episode12(ⅱ)
ヒュウの乾いた笑顔が軋んだ。
常人なら簡単に気圧されてしまいそうな雰囲気だが、眼前のリグは微動だにしない。
艶やかな長髪が肩から滑り落ちる。
「命令はしていない、全部あの子が自ら望んだことだよ。あと、処刑人をしている時のシュリは『助手』だからね」
怪しく持ち上がった口角から八重歯が覗く。リグの睫毛が僅かに下がった。
「では彼の持つ武器は?」
「僕があげた。剣は怖いらしくてね、だからといって丸腰の訳にはいかないし」
「レイツァがここに来てどれくらいになりますか」
「丁度一年かな」
「拾い子というのは本当ですか」
「勿論。でもここに居るのはあの子の意志だ」
軽々しい口調の返事。
軍人の彼は睨みに近い眼差しで青年を見つめていたが、やがて一つ息を吐く。改めて背筋を伸ばすと口を開いた。
「深入りしてすみません。資料に目を通した時からずっと気になっていたので、つい」
馴染みのない言葉遣いにつっかえるリグは、まだ幼い子どものようだった。低い声質に合わない拙い敬語である。
警戒の糸をあからさまに張り巡らせていたヒュウは、ふっと力を抜いてみせた。弟子の過去や周辺について漁られるかと思っていたが、どうやら彼の見当違いだったらしい。
詳しいことが知りたいならシュリに直接訊いてくれ、とヒュウが最後に牽制する。対して軍人は頷き、再度謝罪の言葉を口にした。
(……なんとなく分かった)
凭れたソファの背に彼の長い髪が流れる。変わらぬ表情で世間話を持ち掛けると、リグはしっかり答えた。
(多分この人間はシュリに親近感を抱いている)
リグがどのような境遇で生きてきたのかは推測しがたい。しかし話し方、目線、入室からの挙動より、表面上のマナーを叩き込まれたよくいる貴族の子供に感じた。
そしてシュリと同じく親に闇を与えられたということも。
エンカーの名で生まれた嫡男なのに処刑人にならなかった、という点で既に只事ではない。
(彼自身に問題があるのか、或いはあの子と同じで――)
今も続く他愛ない世間話に違和はない。彼は何処にでもいそうな、物言いの冷たい青年だ。エンカー家の子息という前提がなければ、只の若造でしかない。
肩から落ちてきた髪の毛先を弄りながら、間を置いて彼が口を開いた。
「リグくんは」
「リグで良いですよ、呼びにくいでしょう」
「じゃあ遠慮なく。リグは目の前に人外が現れたら戦えるかい」
朗らかな笑顔で投げかけられる、狙いの分からない質問だ。テーブルの向こうの青年は相変わらずの無表情でいる。
「……武器があったら戦える、と思います」
数秒考えて答える。迷いのある返事の仕方だった。
ならさ、とヒュウの声音が優しくなる。深紅の眼光は一見穏やかそうであるが、何かを見定めているようにも見えた。
涼やかな声が言葉の続きを紡ぐ。
もし助手が負けそうになったら、彼の手助けしてくれるかと。
短髪の彼は再び言葉を詰まらせた。ほんの少しだけ目線を惑わせる。
「ロッドさん、おれは軍人です。処刑人ではありません」
分かってる、という返事には表に出ない深刻さが混じっていた。
感じ取ったリグは覚えず、何故そんなことを訊くのかと尋ねる。彼は平生の調子で笑い続けていた。
「どんなに強くても、あの子はまだ十三歳のガキだ。何があってもおかしくない。僕の代わりとして、近くに味方が居てくれると良いなって思っただけ」
師というより父親みたいだ、とリグは率直に思う。厳しさの中に孕む心配の二文字が見えた。
おれの父上とは大違いだ。
それが実際声に出ていたかは分からない。眼前に座る青年の様子は変わらなかったため、音にはなっていなかっただろう。リグは口を噤んだ。
喉の奥に追いやられた本音が疼く。金糸の前髪が揺れ、翡翠の虹彩が沈みかけた。
「わかりました。ですが現場にいる時ならの話です。どれほど足止めできるか分かりませんよ」
あくまで自分は軍人だと訴えているような、乗り気では決して無い返答だった。それでも前向きな内容だったからか、ヒュウは心底嬉しそうに笑って感謝の言葉を零す。
不意に軋んだ音が二人の鼓膜を掠めた。
自然と向けた視線は、開かれた玄関にぶつかる。
シュリが帰ってきた。雪が降っていないとはいえ寒い時期に普段の薄着である。
少年は客人がいたことに気が付くと、いつもの通りに挨拶してみせた。至って普通の様子であり、喧嘩の最中の子供には見えない。師の気が抜けた「おかえり」に対してちゃんと返してもいる。
ヒュウが茶の用意を頼むと、彼は了解を示してキッチンへと姿を消した。
一連の流れを目の当たりにしたリグは少々驚いた声で確認する。
「喧嘩中、なんですよね」
「あぁそうだよ。あれでもまだ不機嫌なんだ」
呆れた表情をして青年は答えた。
温かい紅茶とティーカップを手にシュリが戻ってくると、師は彼に座るよう促す。シュリは躊躇しつつ彼の隣に腰を下ろした。
師からリグのことを手短に紹介され、彼も丁寧に挨拶する。帰宅時より幾らか、表情はほぐれているようだった。
互いの仕事について話すのが暫く続いた。リグは人外の担当の他に、周辺諸国の遠征もこなしているらしい。
「ところで思ったのですが、あなた方はなぜ街に紛れる奴ら――通常の人外は駆除しないんですか」
彼の問いは、この国に暮らす人間なら当然思い浮かぶものだ。
シュリはちらりとヒュウに視線を送る。彼は澄ました顔をしているばかりで、彼から話そうとはしてくれないようである。
少年は神妙な装いで言った。
「私たちは人の味方ではありませんので、不必要な駆除は行わないのです」
味方でない。リグの眼差しは睨みに変わった。
「それはつまり、人外に肩入れしているという事ですか」
「いえ、どちらの味方でもありません。両者の媒を目的としています」
少年の愚かとも思える行動に、リグは怪訝な目を向けた。
「おれがここで法に障ると判断したら、あなた達は逮捕されるかもしれない。なのにどうして話したんです」
それには青年が答えた。
「処刑人のリーダーには許しをもらったからな」
リグの纏う空気が変わった。一瞬にして血の気が下がり、途端、面が険しくなる。無の仮面をした彼から隠しきれない動揺が見て取れた。
彼は押し込もった声で、そうですか、と言うと席を立った。
「次の仕事がありますので、ここらで失礼します」
入室時と同じ丁寧さで彼は敬礼し、事務所から出て行く。
何の前触れもなく立ち去った客人を視線で追って、シュリは呆然と閉められたドアを見つめた。一方ヒュウは、当然の反応だなと呟いて腰を上げる。
離れる背に、どうしてかと尋ねようとした。
しかし声は、喉元まで出かけて押し戻される。どうやらこの子供は、未だ師を許していないようだ。
ぱりん。
唐突に、小さくも鋭い破壊音が耳を劈く。咄嗟に顔を上げ右に注目すると、そこには割れたティーカップと蹲る青年がいた。
「先生? ――……先生ッ」
二日前の諍いなど頭から抜け、シュリは立ち上がる。彼からの応答はない。返ってくるのは荒くなった呼吸音、雫がぱたぱたと床に落ちる音だけだ。
明らかにおかしい。
少年は駆け寄ろうとしたが、どうしてか体が動くのを拒否する。この期に及んで彼への怒りが行く手を阻んでいるのではない。師から匂い立つものが、人間に紛れた人外の匂いではなかったのだ。
呼吸と共に大きく上下する肩。
隠していた筈が晒されている蝙蝠の翼。
口から溢れ出る唾液。
弟子の前で、ヒュウは食欲発作を起こしかけていた。




