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episode19(ⅰ)

 閉ざされていた視界が明らむ。眩しい、とシュリは重い瞼を押し上げた。

 そこには見慣れた景色があった。否、景色というには何もない。天井だ。彼はぼやけた視野を瞬かせ、目線だけで周囲の様子を窺った。


 暫くの間、断続的な思考を繰り返す。

 四肢は思うように動かない。

 脳は正常に働いている。

 だが気を抜くと意識がぼうっとしてしまう。

 痛みはない。

 記憶もある。

 どうしてこうなっているのかも、リグが助けてくれたことも憶えている。


 不意にドアの開く音がした。

 反応したいがそれはできなかったため呻きを漏らした。少年の声に気付き、人影は足早に近寄って来る。

 彼はシュリの顔を覗き込んで目を細め、一言「良かった」と言った。


 シュリは瞼の開閉を落ち着かせ、傍に来た青年に焦点をしぼる。

 金糸の短髪、沈む翠の瞳、未だ幼げの残る顔立ち――彼がリグであるとすぐに分かった。彼は普段の黒い軍服ではなく、薄い水色の大きめのサイズのシャツを身に纏っている。


「あの、せんせい、は」

「ロッドさんなら付近の家の火事に急行した。夕方には帰ってくる」


 抑揚のない無機質な声が答える。乾いた唇でシュリが尋ねた。


「どうして、あなたがここに」

「休日だったし、ロッドさんの申し出であなたを看ることになったから。今日で二日目」


 一切の私情が含まれていない言葉を耳にして、少年は力なく頷く。戦闘から二度も夜を越していたらしい。

 彼からの問いが途絶えたのを確認すると、リグは寝室を出て行った。

 無音の空気が満ち、横たわる彼が大きく呼吸する。被さる布団が重く感じた。


(また失態だなんて)


 心中は複雑な感情が行き交い、まるで町の喧騒だった。


 暴徒化した人外の駆除に手こずったという自分への苛立ち。

 相手に集中しすぎてしまって、()()()()()敵に気が付かなかった悔しさ。

 監視役であるリグがいなくては死んでいたという恐怖。

 そして生きていることへの安堵。


 彼が発症者の処分で失敗したことは以前もあった。

 しかし、それは何者かが明確な意思を持ってシュリに麻酔を打った、というものであって今回は自身に原因があるのだ。

 己の未熟さに溜息が出る。微動だにしない身体が厭わしく思い、彼は脱力して目を閉じた。


 ふとドアが開く音が鳴る。

 薄目で出入口に視線を向ける。リグが入ってきたのが見えた。


 何をしに戻ってきてのかと不思議に思っていると、彼はシュリのいるベッドの傍に椅子を置き、そこに腰を下ろした。

 思わず少年はどうしたのかと訊くと、彼は平然とした顔で答える。


「だから、ロッドさんにあなたを看てほしいと頼まれたと言っただろう」

(あ、看るってそういう……)


 シュリは半ば呆れながら言った。


「でしたら、お訊きしたいことが、あるのですが」


 彼は辿々しく、羊の人外の他に発症者はいなかったかと尋ねた。リグは数秒考える仕草をしたのち首を左右に振る。


「わたしの手の、怪我はご覧に、なりましたか」

「ああ、少しだけ。刃物で抉られているみたいだった」


 少年の左手は包帯できつく巻かれている。もちろん指先すら動かせない。傷口を縫うためか、麻酔のお陰でまだ痛みは感じていなかった。

 彼はリグの返答を聞きいて小さく首肯する。


「あなたは同じ怪我を、負いましたか」

「いや、ほぼ無傷だったが……あったとしても打撲(だぼく)くらいだな」


 青年は自身の腕に目を遣る。処置された痕跡が僅かに残っていた。

 シュリの言葉に引っ掛かりを覚えた彼は、視線を少年の手に向ける。怪訝そうにその唇が開く。


 あの場に協力者がいたのか。


 そうは言うものの、リグが駆け付けた時には既に姿はなかった。恐らくシュリを殺す目的だったのだろう、という結論に二人は至る。

 攻撃を仕掛けられたあの瞬間、シュリは衝撃と動揺で周りを確認することができていなかった。平生なら察せる気配も、当時の彼の心理状態では感じ取れなかったのだ。

 少年はリグに、過去にも明らかに自分を狙った襲撃があったと説明する。それを聞き、彼は何かを思い出したように言った。


「三ヶ月前から職務中の処刑人の暗殺未遂事件が多いと聞いた。どれも若い者ばかりで、死亡した者もいたとか」


 話によると、怪我の大半が斬撃や切り傷。負傷箇所は頭部、肩、腕など上半身に集中しているそうだ。

 第三者で誰も犯行を目にしたことがなく、犯人が人間なのかも人間以外なのかも謎のまま。軍が捜査に乗り出しているが、目撃者はおろか、手がかりさえ見つかっていない。

 二人の間に不穏な考察が(わだかま)る。

 シュリも他の者と同様、駆除の最中に予期せぬ場所で殺されるかもしれないのだ。そんな形で殉職するなど、この少年の本望では決してない。

 重々しい空気を切ったのはリグの方だった。


「おれが此処に在中するのはどうだ」


 彼の提案にシュリは眉を顰めた。

 反論したげな子を制しつつ、青年は真っ直ぐな眼差しで話す。


 軍人としてこの組織の監視・記録は続行するが、人外の暴走が起こった場合、主にシュリの援護をする形で護衛を行う。

 事実、発症者と対峙する際の軍人の役目は「国民の避難と守護」「倒壊した建物の撤去作業」であり、直接戦闘をすることではない。その役目なら処刑人にあり、彼等もまた国民を守ることは職務に含まれていないのだ。


「どちらにせよ人がいる場所では、おれが駆除することはできない。だからあなたの身に襲う暗殺の手を阻止しよう」


 随分とおかしな事を言う。シュリは呆然と彼を見つめていた。


「なぜ、そこまでして、下さるのですか」


 尋ねずにはいられなかった。

 少年の問いかけに、リグは少し俯いて口籠る。話すべきか、と呟き、再び顔を上げた。


「十三という(とし)で、おれがなれなかった処刑人をしている事は羨ましくも尊敬に値する。おれの代わりに頑張ってほしいんだ」

「何か理由が、あるのですね」


 シュリの確信した言葉はリグの図星を突く。青年は一度視線を迷わせ、睫毛を伏せさせた。

 無言は肯定。

 彼は、聞き流してもいいのだと、断りを入れてから話し始めた。

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