episode20(ⅰ)
年が明けるまで数週間。
ヴィンリル王国に牡丹雪が降る。
シュリが発症者の前で膝を着いた日から半月が経っていた。
完治とまではいかないが、通常の生活を送る点では問題がない程に回復している。
その戦闘で彼は愛用のピストルを吹き飛ばされたために、銃身が僅かに曲がってしまった。
普段から自身でメンテナンスをするシュリだが、流石に変形を戻すことはできない。そのため今日は、師と共に銃を購入した商店へ、蒸気機関車を乗り継いで赴いていた。
薄いガラスの嵌ったドアを押し開ける。入店のベルが軽やかに鳴ったが人気はない。
ヒュウがいつもの調子で挨拶をすると、若い男店主が部屋の奥から顔を出した。彼の後をついてきたのか、背の低い成人女性もやって来る。
「やぁこんにちは。ガトラ、シフォン」
「わっ、ヒュウエンスさんにシュリム君じゃないっすか!」
彼は物騒な周囲とはかけ離れた、底抜け明るい笑顔で応対する。年齢に見合う爽やかさをまとって二人を出迎えた。
この武器屋は若者二人(兄のガトラ、妹のシフォン)で営んでいるとは到底思えないほどに古い。繁華街の近くであるにも拘わらず、日の当たらない狭い路地をずっと辿らなくては着くことができない場所にあるのだ。
武器の統制が厳しくなりつつも、汚れ仕事を為す者を相手に細々と商いをしている。中でもヒュウたちとは取り分け仲が良く、兄妹にとっては大切な常連客だ。
用件を話し、ピストルを手渡す。丁寧な所作でそれを自身の目線に掲げ、ガトラは片目を閉じた。確かにほんの少しだけ歪んでいる。
彼はすぐに直せるから待っていてほしいと断り、傍にある作業台についた。
シフォンが師弟に珈琲を差し出し世間話を持ち掛ける。温かくも良い香りを含んだ空気が漂った。
「そういえば聞きました? 誘拐の話。シュリム君くらいの年頃の子が連れて行かれているんですって」
彼女はまだ幼さの残る、あどけない顔を少々顰めて言う。気味の悪い話題に二人は動きを止めた。
シフォンの話によると連れ去りは先週から目立ち始めたらしい。現在のところ男女合わせて五人が姿を消し、ほとんどが学校からの帰り道に失踪したそうだ。
無数の噂には、処刑人の癪に障って拉致されたというものが有力だという。なんとも理不尽な発端であるが真実であるかは定かでない。
だが彼等ならやり兼ねないとシュリは思った。
この国は己の出自が一生付き纏う。
先祖、血統、階級、身分。これらが柵となる者もいれば、生涯の幸福を約束される者もいる。大多数は言わずもがな前者であり、貧困層もそれに一致する。
特に処刑人は、かつて人以下と言われていた。しかし今や人外狩りを執行する存在として畏れられ、貴族と同じ待遇を受けることができる立場である。
貧しさから逃れるために、処刑人になる人間も少なくない。
そのような理由で武器を手にする者が一度、成功の味を口にすると傲慢な態度を取り始めるのだ。
簡単に言ってしまえば処刑人の人間としての質が落ちているのである。
現状、被疑者として彼等が上げられるのは当然のことだろう。むしろ他に思い当たらないほどだ。
胸の辺りで不穏な考えが巡る。
シフォンが心配そうな表情で言った。
「強いって言っても、シュリム君はまだ子供なんだから気をつけてね」
「いやシュリ相手なら誘拐犯の方が危ないだろ。絶対軽傷じゃ済まない」
「少しは気に掛けていただけませんか先生」
悪びれる様子もなく言うヒュウに、すかさず弟子が突っ込む。シフォンはトレイで口元を押さえて微笑んだ。
ふと作業台からガトラが顔を上げる。修理が済んだらしい。
歪みは直り、サービスで空薬莢の排出を滑らかにできるよう調整してくれた。
シュリの相棒とも言える武器は、この時代では珍しい自動式拳銃だ。軍でも中々手に入らない代物であるが、この武器商人は手広く取り扱っている。どうして揃えられているのかは、また別の機会にしよう。
返ってきた愛銃を手にして彼は目を細めた。
鋳鉄の重さが心地良い。握り慣れたグリップの手触りが心を安心感で沈めていく。
シュリが満足な返事をすると、ガトラは嬉しそうにした。しかし即座に悲しげな笑顔になる。
ヘーゼルブラウンの虹彩、その奥で彼が一体何を思ったのか。
考える必要もないと少年は視線を逸らした。
「あ。処刑人といえばアイツら、民間人との暴行案件が増えてるらしいんすよ」
「そうそう、一昨日もお爺さんと口論になって怪我を負わせたとか」
ガトラの発言に続いてシフォンが言う。
兄妹が困った顔を見合わせる一方、シュリもヒュウに目線を遣った。彼は一瞥して睫毛を伏せ、思案する仕草を見せる。
誘拐事件といい、暴行事件といい、処刑人の様子が著しくおかしい。目を瞑っても異常さが明らかである。
素行の悪い人間や金に目が眩んだ人間が集まるのは昔と変わらない。だのに、ここまで粗悪になるものなのだろうか。
つん、と思い至る。
腕を組んだ青年が小声で呟いた。
「落ちたんだな、指導者が」




