episode17(ⅰ)
殺しの才能を持つ少年が、明確な殺意を抱くことになったのは必然だった。
あの乱入者へ向けたものが、彼にとって生まれて初めての殺意であった。それからというもの、その感情が簡単に顔を出すようになってしまい、ハーレンは抑えつけるので精一杯だった。
同時に、従者から吐かれた罵詈雑言によって彼の自己肯定感は皆無となる。
生きている意味がない。
生きている価値もない。
死んでもらった方がいい。
誰もお前を必要としていない。
だから死ねばいいのに。
耳を塞ぐことすらできなかった。夜になっても、朝日が昇っても言葉は刺さったままだった。
これらの所為で、ハーレンは心に二頭の獣を飼うことになる。
一頭は皆を殺してやるという憎悪。
もう一頭は血だらけの自殺願望。
この二頭の首輪は既に切れかかっていた。いつ放たれてもおかしくない、そんなある日のこと。
「どうして逃げない」
王宮の裏手にある厩で死んだ仔馬の後処理をしていたところ、通り掛かったカエハにそう言われた。稽古上がりなのか、彼の周りに付き人はおらず軽装であった。
質問の意図を汲みきれなかったハーレンは、一瞥だけして仕事に戻る。手にしているピッチフォークで藁を移動させた。まだ足元には仔馬が横たわっている。
遺骸にカエハは、屈んで顔を近づけた。蠅が耳障りな羽音を立てて飛んでいく。
「この子、なんで死んだ?」「知らない」
不愛想な返答に、カエハは興味なさげに相槌を打つ。彼の視線は仔馬の後ろ足に送られた。
「折れたのか、可哀想に」
「違う、折られたんだ」
予想していなかった否定に面を上げる。ハーレンは片割れに背を向けて立ち、藁を退かしていた。
王子は誰に折られたのかと問う。
下僕は知らないと返す。
今度は何故折られたのかと問う。
彼はまた知らないと返した。
流れの変わらない会話に深い意味はない。カエハは特段、興味があった訳ではなかった。ただ片割れと話がしたかっただけで本当はこの小さな馬の死など、どうでも良かった。
一旦尋ねる口を止めると、王子は死体の頬を撫でる。ある筈の温かさはなく毛皮がそこにあるだけだった。
「この子、どうするつもり」
「燃やす」
「埋めるのではなくて?」
ハーレンは答えない。彼との問答が煩わしいようで、苛立ちが見え隠れしていた。
障害物の片づけが済んだらしい。下僕の少年は仔馬の前足を掴み、引き摺って外へと出した。石畳から砂場へと連れ出される遺体は、ぐったりとしていて人形に似ていた。
カエハは少しずつ離れていく彼の後を追った。手を貸そうとはしない。手伝っているところを目撃される可能性があるのだ、当然の行動である。
調教馬場の開けたところまで行くと、ハーレンは厩の壁際に置いておいたガラス瓶を持ってきた。ラベルには雑な字で「フテの油」と書かれている。
フテとは、この国の南側に群生する針葉樹だ。
この木が持つ樹液は引火しやすく、長時間燃える。大昔から民の生活必需品として愛用されていたものである。
眠る死体に、油とされた樹液を乱暴にかけた。
瓶の五分の一を使うと、ハーレンは蓋を締めてポケットからマッチ箱を取り出した。
軽く擦ると火が立つ。一歩下がり、彼は短い棒切れを投げた。
刹那、どんっと地が揺れる。一気に樹液に火が移ったのだ。瞬く間に仔馬は炎に包まれる。
此処らでは珍しい火葬に、カエハは感心に似た眼差しで眺めた。
ふと、ハーレンが呟く。
「どうして生まれてきたんだろうな」
炎を見つめる瑠璃の瞳が、赤く染まっていった。
皮膚が溶け、肉が爛れ、内臓も焼かれていく。不快な臭いが充満する。カエハは思わず鼻に手を当て、あからさまに嫌そうな表情をした。
「知らない、そんなこと」
熱風が額を掠める。
片割れは低く「そうか」と言うと、傍にあったピッチフォークを握った。猛る炎に歩み寄り、先端を死体に刺す。体が崩れていった。
その様子は何処か恐ろしく、カエハは耐えられずに目を閉じる。知らず知らずのうちに距離を置いた。
どれほどそうしていたか。
水の音でカエハは目を開けた。目前にあった炎は消え、代わりに白い煙が上がっている。死体はなかった。体を象った状態の骨と、炭と化した肉片が転がっているだけである。
ハーレンが無造作に白を踏み潰す。硬く、乾いた音が無機質に鳴った。
砕かれた骨はその場で埋められた。焦げた砂と混ぜ、異質な領域ができる。
一つの仕事が終わり、下僕の少年は身を返したが軽装の少年に呼び止められた。彼は半身を向け、焦点の合っていない目線を送る。
「もう一度訊く。どうして逃げない」
張りのある声音に対して、ハーレンは気だるげな声音で答える。
「やらなくてはいけない事があるから」
彼の言う「やらなくてはいけない事」とは、メイドが命じた仕事だと当時のカエハは思っていた。奴隷をしているからその性がついたのだろうと自己完結させたが、本当の意味は――
片割れは何故か、振り返る体勢のままこちらを見ていた。王子は不快に思ったらしく、むっとして何と尋ねる。少年が薄く笑みを浮かべて言った。
「カエハは私のこと、汚いと思う?」
脈絡のない問いだった。
冷たい微風が間を吹き抜ける。黒い髪が流された。
全く同じ顔、同じ身長、同じ虹彩をしているのに、身なりは天と地ほど差があり、髪も艶が違う。双子と言えど似ても似つかない。
何処で道を違えたのかと、カエハは脳裏にこびりつく痛みから意識を離す。
「綺麗ではない、と思う」
素直な答えだった。
ハーレンは笑みを消し、何をいう訳でもなく踵を返して行ってしまった。
カエハとまともな会話をしたのがこれで最後。以降、暫く顔でさえ合わせることは無くなっていった。




