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episode10(ⅱ)

 突然戦意を取り戻したらしい西の小国が、同盟を組み、大勢の兵を率いて西国境を攻めていると連絡が入った。

 ヴィンリル王国は即座に軍を編成、出動させる。その中にヒュウもアンクも含まれていた。


 宵闇が覆った鬱蒼と茂る、知らない異国の森林。そこで起こった、思い出したくもないあの戦闘の記憶が鳴り渡る。


 鈍痛。

 半身が燃えるように痛い。熱が体中を伝っている。

 悲鳴。

 そこら中から誰かの叫び声と、鋭く風を裂く音が耳朶を打つ。

 もうだめだと分かっているのに、まだ助けられると思っている。ヒュウは矢が刺さったままの足を動かした。


 目前で弾かれたように倒れる者。

 投げやりになった鬨の声をあげ、刃毀れをした剣を振り回す者。

 視界いっぱいに広がる闇で男たちが、その身体から赫を垂れ流している。


 どう見ても戦況は劣勢だった。

 絶えず響く金属同士がぶつかる音が傷口を開かせている。焦燥と恐怖が意識を支配する。走り続けた為に息が上がって苦しいが、自分の役目を果たさなくてはと、まだ残っている自我が訴える。


 再び地面を震わすほどの爆音が鳴った。断末魔の叫びさえも掻き消される。

 一度伏せた頭を上げた。視線の先が射抜いた人影を認識すると呼吸が詰まってしまう。

 手にしていたガーゼと包帯を握り締め、その人影へと駆け込んだ。


「アンク!」


 呼び掛けの最中、熱を帯びた爆風が後頭部を殴った。すぐ後に鼓膜が破けるほどの轟音が耳を劈く。

 裂けた服から覗く真っ赤な傷口に砂埃が入り込んだ。どくどくと血が流れ出ているのが分かる。混乱した脳内が心臓を叩いて痛い。


 腕に抱えた仲間の男は呼吸が酷く浅く、苦痛で呻きも出せないみたいだ。腹部が深く抉れている。引き千切られたかのような大きな傷を一目見て、青年は悟ってしまった。


 もう助からない。


「おい聞こえるかッ! しっかりしろッ!」


 彼は意思に反して、なけなしの水を開いた赤い口にかける。間もなく血が滲み、アンクは掠れた呻きを漏らした。

 広げたガーゼを腹に強く当て、力の限り包帯で締め付けようとする。すると男はヒュウの手に弱々しく触れた。

 反射的に顔を向けると、彼は首を左右に小さく振っている。


「ヒュ、ウエン、ス……おれは、いい、から」

「何言ってんだッ 諦めんな!」

「お、れじゃな、くて、他の、人を」


 阿鼻叫喚の嵐に呑まれてしまいそうな囁きだ。青年は触れられた手を掴み返し、必死で首を振る。まだ生きろと怒鳴りに近い声で言った。それでもアンクは徐々に弱まる息で否定している。


 意識が混濁してしまっている。

 永くない。

 助けられない。

 此処では適切な処置が施せない。


 自分も気が狂いかけているのが分かる。

 辺り一帯に敷き詰められた、敵かも味方かも判別できない無数の死体。片腕が吹き飛ばされてもなお敵陣へと突っ込む者、恐怖で自身の首に刃を刺す者さえいる。


 皆、死にたくないと言っていた。


 自分だって死にたくない。こんな知らない場所で、こんな形で、死ぬなんて嫌だ。

 他の衛生兵たちは臆して戦線に出てきてくれない。これでは兵たちが無駄死にするだけだ。


 ふと首元に掛かっていた呼吸が感じられなくなった。運んでいたアンクの体は重力に抗うこと無く、ぐったりとしている。


「アンク……? 返事しろッ」


 彼は答えない。血の気が引き、心臓が鳴いて止まない。やっぱりだめだったかと思う自分と、嘘だと泣き叫ぶ自分がいた。

 木の影に一旦身を潜め、腕の力を抜く。彼の体が離れていった。


 死んだ。死んでしまった。


 彼は薄く目を開いた状態で魂を手放していた。血色を失った顔は泥に塗れ、まるで人形のようだ。

 いつまでも整わない呼吸が喉を絞める。麻痺しているのか痛みも感じられない。


 早く仕事に戻れ。まだ助かる仲間がいるかもしれないんだぞ。悲しむのは後だ。

 分かっているのに、足に刺さった矢が傷口を押し広げ、痛みだし体が動くことを拒んでいる。怖がって、大切な友人の死から立ち上がれない。


「ごめ、なさ、」


 震える体を押さえつける。でも上がった呼吸は収まらない。


 思考する声さえも耳障りだった。彼は過呼吸を起こしながら必死で立ち上がる。本能的に逃げろと警鐘が鳴り響く。

 ヒュウは覚束ない足取りでその場から駆けて行った。

 単純な息さえもままならない。体を巡る痛みも徐々に感じなくなっていた。熟れた果実のように、ぐちゃぐちゃに膿んだ傷口は見るに堪えない。


 やがて、朝が来た。


 戦闘の音はすっかり消え去った。所々に上がる白い煙と生気のない空気が、いつまでも息を殺している。


 戦いに行った人間は総勢三百人強。しかし戦場から帰ってきた者はヒュウを含め、たった十六人だった。


 死者数は多くも結果はヴィンリル王国の勝利。国民や貴族たちは良くやったと笑って出迎えてくれた。

 疲れ果てた軍人らは、その笑みに対して敬礼で返す。怪我した足を治療するため先に帰国していたヒュウは、その様子を軍事施設の二階から見下ろしていた。


「これが人間か」


 誰もいない病室で独りごつ。彼は縫われた足を一瞥した。

 どれだけの人が死のうと国が勝てばいい。誰が死のうと結果しか見ていない。


 自分は生きているから。


 国の為に命を落とした戦士に捧げる追悼は少なからずあったが、それはどう見ても戦争で勝ったという事実の上にあるからこそ成っていたもので、それ以上の意味を含んでいるようには見えなかった。表面上の想いを馳せられたところで、彼らが国の為に命を()せたと胸を張れる筈がない。


 ヒュウはそれから間もなく軍を辞めた。戦争が終わる二ヶ月前のことだった。


 生まれて初めて得た「仲間意識」を瞬く間に滅多刺しにされ、信じるべきものが分からずにいた。


 再び独りとなった彼は、私設で救命組織を立ち上げる。

 フレイアなどの数少ない意思疎通の取れる人外たちに協力を乞い、やっとの思いで独立した。それが今に直結する出来事。 


 人外を落魄(おちぶ)れた生き物だと差別する人間。

 全ての人間を傲慢な生き物と言う人外。


 どちらも分かるからこそ、ヒュウはどちらの意見にも肩入れする事などできなかった。

 だから彼はこの道を歩むことにした。忌むべき人間の命を救い、発作を起こし苦しむ仲間を殺す道を。

 両者を繋ぐ道を。


 ・・・


 一通り話し終えると、青年は大きく息を吐く。滅多に口にしない自身の過去を改めて振り返って、心の傷が疼くのを感じた。

 ふっと視線を下ろす。そこには深く呼吸を繰り返す弟子の寝顔があった。

 閉ざされたシュリの瞼は仄かに赤く腫れ、頬には透明な雫が伝っている。


(まったく、優しい子になったもんだな)


 慣れた手つきで少年の頭を撫でてやる。彼の起きる気配はなかった。


 人の成長は早いのだと思い知る。出逢ったばかりの頃より伸びた身長も、やがて自分を追い越してしまうのだろうと微笑む。

 明日はいよいよ国王の生誕祭だ。この少年は正気でいられるだろうか。


「おやすみ、僕の可愛い弟子」


 一匹の人外の呟きは、音もなく溶けて消えた。

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