episode14(ⅱ)
「子どもは作るな」
青年の言葉に二人は口を開け、シュリは小首を傾げた。
呆然として何も言い出せない男女に構わず、少年はヒュウへ問い返す。彼は変わらず同じことを言い、説明するのに一旦唇を舌で湿らせた。
この国では人間からそれ以外の生物が極稀に産まれる。
約千人に一人と確率は低い。だがそれは人間同士の話であって、人外との交配ではほぼ人以外の生き物が誕生する。
「アニーも知っての通り、人間の世界では産まれた赤子が人でない場合、問答無用で殺される。
――僕の言いたいこと、分かるよね」
テーブルの向かいに座する二人が黙り込む。俯く女性を慰めるように、ロイが不器用に彼女の頭を撫でた。
一方、シュリは不思議そうな目をして二人の様子を見ていた。子供をそこまでしてほしいものかと思っているらしい。
そんな無神経とも取れる視線を注ぐ彼の頭を、師は横から小突いてやった。
「……何するのですか」
「ガキはまだ分からなくていいんだよ」
青年の、他人の前では見せることのない真顔。その睫毛は力なく伏せられている。
ふっと向かいの男性が顔を上げた。
「生まれたのが人の子なら、いいのか」
ロイが発言したことに目を見開く。思っていたより低く、落ち着いた声質だった。すぐに青年は答える。
「まぁそれなら大丈夫だと思うけど、君自身が人外だってバレたら、アニーも子供も無事じゃ済まないからね」
人外は常に不自由の身。
人間という監視が存在し続ける限り、まともに子孫すら残せない。
化け物たちは人間を知らなければ家族の概念をも知らない。人の心を真似た意識の中で、彼等は心のあたたかさを知らず冷たい一生を全うする運命にある。
人間は食糧。
だのに心のあたたかさを知って、食糧に恋してしまう者もいる。この兎の少年のように。
ヒュウの返答を聞いたロイは、ぴくりと長い耳を反応させ言った。
「それはお前も同じじゃないか」
途端、空気が張り詰める。間髪入れずにシュリが腰のピストルに手を伸ばしかけたところ、師が声で制した。
「あんたはそうやってすぐ殺そうとする癖なんとかしろ」
「ですが先生」
「相手は同類だ、殺しても意味がない。あと、これ仕事だからな」
呆れた顔をする青年を見て、シュリは浮かせていた腰を下ろす。解せぬといった表情だった。
唐突に攻撃態勢になった少年に恐怖を感じたアニーは、怪訝に近い目で師弟を見る。信頼性を欠くような行動をとった少年に対して、青年が叱っていたため疑いの念は身を潜めた。
気を取り直してヒュウが口を開く。
「彼の言う通り僕も人外だよ。少なくともロイの五倍は生きている」
「え? 嘘、人かと思ってました」
素直に驚く少女に彼は一笑だけで返す。
即座に笑みを消し、気難しい顔をする少年と向き直る。
「答えて。本気で君はアニーを愛しているのかい」
脈絡のない問いかけ。戸惑うことなくロイは力強い瞳で答える。
「勿論だ」
澱みのない返答にヒュウは穏やかに微笑む。慈しみの滲んだ、優し気な眼差しだった。
今度は左の少女に同じ問いかけをする。アニーもまた真っ直ぐな瞳で、勿論、と答えた。
濁らせることなく互いを愛していることを明言するロイとアニー。
青年は柔和な笑みを浮かべて言った。
「生半可な気持ちで人間の世界で生きようとしたら死ぬ。お互いに守り合え。発作に関して不安があるなら僕らを頼っていい」
言葉一つひとつの質量が普段と違う。遥か年上の青年の台詞を聞き、二人は強く頷いてみせた。彼等の返しにシュリも表情を綻ばす。
訪問者たちとの長い話し合いの末、氷輪の救急箱が出した答えは以下の通り。
異生物との婚約は決して勧められるものではない。しかし両者が同等の深さで想いあっているのであれば、第三者が口出しする余地はない。できる限りのサポートや助言は尽くすが、基本的に二人だけで生活する。
シンセ森を出るのはあと十年後。完全に人間に化けることができるようになるまで耐えること。
もし発作が起こり、やむを得ない場合は責任を持ってシュリが処刑する。それ以外で干渉は行わない。
青年が結論を述べると、向かいに座る男女は首肯を示した。どうやら納得してもらえたらしい、入室時より明るい面持ちになっていた。
日が暮れる頃、若い訪問者らは事務所を去って行った。仲睦まじく手を取り合って、寄り添うように森へと向かって。
静けさに包まれた室内。
シュリはふと思い出した。
「先生。人外の性別については説明しなくて良かったのですか」
弟子の質問に対してヒュウが言う。飲み干され、空になったティーカップを傾けた。
「話そうと思ったんだけど野暮かなって思ってやめた。愛ってそういうもんだろ?」
根拠のない彼の言葉を聞いて、シュリは軽い溜息を吐いた。
彼ら人外に性別は存在しない。正確に言うのなら両性である。
誕生したその時の身体は男として、性器はふたつ持つ。つまり妊娠することもさせることも可能であるのだ。身籠った場合、身体は変貌を遂げ、女の体つきとなる。
(となると、フレイアさんは子どもを産んだことがあるのか。あの人も元は男性だったなんて)
本棚に整然と並ぶ、古びた本の背表紙を撫で、シュリは心中で独り言ちる。
なんとも形容しがたい気分になって彼は首を左右に振った。考えていることが邪なことである気がして後ろめたくなったらしい。
先生は、と彼はヒュウへと視線を遣った。
偶然、ぱちりと目が合う。
どうしてかシュリは思わず逸らしてしまった。
すかさず師が突っ込む。
「えー何ぃ? 顔真っ赤だぞー?」
「口を閉じて下さいぶっ飛ばしますよ」
「うわ理不尽」
容赦のない返事をする弟子に、ヒュウは嘘泣きをして見せる。いつもの調子で戯ける彼へ、シュリは頬を赤らめつつ冷たい眼差しを向けた。
さりとてその表情は柔らかい。
(この人も、人の持つ心のあたたかさを知ったから、此処にいるのだろうな)
誰がどのようにして、ヒュウにあたたかさを教えたのか。この時シュリは、まだ何も知らない。
・・・
七日の時が過ぎていった。
出先にて。
冬も大詰めな気温。
音もなく雪が降りしきる中。
甲高い悲鳴と物騒な乾いた音が、師弟の鼓膜を劈いた。
野次馬が集る道の真ん中。
降り積もった雪の上。
場違いな鮮血。
傍ら、膝から崩れ落ちた少女が周囲にいた仮面の人物たちに連行される。
遠巻きの人々が散っていく。
赫の中に横たわる一つの人影。
見覚えがあった。
「だから森を出るのは早いって言ったのに」
青年の氷に似た声音。
少年の視線は、広がりを止めない血とぶつかる。
その瞬間。
息の仕方を忘れ、脳が考えることをやめる。
連れて行かれた少女はアニーだった。
血溜まりをつくっていたのはロイだった。
凍てつく風が少年の頭を殴っていく。
白い息が頬を掠めていった。




