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episode16(ⅰ)

 夜の静寂に埋もれる、大理石の空間。

 壁際。細かな刺繍が施されたタペストリーの前。

 一人の少年が大きな窓から町を、否、国を見下ろしていた。


「――ハーレン」


 幼気のある所為で、男か女か判別しくい声がぽつりと落ちる。はっきりと発音されたが、それに答える者も聞く者もいない。

 此処は高くそびえ立つ王宮。

 薄暗い部屋に、彼の身に纏う金糸が煌めいた。


「何故あの時」


 頓挫した台詞に続きはない。彼は長い睫毛を伏せさせた。


 生気のない吐息に混じる、釈然としない感情の気配。未だに理解できない()()()の問いが、脳内を行ったり来たりを繰り返す。


『カエハは私のこと、汚いと思う?』


 死という、この世で最も穢らわしいものを振り(かざ)す彼に、自分はどう答えることが正解だったのか。少年は瑠璃色の虹彩を沈めた。


 腰を飾る西洋剣を引き抜く。

 金属音が擦れると刀身が露わになった。鈍色に輝き、僅かにある遠くの明かりを反射する。両刃が凍てつく視線を向けてきた。


 がたり、と重い音が鳴る。少年の背にある扉が少し開いた。廊下の眩い光が差し込む。


「出立のご準備が整いました、カエハ殿下」


 低い声音に告げられ、彼は剣を仕舞う。


 振り返る少年の端正な顔は、鏡合わせしたようにシュリと酷似していた。


 ・・・


「先生は、私についてどれほどご存知なのですか」


 弟子の突拍子もない質問にヒュウは面食らい、彼は半笑いで聞き返した。


 ミストの決断を聞き届けた翌日。冬には似合わない暖かな陽気の昼下がり。

 買い出しから帰宅して早々、シュリは青年の片手を引いた。


「な、なんだい。随分と急だね」

「出会った時から疑問でしたが、お尋ねする頃合いが分からなかったのです。お答えしていただけますか」


 美少年が真っ直ぐな目を瞬かせる。目下の視線から逃げられなくなったヒュウは、浮かべていた笑みを薄くした。

 手の荷物を下ろし、シュリに引かれた片手を握り返す。相変わらず青年の体温は低い。


「僕が知ってるのは、あんたが元々王子様だったってことと去年の大火事の犯人はあんたってことだけ。二つともシュリの口から聞いた話じゃないから確信はないけど」


 八重歯の先端だけを覗かせ、ヒュウは言った。いつもより口調が優しい。

 師の言葉に、シュリは小首を傾げさせて問う。


「確信がなかったのなら、何故今まで私にお尋ねなさらなかったのです。理由だって気になるものでしょう」


 不思議そうにする弟子をヒュウは愛おしそうに見つめた。彼は、傷つけるかもしれなかったからと答えて手を離す。

 編み上げブーツの踵を鳴らし、買ってきた商品を運んだ。食料はキッチンへ、日用品はテーブルの傍へまとめていく。その後ろ、シュリはやや俯いていた。


 ある程度運び終えると、青年はコートを脱いで仕事机へ向かう。日課である人外の研究をするのだろう。

 行ってしまう彼の背をシュリは咄嗟に呼び止めた。

 ヒュウがこちらを向く。少年は、自身の首を飾るループタイを握って言った。


「お話します、全部。私の過去を」


 強い声音に加えて突然の宣言だったにも拘らず、どうしてか師は落ち着いていた。頬を緩めて一つ頷く。


「無理はするな。言いたくなかったら言わなくていい」


 客間のソファに促す。シュリもまた大きく首肯した。

 向かい合って席につくと、微かに緊張の(とばり)が降りる。姿勢を正して少年は切り出した。


 *


 十三年前。

 王室に二つの命が生まれた。双子の男である。

 先に世へ出た方を兄とし、名をハーレン。追って顔を出した方を弟とし、名をカエハとした。

 元より不治の病に冒されていた王妃は、その病の為か子宝に恵まれず長く苦しんでいた。だからこそ生まれた子らを大層可愛がったらしい。国王も厳しさの中に確かな愛を注いでいた。


 ハーレンとカエハは瓜二つだった、両親でさえ見分けがつかないほどに。

 区別する方法としては性格。カエハは温厚で物事を後ろ向きに捉えやすい。ハーレンは正義感が極端に強く、傲慢な一面を持っていた。

 尚且つ得意分野も真逆である。武術などの実力行使を好む兄に対して、弟は座学に秀でていた。


「母様、父様! 今日のおけいこもカエハに勝ったんですよ。ほめて下さい!」

「ハーレンばかりずるい! 私は座学でハーレンより高いてんすうをとりました!」

「まったく二人して……喧嘩はいけませんよ」


 一見、反りが合わないような兄弟であるが意外にも仲は良い。軽い言い争いは日常茶飯事であったが、稽古も勉学も必ず二人で参加し、食事も片割れがいなければ手をつけなかった。


 仲睦まじい様子の王室は、この国の家族の手本だった。何もかもが幸せで、このまま平穏に――というわけにはいかなかった。


 王家の兄弟は派閥争いの体現である。

 親戚をはじめとし、大臣や軍までもが真っ二つに分かれ、権力を求め小競り合いを繰り返していた。当の本人らは子どもであるため何も分からず、人外の存在も知らずに幼少時代を生きていた。


 均衡が崩れたのは、双子が十一歳になった日。

 この日は貴族らを呼びつけ、王宮の中庭で誕生日会を催していた。


 絢爛豪華な装い。

 手間のかかった美しい食事。

 瑞々しい薔薇の園。

 成長し大人の仮面を付けられるようになった双子は、挨拶の度に(こうべ)を垂れる貴族に微笑み掛ける。自分らを敬う会話に挟まる、派閥の戦況を尋ねる声に苛立ちながら。


 不意に耳朶を打つ悲鳴。


 これが全ての発端。のちにシュリムレイドと名付けられる王子の分岐点であった。


 凶器を振り回し、一人の男が乱入してきたのである。

 門番や護衛の兵を圧倒する力で薙ぎ倒し、男は一直線に国王のいるところへ走っていく。途中、着飾った夫人らを切りつけ鮮血が飛び散った。

 純白のテーブルクロスに映える赫は、すぐにハーレンの目に焼き付く。自然と腰元に手を伸ばした。


 大混乱になった会場。

 逃げ出す貴族と止めに行く兵士の渦中、彼は立ち上がって男の方へ駆けていく。後頭部に投げられた、片割れの呼ぶ声に返事すらせず。

 やがて乱入者は斧を振り翳した。王妃を守るように覆い被さった国王の頭を目掛けて。


 錆びた刃が牙を剥く、その瞬間。


 男の手から斧が落ちた。次いで、彼の体から赫が滴る。

 何が起こったのか、王の理解は追いつかない。()せる乱入者の口からボタボタと血が流れ出た。

 呻き蹲る彼の背後から現れる人影。


 そこにいたのは実の息子、ハーレンだった。

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