episode27(ⅱ)
「蝶の動きを探らせただけ」
蝶。
思い当たるのは金髪の薬師の様相。
「すごく怪しかったから、どんな子なのか調べに行かせた」
「つまり私物を盗めとは指示していないと」
シュリの問いに白髪の人物が首肯する。視野の隅で魚の人外が縮こまった。
盗んだのは女自身による独断であって、どうやら不審だと思ったことによって引き起こされた犯行だったらしい。
主であるセーゼも、何か持って帰ってくるとは考えていなかった。
これにて事件解決と行きたいところだが、ヒュウが声を上げる。
「どうして蝶が怪しいと思った」
向かいに立つ、美少女似の化け物は不思議そうに返す。
「おまえに話す意味はある?」
「あるさ、彼女は僕の知り合いだからね」
「話したら此処に帰ってきてくれる?」
「なんでそうなるかな。前から帰んないって言ってるだろ」
「じゃあ話さない」
「くっそムカつくなコイツ」
珍しく師が言い負かされている。このままでは埒が明かない。
シュリは目付きを変え、凛とした声で言い出した。
これはまだ些細な窃盗事件。
だからこそ大事になる前に消せる火種は消しておきたいのだ、と。
何より、仲間に嫌疑が掛けられるなど黙っていられたものではない。
セーゼが森の住民を自らの意思で庇護下に置いているのと同様、こちらも数少ない協力者を大切にしているのだ。
年端のいかない少年の堂々たる主張は、僅かながら番人の心を動かした。
彼もしくは彼女はシアンの目を細める。
「……大した弟子。師匠に似て口は上手く回るみたい。そこまで言うなら教えてあげる」
気持ちの一端すら感じさせない、棒読みの言葉を吐いて番人は話した。
まずは、見たことのない者だったということ。
大抵の人外たちは生まれて間もなく、または年を経てから森にやって来る。だのにその蝶は過去五百年を遡っても神の記憶にないのだ。
次に直近の出入りが激しいこと。
森で過ごすというわけでなく、少し人外らと接触して帰る。それも一週間のうちに何度もだ。接した者たちとの繋がりもない。
セーゼ曰く、今はまだ問題になっていないから見逃していると言う。
しかし、何かあれば直ちに処する意向だという旨も添えた。
生真面目に話を聞いていたシュリは、ちらりと師に目を遣る。青年の赫い虹彩は沈んでいた。
フレイアの行動の意味がわからない。
ヒュウの思考が行き詰まる。
調合するための材料調達で森へ行くことはあるだろうが、同類と関わる理由がない。
臨床実験という言葉が過るも、番人の監視下だ。彼女がそんな浅はかな真似をする筈がない。
怪しいと言えば怪しい。
青年は口元に手を当て、険しい表情を浮かべる。
「なるほど、あんたが目をつけるのも納得だ……情報提供ありがと」
くぐもった声音の中には無意識の素直さがあった。空かさずセーゼが反応する。
「帰ってくる気になった?」
「だからなんでそうなるんだい。諦めの悪い奴め」
長髪の彼は心から不気味がって後退し、弟子の腕を引く。事務所に帰りたいと訴えてしかたなかった。
子供じみた仕草に溜息をしつつ、代わりにシュリが別れの挨拶を口にする。
が、番人は聞かなかった。
一瞬で姿が消えたのだ。
視界がセーゼを捉えず、反射的に少年は臨戦態勢になる。周辺に気配はない。
何かと戦うつもりでいる彼に、師は急かす言葉を言った。
「侵入者がいたみたいっ 今のうちに出るぞ!」
手首を掴まれ、弟子はほぼ引き摺られるのと同等の勢いで森を駆け抜ける。
後方、魚の人外が片手を振っているのが見えた。
・・・
街に戻った頃、師は肩で大きく息をする。相当本気で走ったのだろう、暫く話せなかった。
一方シュリは、涼しい顔をしている。
「運動不足の証拠ですよ、先生」
「いま、いわないで、そゆこと、」
弟子は言ったあとに、およそ三百歳のお爺さんには辛いものなのだと思い直した。
少し歩いて、呼吸を整えたヒュウを見上げるシュリが問うた。あの番人の師に対する執着ぶりは何なのだと。
だが訊かれた彼も、よく分かっていないと答えた。加えて興味もないと言う。
知ったところで自分は絶対に帰らない。
何があろうと氷輪の救急箱から脱することはない。
強い意志を感じさせる明快な口調は、覚えずシュリの面を綻ばせた。
この皺寄せが、後に来ることも知らずに。




