episode29(ⅱ)
潜入作戦の目的は二つ。
一つは全ての景品の救助。
もう一つは、この賭け場にいる人物の一斉検挙だ。
前者を果たすには多くの注目を浴びる必要があった。
飼い主が人外をゲームの賭けに出し、賞金同様、勝てば手に入れられるのが原則だ。しかし飼い主を一人ずつ潰していくのは手間も時間もかかる。
狙うは一網打尽。
数が多かろうと、集まってしまえばこちらの物だ。
また、後者のタスクは単純に全員を捕まえるという話だけではない。賭博自体を設けた首謀者を確保することも目的に含まれている。
オーナーが登場するまでは、チェックメイトのコールは口にできない。
彼を表舞台に担ぎ上げるためにも、まずは事を大きくしなくてはいけないのだ。
「いいよ、僕らに勝てたらね」
ヒュウの得意げな挑発に、男は表情を引き攣らせる。すると渦中から数人が名乗り出た。
老若男女にばらつきがある彼らは、金の他に人外を侍らせている。いずれも衰弱した成体だった。生気のない虚ろな瞳は、壮絶な環境に置かれていたことが垣間見える。
覚えず、シュリは飼い主を睨みつけた。滾る殺意が溢れている。
飼い主の内の若い女が明るい声を発した。
「御月揃えじゃ勝てなさそうだから、ビリヤードってのはどう? アタシ自信あるよ」
彼女の提案への返答をヒュウは勿体ぶったのち、隣のリグへ目を向ける。視線に気づいた彼は頷いた。
「おれが相手します。ナインボールでいいですか」
彼はキューを手に取り、部屋の脇に並ぶテーブルへと歩み寄る。参加者たちは追って足を向けた。
一方、師弟は動かずに離れた場所から眺めている。子に近づこうとする下衆な人間に、ヒュウは牽制するように立った。
淀んでいても笑声が揺れる空気は苦しさを感じるが、酒の匂いで麻痺してくる。混じる化け物の気配も分からなくなってくる感覚すらあった。
危機感を抱きつつ、シュリの不機嫌そうな眼光は選別に走る。
(確認できて景品は五人。首輪までされているのもいるのか)
ギャンブルを楽しむ飼い主の後ろで、おすわりをさせられている人外は文字通りペットのようだった。
分かりやすいのは鹿や兎、鳥。どれも逃げ出す意思や反抗的な態度は見られない。
拘束されているのは想定内。
助け出す算段はいくつかあるが、上手くいく可能性は五分五分といったところである。
ゲームの様子を見ていたヒュウが、誰に当てるでもなく独り言ちた。
「全員人外を賭けてるっぽいけど、リグ勝てるかなぁ。ちょっとやった事あるって言ってたけど」
(え、ちょっと??)
喉元まで出かかった声を飲み込み、苦虫を噛み潰したような顔で師を見上げる。突然不安になって仕方なかった。
大人たちの壁で、シュリには遊戯の状況は分からない。
盛り上がったり、野次が飛んだりしていることでしか推測できなかった。
「うわーこれは難しい」
「あの兄ちゃん、どう打つつもりだ?」
騒がしい空気の中で拾えた言葉に、ぴくりと反応した。戦況が動いているらしい。
少年はビリヤードのルールを知らない。見えたとしても勝敗の予想などできないが、無責任にも彼は強いと感じていた。
壁の隙間から会場が覗く。
緑のテーブル台、上に腰掛ける青年の姿。
片足を浮かしている。
背面に回されたキューの先。
刃に似た眼差しが目標を射抜く。
軽くも硬い音が鳴った。間もなく同じ音が連続する。一際大きな落下音が数度鳴ると、途端にざわめき出す周囲。隣のヒュウも驚いた声を漏らした。
「あれで初心者なら相当な才能だね」
どっと上がる歓声と驚嘆の響き。
机上の玉は一つ。ゲームが終わったのだとシュリは気がついた。
「おれの勝ちです。リードをこちらへ」
リグはそう言って、黒手袋に包まれた右手を飼い主らへ差し出す。
指先を向けられた彼らは、困惑と焦燥の汗を伝わせていた。互いの顔を見合わせ、おすわりをさせているペットや握る手綱を渡さずにいる。
様子から、深く考えなくとも「渡したくない」と言いたげなのは明白だ。
だが勝者は決まっている。規律には則るべきなのだが、誰一人として負けを認めない。
しびれを切らした師が前に出ようとした、その時。
「派手に荒らしてくれたネ、ミスター」
きんと冷え、静まり返る賭け場。
鼻にかかった声の主は部屋の奥から現れた。
ヒュウの口角が妖しく持ち上がる。わざとらしい敬語がざらついた。
「おやおや、オーナー様ご自身がお出ましとは。何かご用で?」
「ふむ、見ないヤツらだ。ここに越してきたばかりかナ?」
オーナーと思わしき恰幅の良い男が近づく。丸い両手にはギラギラとした宝石の指輪が、いくつも嵌められていた。
あからさまに悪役側。
無意識にもシュリは呆れた面持ちをする。
男の詮索に対して、ヒュウは躊躇いなく嘘を吐いていった。
彼に出鱈目を言わせたら一級品である。主催者の鋭利な問いを、いとも簡単に躱し切ってしまった。
綻びを一切見せない青年が気に食わないのか、男は微かに青筋を浮かばせて言う。
「悪いけど新入りに人外の取り引きはできないんだヨ。金ならいくらでもやるからサ」
「へぇ、ココの主催者様は賭博のルールをご存知ない? あぁ、なら僕が教えてあげましょうか?」
ヒュウの嘲笑は、呆気なく相手の神経を逆撫でした。
男の声が一気に低くなる。護衛のような偉丈夫が数人出てきた。
「調子に乗るナ青二才。今なら見逃してやるヨ」
指や肩を鳴らす彼等から殺気立つ。喧嘩で片付ける代物にする気はないらしい。
血の気が多い犯罪者たちを一望し、長髪の彼は満面の笑みで返した。相手に劣らぬ低音で。
「何を偉そうに、この外道が」




