episode19(ⅱ)
彼は、聞き流してもいいのだと、断りを入れてから話し始めた。
リグはかの有名なエンカー家である。
国家が成立してからというもの絶えず王族に付き従い、処刑人を代々まとめ上げる由緒正しき家柄だ。加えて、人外を駆除する者の中でも最強と言われる血を持つ。その名で生まれた時点で未来が約束されたも同然なのだ。
たった一人、彼を除いて。
物心がつく前から、殺しに特化した人々を率いる父親の背を見て生きてきた。だからこそ言える。
自分は父の後を継ぐ者に相応しくないと。
座学・剣術の成績は主席レベルだったが、上に立つべき存在ではない。一つの駒として戦場を駆ける方が性に合う。きっと長になれば多くの同胞らを無駄死にさせてしまうだろう。
このまま何もせずにいれば半強制的に後継者になる。家の名に傷をつける。
これ以上、親の七光りと言われるのは耐えられない。父と境遇を逆恨みすることなど何度あったことか。
ならば違う形で、人を救う道を行くしかない。
「結局責任から、父上から逃げてしまった。やっぱりおれは臆病者だ」
やっと零した本当の表情は苦笑だった。
シュリは何も言い出せず、同情も違うと考え、簡素な相槌を打つことしかできなかった。
・・・
青年の言う通り、師が帰ってきたのは日が沈む頃だった。
弟子が目覚めたのを目の当たりにすると、疲れていた顔が柔和なものになった。
「いつまで寝てるつもりだったんだい、お寝坊さん」
「脳震盪を起こしていた子どもに対する挨拶ではありませんね。頭が割られなかったことを褒めていただきたいくらいです」
シュリの意識は完全に覚醒したらしい。辛辣な口が戻ってきていた。
師は弟子に、詳しい話と少年の身に襲いかかった出来事については既に聞いていると言う。リグの在中するという提案についても。
青年は彼の妙案を受け入れる姿勢を示した。その方がシュリも専念できるだろうと踏んだのだ。
ヒュウは隣に座る金髪の青年に目を向ける。
「ていうか、君の独断で大丈夫なのかい。いくら少佐とは言っても勝手だと思うんだけど」
「たぶん大丈夫です。人外の担当をやりたがる人なんていないですし」
「いま地味にディスったね」
澄まし顔の青年はさておき、これからの方針が決まったようだ。シュリは何処か、不安げな双眸で成り行きを見守っているばかりだった。
その後リグは軍に話を通すため一旦この場を去った。
残された二人。
ヒュウは出ていく音の余韻を感じながら笑っていた。冷淡で不愛想な若造が思わぬことを申し出たのだ、面白く感じるのも当然だろう。一方シュリは腑に落ちないような表情をしているが。
「リグが気に入らないのかい」
師の声が心地良い。少年は微かに首を左右に振った。
「決してそういう訳ではないのですか……私は先生が心配です」
いくら現在の職業が軍人とはいえ、元の血筋は生粋の処刑人。それも父親は師の正体をいとも簡単に見破った実力者である。この先ヒュウが人でないと分かってしまったらと考えると、気が気でないのだとシュリは言った。
リグ曰く、自分は何処に行こうとも軍に所属しているため人外を殺せないらしいが、例外は存在する。現に羊の人外を処分してみせたのだ。咄嗟の判断で師を駆除対象とされる可能性は否定できない。
眉を八の字にする弟子を見て、長髪の青年は冷静な口調で問うた。
「じゃあ、もしあの子と敵対することになったとして。君はどうする?」
「そんなこと、お尋ねにならなくてもお分かりでしょう」
長い睫毛の奥、深紅の瞳孔が瑠璃の虹彩に合わせられる。シュリは生真面目に答えてみせた。
「何があろうと貴方を護りますよ」
歪んでしまって元に戻らない。それでも、この人の為なら。
少年の核は未だ憧憬に溺れたままだった。
ヒュウがベッドに腰かける。硬い触感と目の粗い手触りが指の間を滑っていった。
何か言いたげな師の唇に違和を感じる。シュリは枕に後頭部を沈めつつ言葉を催促した。青年は自身の長い髪の毛先を弄り、唸りに似た声で言う。
「喋る発症者についてなんだけど、僕も初めての事でびっくりしてる。まだ不確定要素が多い。でもやることは同じだよ」
彼の神妙な声音。自分以外にはあまり見せることのない相好。
シュリは歯切れの良い返事をし、痛み出した左手をさする。
三度目の失態など絶対にあってはならない。気が緩んでいる証拠だ。彼と肩を並べて行う仕事に「子どもだから」という理由は言い訳にすぎない。
あの頃に比べてこの傷の痛みなど、この頭の痛みなど感じない筈だろう?
(早く治れ。私は役に立たなくてはいけないんだ)
少年はまるで、己の体が道具にしか見えていないようだった。
リグが在中する日程は明後日からに決まった。主な拠点がここになるだけであるため特段、準備はない。
基本的にヒュウたち同様、二十四時間の勤務であるが、事務所にいるのは朝の七時から夜の九時まで。発症者の駆除以外はここで通常業務を行う予定だ。
(父上、やっとあなたの隣に立てるのでしょうか)
金糸の髪が煌めく。青年の雪にも似た白い肌の上を、月の光が滑っていった。




