episode27(ⅰ)
雪の降る朝方。
未だ仄暗い通りを歩くのは、年明け早々でも出勤する大人たち。そして三つの影。
「リグに留守番させてるから、さっさと終わらせるぞ。第一あそこに長く居たくない」
ボックスコートに身を包むヒュウが、マフラーに巻かれたシュリへ言う。子の手の先には、人に化けた魚の人外が歩いていた。
彼らが向かうのは、人以外の生き物が息づくシンセ森である。
例の知人に会うため、この女の動機を探るため、化け物の巣窟へと向かっているのだ。
事務所からは歩いても十分行くことができる場所にあり、彼らは人目を避けて道を辿っていた。
年越えから間もないということもあってか、人通りは普段よりない。
灰色の寒空の下。
女は降雪する様を興味津々な眼差しで眺めている。その頭に包帯はなかった。
化け物なだけあって治癒能力は目を疑うようなスピードで発揮されたらしい。腕の骨折は治りかけだが、元気に走れる程度には回復していた。
入り組んだ路地裏を伝ってゆく。寒風が建物の間を吹き抜け、急かすように三人の背を押した。
森の入口は複数ある。
それぞれに役人が駐在し、一般人の立ち入りは固く禁じられているのだ。
だが結局は自然が生み出した領域。入口出口など人間が勝手に決めたことだ、実際は何処からでも入ることができる。
言わずもがな、一行は正式な玄関から踏み入るつもりはない。
建造物が一気に減った辺り、唐突に木々が行く手を阻むかのように広がる。目的地だ。
シュリは無意識に師を見上げる。彼は神妙な面をしていたが、弟子の視線に気がつくと一笑してみせた。
時々彼がする、安心させようとする笑顔。子は心を改めた。
森の中は静寂に包まれていた。
影にあるせいで至る所に白が多く残り、心做しか気温も低く感じる。何の気配もない。
ヒュウが獣道の先頭を歩き、後ろを弟子と女がついて行く。人間にとっては代わり映えしない景色で、同じ場所をぐるぐる歩いている気さえする。だが師は迷う素振りすら見せずに進んだ。
(やはり先生は森の出身者。だとしても月魄様への嫌悪は何だろう)
女の手を引きながら、少年は疑問を胸に浮かべた。
刹那。
目前に一線が駆け、シュリの足元に突き刺さった。
咄嗟に引き下がる。雪よりも速く降ってきたのは矢だった。
ヒュウは勘付き顔を上へ向ける。
同時。
「去れ、ひとの子」
氷に似た声が響く。
ぞっとするほど周囲の気配が増えた。冬眠している筈の動物たちが一行の周りを囲んでいたのだ。
考える間もなくシュリは腰を落とし、ピストルに指を掛ける。
隣の師は不快そう顔をして、とある木の上に視線を向けていた。いつもの笑みはなく、凍てつく目線を投げかける。
「久しぶり。心待ちにしてた割には随分なお出迎えだね」
台詞に全く合わない口調で挨拶をする。
対して答えるものは想像していたものより優しかった。
「その声、ヒュウ、おまえか?」
木から人影が降りる。それは白を踏みしめる音を立てて近づいてきた。
弱まった雪を追って日が差す。
光を反射した積雪の中に、異質な佇まいの人物が歩み出た。
側頭部が編み込まれた白髪、蒼い双眸、限りなく地面に伸びる縹色のリボン、携えた大振りの弓矢。
外見は、誰もが見惚れてしまう絶世の美少女だった。
「紹介するよシュリ。コイツが月魄様、この森の絶対番人・セーゼだ」
・・・
月魄様もとい、セーゼに連れられ、一行は森の奥地へと辿り着く。
そこは思いの外明るく穏やかな場所だった。
道中、本来の姿を晒した怪物を見かけたが、こちらを襲うことはなかった。陣頭の番人を目にするとすぐに立ち去るのだ。
慣れているのか当の本人は気にも留めずに、むしろ小躍りし出しそうな足取りである。
「ヒュウが来てくれた、うれしい」
子供じみた素直さを感じる台詞を口にしているが、声音に感情はなかった。他方、後ろを歩く青年の面持ちは暗い。
一際目立つ大木の下でセーゼの足が止まった。
雪が溶けかけたそこには多くの小動物が眠っていた。空洞になっている木の内に丸まり、互いの体温で暖を取っている。
彼らを血色のない指で撫でつつ、彼もしくは彼女が問うた。
「そいつ、わたしへのお土産?」
「んな訳ないだろ。僕の弟子だ」
ぐいっとヒュウに肩を寄せられる。
勝手に土産物にされたシュリは内心むっとしたが、ポーカーフェイスを保つ。
青年の返答がつまらなかったからか、セーゼは微かに不満げな顔付きになる。子と似たシアンの双眸が、まじまじと少年を見つめた。
「ひとの弟子をつくるなんて流石は人間好き。帰りたくなったから此処に来たんじゃないんだ」
長い睫毛が伏せられる。無表情だというのに、何故かシュリの目には寂しげに映った。
その表情に気づいたのか否か、ヒュウは大袈裟に溜息を吐いて事情を説明し出す。森に永く生きる月魄様なら、この人外について何か知っているのではないかと。
話題に出された女はびくりと震え、できていない発音をした。まるで弁解しているみたいだ。
セーゼは少年の隣を一瞥する。
「うん、知ってる。わたしの使い」
その返答にシュリは怪訝そうに相手を見た。
傍ら、師は小声で、やっぱりなと呟く。
事実、ヒュウは全ての裏を見抜いていた。
番人が深く関わっていると確証を得たのは、女が若くないのに上手く話せない事と、彼女の恰好が一昔前の物だった事であった。服装については何処からか拾ってきたからであろう。
そして発音ができていないのは。
「あんたが僕の先生じゃなくて良かったよ。相変わらず教えるのが下手くそだね」
セーゼが壊滅的に教える側に向いていなかったからである。
軽く罵倒された番人は、わざとらしく瞬きをしてみせ小首を傾げた。自覚はないらしいが、その様子でさえ絵になる美しさである。
ひとまず青年の種明かしは此処まで。
繋がりを推察することはできても狙いまでは予想できない。次は主から聞く番だ。
男とも女とも言い切れない声域でそれは口を開いた。平然と、当然のことを言うかのように。
「蝶の動きを探らせただけ」




