表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/79

episode13(ⅱ)

「行くなっ みんな死んでしまう!」


 いつかの記憶が氷のように急激に冷え、これでもかと存在感を放つ。


 浮かび上がる断片は、宵闇を裂くように轟く爆発音。

 四肢が千切れ、骨を剥き出しにしてもなお死にきれず呻く仲間の影。

 投げやりの鬨の声。

 そして救い切れなかったアンクの亡骸。


 あんたも死ぬんだと必死で訴えるが、彼は困り顔になって口角を持ち上げるだけだった。妄言にしか聞こえないのも当然だろう、でも、諦めきれない。

 しかし僕の願いも虚しく、アンクは質素な返事をした。


「ごめん。分からないや」


 するりと掴んでいた手を放す。視界が濁り、霞んだ。


 また失うのか、目の前で。否、違う。此処は過去だ。僕の記憶が僕に見せている空虚な幻想なんだ。この世界で何か行動を起こしたとしても、結局は何も変わらない。

 突然黙りこくった僕を配慮して、アンクは自身の分の紅茶を淹れて言った。


「多分それは予知夢だよ、他に何があったか分かる?」


 予知夢なんかじゃない。言いかけて口を噤む。

 これ以上彼を困らせるのは良くないと思った。僕は虚ろな目をして記憶を掘り返す。


 君が死んだあと、僕は(ここ)を辞めて同類と出会った。彼女は自分のことを蝶だと言った。そして他にもいるらしい同類と手を組んで人間と人外の間に立つことを決めた。その後は。


 不意に、ずきりと頭が痛む。

 頭痛とは明らかに違う、瞬間的で刺すような鋭痛だ。


 思い出せそうで思い出せない。誰だろう。確かに出逢った。誰かに「先生」と呼ばれていた気がする。瑠璃色の瞳を持つ、誰か。


 網膜に揺れる小さい影を追うも、すぐに姿をはぐらかされる。朧げに聞こえる子供の声が遠ざかっていく。

 忘れてはいけない存在。つい先刻まであった筈の人影。


 あの子供は僕の役に立ちたいと言っていた。僕のようになりたいとも。どうして人間の子供にそんなことを言われたのかは覚えていない。誰だ、誰なんだ君は。

 過去に遡ろうとすればするほど行く手を阻まれる。頭が割れる。


 呻く僕を前に、アンクは結んでいた唇を開く。その口から紡がれる声音は優しく、不安の念を孕んでいた。


「ヒュウエンスにとって大切な人なの?」


 僕にとって、大切。

 人形としてじゃない。武器としてじゃない。食糧としてじゃない。


 一つの存在として、大切。


 刹那、痛みが消える。周囲の景色が突如、自分の色を思い出したかのように鮮やかになった。


『そうだね、やっと死ねる』

 焼け落ちる屋敷で項垂れる彼を見つけた。


『先生が無事ならいいんです』

 今ほど上手でない敬語で彼が言った。


『私は、先生に必要とされたいです、役に立ちたいです』

 歪められた彼の心が呟いた。


『私は、先生(あなた)がわかりません』

「――シュリ」


 呼び慣れた名前。僕があの子に付けてあげた名前。


「シュリムレイド」


 始めは長いから嫌だと拒まれた。でも僕が悲しい顔をしたら渋々了承してくれたんだ。

 どうして、どうして忘れていたんだろう。僕の弟子で、助手で、大切な人。

 きっと心配している。僕の寝起きが悪いことは充分知っているだろうけれど、僕が起きるまでの独りはつらい筈だ。帰ったらすぐ抱きしめてやらないと。いつもあの子は嫌がるけれど、本当は満更でもない顔をしているのを僕は知っている。

 僕も永い間、ひとりぼっちだったから。


「帰らないと」


 ぬるくなった紅茶を机に置いて立ち上がる。


 唐突に腰を上げた僕に対して、何故か隣のアンクは驚かず、むしろ安心した表情でこちらを見上げていた。

 その瞳を見て、思わず肩を抱く。彼はふっと笑って言った。


「おれのこと、忘れないでね」

「当たり前だろ。逆に忘れたいくらいだ」

「えーおれ、そんなにヒドイ死に方したの? やだなぁ」

「本当は僕が助けなくちゃいけなかったのに」

「そっか、じゃあヒュウエンスの所為だね」

「うるせ、悪かったよ」


 軽い言い合いの後、離れると彼の顔も含め辺りの輪郭が滲み始めていた。間もなく目覚めるのだろう。

 意識が浮上する。

 再び瞼を下ろしかけた僕は、ぼやけて見えなくなっていく旧友に言った。


「死んだら必ず会いに行く。()()()()()()にも伝えておいてくれ」


 僕は凍てつく空気で目を覚ました。


 ・・・


 夜が明ける。

 未だ眠りにつく住宅街の一角、太陽の光が差し込み部屋が明るくなっていく。その中、影が起き上がった。

 一直線に差してくる朝日に赤い目を瞬かせつつ、長髪の青年が周囲を見回す。散乱した本や紙、それに混じる割れた瓶、木の床に染みた赫い液体、そしてソファに横たわる血塗れの少年。


 朦朧としていた脳がはっと冴える。

 ヒュウは自身の手に視線を向けると、彼と同じ赫を視界に捉えた。


 一気に血の気が下がる。俄かには信じたくない。

 口内に残る肉の味が生々しい。腹も無駄に満杯だ。蝙蝠の翼も理由もなく服の外に出ている。


「まさか、発作……」


 寝起きの掠れた声は小さかった。

 意識を飛ばす以前のことをはっきりと覚えていない。思い当たる可能性に息が上がる。ばくばくと鳴く心臓が痛い。


(嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。僕が、シュリを、そんな、そんなわけ――ッ)




















































「先生?」


 幼く、中性的な声が鼓膜を撫でる。

 おもむろに振り返ると、赤い少年が目を見開き、間抜けな顔をしてこちらを見つめていた。


 自然とヒュウも子の名を口にする。名を呼ばれたシュリは、あっという間に端整な(おもて)を歪めた。彼は座り込んだままの師に向かって、今にも泣き出しそうな声音で言う。


「先生のばか! あほ! 最低!」

「な、なんだよヒドい」

「こちらの台詞ですッ 私が、私がどれだけ心配したと、お思いですか……っ」


 シュリ曰く、発症直前に麻酔で眠らせ、闇市で購入した瓶詰めの人肉を食べさせたらしい。強制的に食欲発作を鎮めるという、何とも雑な治療方法である。


 彼の握りしめられた小さい手が震えていた。ぼろぼろと大粒の涙を流し、しゃくり上げながら「ばか」を繰り返す。

 無傷の彼の姿を目にして、ヒュウは肺の空気が全て出てしまうほど息を吐いた。あんなにも(うるさ)かった心臓が嘘のように泣き止んでいる。


 シュリを傷付けなくて良かったと思う反面、心配を掛けさせてしまったことを猛省した。前兆がない発作とは言え、自分が暴走した際の対処の(すべ)を教えていなかったのは盲点だった。


 ヒュウは軋む身体を鞭打って、柄にもなく泣きじゃくる弟子の元へと歩む。安堵で潰れそうな少年を、躊躇いなく包み込んだ。彼はシュリの肩に顔を(うず)める。

 普段はやめろと拒否するシュリも、今ばかりはその身を許している。


「嫌ですから、喧嘩別れなんて」


 幼い少年の言葉を聞いてヒュウは苦笑を漏らした。


「ごめん。これで仲直りな」


 抱きしめた子供の肩は華奢で弱々しく、それでいて凛々しい。

 ヒュウは静かに感謝の言葉を告げた。


「助けてくれて、ありがとう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ