episode21(ⅱ)
逆光が象る人影が言った。
「あーあ、これは現行犯だな」
男たちの怒鳴りがあがる。
彼等は凶器を手にし、侵入者に振り翳した。だが鳴ったのは銃声と金属音。
足音が多い。侵入者は一桁ではない。
「他の部屋も探せっ、全ての処刑人を捕らえろっ」
よく通る、若くも凛々しい声。それには聞き覚えがあった。
バタバタと駆けていく足音が離れていく間、あの六人の処刑人らの情けない声も鼓膜を揺らした。発砲が空気を切り裂く。
走る鈍痛を堪えながら体勢を変えた。やっと部屋全体が見渡せる。
そこを舞っていたのは、見慣れた長髪だった。
闇夜に疾駆する赫の残光。
ヒュウエンスの双眸に、少年は息をするのを忘れた。
青年は彼等の攻撃をひらりと躱し、右手に持つ弟子のピストルを鳴かす。武器を落としたところを間髪入れずに、長い足で顔面を殴打して意識でさえも手放させる。
シュリも初めて見る、師が戦う姿。
圧倒するその様に見惚れていると、室内に立つ者は彼だけとなった。
同時に、パーテーションの奥から子供の影が続々と出てくる。あの黄色い目をした少年もいた。
子の列の最後尾。
西洋剣をしまうリグが言った。
「ロッドさん、一人亡くなったそうです」
「そっか、その子以外はいるんだな。じゃあ後は君に任せるね」
「了解です。情報提供ありがとうございました、後で合流します」
礼儀正しい所作をするリグは、子らの手を引いて部屋を去っていった。
知らぬ間に階下の騒がしい音が聞こえなくなっている。シュリは安心して脱力した。
先ほどリグが指示していたという事から判断するに、あのたくさんの人は軍人なのだろう。捜査なのか逮捕なのかは分からないが。
ヒュウが倒れる男たちをロープで縛りつける。犯人が捕まった、つまりこれで誘拐事件云々は終わりである。
青年は大きく伸びをすると、ゆっくりとした足取りでベッドに近づいた。シュリの拘束を解きつつ、優しく笑みを浮かべる。
「ごめんね、遅くなった。怖かっただろ」
起き上がったシュリの服装を整えようとしたが酷い有り様だ。とても着られたものではない。
師は自身のコートを脱ぎ、彼に掛けてあげた。すると少年は自由になった両手を広げ、ヒュウの首に腕を回した。
抱きついたのだ。
弟子の予想だにしていなかった行動に、青年は驚いて身じろぎする。顔が見えない事もあって反応に困った。
きょとんとする師の一方、シュリは声帯を震わせながら言う。
「はい、怖かったです。貴方に捨てられるという事が、どんな暴力や暴言よりも、遥かに怖かった」
今頃になって彼は怯えていた。師の存在の大きさを思い知ったのだから。
彼という、たった一人の存在がなくてはいけないほど弱くなってしまったものなのかと、シュリは定まらない息遣いで考える。
ヒュウは泣き出しそうな少年を包み込み、黒髪の頭を撫でた。そしてもう一度謝罪の言葉を述べ、彼の首筋に額を埋めた。
・・・・・
帰りの汽車内。
太陽が昇る前であるから他に乗客はおらず、ただ線路と車輪の擦れる震動が鳴り渡る。
軍からの事情聴取も重なったこともあり、帰路についたのは翌朝になってからだった。
伽藍洞の車内だというのに、師弟と一人の軍人は少々窮屈そうに身を寄せている。外套一枚のシュリを温めているらしい。
半ば不機嫌な彼が腕を組んで言った。
「あのように動けるのなら初めから戦えば良かったのではありませんか、先生」
対して右隣のヒュウは、拗ねた唇をすぼめて言い返した。
「あれはフレイアの薬のお陰だし。僕自身は全然動けないし」
「ドーピングしたという事ですか」
いかにも響きの悪い単語に苦い顔をする。青年は聞こえなかったふりをして目を逸らした。
彼の言う薬とは身体強化剤のことである。
それも人間以外の生物にしか効果がない、極めて危険な代物だ。
いくら薬学に精通しているフレイアが調合したとはいえ、まだ試験段階であり副反応などの謎が多い。シュリは服用を控えてほしいと言いかけたが即座に口を噤む。左隣のリグを一瞥した。
彼はヒュウが人外であることを知らない。
なるべく際どい話をするのは避けるべきだと考え、この話題を終わらせた。
不平を飲み込まざるを得なかった彼は、少しばかり不貞腐れた顔をする。その様子に気がついたのか、リグは普段と変わらない口調で言った。
「すごくびっくりしました。留守番中にロッドさんから電話がきたんですから」
彼曰く、ヒュウはシュリが連れ去られた後、通報者の家から事務所に電話をかけたそうだ。
話された内容も耳を疑うものだったが、それ以上に彼の冷静さと考えた作戦が人間離れしていたと言う。
作戦とは、弟子を出しにして他の誘拐された子供を救うというものだ。
シュリは目を丸くし、思わず長髪の青年を見る。素知らぬ顔をする師に、少年は見捨てられたのではないかと本心を明かした。
聞いて呆れたヒュウは隠すことなく半笑いを浮かべる。
「僕が捨てる訳ないじゃんか。あとあんたなら分かると思ってたし。あれれぇ、もしかして分かんなかったぁ?」
「あの、そろそろ本気でぶっ飛ばしてもいいですか」
煽り文句にシュリが心底苛立った表情をするも、ヒュウは悪びれる素振りも見せない。ニヤニヤという擬音が的確な笑みを見て、弟子は大きく溜息をついた。
師の柔らかな黒髪が肩から滑り落ちる。
彼は打って変わって静かな声を発した。少年のトラウマを再発しかねない軽率な行動だったと、反省はしているらしい。
しかして彼の機転がなければ、あの子供たちは更に悲惨な目に遭っていただろう。最悪、永遠に家族の元へ帰れなかったかもしれない。
リグがその事を指摘すると、ヒュウはあからさまに笑顔になって納得した。しんみりとした空気が台無しである。
陽気な師の声。
抑揚のない監視者の声。
張り詰めた冷気。
両隣から伝わる温かさ。
煤汚れた窓から差し込む黎明の光。
青年二人に挟まる少年は、思い出したかのように眠りに就いた。




