人外への風当たりは厳しいものだ。害をなしていなくとも存在自体が害とされ、命を狩られる。人間だとしても庇おうとすれば犯罪であり、最悪の場合、共に処刑される。

 オラベル家はそれだった。

 たった一人の女を守ろうと血縁者、従者たちが犠牲になった。やがて人外の女も殺され、一つの貴族は消滅する。

 後にこの出来事は「悪い手本」や「愚かな実話」として、絵本、小説、歌劇などに使われ、長く人々に伝えられてきたのだ。


 頬杖をついてヒュウは新聞の(ページ)をめくる。


「馬鹿だな、人がバケモノに情を移すなんて」


 八重歯が覗く。彼の長髪がさらりと肩から滑り落ちた。


 すると突然、威勢の良いガチャンという音と同時に扉が開く。

 師弟が目を向けるとそこには切羽詰まった顔をしたリグがいた。珍しく面を上気させ、右手に握った紙を前に出す。


「おはようございますっ すいません遅くなりました」

「どうしたんだい、走ってきて」

「今朝これを大佐から渡され……二人宛です」


 軽く息を切る青年から手紙を受け取る。

 上質なそれには赤の封蝋――軍の紋章が垂れていた。間違いなく上層部からの正式な便りだろう。


 胡乱な目をする弟子に構わず、ヒュウはレターオープナーで開封する。中には三枚に渡る便箋が入っていた。

 内容は厳粛な挨拶から始まったが、すぐに本件の話題となる。


 師はしばらく読みこんだ後、失笑を漏らした。

 思いもよらない反応をしたからか首を傾げる年下組へ、彼は要約して伝える。軍からの依頼だと。


「取り壊しが決まったオラベル邸に人外が住み着いてるかもしれないから倒してきてほしい、だとさ。リグの記録に目を通した上での依頼らしいぞ」


 先程聞いたばかりの単語に、思わずシュリは反応する。なんともタイミングの良すぎる話だ。


 手紙には他に、ここ数日続いている問題について書かれてあった。取り壊しのため調査に向かった役人らが帰って来ず、日を開けて派遣した軍人も消息を絶ったと。

 十九番街に暮らす者曰く、屋敷から獣の声が聴こえるそうだ。これを人外による仕業だと判断したため、氷輪の救急箱へ依頼をするという形になったそうだ。


「しかしなぜ私たちなのでしょう。処刑人……守護団体に直接掛け合えば良いのでは」


 純粋な疑問を口にするシュリに、金髪の軍人が答えた。


「軍と守護団体の仲は良くない。処刑人を頼りたくなかったと言ったところだろう」

「ほんと、そういうのに巻き込んでほしくないよねぇ」


 相槌を打ちつつ、青年は便箋を折りたたんで戻す。手紙を指先で挟み、その角で机上の新聞紙を指し示した。


「今回の仕事は、来週末の工事までに僕らが屋敷の安全を確保すること。相手は発症者じゃなさそうだから始末は適宜。どうするリグ、来てくれるかい」


 妖しく微笑む深紅の瞳が問いかける。金髪の青年は少し考えて首を左右に振った。彼が言うに、終わらせなくてはいけない事務処理があるそうだ。


 よって、今回は久しい師弟のみのお役となった。


 ・・・


 翌日、昼下がり。

 人気のない機関車に揺られて早二時間、目的の十九番街へと二人は辿り着いた。

 田舎なこともあって人は少ないが、素朴で穏やかな雰囲気だ。だが山や森に囲まれていることもあってか僅かに閉塞感を覚える。


 道中、通り掛かった者や家に話を聞いた。

 ほとんどの人はただの空き家だと返したが、一部の人は怯えた面持ちで首を振る。あそこには人外の幽霊がいるだとか、祟りがあるだとか言い、近づくなと忠告する者までいた。


 彼らがそのように表現するのは、きっとオラベル家の悪習によるものだろう。反面教師や教訓だという割に、本当は良くない結末だったと知っているような反応だった。


 足元が険しくなる。

 軒を連ねていた家屋も消え、途端に人の気配を感じなくなった。


 随分と奥まった場所にあるのだなと、少年はコートの襟に顔を(うず)める。


 しばらく歩くと目的地は案外すぐに見つかった。だが第一の門をくぐっても館自体は見えず、必要以上に広い庭が続く。徐々に建造物が増え始め、やっと外装の剥がれた壁が立ち塞がった。

 枯れてもなお張り付いている蔓草は、訪問者を拒むかのように腕を伸ばし続けている。かつて灯っていたであろう明かりも、役目など投げ捨てて風化していた。


 生気はない。

 冬の終わりを嘆く残雪を師弟は踏み分けた。


 先頭を行くヒュウが大きな扉に手を掛け、弟子に目配せをする。彼は重い板を押し開けた。

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