episode24(ⅱ)
次の仕事へ移る。彼はひらりとヒュウのもとへ戻っていった。
師が今、応急処置をしている女は頭を強く打ったらしい。
意識はあるものの混濁しており、左腕の骨が折れていた。加えて地面に叩きつけられた際、左足を石畳で切っている。もしかしたら暴れ馬と直接衝突したのかもしれない。
師を呼びつつ少年が膝をつく。
女の体は強張っており唸りを上げていた。
丁度、足の処置を終わらせたヒュウが顔を向ける。辺りを素早く目配せすると、小声で助手に耳打ちした。
「人ひとり覆えるぐらいの布を探してくれ」
シュリは聞き返しかけたが、青年のコートを被せられた女に視線がいく。
暗がりの中、彼女の頰や首には無数の鱗が煌めいていた。
人でない。
少年は弾かれたように立ち上がった。
付近には軍人がいるため、下手に事を荒げてはいけない。処刑人を呼ばれては始末されてしまう。既に生死を彷徨っているというのに。
だが彼女が人外であると勘付かれるのも時間の問題だ。
何としてでも、この女を隠す方法を――
「ロッドさん、これ使ってください。馬車にあったものです」
低くもよく通る声。同時に大きな布がはためく音が聞こえた。
リグが大判のブランケットを広げ、女に掛けている。全身を包めるサイズだ。
ヒュウは咄嗟に感謝し、要救助者の体を覆う。
少しして軍人らがやって来た。しかし氷輪の救急箱の活動により事故は収束している。幾人か病院の者も来たが、負傷者の手当も行き届いていた。
彼等の相手をリグがしている間、師弟は応急担架を使って女を連れ出す。
幸い、事務所への近道があったため迅速に女を運べた。一先ずソファに寝かせ、二人は安堵で胸を撫で下ろす。
「見たところ魚の人外だな。珍しい」
師曰く、魚の人外は肺呼吸と鰓呼吸ができるらしい。地上と水中、どちらでも生活が可能な身体なのだそうだ。
確かに、この女の首にもいくつか切れ目が入っている。
また手の甲や頰など晒された肌には、無数の乾いた小片が敷き詰められており、鰭に似たものも付いていた。
彼女はいつの間にか、呻き声を途切らせ眠っている。規則正しく腹部が上下していた。
ヒュウは治療の続きをすると言って、外ではあまり使わない道具を次々に取り出した。清潔な縫合糸、大小様々な鑷子、真新しい剪刀など多数。もちろん、見慣れた物もテーブルに並べられた。
そもそも彼は医師と肩を並べられるほどの知識人であり技術者である。偶然、選んだ道が現場に限られた救命士だったというだけで、実質的に彼は医者なのだ。
(まぁ闇医者ではあるけれど)
真剣な眼差しで加療する師を、シュリは側で観察しながら思う。
見習いの者は手出しができないため、こうしていることしかできないのだ。
無音の空間に軋んだ音が鳴って、玄関の扉が開いた。
「ただいま戻りました。大丈夫でしたか」
「リグさん。こちらは大丈夫です、先程は助かりました」
少年の返答に、リグは僅かに表情を和らげた。
室内が暖まってきた頃。
長髪の青年が大きく伸びをしてみせる。治療が終わったのだろう。
女は数刻前より良い顔色になったが、依然として両目は固く閉ざされている。露わになった本来の姿を、リグが恐る恐るといった様子で眺めていた。
「こんな近くで暴れてない人外を見るのは初めてだ。信じられない」
彼は顰め面になってしまっているが、そこから敵意は感じられない。興味関心と警戒が拮抗しているのだろう。
シュリは自然と隣を見遣る。彼の視線に気づいたヒュウは八重歯の先を覗かせて、わざとらしく肩を竦めてみせた。
ふと金髪の彼が「あ」と言って、玄関先に置いていた自身のコートの前へ歩き出す。その下、隠れていた一つの鞄が掲げられた。
「その女性の物みたいなんです。目が覚めたら渡しておいてください」
渋い茶の革でできたそれを、シュリが受け取ろうとする。だが手を滑らせて落としてしまった。
床に中身が散らばる。
慌てて謝りながら少年が拾おうとしたが、その手をヒュウが声で制す。
「待って。それ、よく見せてくれないか」
シュリの伸ばした指先が触れる小さな硝子瓶。
外見は何の変哲もない小瓶であるが、中には碧い液体が少量ばかり入っている。弟子は拾って師に手渡した。
不思議がる彼を他所に、ヒュウは手の平大の小瓶を傾ける。コルクと麻紐で厳重に封されているものだ。
そして底には、彼にとって馴染み深いサインが彫られている。
F・R
そして並ぶ、 test193の文字。
「どうされたのですか?」
微動だにしなくなった師の顔を、シュリが覗き見る。後ろでリグも小首を傾げていた。
年下組が疑問に思う中、ヒュウは唇を弓なりにし、くつくつと笑い出す。碧い液体が揺れて波打った。
「ラッキー、って言ったら不謹慎かな?」
意識を飛ばした女を見下ろし、青年は深紅の虹彩を細める。
フレイアの盗まれた試験薬が、一日の内に見つかったのだった。




