episode16(ⅱ)
少年が初めて見る血は鮮やかで、薔薇のようだった。
両刃の剣を躊躇いなく乱入者に突き刺し、ハーレンは勢いを殺さず男を前方へ押し倒す。腹部から貫通した剣先が地面に接し、背に馬乗りになった。
目前、国王と王妃が目を大きく見開いて凝視している。驚いて後退りのような仕草を見せた。
一方男は、絶命するまで時間があるらしく、鮮血と呻き声を口から漏らしながら藻掻いていた。
国王らのテーブルクロスに手を伸ばし、のしかかる少年から逃げようと引く。テーブルの上で誇らしげに並んでいた料理が次々に落ちていった。
男がまだ生きていることにハーレンは焦りを感じて、突いた剣を引き抜く。そして間髪入れずに再び背に突き刺した。何度も、何度も。
刺す度に喘ぐ男、吹き出す鮮血、飛散する脂。
少年には、周囲からあがる悲鳴が聞こえていなかった。
震えた王妃の呼び声で、やっと彼は顔をあげた。
彼の視界は赫一色。所々骨が露出している。続きのない血管が晒され、臓物が潰れているのが見えた。痙攣する筋肉。引き千切れた皮膚。ぐちゃぐちゃ、という表現が酷く似合う状態だった。
整った面に塗りたくられた血液と、それに混ざる脂が顎から滴る。
息が苦しい。
何故か空気を上手く吸えない。
しかしハーレンは笑っていた。
「ご、ご無事ですか父様、母様! 良かったです、お怪我はされていませんか? あぁ、お召し物は汚れてしまいましたね! 従者に着替えを持って来てもらいましょう!」
彼の両親は、にこやかに話し掛けてくる息子の言葉に返せなかった。ただ怖がって、微動だにしない。
二人の眼差しは、人外を見るものだった。
上がって治まらない呼吸で彼が立ち上がる。無邪気な子どもの笑顔は、どこか嬉しそうだった。父親と母親が傷つけられずに済んだ、私が二人を守ったんだと、言いたげな唇の端を持ち上げている。
血濡れの刃を右手に、切り落とした乱入者の頭を左手に持って、ハーレンは国王らのもとへ向かおうとした。
その時。
「近づくな化け物ッ!!」
生まれて初めて聞いた、父親の怒鳴りだった。
ハーレンは笑ったまま呆然とする。母親はこちらを見ることもできない。身を縮めて動かなかった。
間もなく大勢の軍人が駆けつける。彼等は切られた貴族の者を運び出し、他の者たちを避難させた。
やがて王は王子を拘束するよう命ずる。
混乱して暴れるハーレンに構わず、軍人は四人がかりで捕らえ縄できつく結んだ。剣と頸が血だまりに落ちる。彼は必死で国王に叫んだ。
「なぜ私を捕らえるんですかッ! 父様、父様ッ!!」
遠ざかっていく大きな背に投げた声に返事はない。一瞥でさえしてくれない。歩みに迷いもなかった。
少年は大人の手を振りほどこうとしたが、向こうの力が緩むことはない。彼の甲高い罵声が響くだけである。
カエハは離れた場所で、惨状を恐怖に染められた瞳で見ているばかりだった。
血塗れのハーレンが連れてこられたのは、王宮の地下深くにある牢獄だった。
無造作に檻へ入れられ、片足を鎖で縛られる。明かりはない。闇に怯える少年は、去ろうとする軍人を呼び止めた。だが騒ぐ十一歳にやる返事などなく、彼はすぐに独りになる。
牢獄内は朝かも夜かも分からなかった。
今まで広々とした城で暮らしていたハーレンにとって、狭く汚いこの空間は耐えられるものではなかった。加えて年中寒冷な王国である。まともな防寒具のない檻の中、夜間は南極といっても過言でない。彼は幼い体を一生懸命に丸めて凌いでいた。
明るくなる兆しのない漆黒と微睡の狭間。
ずっと同じ疑問が、少年の脳内を右往左往する。
王子である自分は、一体どうしてこんなところにいる?
父様がそう命令したからだ。
ではどうして父様はそんな事を命令した?
わからない。
(あの不届き者から守ったというのに、なんで)
守ってはいけなかったのだろうか。軍の仕事を奪った事がいけなかったのだろうか。頸まで取らない方が良かったのだろうか。
ハーレンは何時間も、何十時間も同じことを考え続けた。しかし答えは出ない。彼の疑いは、次第に怒りへと姿を変えた。
自分があの時、咄嗟に助けにいかなければ父親は殺されていた。ならば、自分は正しいことをした筈である。では何故ここにいる。何故怒鳴られた。何故私がこのような目に遭う必要があるのだ?
「ハーレン、起きてる?」
中性的で柔らかな声が鼓膜を揺すった。
反射的に彼は寝転がっていた上体を起こし、目を向ける。唐突な灯り。眩しさに手を翳す。
「良かった、生きてる。毛布持ってきたの、使って」
瞬きを幾つか繰り返し、ハーレンは灯りの持ち主を見た。その影が誰かと分かった瞬間、彼は競り上がってきたような声で名を口にする。
「カエハ……っ!」
久しい、人間の温もりと片割れの顔。
少年は柵の隙間から差し出された毛布を受け取り、暗がりに立つカエハに手を伸ばした。氷に似た冷たい柵を挟んで肩を抱き、瑠璃色の瞳から涙を零す。彼もまた額を擦りつけてきた。
落ち着きを取り戻したハーレンは、はっとして弟に此処にいる理由を尋ねる。瓜二つの彼は神妙な表情で一つひとつ丁寧に説明した。
誕生会から半月が経つ今日。
一向に詳細を話してくれない両親や従者に不信感を抱き、彼は勝手な行動に出た。消灯時間すぎに部屋を出て、地下へ繋がる通路の門番を搔い潜ってきたらしい。
双子の片方が姿を消してからいうもの、大臣や役人たちは掌を返してカエハの方へ肩入れしてきた。後継ぎ争いは既に決したといっても良いだろう。
次にハーレンが収容されることになった経緯を話し始めた。




